ほぼ週二 横浜の山の中通信

人と異なる視点から見る

メディアに物申す その6-京都会議は何だったのか-

2013年01月18日 | メディアに物申す

我家では、昔朝日新聞しか取っていませんでした。

その昔、199712月に国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)が開かれました。

この会議の開催がメディアに流れた時、環境問題に関心のある国会議員たちが、「京都へ行って会議で主張を述べよう」と出かけて行ったという主旨の記事が載っていました。

この会議の後しばらくして、出かけて行った国会議員が「あの会議は何だったのか?」と言っていたという記事が出ました。

ということは、この国会議員たちも、この記事を書いた新聞記者も、京都会議の目的や何が話されて何が決まったか、を全く理解していなかったということになります。今から思えば、赤っ恥ものですね。

今でこそ、京都議定書の内容はよく知られていますが、京都会議のすぐ後では、京都議定書の内容に関して必ずしも詳らかでなかったと記憶しています。

この頃、高々15年前ですが、気候変動に関して、一般の人の認識もそれほど高かったわけではなかったと思います。同じように、国会議員や新聞記者たちも、一般の人と似たような認識しかもってなかったのでしょう。もちろん環境庁(環境省になるのは2001年からです)の役人たちは、十分知っていたのでしょうが、国民(もちろん、国会議員や新聞記者も含まれます)への周知は不十分だったのでしょう。

これは、世界の各国でも似たような事情だったかもしれません。そうでなければ、これほど重要な内容がこの会議ですんなり決まってしまうことは無かったかもしれません。(会議自体は紛糾し、徹夜もあったようですが、少なくとも京都議定書は合意されました)

メディアの教訓は、いつもアンテナを張っていないと世界の動きがわからなることでしょう。日本流の「まあ、一杯やりましょう!」と言って情報を取って来るだけの方法では、世界では通じないでしょうね。「まあ、一杯!」で情報を取ってくる方法だと、情報が多すぎて年365日呑まないと、務まらないでしょう。

国会議員も、付け焼刃的に抽象的な議論ばかりしているのではなく、具体的な行動計画に取り組まなければならないということでしょう。

いずれにしても、日本の世界を見る力・世界をまとめて具体的な成果を出す力の不足を痛感した出来事でした。

2013.01.18


浮体式洋上風力発電を応援3~今年の浮体式の報道~

2013年01月18日 | 洋上風力発電

今年になって半月ですが、TVで浮体式洋上風力発電の報道が立て続けに出たので報告します。見ようと思って見たのではないので、他にもあるかもしれません。

 

NHK TVの夜7時半?からの番組だったか、再生エネルギーがテーマの番組でした。東京大学と三井造船などの企業が「福島沖」で進めている浮体式洋上風力発電事業を取り上げていました。しかし、浮体式の他の二つ「椛島」と「博多湾」は取り上げていませんでした。

この番組では、造船会社(三井造船?)で製造されている巨大な円柱形の構造物の画像が出ていました。その後、東大の石原教授のインタービューが出ていましたが、目新しい話はありませんでした。

 

②テレビ朝日の1月17日朝8時からの「モーニング・バード」の「玉川総研」の中で、「椛島」と「博多湾」での実験の様子が放送されていました。こちらは「福島沖」の話はありませんでした。

先ず、椛島沖の風車の様子を船からと海中から、次いで京大の宇都宮准教授のインタービューがありました。台風が来ても風車は大丈夫だったという話でした。

 

その後、「博多湾」での実験の様子をやはり船から、次いで九大の大屋教授?のインタービューがあって、「風レンズ風車」や「風力発電と太陽光発電との組み合わせ」、浮体設備が漁礁になって魚が集まってくるので、漁業と共存できるという話がありました。これらは既にホームページで紹介されている話で目新しい話はありませんでした。

 

洋上風力発電の課題として送電網が風力発電に対応していないこと、今の仕組みでは電力会社が風力発電に積極的になれないという問題を指摘していました。

この番組での新しい話は、宇都宮准教授が話した浮体式洋上風力発電のコストで\20/kWhでした。ただし、この数値の前提条件はわかりません。

cefという風力関係の会社のサイトには、風力発電(たぶん陸上)は912/kWh、太陽光発電(住宅用)は47/kWh、原子力は5.9/kWh、石油火力は10.2kWhとあります。)

いずれにしても、浮体式洋上風力発電がメディアに取り上げられ、関心ない人でもその様子が見られることは、喜ばしいことです。

 

 2013.01.18


東京大学の秋入学

2013年01月18日 | 研究および大学

東京大学の秋入学が謂われて久しいですが、なかなか進展していない印象を受けます。秋入学の主旨は、秋入学が圧倒的に多い海外の学生が東大へ進学や留学しやすくなることだそうです。

しかし、後に付いてくる大学が無く、孤立無援という感じがします。結局は秋入学も選択肢というようなことになりそうな感じもしないではないです。

 

しかしながら、この話には何か引っかかるものがあります。

我々が一般的に思う東京大学の本分は昔も今も、「官僚養成」でしょう。「官僚養成」は、国家公務員採用試験の合格者がダントツのトップであることからも自他ともに認める事実です。この日本の「官僚養成」において、秋入学は不利です。

 

東大は、「官僚養成」を放棄して(または順位を下げて)、国際化に突き進むのでしょうか? この「国際化」によって何をやろうとしているのか、もう一つ本音が見えてこないです。

アジアからの留学生と日本の官僚の卵を交流させることで、アジアに強い人材を作ろうとしているのでしょうか?これは、東大に好意的すぎる意見かもしれません。

それとも、どこかでやっている大学の番付で、東大の位置づけが欧米の有名大学やアジアの一部の有名大学より低いのを上げるためでしょうか?

 

メディアでの議論を見ていると、東京大学の存在価値が明確でないような気がします。従来通り「官僚養成」なのか、「民間各界のリーダー養成」なのか、あるいは「世界レベルの研究」なのか。それともこれら全部? そうなら欲張りすぎでは?

 

「官僚養成」と「民間各界のリーダー養成」は、今も日本ではトップでしょう。というか、東大の教育が良いのではなく、優秀な人が集まるからかもしれません。

「世界レベルの研究」は、残念ながら疑問符が付きます。東大には、ノーベル賞候補者が居るにしても、他大学とどっこいどっこいのような・・・。東大の研究(の一部)を見ると、リスクを取りたがらないのでしょうか、平凡な研究テーマが多い気がします。(これに関しては、どこかで調べたいと思っています。)

 

東京大学の秋入学、よくわかりません。

 

2013.01.20


京都事情 その3 「坊さんがへをこいた、匂いだら臭かった」

2013年01月13日 | 京都現地事情

その昔昔、TVの「風雲たけし城」を見ていた時、

「だるまさんがころんだ」

と叫んでいました。この時は聞き流していましたが、数年してあれは

「坊(ぼん)さんがへをこいた」

をやっているのだと気がつきました。

「だるまさんがころんだ」とは、たけしにしては上品ですね。

「坊(ぼん)さんがへをこいた」で10で、この後は

「匂いだら臭かった」と続き、また「坊(ぼん)さんが・・・」に戻ります。

私は旧市域のほぼ真ん中に住んでいました。ネットで調べると、「坊(ぼん)さんが・・・」は、京都の他の地域でも使っているようですが、京都付近のポピュラーな言葉かどうか、どの程度の広がりがあるかわかりません。とにかく、言葉は京都らしいです。京都出身の私より若い人に聞いたら、全く知りませんでした。あるいは、こういう遊びをやっていなかったのかもしれません。

どうでもよいことですが、「だるまさんがころんだ」とは、いかにも東京で大人が作ったような当たり障りのない言葉選びだと思います。

2013.01.13


メディアに物申す その5-物真似と沈黙-

2013年01月13日 | メディアに物申す

我家では、昔朝日新聞しか取っていませんでした。

「京都国際マンガミュージアム」が元小学校の校舎を再利用して2006年に開館した時、「京都とマンガは何の関係もない」と書いた新聞がありました。

(京都ネタが多くて済みません。ついつい、記憶にのこりやすいからだと思います。)

その時は、確かに「京都とマンガはあまり関係がないなあ」とは思いました。

 

それから、しばらくしてから、明治大学に「現代マンガ図書館・米沢嘉博記念図書館」が出来ました。この時、「明治大学とマンガは、何の関係もない」と新聞は書きませんでした。

少なくとも、「京都とマンガの関係」より「明治大学とマンガの関係」の方が濃いと言えるのでしょうか?

ちなみに明治大学には2014年に「東京国際マンガ図書館」ができる予定だそうです。

http://www.meiji.ac.jp/manga/message/

この「東京国際マンガ図書館」に関する明治大学の学長挨拶を読んでも、明治大学とマンガの関係はコレクションの寄付を受けたのと、明治大学が秋葉原と神田に近いくらいですよ。

 

一般的にメディアでは、東京以外で行っていることを東京で行うと、「真似」とは言いません。逆に、東京で行っていることを東京以外で行うと「真似」と言います。あるいは「真似という雰囲気の言葉」を使います。

1995年以降、神戸で「神戸ルミナリエ」を行って評判になると、1999年から2005年まで東京丸の内で「ミレナリオ」を始めましたが、新聞は誰も物真似とは書きませんでした。

この理由は、今度「ミレナリオ」のホームページを見て納得しました。(「ミレナリオ」は2005年に終了しましたが、ホームページは残っています。)「ミレナリオ」のホームページには、数多くの有名企業の名前が載っています。なるほど!

この逆の場合、新聞はきっと「真似している」と書いたことでしょう。

新聞記者も東京以外の出身が多いくせに!スポンサーには弱い!

 

新聞にとっては、記事を書く人が多数いて、その人たちが勝手に書いているのは仕方ないと思っているでしょうが、読者は一人です。あまりに書いていることが違っていると、ストレスが溜まります。

 

2013.01.13