前にも書きましたが、母親は東京の上野の生まれで、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼け出されるまで、上野に住んでいました。その母親から聞いた話を書きますが、下の一番目と二番目の話の真偽は不明です。いずれ調べたいと思っています。ご容赦ください。
東京大空襲の話は、2013年01月03日のブログ「『おしん』と『寅さん』と東京大空襲」に書いています。
戦前、東京は「ビフかつ」で、「とんかつ」は無かった
TVを見ていたら、東京のトンカツの美味い店の紹介をしていた。それを見た母親は、「戦前に東京にトンカツなんて無かった。牛カツだよ」と言っていた。母親が住んでいたのは上野だったので、東京というより上野あたりというべきかもしれないけど。
よく言われるのは、関西は牛肉、関東は豚肉の文化。私の小さい頃、確かに京都でトンカツを食べた記憶がない。薄いビフカツ(牛カツ)だった。あるいはハムカツ。
この肉文化の定説を裏切って、戦前の上野近辺では豚肉ではなく牛肉文化だった?というのは、いくら母親でも直ぐには信じ難い。と思ってネットで調べてもやはりそんな記述は見つからない。母親の勘違いなのか、それとも上野近辺の狭い範囲での話なのか? いつか国会図書館へ行って調べるかな。
戦前、上野の山の桜の木の下の花見宴会は無かった
戦前、上野の山での花見のどんちゃん騒ぎは無かったと言っています。戦争中なので無かったのか、それとももっと前から無かったのか、興味があります。TVなどのメディアでは、どんちゃん騒ぎの花見が日本古来の伝統のように紹介されているし、落語の「長屋の花見」もある。これもネットで調べたが出て来なかった。これも国会図書館かな。
上野学園の思い出
上野駅近辺の学校というと、三遊亭圓歌(元の歌奴、もう知っている人いないかな?)が通っていた岩倉鉄道高校(今は岩倉高校)ですが、地下鉄銀座線の踏切で有名な車庫の近くに上野学園があります。
今の上野学園高校には音楽科もありますが、戦前戦中は普通科だけ?でした。母親はこの上野学園に通っていました。長らく運動場を供えた古びた校舎でしたが、約10年前に全部壊して高層ビル2棟に突然建ち、そのビルの中に学校が入りました。このビルの学校以外のスペースには、会社が入っているようです。
最近は上野学園大学(戦後に出来た)の内紛が時々メディアに出ていましたが、音楽学部のみの上野学園大学は新規募集を停止したということです。(短大と高校、中学は存続)
その上野学園の母親の思い出。創立者は石橋藏五郎といって、銅像が立っていたそうです。戦時中、東武伊勢崎線沿線の埼玉県にあった畑(上野学園所有?)に勤労動員されて野菜を育てていたそうですが、その野菜を収穫して食べた記憶が無いそうです。あの野菜はどこへ行ったのか?と言っています。
2023年6月18日
(2023年6月21日 「戦前、東京は『ビフかつ』で、『とんかつ』は無かった」の部分は全面的に書き換えました)