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南禅寺の水路閣と疏水で泳いだ思い出 京都現地事情 その79

2023年12月11日 | 京都現地事情

琵琶湖近くの疏水取水口

 

下左の写真は、琵琶湖岸の第一疏水(そすい)の取水口にかかる橋の上から琵琶湖を見ています。下右の写真は、琵琶湖から百メートルほどの場所から見た第一疏水(そすい)の京都方向で、この先はトンネルで山を抜けていきます。第二疏水は直ぐにトンネルに入るので、こういう景色はありません。子供の頃に見た記憶では、第一疏水はもっと深い所を流れていたと思っていたが、この写真では結構浅い。子供の頃の記憶は子供の背丈で見るから、大きく見えるのかな。それとも違う場所での記憶かな?

 

 

疏水については、2018年08月05日 の「大津と京都の微妙な関係~京都事情51~」にも書いている。

 

南禅寺の水路閣

 

南禅寺の境内に古臭く見える(実際古いです)レンガ造りの構造物がある。水路閣という立派な名前がついていますが、琵琶湖からの水を北山の麓へ運ぶ「疏水分線」の水路橋です。

 

ネット資料「日本遺産 琵琶湖疏水」によると、この水路は「疏水分線」と書かれています。私は第二疏水と思っていたが、「日本遺産」に従って「疏水分線」にします

 

水路閣の断面は長方形(干上がった時に見たら底は曲線だった)で上に蓋はありません。疏水分線は南禅寺の水路閣を通り、若王子(にゃくおうじ、近くに若王子神社がある)プール跡、哲学の道(単なる疏水の堤防の上の道ですけど)の横を流れ、銀閣寺への道を横切って、高野川や賀茂川の下をくぐり、北山の麓にある松ヶ崎浄水場まで流れていく。これは全て自然流下なので、琵琶湖は結構標高の高い所にあるのがわかる。

 

松ケ崎については、2016年06月11日の「京都事情その38~「松ヶ崎」と日蓮宗~」にも書いている。

 

水路閣の水はチョロチョロ

 

私が生徒の頃の大昔、水路閣に上がると、水が水路の上縁近くまで達していて、ザーザーと勢いよく流れていた。

 

ところが最近TVで見ると、底の方にチョロチョロとしか流れていない。昔、哲学の道付近の「疏水分線」は地下に導水管を埋めたと新聞に出ていた記憶がある。確かに哲学の道付近の「疏水分線」もチョロチョロとしか流れていない。ということは、南禅寺付近でも地下に導水管が埋まっていて、橋の上の水路には一部の水しか流れていないのかもしれない。なにしろ、浄水場の原水なので、これが本来の姿かもしれない。

 

「疏水分線」上の若王子(にゃくおうじ)プール

 

上に書いたけど、中学生?の頃の若王子プールは、「疏水分線」がここだけ広くなっていて、市営のプールになっていた。市電に乗りここへ通って泳いだが、水が冷たかった思い出がある。Googleマップをみたが、プールらしき広い水場は無く、「松ケ崎浄水場・若王子取水池」というのがあるがここかな?

 

夷川(えびすがわ)ダムの踏水会

 

若王子プールを思い出したら、踏水会(とうすいかい)のプールも思い出した。小学校にはプールがあったがプールの教習は踏水会でやった記憶がある。それとも中学校はプールが無かったので、中学生の頃かな? ここは「疏水分線」ではなく、疏水の本流にあります。

 

踏水会のある場所は、夷川ダムという場所で、疏水を堰き止めて作った水たまりで、市街地の中にあります。そのままでは背が立たないくらい深いので、底に板が敷いてあった。ここは、2023年04月12日のブログ「京大の吉田寮と熊野寮」で書いた京大熊野寮の裏手です。昔はここに泳げるような施設があり、踏水会という組織が水泳を教えていました。

 

その後、疏水の水質が悪化した(と記憶している)ので、夷川ダムのプールは廃止になった。琵琶湖の水質が悪化したことも原因の一つかな。もう一つの原因は、疏水が夷川ダムに来るまで、京都市岡崎の動物園や美術館の横を流れて来るので、京都市内での水質悪化もあったかもしれない。

 

昔、琵琶湖の水質が悪化して、京都の水道は臭いとクレームが出たことがある。京都市は疏水の水を琵琶湖のもっと沖合で取水すると提案し、大津市や滋賀県と揉めたことがある。あの頃と比較して、琵琶湖の水質は良くなったのかな? 浄水技術が向上したのかもしれない。

 

若王子プールが廃止になったのも、疏水の水質悪化かな? それとも、水道水の原水として、プールは不適当だったのかな?

 

2023年12月11日

 


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