ほぼ週二 横浜の山の中通信

人と異なる視点から見る

TVの隅をつつく その20 長澤まさみと桃井かおりと町田のカフェ

2023年06月30日 | ニュース その2

長澤まさみが怖い!

 

キンチョウの「KINCHO 虫コナーズ Premium」のTV・ CM 「聞いてへんで」篇で、長澤まさみが古本屋の前で迫って来る。長澤まさみにあの顔で迫られると怖いですね。ビビってしまう。

 

モデルナのTV・CMは桃井かおり

 

モデルナのTV・CMにデニムを着て「まだやりたいことがある」としゃべっている女性。しゃべり方に特徴があって、以前にどこかで聞いたような?誰だっけ?と思っていたら、桃井かおり。彼女、あんなに痩せていたっけ? 

 

町田のカフェで暴力団員が暴力団員を撃って死亡させた事件

 

暴力団員同士のいざこざで、一方が相手を拳銃で撃って死亡させた事件が起きたのは5月26日、町田市で。暴力団組員が使ったというカフェはさぞ豪華な店かと思ったら、現場はJR町田駅隣接の駐車場ビル2階にある「ドトール」だった。フジTVが現場を映していた。暴力団員が「ドトール」を使って悪いことは無いけど、ねえ? 

 

2023年6月30日

 


メディアに物申す その109 朝日新聞の値上げと新聞は中国の海外進出を批判したか

2023年06月27日 | メディアに物申す

値上げする朝日新聞は中途採用をしていたのでは?

 

朝日新聞は朝夕刊セットで月4400円から4900円に値上げすると報道されている。理由は「原材料費の高騰など」をあげているが、実際のところは販売部数急減、それによって起きる販売・広告収入の急減、加えて用紙代の大幅値上げが原因と週刊誌が指摘しており、「なるほど!」と思ってしまう。

 

しかし、朝日新聞はしばらく前(10年とかそれほど昔ではない)に中途採用をしており、他社の記者が転職したという記事が週刊誌に出ていた。経営が苦しい(あるいは苦しくなるのがわかっている)のに、中途採用する意味が良くわからん。

 

朝日新聞は中国の海外進出を批判したか

 

もう何十年も前のこと、日本の企業が海外に進出し事業を始めようとしていた頃の話。日本のメディア(その頃うちでは朝日新聞を取っていたので朝日新聞)は日本企業の海外進出に批判的だった記憶がある。

 

例えば、建設会社がアジアで事業(あるいは日本の援助)をしようとして、日本から技術者を連れて行った。なぜなら、当時のアジアでは仕事のできる技術者が少なかったから。これについて、日本の新聞は批判的だった。理由は、日本から人を連れて行くと、現地の人を使わないので、現地に金が落ちないから。だから現地の役に立たない援助だという論調だった。

 

あれから数十年。日本に代わって中国が海外でいろんな事業(あるいは援助と称する借金漬け)をしているけど、中国は現場で働く多くの中国人を連れて行っていると報道されている。(そして、そのまま現地に留まる中国人も多いらしい。いかにも中国人らしいけど)

 

これについて、日本のメディアは昔の日本のようだと批判しないのだろうか? そういう記事を私は見たことが無い。

 

2023年6月27日

 


京都事情 その75 ブライトンホテルと橘女子高と安倍晴明

2023年06月24日 | 京都現地事情

橘女子高跡地にブライトンホテル

 

京都の中心部、御所の西側の住宅街の中に「京都ブライトンホテル」があります。この土地のほとんどは「橘女子高等学校」という女子高でした。母親が言うには、昔は女の子に裁縫を教える学校だったとか。この橘女子高はブライトンホテルに土地を売却し、京都市の南部に移転し、共学になりました。系列の大学はこれ以前から山科の方にあったようです。

 

ブライトンホテルは安倍晴明の屋敷跡

 

ブライトンホテルは安倍晴明の屋敷跡だそうです。しかし、観光客で賑わう晴明神社はここから歩いて10分弱と少し距離があるということは、安倍晴明の屋敷はそれほど大きかったということでしょうか。

 

ブライトンホテルはもともと長谷工が作ったホテルでしたが、現在はオリエンタルランド系列のホテルになっています。

 

京都橘大学は拡大中

 

6月20日の日本経済新聞によると、京都橘大学は「共学化した05年度に1686人だった収容定員(学部)は29年度に7484人に膨らむ」と学生数は増加しているようです。この少子化の時代に?

 

立花?

 

私が東京・横浜に来た時、「立花」という姓の方がいました。私は「たてはな」かと思っていたら、「たちばな」と読むとのことでビックリしました。京都にいる時に、「立花」さんに出会ったことが無かったので。

 

2023年6月24日

 


東京横浜ぶらぶら その1 渋谷の外人さんと原宿上空を飛ぶジェット機とコンビニ・フィットネスと接骨院が増えた

2023年06月21日 | まち歩き

渋谷は外人さんが少なくなった?

 

2週間ほど前に渋谷に行った。2023年03月10日のブログ「渋谷は行くところが無くなった」で書いた回るすし屋に入ったけど、韓国の人はいないような。2~3月頃のこの回るすし屋は韓国の若い人が多かったけど、どうしたのかな?

 

スクランブル交差点では、相変わらず外人さんが写真を撮っていたが、その先の道玄坂あたりではあまり見かけなかった。少なくなったような?

 

2023年06月05日のブログ「京都事情その74  5月の京都と固定資産税と京都朝日会館」で書いたように、5月の京都は外人さんが多くいたのに? どうしたのかな?

 

原宿の上を飛ぶジェット機

 

原宿を歩いていると、数分おきに上空をジェット機が轟音をあげて飛んでいる。それで思い出した。羽田空港の風向きによっては、都心上空を飛ぶルートが出来たというニュースを。

 

しかもジェット機の航空会社のマークが見えるほどの低い所を飛んでいるので、音がスゴイ。といっても、厚木基地周辺よりは騒音は低いけど。高級住宅地もあったもんじゃないね。

 

最近、流行るもの コンビニ・フィットネス

 

私の家の最寄り駅周辺では、数年前には「24時間フィットネス」があちこちに出来た。2019年02月21日の「最近流行るもの、24時間フィットネス」参照。

 

最近はそれに加えて、手軽に運動ができる小型のコンビニ・フィットネスの施設がポツポツ出来ている。TVの広告では、ワイシャツのまま運動している人がいるけど、汗をかいて職場に戻るのかな? 会社の人に嫌われると思うけど。

 

最近、流行るもの 接骨院

 

最近、薬局の出店は落ち着いたが、薬局よりもあちこちに出来ているのは、接骨院(整骨院と書いた看板もある)。これらは国家資格の柔道整復師を持つ人がやっている。私はかかったことが無いので中身は良く知りませんが、世の中接骨院にかかる人がそんなに多いのかな? 健康保険が使える症状もあるようだけど、その境界が難しいような?

 

2023年6月21日

 


戦前・戦中の東京上野の真実?

2023年06月18日 | うんちく・小ネタ

前にも書きましたが、母親は東京の上野の生まれで、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼け出されるまで、上野に住んでいました。その母親から聞いた話を書きますが、下の一番目と二番目の話の真偽は不明です。いずれ調べたいと思っています。ご容赦ください。

東京大空襲の話は、2013年01月03日のブログ「『おしん』と『寅さん』と東京大空襲」に書いています。

 

戦前、東京は「ビフかつ」で、「とんかつ」は無かった

 

TVを見ていたら、東京のトンカツの美味い店の紹介をしていた。それを見た母親は、「戦前に東京にトンカツなんて無かった。牛カツだよ」と言っていた。母親が住んでいたのは上野だったので、東京というより上野あたりというべきかもしれないけど。

 

よく言われるのは、関西は牛肉、関東は豚肉の文化。私の小さい頃、確かに京都でトンカツを食べた記憶がない。薄いビフカツ(牛カツ)だった。あるいはハムカツ。

 

この肉文化の定説を裏切って、戦前の上野近辺では豚肉ではなく牛肉文化だった?というのは、いくら母親でも直ぐには信じ難い。と思ってネットで調べてもやはりそんな記述は見つからない。母親の勘違いなのか、それとも上野近辺の狭い範囲での話なのか? いつか国会図書館へ行って調べるかな。

 

戦前、上野の山の桜の木の下の花見宴会は無かった

 

戦前、上野の山での花見のどんちゃん騒ぎは無かったと言っています。戦争中なので無かったのか、それとももっと前から無かったのか、興味があります。TVなどのメディアでは、どんちゃん騒ぎの花見が日本古来の伝統のように紹介されているし、落語の「長屋の花見」もある。これもネットで調べたが出て来なかった。これも国会図書館かな。

 

上野学園の思い出

 

上野駅近辺の学校というと、三遊亭圓歌(元の歌奴、もう知っている人いないかな?)が通っていた岩倉鉄道高校(今は岩倉高校)ですが、地下鉄銀座線の踏切で有名な車庫の近くに上野学園があります。

 

今の上野学園高校には音楽科もありますが、戦前戦中は普通科だけ?でした。母親はこの上野学園に通っていました。長らく運動場を供えた古びた校舎でしたが、約10年前に全部壊して高層ビル2棟に突然建ち、そのビルの中に学校が入りました。このビルの学校以外のスペースには、会社が入っているようです。

 

最近は上野学園大学(戦後に出来た)の内紛が時々メディアに出ていましたが、音楽学部のみの上野学園大学は新規募集を停止したということです。(短大と高校、中学は存続)

 

その上野学園の母親の思い出。創立者は石橋藏五郎といって、銅像が立っていたそうです。戦時中、東武伊勢崎線沿線の埼玉県にあった畑(上野学園所有?)に勤労動員されて野菜を育てていたそうですが、その野菜を収穫して食べた記憶が無いそうです。あの野菜はどこへ行ったのか?と言っています。

 

2023年6月18日

(2023年6月21日 「戦前、東京は『ビフかつ』で、『とんかつ』は無かった」の部分は全面的に書き換えました)