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大阪での毎日

整形外科の仕事&「職」ではなく「食」へのこだわり

第21回 日韓整形外科学会

2011年06月17日 | 学会
2年前の済州島で開催されてときに、はじめて参加した学会ですが、学会というだけあって、もちろん整形外科に関する発表がメインなんですが、ほかの学会と違って「親睦」というものにも重きをおいている学会なんです。
 
今でこそ、韓流ブームがあって、日韓の国民レベルで仲良くできる時代になってきましたが、10年前を考えるとまだまだ壁がありましたよね。そういう中でも20年前から整形外科ではこんな学会を毎年開催していたなんて、感心します。

学会初日は会場ホテルのプールサイドでパーティーです。

2年前に知り合った先生方にご挨拶。

翌朝は早朝から学会です。こんな部屋で発表します。
以前は発表となると、発表までに緊張感しすぎて疲れる・・・みたいな状態でしたが、場馴れしていくもんで、なんとか無事終了。質問をしてくださった韓国人の手の外科の先生とその後も仲良く過ごさせてもらいました。

夜は着席の懇親会です。奥様方たちも参加で、一緒にテーブルを囲みあれやこれやとおしゃべりします。
今売れっ子のシャイニー?!の誰それは、大邱の病院の看護婦さんの息子さんだとか・・・・
韓国でも、女医さんと結婚する医者はままいるのかして、耳鼻科医や病理医の奥様たちも来られてて、もう少しいろいろお話したかったところですが、時間がなくて残念でした。

これからも、日々の診察で疑問に思ったことが学会発表につながれば、と思います。

日韓整形外科学会 in 大邱

2011年06月16日 | 学会
2年前にはじめて参加した日韓整形外科学会ですが、今年は韓国の大邱(プサンの少し西に位置。今年、世界陸上をするところ)で開催されました。

世界陸上に行かれる方もおられるかと思うので、少し詳しく。
大邱まではソウルからKTX(新幹線みたいなもの)で2時間弱、釜山からの方が近いですが、釜山行の飛行機が少ないので、今回はソウルからKTX利用
KTX以外にもムグンファ号などもありますが、料金も安いかわりに時間が倍ぐらいかかります。行きも帰りも満席で、特に土日はあらかじめチケットを購入することをお勧めします。2等席で片道3000円ぐらいでしょうか。

時刻や予約などはKORAILのHPを開けると英語でみれます。

ソウル駅では電光掲示板に発着予定列車が表示されるので、それをみてチケットを窓口で購入。

ソウルは始発なんで、時刻通り発車しましたが、大邱(KTXの駅は東大邱
には数分遅れで到着。時刻通り電車が発着するのは日本ぐらいなんでしょうね。

余談ですが、母の生家が大邱の郊外ですが、KTXの駅がありました・・・クミ駅です。

国際手の外科学会 in ソウル

2010年11月06日 | 学会

久しぶりの更新ですが、またまた学会ネタです。

3年に一度開催される「国際手の外科学会」ですが、6年前のハンガリー開催にはじめて参加して以来です。

今回は、ソウル開催、ということで、気合が入りまくりですが。気合の原因は、発表はまあまあ、として、今年の4月から習いだした韓国語が少しは上達しているのか、そこが楽しみでもあります。発表は英語なんですがね・・・

学会初日は、受付を済ませ、自分の発表のスライドを学会場のコンピューターに取り込んで、夜にはreceptionといって開会式です。

写真のような感じで、今回は60カ国、1200人の参加です。
韓国伝統音楽や、手の先天性障害の治療をうけた子供たちの演奏などを聞いたあと、ちょっとした宴会。

日本骨折治療学会

2010年08月05日 | 学会
           
フランスで楽しむ前に、一仕事。
「日本骨折治療学会」ですが、今年は千葉幕張で開催されました。

私の発表の内容は鎖骨骨折。

ふと、20年前の話がよみがえる。

私が医学知識ほぼゼロであった大学生のころ、中学の同級生が鎖骨を折ったらしく、プレート固定をして治したもよう。
その話を聞いた私は、「え~ 鎖骨に金属!」と思ったことをふと、思い出しました。

今ではそれを入れる人になってますが、人生ってわからんもんですね~


日本足の外科学会

2010年06月27日 | 学会

はじめて参加した「日本足の外科学会」ですが、平城京遷都1300年で観光客で賑わっている奈良で開催されました、

一応、私の専門は「手」ですが、手と足の構造が似ているため、足の病気の患者さんも来られるので、勉強がてら参加したのです。

「足」というすごくマニアックな学会でしたが、驚き発見。

みなさんもご存知、関節リウマチの患者さんの足の治療に変化がおきてます。というのも、リウマチの治療はここ数年で全くかわってしまいました。リウマチによく効く薬や点滴が治療の中心になってから、患者さんたちの活動性が飛躍的に改善されました。その結果、足の治療も痛みをとる、が中心の治療からもう1歩進んだ治療に。医療の進歩っていいことですよね~

色々話題を巻きこした「せんとくん」ですが、すっかり人気者で、奈良のいたるところにせんとくんをお目見えできます。この、きもかわ(きもちわるい+かわいい)+ゆるキャラ、という2面性が今の社会にマッチしているんでしょうね~ そんなせんとくんの生みの親、籔内佐斗司氏は実は高校の先輩らしいです・・・

第53回日本手の外科学会

2010年04月19日 | 学会
学会ではいつもゲストをよんで講演をしてもらいます。
普段、専門分野のことばかりで、周りも医療関係者が多い生活をしているだけに、この講演会はいつも楽しみです。

以前は別の学会で宇宙飛行士・毛利さんが講演をしてくださったことがあり、宇宙の壮大な話を聞いて現実逃避できたようで、楽しかったんです。

が、立花隆さん。

ノンフィクション作家として有名ですが、作家=話し上手、と勝手に思い込んでいただけに、がっかり。

また来年はだれが来てくれるんかな~

日独整形外科学会

2009年11月01日 | 学会
今回はこの学会にはドイツからはベルリンの先生が多く、日本からは昭和大学、久留米大学からの参加の先生が多かったようです。

前回に比べると若い先生が増えていたように思います。

今や留学といえばアメリカの時代です。30年前ならドイツに留学された先生も多かったようですが、日本の医学もドイツより進歩したということでしょうか?!

30年前にドイツで留学された先生方は、ドイツ語もべらべらで、患者さんを診察することもあったらしく、そのバイタリティーに感心しました。

でも、慣れない外国に住むことによって、いろいろな珍道中もあったらしく、それをおもしろおかしく語る先生方の話もとても笑えました。

写真は協賛の器械会社展示の一部

日独整形外科学会

2009年11月01日 | 学会
10月25日に開催された学会ですが、発表は無事、なんとか終わりました。4年前のこの学会で、はじめて英語での発表となったんですが、ほんと緊張したのを覚えています。しかも発表が今回と同じ夕方だったので、緊張疲れで夜の夕食には寝坊して起きたら夜中でした・・・

でも、今回はあれから4年たっているので、私も成長しました。時間を有効に使い(午前中はちょっと社会見学)、あまり緊張もせずに発表ができました。ほっ。

ということで、無事、交流会を兼ねた食事会にも参加できました。

写真は食事会の会場となったクラッシクカーの展示場です。

えっ!ここで食事?と思いきや、その隣にいい雰囲気のお店がありましたよ。

でも、前日に食べたHiltonのそばにあったBraseirieという店の方がおいしかったです・・・

日独整形外科学会

2009年11月01日 | 学会
2年に1度開催される「日独整形外科学会」ですが、2年前は神戸、そして今年はベルリンで開催されました。ドイツ整形外科外傷外科学会の一部として開催されるので、それはまあ、すごい人、人、人!です。なんせ、ドイツ中の整形外科・外傷外科医が一同に集まっているんですから。

特に驚くのは整形外科外傷外科に関する器械(骨折を治すときのプレートや人工関節など)や製薬会社の出展が多いこと!日本整形外科学会の10倍?!ぐらいの会社でしょうか?でもここで感心したのは、この協賛してくれている会社の展示場を通過しないと学会場に到着できないことです。日本だと、協賛会社のコーナーは別部屋で、そこまで足を運ばないと見てもらえません。でも、ドイツのこの形式なら協賛しただけの宣伝になるので、協賛会社からしても利点があります。まさに合理的なドイツです。

写真はブランデンブルグ門です。東西分断されていたときは通れなかった門です。

日韓整形外科学会

2009年09月22日 | 学会
学会の初日はロッテホテル済州島のテラスで懇親会が開かれました。

今回の主催者である光州の大学病院の整形外科教授の奥様(声楽家)の歌の余興があったり、火山ショー(写真)があったりと、楽しい懇親会でしたが、いかんせん、整形外科というのは、脊椎、関節、が花形の科だけに、私のように手を専門にしていると、知り合いの先生がほとんどいません。H大の整形外科教授がかろうじて私の知っている先生で、明日の私の発表の座長(司会者)でもあるので、挨拶がてらおしゃべりを。気さくな先生で、ほっとします。

翌朝、私の発表は比較的早い時間だったので、気が楽でした。発表後質問してくれた韓国の先生がいたんですが、彼の英語が理解できず、「こうですか?ああですか?」聞き返すも、二人の意思疎通は全く成立せず、座長が助け舟をくださりました。そういうことで、発表のあとは質問してくれた先生たちと仲良くなるきっかけとなりました。まさに日韓交流ってなかんじでした。