「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「冬ぞなえ」

2020年10月17日 | 季節の移ろい・出来事

         
寒さが身に染みる朝を迎えた。12月中旬の温度という予報ではあったが、まさかそこまで・・・とたかをくくっていたら、なんのことはないホンモノの寒さに見舞われた。
今日も朝8時半から孫君のソフトボールの試合応援を約束していた。彼らがこの寒さをものともせず朝早くから出かけているのに、グズグズしているわけにも行かない。

冷たい小雨も残っており風も吹いていて、一歩家を出たら震え上がるほどの寒さである。まだまだ冬ぞなえも遠い話で何も防御していない、心づもりもない、寒さに身体が慣れていない。ないない尽くしでただただ寒さだけは身に染みる。急ぎ冬物のジャンパーを引っ張り出し、手袋やネックウオーマーをリュックに忍ばせ会場へ。

勝つこともあれば負けることもある。今日は2試合とも、寒さに震えるような淋しい試合結果であった。それでも、大声出して無我夢中で投げ、受け、打ちそして走る。そんな基本を忠実に追いかける彼らの姿に、勝ち負け関係なく声援は送る。時にマスク越しの大声で激励することもある。

それにしてもこの急な寒さに否応なしに冬ぞなえを急がれる。そして、ヘタに熱でも出そうものならコロナと勘違いされては大変。今年は風邪にもしっかり気を付けないとねー。
ついこの前まで、コロナと暑さの二重苦を嘆いていたのに。早くもコロナと寒さの二重苦に対応することになる。もうしばらく、暑くもない、寒くもない、秋を満喫していたいのに。

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「年に1度の通過点」

2020年10月16日 | つれづれ噺

               
               レストランのフロアーにあったアンティークな調度品

今日は何の日気になる日。年に一度やってくる気持ちを新たにする記念の日である。さらに今まで以上に健康管理に気を配り、来年もまたこの日を元気に迎えられるよう静かな誓いを立てる日でもある。
伴侶を得た起点となる日が、1971年(昭和46年)10月16日。なんと、あれから49年。(きみまろさんの口調)

紆余曲折、喜怒哀楽、塞翁が馬、どんな言葉が適当なのか。それにも迷うほど色々なことが起きては消え、消えては起きる歳月であった。
幸せだったの?などという野暮な質問は無し。「幸せすぎて退屈だった」と言えば納得するのかねー。それとも、「この上ない不幸せな日々だった」などと答えれば、フムフムと得心すのかねー。そんな下らぬ話は「聞かぬが花、言わぬが花」。静かに胸の中で振り返るのがよろしいようで。

ところで、〇〇婚式というふうに結婚して何周年目かの記念日に、名前が付けられているのはご承知の通りである。
先ず1周年目は「紙婚式。2周年目は藁婚式・綿婚式。などと、イギリス式の命名が主流となっている。そして15周年は「水晶婚式」である。
このように15年までは1年ごとに名前があるのに、15年を過ぎると5年ごとにしか名前で呼ばれることはなくなってしまう。
さしずめ、49周年などの名前は付けられていない。それがなんと1年後の50周年となると「金婚式」となる。これはすごいことだ。

この頃でこそ、金婚式つまり夫婦揃って50周年を迎えることは当たり前のような時代ではある。
それにあやかって、来年も是非ちょっと気の利いたレストランで食事でも出来るように、健康には気を付けたいものである。

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「芸術をかじる秋」

2020年10月15日 | 季節の移ろい・出来事

          
          いずれ劣らぬ力作ぞろい。感動をもらった。(作者の意図に配慮して、ボカしてあります) 

同級生の4の3(篠さん)が主宰する、ハイレベルな写真愛好家の写団「のら犬」の写真展が、今日から始まった。
人並みに芸術の秋をちょっとだけかじってみようと腰を上げた。早くから案内を頂いていたし、同級生の主宰となればやはりいち早く駆けつけて、批評の一つも書いて差し上げるのがアタシの役目。
毎年秋に行われる市美展での受賞作品をはじめ、いずれ劣らぬ力作ぞろい。会場狭しと94点が並ぶ。壮観である。

中学1年の時に「ヤシカ スタートカメラ」を買ってもらって以来、カメラ歴の長さだけは誇っているが腕の方はからっきし。
こういった芸術写真にのめり込むゆとりもなく今に至っており、お気に入りを刹那的にカメラに収める腕を持ってはいるものの、自慢のできるレベルではない。しかし、友の写真展をリポートして新聞投稿したり、評価を書いたりしているうちに、岡目八目、目だけは肥えた。ついでに講釈もいっぱしのことを言い放つようになった。

最近では、拙ブログにも素晴らしい写真技術の持ち主のご訪問をいただき、こちらでも素敵な写真を毎日いっぱい見せて頂いている。
その分だけでも目は栄養を補給して肥えるばかりである。ヤマセンさん。たかたかトレッキングさん。いつもありがとうございます。
そして思うのは、写真展の場合作品にタイトルを付与することになる。「狙い」や「主眼」を文字にする。いわゆる名は体を表すを地で行くのである。

これがなかなか難しい。朝日を受けた雪景色の写真のタイトルが「雪の朝」ではあまりにも安直過ぎないか。花にとまる蝶を写して「花と蝶」ではねー。
そこには写真家の魂のひとしずくを宿してほしい、などと欲張ってしまう。ファインダーを覗き、辛抱強くシャッターチャンスを待つ。雲の流れ、陽の傾きを読み、風のそよぎも取り込む確かな計算が働くのであろう。そこに生まれた1枚に命名する。臥竜点睛にも似ている。
そうして、タイトルと写真がピタッと重なったとき「ウ~ン」とうなされる傑作が誕生するのではないかねー。

などと、ちっとばかり芸術の秋をかじった人間の、一人よがりの戯言と思召せ。

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「秋たけなわ」

2020年10月14日 | 季節の移ろい・出来事

      

       ふと匂う誰も知らない金木犀      三宅 やよい

       いつしかに金木犀の香る庭       堀尾 早苗

この季節に咲く花は数々あれど、香り高きといえば、やはりあの鼻をくすぐる金木犀であろう。
まさに秋たけなわ。スポーツに読書に、ついつい一つ余分の食欲に。そして色鮮やかな紅葉とくれば、1年の中でも楽しみ多い季節である。

「秋たけなわ」「宴たけなわ」「・・・妻を娶らば才たけて・・・」などとごく普通に使う「たけなわ」とは。
いちばん盛んなとき。最高潮に達したときなどを言う。「日本シリーズ、セの覇者とパの覇者の戦いは今まさにたけなわ」などとアナウンスされると、我が愛するカープとは全く縁がない戦いでも、ちょっと覗いてみようかとそそられる。

そして今ひとつ、たけなわが略されて「たける」「たけて」という言い方がある。こちらは盛りを過ぎてやや衰えかけたときを表すのに使うようだ。「吾輩は齢すでにたけて、その任にあらず」などと言う。
さらに「才たけて」と言えば「才が十分に備わっている。すぐれているいる」などと使う。「臈たけて」とくれば、年功を積む。経験を重ねると、プラス思考に捉えられる。ここにも日本語の奥ゆかしさというのか、難しさが潜んでいる気がしてならない。

そんなどっちでもいいようなことにふとこだわってみたくなるのも、物思う秋という季節の特徴とでも言うのだろうか。
そして思うのは「人世のたけなわ」とは短いものだ、儚いものだといううつむき加減に落ち着いてしまう。
なんのなんの「我が人生今がたけなわよー!」と、少し無理があっても、前を向いて胸張ってみるほうが楽しいよねー。

姿は見えなくても、その香りで存在感を示すキンモクセイのような生き方。つまり、何でもかんでも口に出さずとも、そこに居るだけでそこはかとない存在感を示すナイスガイ(古いフレーズだねー)。小生には縁遠いだけに憧れもあるが、そんな奴はこの頃少なくなったよねー。

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「やる気になれば」

2020年10月13日 | つれづれ噺

       
         捨てコン打って基礎作り(昨日)         その上にブロックついて、出来上がり!

ストッカーに眠り続ける左官道具を久しぶりに引っ張り出した。
水準器から板のセメント受け、大きな鏝(こて)小さな鏝、目地の鏝まで一通り揃っている、というか、若かりしころ自分で揃えたのだ。
会社勤めのかたわらで、友人が専業にしている土木作業を手伝ったことから、見よう見まねで少し左官仕事も出来るようになっていた。
その上に生来の貧乏性で、出来ることならお金を掛けないように。自分で出来ることは自分の手でやってみたい気持ちが強かった。

今回は、姉が建てて3年が過ぎた家に、都会から甥っ子がUターンして住むことになった。先ずはエクステリアの整理に一役買って出た次第。気持ちは昔のまんまだが、さてどこまで出来るか、兎に角道具を引っ提げて甥っ子の家へ。
どうしてもブロックをついて土留めをしなきゃならない箇所がある。このまま放っておいたらヤバいことになるのが素人目にもわかる。
そこで、力仕事は63歳働き盛りの甥っ子に任せて、吾輩は指揮官兼監督兼左官の頭領という役どころ。

簡単な図面を引き、必要資材を最小限に抑えて見積もり。近くのホームセンターに同道して資材購入。
先ずは基礎工事。セメントを少し控えた粗めのコンクリートを練り上げ、図面に従ってばらまいて行く。これを「捨てコンを打つ」という。
それまでが昨日の作業。しっかり渇いた基礎に今日はブロックを築いていく。といってもたった3枚を2段重ねの計6枚の仕事。
それでも少しカーブを付けるために、ブロックの角を取らなければならない。ここに若いころの経験とテクニックが生きてくる。

まあ早い話がたったこれだけの作業ではあるが、大学から今日までの都会生活では、ブロック1枚だって築けやしないんよ。
口うるさい叔父さんあっての一仕事。材料代はしめて3000円で少しのお釣りが。これがプロにお願いしたら、手間賃と材料費で2万円は下らないだろう。それを思うと、彼にとってみれば大儲け。アタシにとっては久しぶりの左官仕事を喜んでノウハウを披露。

やはり昔取った杵柄。やる気になれば何だって、などと思い上がると「年を考えてやりんさいよ」と、背中に刺さる声が。ごもっとも。
でもたまにゃこうして出番があるのも、元気で生きてる証よ~。

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「仲裁は時の氏神 Ⅱ」

2020年10月12日 | ニュース・世相

                 

次期衆議院選挙をめぐって、何やら怪しくも不穏の雲行きを感じる山口第三選挙区。
もめる人たちの間に入って、ほんとうの仲裁役を演じるのはパワーが要るし、なかなかにして困難であることを痛感している。
けんかや口論などで争っているときに仲裁に入ってくれる人は、氏神様のようにありがたいものだ。双方ともに、氏神様の登場をチャンスにして何かいい解決策を見つけて、手を引き折り合えばいいのだが。

そこで、「仲裁」という言葉を「挨拶」に変えて、「挨拶は時の氏神」について少し考えてみたい。
「挨拶は時の氏神」は日本に昔から伝わることわざである。と書いてあるが実際に個人的には「仲裁は時の氏神」という方が馴染み深いし、しっくりくるものはある。

いずれにしても意味は、 争っている者同士の間に、ちょうど良い頃合、グッドタイミング で登場するし、時を得た氏神だと思って、謹んでその意思に服従しなければならないという 意味だから、挨拶は仲裁の意味になると言うことのようである。

挨拶の「挨」という漢字には「押す」「背を叩く」「開く」の意味があり、 「拶」には「迫る」「はさみつける」「押し付ける」の意味がある。 「挨」にも「拶」にも「せまる」や「押す」の意味があり、 挨拶の文字本来の意味は「そばに身を摺り寄せて押し合う」ことなのだそうな。
 禅宗では、問答によって相手の(主に門下の弟子達の)仏法修行の 深浅をはかることを「一挨一拶(いちあい・いちさつ)」と呼んでいた。
 時が経つにつれて次第に問答だけではなく、日常生活にも用いられる ようになり、、相手の様子を伺ったり、寒暖の言葉を取り交わすなどの 儀礼的な意味合いが生じてき。 言葉自身も「一挨一拶」から略されて「挨拶」とされ、おじぎや受け答え に対しても用いられるようになったといわれている。(ネット拝借)

つまり元々の挨拶という意味はそういうことなのだ。だから争い、いさかう人たちの間に身をすり寄せて割り込み、お互いの気持ちを慰め円満な解決に導くこと。だから、「挨拶」も「仲裁」も、振り上げた拳の落としどころとわきまえて、互いに矛を収めるべきである。
さて、今後の山口第三選挙区の動向に注目。大人の見識をみせるのか、泥仕合で深みにはまるのか。氏神様の存在ありやなしや。

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「仲裁は時の氏神」

2020年10月11日 | ニュース・世相

                  

安倍前総理大臣のお膝元で、次の衆議院選挙を睨んだ熾烈な戦いが勃発しようとしている。
山口県には衆院小選挙区が4区あり、いずれも現政権自民党が独占している、いわば保守王国と呼ばれる土地柄である。
その保守王国に地殻変動が起きるのでは、などという戦いではない。それならむしろ一丸となって戦うファイトも湧こうというもの。

そうではなく、自民党同士の戦いというか、骨肉の争いとも言うべき泥沼状態を招きかねないつむじ風が吹いている。
事の発端は、将来の総理大臣の器と目される林芳正参議院元文科大臣の存在である。つまり、名実ともに将来の総理大臣候補たる資格を得るためには、参議院から衆議院議員へ鞍替えする必要がある。そこで目を付けたのが山口三区という選挙区。しかしそこは、元官房長官河村建夫現職の長年の地盤である。ましてや、次の衆院選挙立候補予定でさらに強固な地盤固めをしているところである。

よその火事と喧嘩は大きいほど面白い、などと呑気なことは言ってられないのだ。
林芳正氏は、林義郎元大蔵大臣の御曹司で、そのキャリアも温厚なお人柄も信頼に足る人物であることは、何度か会って直接お話しした時の好感触を今も忘れてはいない。一方の河村氏は、30数年にわたる長い付き合いの、萩市を地盤とする県議の実兄であり、文科大臣のころに膝を交えてお話しさせてもらったこともある。

そんな個人的なちっぽけな感情はさておき、政治の世界の奥深さを考えるとき、林氏59歳、河村氏77歳、と言う年令を考えても、いまここで骨肉の争いをしてどうなるんじゃろう。どちらも傷ついたり遺恨を残したりしては、将来になんの利益も残さないこと。それどころか大きな信頼まで失いかねないことにならないか。そんなことを思うのは政治素人の私だからなのか。それとも、そんな危険を犯しても、将来に禍根を残すことがあっても、今戦わなければならないのか。「売られたケンカ」なのだから徹底して勝ちに出ると、意気込む元職側。ヘタをすると党規違反で除名申請も辞さない、などという恐ろしい話に発展する。

そんな争いを今やっている場合ではないでしょ。もっと大きな職務遂行の課題がいっぱいあるでしょ。と言いたい。
もしもこの私に力があったら「仲裁は時の氏神」とばかりに躍り出て、付き合わせている互いのツノを引き離し、円満解決に乗り出すかもしれないが、なんせ力がない。時の氏神様になるにはそれ相応の「力」がなくては勤まらない。誰か出てこないかねー。氏神候補が近くにいるような気もするけどねー。兎に角、政治の世界の「一寸先は闇」を地で行くようなはなしである。

「仲裁は時の氏神」は、ときに「挨拶は時の氏神」とも言われる。その話は明日に持ち越し。今日はこれにて。おあとがよろしいようで・・・。

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「段取り」

2020年10月09日 | 地域活動

                  
        同じ日の同じ場所から眺める夕焼け。10分という時の流れはこれほどに姿を変える

「秋の夕焼け 鎌を砥げ」。
10月半ば、刈り入れに追われる季節になると、父からも母からも再三聞かされたことわざのひとつである。
これほど見事な夕焼けは、明日は必ず晴れる。稲刈りがはかどるように鎌を砥いで準備をしなさい。という教えでもある。
準備をすることを「段取り」ともいう。

それにしてもこのきれいな秋の夕焼け。ホンのわずかな時間の流れでこれほどに景色を替えるものではある。
そこで思いつくのが「女心と秋の空」。またこの頃では「男心と秋の空」という言葉である。どっちも変わりやすく飽きっぽい。情熱が長続きしないというマイナスイメージに使われることが多いようだ。

所属する地域活動の中で、大きな事業に向かって段取りに取り組んでいる。
「段取り八分仕事が二分」と言われるほど、本チャン前の準備作業、つまり段取りが如何に重要であるかを思い知らされている。
一つは、地域に面した瀬戸内海の環境保全「海岸清掃」という大仕事である。例年は7月の海の日に500人も600人も集めて行う年間一大イベントである。それが、昨年は直前に襲った台風でやむなく中止。そして今年は密集を避けるコロナ禍によって再び中止を余儀なくされた。

当市では最も長くてきれいな砂浜の一つに数えられている我が住む街の海岸。2年続きで放っておくと、砂浜が可哀そうなほどの漂着物で埋まる。今年は何としても海岸清掃をしようや、と決めた。但し、規模は大幅に縮小し、季節も夏ではない11月初め。人数は例年の20%程度。ただ、ボランティア参加に熱心な地元中学校の校長先生が、生徒に自由参加を呼び掛けることにした。トータル人数は如何ほどに?。段取りがさらに複雑多岐にわたりそう。いくらアウトドアの海岸とはいえ、蜜集を避けるための工夫は必要。安心・安全確保の監視の目が多く要る。

考えられることの全てを結集して安全対策、コロナ対策の段取りが欠かせない。ここはひとつ過去の経験とノウハウを生かし、少人数で可能な限り最大の効果を期待したい。そうして漂着物が再び海洋に流れ出る愚を避けなければならない。

いま一つ大きな段取りに取り組んでいるが、これはもう少し先で、少し形が見え始めた時のお話しにしよう。                         

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「先輩と呼ばれて」

2020年10月08日 | つれづれ噺

                                                     

若いころは同じ職場で同じ釜の飯を食う仲間であったが、卒業してからは少し距離を置いて「近くに住む知人」といった程度のお付き合いだった彼。もともと「カラオケ大好き君」であり、天性のひょうきん者として悪気のないジョークで周囲を煙に巻いたり、笑わせ上手でおしゃべり上手。何故か憎めない性格に興味は持っていた。

いつしか彼は、カラオケ仲間と一座を組んで介護施設を回り「歌のプレゼントボランティア」をしていた。その一座に「Yさんも是非仲間に」と誘い込まれたあたりから急接近し、昔のよしみが戻っていた。ところが今年の2月以降、コロナコロナでそういった活動は一切禁止となり、カラオケ喫茶の出入りさえままならなくなっていた。知らず知らずのうちに少し疎遠になっていた。そんな彼から、思わぬ葉書が届いた。

「前略 ・・・・・・ さて私事ですが妻が亡くなり8ヶ月になります。16年間の介護中心の生活が終わった今、どのように過ごしていいか分からない生活を送っています。色々訊いてみても、これが正解というものはないようです。人世の先輩であるYさんからも色々教えて欲しいと思います ・・・・・・後略」

そっか~、こんな頼りない先輩でも、近くに住んでいるだけで「なにか話をしてみたい」と思っってくれたのか。と有り難く受け止めてはいるが、具体的な対処方は??。それにしても、私より若い彼が奥様の介護を16年も続けてきたとは。かれの比較的明るい立ち居振る舞いからは想像もできなかった。
そこへ行くと、私なんぞどれだけ幸せな人生を歩んでいることか。せめて彼の気持ちを少しでも軽く出来るアドバイスを、本気で考えてみたい。

78歳の現在、時間を持て余して困るといった生活はしていない。むしろ、自らの尻を叩いては「こんなことをやってみたい」「いまやっていうることにもっと付加価値を付ける方法は無いか」などと無い知恵を絞る。こんな私のささやかな「世間との闘い」といった体験話が役に立つのかしらね~。

たまにはそんな話も。しかし多くは、独り身となった今を楽しい方向に向かわせるアドバイスは欠かせないのかな。そしてやはり最大の効果は「好きなカラオケに付き合う」のが一番かも。
人世って、本当に色々あるし難しいもんだね~。難しさ故の面白さもまた格別なのかも。 

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「千日紅」

2020年10月06日 | 幼馴染の動向

                                
                   百日江よりもっと長持ちする千日紅       

兄弟のようにつるんできて、互いを知り尽くした50年来の友。そんな彼の訃報を知らされたのは昨日。
7ヶ月前の逝去であろうとなんであろうと「お線香の一本も上げさせてもらわなければこちらの気持ちが収まらない」「三つも俺より若いのに、黙って先に逝くとはけしからん」とばかりに勢い込んで彼の家を訪ねた。

話し相手に事欠いているらしい奥様から、堰を切ったようにいろんな話が次から次に出てくる。そんな中でも「あの写真を見てください。あの笑顔のまま逝ったのですから、向こうでもしっかり楽しんでいることと思います」と誇らしげにおっしゃる。
逝去から7ヶ月という歳月は、別れの悲しみから立ち直り、自らの気持ちを整理してこれからを生きなければならない独り身の強ささえ感じさせる。
まっこと、彼の人柄・性格そのままに、ふくよかで柔和な笑顔は「さすがは俺の友達」と胸を張れる思いの する遺影である。

「俺に黙って先に逝きおって」と文句のひとつも言いたかったが、それより「俺もしばらくしたら逝くから 遊び場を見つけておいてくれ」と頼むことにして手を合わせた。再び顔を合わせたらまた遠い昔に戻って丁々発止の麻雀や 、あんたもなかなかやるね~などとカラオケに興じるのであろう。
300坪もある広い庭の片隅に、吾亦紅ならぬ千日紅が見事に咲いていた。「この花の咲く間はずっと仏壇に供えているんです」という奥様。

同じような時期に咲く百日紅、サルスベリよりもっと花期が長いのだとか。おすそ分けに少し頂いて帰った。
よく見ると、飾りっ気なくすーっと伸びた一本の茎の先に、一つだけ鮮やかな紫に咲く丸い花。かれの人柄を偲ばせるような花である。   
ちなみに千日紅の花言葉は「色あせぬ愛」「不朽 」などとある。彼と彼を取り巻く人たちの感情の交錯のようである。

ひたすら冥福を祈りつつ仏壇に手を合わせた。 

 

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