我家では、昔朝日新聞しか取っていませんでした。
その昔、1997年12月に国立京都国際会館で開かれた第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)が開かれました。
この会議の開催がメディアに流れた時、環境問題に関心のある国会議員たちが、「京都へ行って会議で主張を述べよう」と出かけて行ったという主旨の記事が載っていました。
この会議の後しばらくして、出かけて行った国会議員が「あの会議は何だったのか?」と言っていたという記事が出ました。
ということは、この国会議員たちも、この記事を書いた新聞記者も、京都会議の目的や何が話されて何が決まったか、を全く理解していなかったということになります。今から思えば、赤っ恥ものですね。
今でこそ、京都議定書の内容はよく知られていますが、京都会議のすぐ後では、京都議定書の内容に関して必ずしも詳らかでなかったと記憶しています。
この頃、高々15年前ですが、気候変動に関して、一般の人の認識もそれほど高かったわけではなかったと思います。同じように、国会議員や新聞記者たちも、一般の人と似たような認識しかもってなかったのでしょう。もちろん環境庁(環境省になるのは2001年からです)の役人たちは、十分知っていたのでしょうが、国民(もちろん、国会議員や新聞記者も含まれます)への周知は不十分だったのでしょう。
これは、世界の各国でも似たような事情だったかもしれません。そうでなければ、これほど重要な内容がこの会議ですんなり決まってしまうことは無かったかもしれません。(会議自体は紛糾し、徹夜もあったようですが、少なくとも京都議定書は合意されました)
メディアの教訓は、いつもアンテナを張っていないと世界の動きがわからなることでしょう。日本流の「まあ、一杯やりましょう!」と言って情報を取って来るだけの方法では、世界では通じないでしょうね。「まあ、一杯!」で情報を取ってくる方法だと、情報が多すぎて年365日呑まないと、務まらないでしょう。
国会議員も、付け焼刃的に抽象的な議論ばかりしているのではなく、具体的な行動計画に取り組まなければならないということでしょう。
いずれにしても、日本の世界を見る力・世界をまとめて具体的な成果を出す力の不足を痛感した出来事でした。
2013.01.18