ほぼ週二 横浜の山の中通信

人と異なる視点から見る

浮体式洋上風力発電を応援7~福島沖は現実的な計画に~

2013年03月31日 | 洋上風力発電

福島沖は地元漁協の条件付き承認を得る

2013330日の日本経済新聞、およびその東北版、福島民報などの報道によると、洋上風力の福島沖設置に関し、地元漁協の承認を受けました。

ただし、『2年間の実証事業の結果、いわき市漁協、相馬双葉漁協のいずれかが事業継続に反対した場合は中止する』という条件付きです。

上記の引用は福島民報ですが、日経は実証事業を「3年間」としています。実証事業は平成27年度(2015年度)までとしているので、「2年間」の方が実際に合っています。

「実証事業」とは、2013年夏に設置予定の2000KW風車1基と2014年夏に設置予定の7000KW風車2基の設置およびその試験のことで、7000KW風車が世界最大級というものです。

 

実証事業の状況によって、実用化事業(風車100基以上を幅数十キロにわたって建設する構想)を決めるという現実的な計画になったようです。漁協の承認という課題だけでなく、技術的にも事業的にも妥当な計画だと思います。役人は、初めから落としどころをこのあたりと思っていたのではないでしょうか。

 

日本経済新聞と福島民報には、この計画の詳細も載っていました。

2000KW風車の日程

陸上の送電線整備開始:201341日から

2000KW風車の設置:2013年夏

試験運転開始予定日:201399

・風車設備を運び出す小名浜港を30億円かけて整備する

超大型クレーンの設置(7000KW風車の積み出し用)

地盤の補強工事(上記超大型クレーンの設置のため)

7000KW風車の計画

高さ:約230メートル

重さ:浮体が約5000t、支柱が約1000t、翼が1枚約30tなど、1基合計で約7000

7000KW風車の設置:2014年夏

 

 これで、福島沖浮体式洋上風力は今夏の2000KW風車の設置が次の関門となります。2000KWより小型風車での海上テスト無しで、いきなり2000KW風車を作る計画は、結局安全サイドにするために金をかけて計画を進行させることになるのでしょう。さらに、7000KW風車になると、浮体を含め総重量7000tにもなる巨大な風車は、コスト的にさらに厳しくなるでしょう。この福島沖計画は、大金をかけた巨大風車が稼働したけど、コスト的に引き合わず、それでおしまいと言うシナリオが見えてきます。役所が主導しても、必ずしも実用化できる技術開発はうまく行かないという事例が増えただけということになるのでしょうか。

 

ところで、日本近海のメタンハイドレートといい、南鳥島沖の深海のレアアースといい、直ぐに事業化可能と錯覚させるような報道がされています。発表がそうなのか、報道が煽っているのかわかりませんが、むやみに夢を振りまくのは止めてほしいですね。そう言えば、福島沖とメタンハイドレートは経産省が関わっており、福島沖とレアアースは東大が関わっています。

 

それと、今回の話とは別ですが「日本の技術が最高」というような幻想というか自己満足を振りまくのも、止めてほしいです。確かに、一部の技術では最高のものを持っていますが、そうでない技術も多いですから。

 

なお、南鳥島沖の深海底のレアアースに関しては、レアアース商社アドバンストマテリアルジャパンの中村繁夫社長が、週刊東洋経済20130329日付で書いている、

『南鳥島レアアース開発は30年かけても難しい 「夢の海底資源」報道に覚える違和感』

http://toyokeizai.net/articles/-/13478 に詳しく、実務に関わる人の実感が伝わってきます

 

2013.03.31


高齢化社会 その2 エネルギー保存則は短時間なら破れても良い

2013年03月27日 | うんちく・小ネタ

シニアが昔の知識でものを言う場合、理に適う場合とそうでない場合があります。今回は、後者の場合です。

大学主催の講演会の中には、時宜にかなったテーマで開催され、それをインターネットで、リアルタイムで視聴できる場合が増えています。このような講演会のインターネット中継は、東京大学が一番熱心なようです。

先日も、東大安田講堂において、今話題の「ヒッグス粒子」の講演会が開催されていました。私は、インターネットでの同時中継を視聴していました。

この講演では、約1時間の講演の後、質問コーナーがあり、シニアらしき人が質問していました。「私の学生の頃は、エネルギーは保存されると習った。今の話ではエネルギー保存則が成り立たなくても良いということだった。納得できない」。このシニアらしき人は、回答に納得いかないのか、数回同じ質問を繰り返して、司会からやんわりと制止されていました。

私も別の講演会で、「エネルギー保存則は、一時的なら成り立たなくても良い。エネルギーを一時的に借りてきて、短時間のうちに直ぐに返すのなら許される」という話を聞いて、えっと思ったものでした。

しかしながら、本屋に並ぶ素粒子の入門書を読むとそう書いてあり、その根拠も書いてありました。しかも、結構古い話です。

講演会で質問したシニアらしき人は、社会人になって物理学から遠ざかっていた人でしょう。1970年あたりから、物理学の内、特に素粒子論などは大きく変化したようです。

ここのところが、シニアにとって難しいところかもしれません。昔の知識に固執するのか、新しい知見をいかに取り込むのか。講演者に執拗に質問しているシニアを見ながら、そう感じました。

2013.03.27

 


京都事情 その9 北野天神の縁日の香具師

2013年03月27日 | 京都現地事情

家から1時間弱歩くと北野天神に着きます。狭軌の市電も走っていましたが、確か12.5 13円(往復券が25円)が惜しくて歩いていました。北野天神では、毎月25日に境内にいろいろな露店が出ます。その中に、「よく切れる包丁」や「金儲けできる本」を香具師が売っていました。香具師(やし)とは、口上で物を売る露天商のことです。まあ、「寅さん」のようなものです。

 

話はそれますが、弘法大師の東寺では、毎月21日に露店が出ます。菅原道真と弘法大師は仲が悪かったので、21日が晴れると25日は雨、21日が雨だと25日は晴れという言い伝えがありましたが、あまり当たらなかったと思います。

 

本殿手前の参道から少しそれた、木々に囲まれた場所で、香具師が包丁を売っていました。地面にゴザを引いてそこに座り、小さめの包丁でかまぼこ板くらいの板をごしごし切って切れ味をアピールしていました。一通りしゃべって実演した後、「さあ、あと5本しか無いよ。5本で終わりだよ」と客をせかしていました。すると、周囲の観衆から予想外に手が伸びて、5本が売れた後に6人目の客が手を伸ばしました。周囲の人も一瞬「どうするんだろう」と成り行きを見ていました。香具師は現金の誘惑に負けたのか、ごしごし切っていた台の下からもう1本出してきて客に売りました。観衆はみんな「な~んだ」と言う感じで散らばっていきました。それほど、この時の香具師の口上はうまかったのでしょう。

 

他の露店を冷やかした後、再びこの露店を通りかかると、「さあ、あと5本しか無いよ。5本で終わりだよ」と言っていたのは、言うまでもありません。

学年を上がるにつれて、次第に25日に北野天神に行くという機会も無くなってしましました。

北野天神の縁日は、敷地の一部に警察署や警察の寮が出来て縮小しましたが、現在も続いています。今も、口上の上手い香具師がいるかどうかはわかりません。

 

先日、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」で、草野満代さんが北野天神で買った陶器だか磁器だかを出していましたが、案の定偽物でした。まあ、昔に通った私からすると、北野天神の縁日は、そんなところだと思います。

 

2013.03.27

2013.05.27追加修正しました


京都事情 その8 路傍の技、ドジョウと竹かご

2013年03月27日 | 京都現地事情

普通に生活していても、街中で職人さんの技を簡単に見られた時代の話です。実に楽しくていつまでも見ていた、今は見られない光景を紹介します。

 

私の家からしばらく歩くと、大きい通りの片側の歩道(5m程度と結構広い)に沿って、長さ500mほどの商店街があります。この商店街が昭和30年ごろに出来た頃は、春日八郎の「お富さん」を流して盛大に盆踊りをやったりして勢いがあり、夕方になるといつも賑わっていました。

 

昭和30年代の何時ごろだったか、歩道の車道側の端に、露天の川魚屋が出ていました。

季節は何時だったか、おじさんが歩道に木箱を置いて座り、その前に置いた木箱の上にまな板を乗せてドジョウをさばいていました。その手際よい、リズミカルな手の動きに長い間見とれていました。横に置いた桶の中から数cmの長さのドジョウを片手で掴まえてまな板に載せ、別の手で頭(首だったか)に目打ちを打って固定し、小刀で腹を開いて内臓をあっという間に取り除いていました。

 

商店街に川魚屋が無いこともあり、この露店の川魚屋は繁盛して、露天で出ていた場所の近くに店を構えるまでになりました。この店も繁盛していましたが、体を酷使したのか、おじさんが体を壊して早くに亡くなり、しばらくして店も無くなりました。

 

この商店街から20mほど離れた裏通りに、竹で籠を作っている家がありました。いつも戸が開いているので、おじさんが一人で作っているのが良く見えました。細く切った竹を交互に組み合わせて、竹籠などを作っていました。ぶら下がっている籠に付いている値段は、子供心にかなり高かったように覚えています。既にプラスチック製の籠などの製品が出ていた頃でした。風呂屋に行く途中によく通りましたが、買っている人は見かけませんでした。この店も次第に雨戸が閉まっている日が多くなり、いつの間にか、無くなっていました。

 

この商店街も、近くにスーパーができたり、店主が高齢化しても後継者が居なかったり、周辺の人も高齢化して人口が減ったのか、閉店する店が多くなっています。

 

2013.03.27


今を大切に生きる-弟のイチゴとアマガエル-

2013年03月19日 | うんちく・小ネタ

初めに、心に残った話を新聞から引用します。書いた人の名前は、イニシャルにしておきます。

朝日新聞2004527日の朝刊「ひととき」欄から

 

l「今」を大切に

「あの時、イチゴを買ってあげればよかった。食べさせてあげたかった」

4年前に他界した母から、この言葉を何度聞かされたことか。

昭和36527日。2歳の誕生日を1週間後に控え、自宅の前で交通事故死した弟。その前日、通りかかった店先でイチゴを指さし、まだはっきり話せなかったが、「あーあー」と言って、買ってほしい意思表示をしていたという。

母は「今度買ってあげるよ」と言って、通り過ぎてしまったそうだ。そのことが心残りで、弟のことを思い出すと、冒頭の言葉がつい口から出るのであった。

昨年の春から教育費がゼロになった我が家。3人の子育て中、一番大切にしてきたことは「今」ということだった。

経済的には大変でも、一人ひとりの希望を最優先させたのは、事故死した弟のことが教訓になったからだと思う。

もしかしたら明日死んでしまうかもしれない、と本気で考えられたことは、後悔の少ない子育てにつながったような気がする。

前掛けを血で真っ赤に染め、弟を抱き上げてぼうぜんと立ちつくしていた母の姿。私は当時小学校2年生だったが、はっきり覚えている。忘れられない光景だ。

また、弟の命日が巡ってくる。

東京都葛飾区 S.H.さん パート・50

 

私にも、何か月間か妹がいましたが、赤ん坊の時に肺炎で死にました。私は小さかったのでほとんど覚えていません。当たり前ですが母親はよく覚えていて、時々その話をすることがあります。戦後の物資が不十分だった頃なので、十分な手当てをしてあげられなかったことが心残りのようです。

 

これだけでは、やりきれないので、やはり新聞に載っていた話を一つ。

朝日新聞日曜版に載っていた読者の投稿欄から。記載日時は不明です。

 

l甘い?

5歳の娘が「幼稚園にアマガエルがいたよ。でも、なんでアマガエルって言うんだろうね。変なの」と言うので、かわいいなあと思いつつ、冗談で「きっと、なめてみたら甘いんだよ」と言ってみた。すると、「ううん、甘くなかったよ」。ひぇー、と倒れそうになった。

(愛知県春日井市・もう試してみたのね・29歳)

 

2013.03.19