ほぼ週二 横浜の山の中通信

人と異なる視点から見る

米国の「HP」を買収? 懲りないサムスン、ソニーと同じ?

2014年11月29日 | 会社

米国のヒューレット・パッカードはシリコンバレー発祥の老舗企業の一つです。当初は電子計測器が有名で、私も使っていました。その後はコンピューターやその関連機器、プリンターなどの事務機へと事業を広げました。現在ではピーク時より売上は減少していますが、年間の売り上げが約13兆円の大大企業です。

 

創業の電子計測器は、現在「アジレント・テクノロジー」という会社に分社化されています。

さらに最近になって、ヒューレット・パッカードは2015年10月に、プリンターとパソコンの会社新「HP」と、サーバーやサービスを行う新「ヒューレット・パッカード・エンタープライズ」の二つの会社にほぼ等分割することを発表しました。

 

週刊ダイヤモンド2014年11月29日号の記事「日本企業の最後の楽園 複合機市場に忍び寄る異変」という記事には、サムスンが分社化されたプリンターとパソコンの会社新「HP」を買収する噂が書かれています。真偽のほどはわかりませんが、事実とすればサムスンはホントに焦っています。

 

私は2013年8月27日付けの「会社は急には変われない その2~サムスン電子~」で、サムスンの日本のメーカーをターゲットにした「2番手戦略」の話を書きました。ターゲットが明確な時は、この「2番手戦略」は有効ですが、マーケットが成熟してくると遠からず行き詰まります。サムスンは思いのほか短時間でその時が近づいて来たようです。

 

また、2013年9月20日付の「サムスンの焦り~時代遅れの複写機合弁会社設立~」では、サムスンがシャープの複写機部門を買収しようとして失敗したことを書きました。その時は、ペーパーレスの時代に複写機?と、サムスンが相当焦っていると書きました。サムスンが、日本メーカーのおいしい所を研究してその果実を取る「日本教科書戦略」も未だ健在なようです。

 

週刊ダイヤモンドの記事には、複合機(複写機とほとんど同じ意味)のピークは2016年で、それから徐々に減少に転じると書かれています。これには私も同感で、新興国で紙消費が伸びない限り、減少傾向だと思います。

 

そのような事業をサムスンが多額の費用をかけて買収するとは信じられない。新「HP」を買収したのち、パソコン部門(昔のCompaq)を中国メーカーに売却するにしても、買収には相当な金額が必要です。ただし、「ヒューレット・パッカードエンタープライズ」の経営者は、片割れの新「HP」が高く売れるので喜ぶかもしれませんが。

 

そういえば、昔ソニーも複写機事業に興味あるのでは?という噂がありました。皆さん、消耗品ビジネスはおいしいと思っているようですが、写真フィルムのようにデジカメが普及すると、消耗品ビジネスも雲散霧消しますからね。

 

最近のサムスンの四半期決算で営業利益が前年同期比60%減のニュースが出ていて、新聞・雑誌は「サムスン凋落」などの見出しを付けています。サムスンは元々の利益がメチャ多いので、マスコミが言うほど業績は悪くないと思っていましたが、新「HP」の買収を画策するとは? 

 

週刊ダイヤモンドの記事が本当だとすると、サムスンも早晩ソニーと同じような状態になるのもそう遠くないと意見を変えました。

2014.11.29

 

「サムスンが米HPに売却」

見出しを見た時、ビックリしました。上記の記事から2年弱が経過し、米HPとサムスンの攻守が逆転していますから。しかし、その見出しも「サムスンが米HPに*事業を売却」というのと「米HPがサムスンの*事業を買収」と二通りがあって、「どっちがホント?」と思いました。サムスンの最近の状況を考えると、サムスンが主導して「米HPに*事業を売却」というのが真相だろうと推測します。

 

それに、「*事業」のところも、同じ新聞に「プリンター事業」と「複写機事業」の二つがあって、「どっちじゃい?」という感じ。売却するのは同じ事業でしょうが。

 

サムスンは現在の主力事業と今後伸びそうな新規事業に注力するために、非中核事業を整理中らしいので、これは真っ当な戦略です。

 

韓国の新聞は9月9日にこの噂を伝えているので、現地では早く噂が流れていたのでしょう。この新聞はサムスンがさらに事業を整理するのでは?と書いています。

 

2016.09.13


なぜ、公明党は軽減税率と国交省に執着する?

2014年11月29日 | 国際・政治

公明党は、消費税が10%になった時、軽減税率を実施することに熱心なようです。生活必需品に軽減税率を適用することはヨーロッパでは一般的に行われています。

 

ただし、日本の消費税に相当する税は、低い方ではルクセンブルグの15%から、高い方ではハンガリーの27%までですが、ほとんどの国は20%前後が多いようです。したがって、日本の消費税のように10%の時に、軽減税率という例はありません。(ヨーロッパでも税率がもっと低い時に軽減税率があったかどうか、調査していません)

 

軽減税率の問題は、生活必需品とそうでない物との境界が恣意的で、その決定に利権が入り込む余地が大きいことです。もし軽減税率が実施された場合、軽減税率を適用するかしないかの境界の決定に政治が絡むことが大いに予想されます。特に、新聞・雑誌への軽減税率の適用は、新聞・雑誌を抑えるには効果的です。

 

また、公明党は自民党と連立与党を組んでおり、唯一国交省に大臣を出しています。公明党が組閣の時に、国交省の大臣を要求したのを奇異に感じました。というのは、国交省は省庁の中で、一番利権が大きい所です。国交省は、旧建設省と旧運輸省という二つの許認可官庁が合わさった省であり、全国の公共工事の多くを発注しています。こういう役所の大臣を要求するとは、利権が欲しいのか、それとも国交省の利権を改革するつもりなのでしょうか? 後者なら良いのですが、ニュースを聞いていてもそのような話は無いようですが・・・

 

公明党が、軽減税率と国交省の大臣という利権と絡むことには、今後注意していく必要がありそうです。しかし、公明党は支持者がほぼ固定しているので、一般の人の審判が入らないのが問題です。

2014.11.29


嫌韓の新聞も眉に唾をつけて読む

2014年11月28日 | メディアに物申す

今日は、嫌韓の新聞(私が読んだのはインターネット版です)の話です。

昨日は石原、今日は安倍

3~4年前のこの新聞は、石原慎太郎を好意的に取り上げていましたが、今は優先度が低下し、代わりに安倍晋三を好意的に取り上げています。

昔は好韓、今は嫌韓

私の記憶では、韓流番組が多いのでフジテレビが批判を浴びていた頃か、それより少し前だったと思います。昨年2013年の話ではありません。「えなりかずき」が韓流ドラマ(だったか?)を批判した時がありました。その時この新聞は、日本にも韓国系の芸能エージェントがあるのに、そんなことを言うと干されるかも?と書いていました。日本の新聞なのに、視点がおかしい、変なことを書くなあと思っていました。

ところが、この新聞は今や嫌韓の記事を毎日載せています。何時までこの論調が続くことやら。

「えなりかずき」の件は、当時同じグループのフジテレビで韓流番組の放送が多かったことから、こういう変な視点の文になったのでしょう。いずれにしても、この新聞も日本のためというよりは、自分の会社グループの論理を優先しているということでしょう。

(この新聞では、会社幹部の前で「日本のために・・・」と言ったところで、「お↑・ま↓・え↑・は↓、あ↑・ほ↓・か↑!」と言われるのがオチでしょうね。)

歴史を見ても、右も左も過激なことを言っている人たちの中には、自分たちの都合で何時コロッと主張を変えるかわかりません。

2014.11.29


胸毛よ今いずこ~西洋人の胸がツルツル~

2014年11月23日 | まち歩き

数日前のフジTVの朝の番組を見ていたら、寄付金集めの目的で、裸の男の写真が載っているカレンダーがヨーロッパなどで人気という話題を紹介していました。

その男の裸を見て、あることに気が付きました。全員の胸がツルツル!

 

2014年9月26日に「スポーツクラブの個性的なおじさん・おじいさん」という記事を書きました。その中から、外人さんを紹介した部分を紹介します。

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◆胸毛おじさん

この人は、外見が外人らしくない人で、身長も160cmくらい。どこか悪いのか、歩くのがすごくゆっくり。しかし、上半身の体毛が多いので、外人らしいと分かります。そういえば、大昔は胸毛ふさふさの俳優が女の子にもてていたけど、最近は胸毛を強調した俳優さんを見かけません。時代がかわったのかな? 

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裸の男に胸毛が無いということは、男に対する美意識が変わったということですね。私の記憶では、昔の俳優、例えばアラン・ドロンは胸毛を強調していたし、日本人向けに「付け胸毛」もあったような・・・

西洋人が急に胸毛が無くなることは考え難いし・・・? あるいは昔は西洋人も「付け胸毛」をしていたのかな? 

常識的には、彼らは胸毛などの体毛を剃っているか、脱毛しているのでしょうしかし、西洋の人は、スポーツクラブの外人さんのように背中まで生えている毛深い人が多い?ので、ツルツルにするのは金も時間もかかって大変でしょう。往生しまっせ!

2014.11.23


京都事情その22~昭和20年代後半から30年代、あの頃は貧しかった~

2014年11月23日 | 京都現地事情

私は記憶力が悪いので、昔の話はあまり覚えていませんが、母親は昔の話をよく覚えている(最近のことは直ぐに忘れるが・・)ので、母親から聞いた話を参考に貧しかったあの頃の話をします。

昭和20年代後半から30年代頃は、日本と言うか、自分の周囲は貧しい時代でした。こういう時代を過ごした者と、そうでない昭和後半や平成生まれとでは、思考回路が根本的に違うでしょう。また、戦争を体験した世代とも違うのは当然だと思います。

 

私が覚えている小さい頃の数少ない思い出の一つは、母親に連れられて行った米軍放出品のバザー会場です。あまり人がいない会場には、簡素な机の上に衣服が乗っていました。机の表面の大半が見えた記憶があるので、衣服は少なかったと思います。

私の家は京都市の中心部ですが、小さい時に水道管・ガス管を布設する工事がありました。それまでは、おばあさんや母親はかまどで薪を燃やしてお釜でご飯を炊いていました。かまどの置いてあった場所は土間で、天井は無く煤で黒くなった屋根の裏が見えていました。私は覚えていませんが、井戸水を使っていたそうです。それに、便所も汲み取り式でした。

この頃?、道路の中央部だけの舗装が始まりました。(人の歩く道路の両端部は、その後も数年以上も土のままでした。)

 

前にも書きましたが、母親は上野駅の近くに生まれ、東京大空襲まで住んでいました。その頃から、実家は水道やガスも通っており、家の前の道路も舗装してあったと今でもぼやいています。

ただし良いこともあって、傘が開いているマッタケは、寺町の八百屋で一皿1000円(もっとも、この頃の1000円は今の1000円より価値がありました)で買えたそうです。

 

こういう時代を過ごした世代は、消費行動でも最近の世代とは異なると思います。

2014.11.23