「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「アサガオのやる気」

2010年10月15日 | 趣味・・エッセイ
プランターに植え、西日よけに車庫の側面を這わせている「花すだれ」
生命力豊かなオーシャンブルーという琉球アサガオ。

宿根のため、もう3年目になるが、一度植えた根がそのまま年々花を咲かせる。
今年は異常気象の夏を迎え、やや花数は少なかったものの、晩秋を迎える今でも毎朝豊かな数の花を咲かせる。

コンクリート製床にプランターを置いて植えてある。
春から初夏にかけて勝手に伸びる芽は、上手にネットに絡みつく。
夏から秋にかけて伸びる枝は、プランターからはみ出るように下に向かって伸び、どこまでも元気に地を這う。

今朝は二輪の花が、コンクリートの床の上に見事に咲いた。
そろそろ終わりを告げる季節にもかかわらず、花の命を全うするかの如く、健気に咲いている。
朝に咲き夕方にはしぼむはかない命ながら、遠く離れた根っこから伸ばした枝に精一杯花を付ける。

枝も選ばず場所も選ばず、ひたすら咲こうとするこの逞しさ律儀さは、遠く人間の及ぶところではないようだ。、
我が身・我が思いを振り返って、アサガオに負けてはいないかと問うてみる。はてさて・・・。

           ( 写真 : コンクリートに咲くオーシャンブルー )
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「坂本龍馬、今が旬」

2010年10月14日 | つれづれ噺

                  

「龍馬暗殺まで、あと7ヶ月じゃった・・・」
NHK大河ドラマ「龍馬伝」第41回(2010.10.10放送)語りの岩崎弥太郎の最後のセリフ。
いよいよ龍馬暗殺のシーンが目前に迫ってくる。

ドラマの主人公の 「死」 に対して「殺さないで・死なせないで・・・」と制作側に投書が来るという話しをよく聞くが、今回の龍馬伝を見ていると、我ながら不思議なくらい、坂本龍馬という男に、もっともっと生きてもらいたい気持ちにさせられる。
そして、日本の将来展望を見据えて、あれこれ意見を言ってもらいたかった。などと思ってしまう。

龍馬が襲われた、京都伏見の寺田屋などが夢枕に立つことがある。行ってみたい。
二階の柱には、龍馬が発射したピストルの弾痕や、闘争の刀傷が残されているという。
さらには、才谷屋梅太郎と名前を変えた龍馬が住んでいた、河原町三条の「酢屋」
そして、寒い夜、中岡慎太郎と共に刺客に襲われた、河原町の近江屋の跡地も踏んでみたい。

締めくくりは、京都東山の霊山護国神社に眠る龍馬のお墓に手を合わせたい。

何故そこまで坂本龍馬に執着するのだろう。
一つには、まだ独身時代、吉川英治「宮本武蔵」・同じく吉川英治「太閤記」を夢中になって読んだ後に出会ったのが司馬遼太郎「龍馬が行く」である。どうかすると夜を徹して読みふけった。
その後2回か3回通読した。
青春時代に「こんな生き方をしてみたい」と一度は憧れた、我が頭から離れない英雄だからである。

そんな龍馬の足跡をたどることがあれば、最後は必ず、東・西本願寺にお参りして気持ちを鎮めたい。
などと勝手な想像をしてみるが果たして、夢が現実になるのだろうか・・・。

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「いのちの重み」

2010年10月13日 | ニュース・世相
               


今日のトピックスは、なんといっても世界の注目を集めた人命救出作戦であろう。

国民生活を左右する補正予算国会と言われながら、展望が開けない国会中継が霞んで見えてしまう。

チリの鉱山落盤事故で地下に閉じこめられた作業員の救出作業が行われ、一人また一人カプセルで引き上げられている。
世界中が注目する中で行われた33人の救出作戦。 
早いのか遅いのかはよく分からないが、兎に角地獄の底から神や仏に守られ、救出作戦という人間の叡智によって、全員助け出されるであろうことは、まさに拍手喝采である。

救出された一人は「今回の事故に遭い、これからまた何があっても正面から立ち向かっていける。自分の前には神と悪魔の両方がいて、私は神の手を離さず握りしめていた。決して神は私を見放さないと信じていた。我々を救うために偉業を成し遂げてくれる人たちがいると、私たちは確信していた」と述べている。

生きることに対する執着、飽くなき挑戦。こういったものは、いつの間にか神仏を味方に付けることで、大きな力を授かるものと信じている。
辛さの向こうに見えて来るほのかな明かりを信じて「命の重み」を今一度思い起こし、生きることの尊さに思い至るとき、人はひと皮むけるのだろうか。

生きていることは本当に素晴らしい。
それもちょっと前向きになれたら、もっと素晴らしいものになるのだろう。

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「鏡の如く穏やかに」

2010年10月11日 | 季節の移ろい・出来事
天高く澄み渡る秋空の下、風もなく、見渡す限り鏡の如き穏やかな海面が広がる。
このような平明な海に出くわすことはラッキーとしか言いようがない。
まるで眺める人間の穏やかさを海面に写し出しているかの如く・・・??

時に風の通り道でさざ波が立つ。
高い空から降り注ぐ陽光を映し、まるで無数の金銀をまとった蝶が、海面近くで戯れ遊んでいるようにきらめく様は、この世のものかと見まがう美しさである。

        

大自然の海である。今日はこれほどの穏やかさでも、当然ながら白波も立てれば荒れ狂うこともある。
船も人も飲み込んで平然としている、不気味さも秘めている。

出来るなら、この日の海面のように鏡の如く穏やかで、誰の気持ちも優しく包み込むように生きてみたい。
生身の人間から煩悩を取り去ることは出来ない、と言う話しを聞いたばかりだ。
煩悩と上手に付き合い、責めて人に迷惑をかけずに自分を律する。そんな生き方を臨んではみるが、はてさて・・・

澄み渡る空も、そぞろ吹く風も、その時々の気持ちの有り様によって受け止め方は様々である。
見ようとしてもなかなか見られるものではないこんな自然を、折良く引き合わせてくれたことは、何かしら天の意図するものがあったのだろうか。
何事にも心鎮めて、この穏やかな海の如く、円やかに行動しなさい、という戒めと受け取ることも出来る。
白秋と言われるように、秋の色は白がお似合い。
彼岸花の赤もいいが、白い彼岸花もまたいい。もの思いに更ける秋半ばである。 

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「平城遷都1300年」

2010年10月09日 | ニュース・世相
   あおによし 奈良のみやこは 咲く花の
                      匂うがごとし 今盛りなり

710年、奈良時代。都を奈良に定めた、平城京制定が今からちょうど1300年前。

平城遷都ネット情報によると次のように記されている。
天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、日本国並びに外国政府代表(駐日特命全権大使等)東アジア地方政府会合参加の各地方政府御代表をはじめ国内外から御来賓の皆さまをお迎えして、「平城遷都1300年記念祝典」を国家的行事として、下記のとおり開催いたします。
国のはじまりから1300年という歴史を祝い、それを支えた先人に感謝するとともに、将来に向けた友好・交流のメッセージを「私たちの平城遷都一三〇〇年宣言」として発信します。(今日午後、NHKで放送されていた)

残念ながら歴史にうといというか、単に勉強してこなかっただけの歴史学。
これを機に少し腰を据えてひもといてみようか・・・と一瞬思う。
古事記・日本書紀などこの時代に著された歴史書があるのだから・・・と解ってはいる。
が、所詮無理な注文のような気がする。

ただ、その時代を背景にした物語を、色んな角度から捉えた、随筆的なものには出くわす。
それだけでも知らないよりは知った方がいいと思いながら、活字は追っている。
ただ、多くが頭に残らない構造になっているのが口惜しい。
構造改革が今一番必要なのは、私のクビから上なのだろう。

                    ( 写真: 平城京朱雀門    ネット拝借 )
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「やっぱり秋は・・・」

2010年10月08日 | 季節の移ろい・出来事
深み行く秋。やっぱり秋のシンボルは、あのふくよかな香りのキンモクセイ。
この花、この香りに包まれなければ、どうしたって秋が来たとは言い難い。

その一方で、スポーツの秋の真似事でここ最近、岩国城そびえるお城山に続けて登っている。
そのたびに間もなく色づくモミジやイチョウには目が行ったのに、肝心なキンモクセイを見逃していた。

紅葉谷公園の奥まった一角に、見事なキンモクセイの古木がある。
見上げるような大きな木を、赤みを帯びた濃い黄色が、まるで覆い尽くすように花開いている。
残念ながら、猛暑と雨不足の影響で、未だに咲いていない我が家のキンモクセイとはえらい違いである。
言ってみれば、我が家に咲かなかっただけに尚さら愛おしく思えるのかもしれない。

キンモクセイの香りに背中を押されて登り切ったところで、今度はたった一輪、まさに孤独に凛と咲く真っ白い彼岸花(曼珠沙華)が目に止まった。
他にもありはしないか本気で探した。見当たらない。唯一この一輪だけである。

犬も歩けば・・・  外を歩いてみればやはり、何かが歓迎してくれる。
馴れているはずの同じ道なのに、新しい発見はあるものだ。

やっぱり秋はいい。 待ちに待った秋が嬉しいプレゼントをさずけてくれた。

    ( 写真はいずれも10月7日撮影。キンモクセイと真っ白い彼岸花 )

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「束の間の休息」

2010年10月06日 | 家族・孫話
生まれて1年6ヶ月を迎える、3人目の孫悠雅くん。
普段は母親の勤めるケアハウス付属の保育施設で終日を過ごす。

あの幼さで、年上も年下もいる集団の中で生きる術を身に着けていくのかと思うと、少し気の毒な気がしないでもない。
休日も母親の勤務に合わせるため、必ずしも土・日が休日とは限らない。
そんな生活を強いられる悠雅くんも大変なら、3人の子育てに取り組む両親もよく頑張っていると、この目には映る。何かにつけて手を貸すことになる。

生活用品・季節の衣類など本気で買い物するときなどは、先ず我が家に預かることになる。
百万ドルの笑顔でジジ・ババをとろかせる。但し、寸分も目を離せない緊張感はある。
蚊に刺されないか神経ピリピリ。イタズラも動きも日に日に活発になる。

眠くなったらコロッと行く。じいちゃんベッドを横に占領して、グースー高いびき。
この寝顔とあの笑顔にだまされては右往左往させられる。
我々にとっては彼のお昼寝が、束の間の休息となる。

子育てノイローゼや、子育て自信喪失という不幸な道に迷い込む若い夫婦を、少しでも手助け出来るような近所付き合い、人と人の交流が持てる社会が取り戻せないかな~と、勝手なことを思ってしまう。

      しろがね(銀)も くがね(金)も たま(玉)もなにせむに
                               まされる宝 子にしかめやも

     ( 写真: 間もなく身長70センチになる、あどけない悠雅くんの寝顔 )
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「隣り合わせ」

2010年10月05日 | 季節の移ろい・出来事
モクモクと入道雲が湧き上がる秋の空。季語でいうなら入道雲はまさしく夏。
秋の空を言うなら、いわし雲がお似合いのはずである。

ところが今日のお昼前、南の空に間違いない入道雲が湧き上がっているのを見つけた。
見つけたというより、南方向にある我が家への帰り道、フロントガラスに映し出された雲行きが目に入っただけのこと。
すぐにクルマを停めて、カメラに納める努力はした。

確かに形は入道雲なのだが、あのそそり立つというか、計り知れぬ大きな力で湧き上がる夏の入道雲とは、いささかおもむきが異なる。
何とはなしに優しさを感じさせる、柔和な入道雲、可愛げのある入道雲なのである。
しかもすぐ脇に、真っ黒い雨雲を控えているのが愛嬌である。

すぐにも降り出しそうな黒い雲と、陽光をたたえながらも優しい表情の入道雲が隣り合わせ。
これぞ変わりやすい秋のお天気を象徴する光景である。“男心(女心)と秋の空”を地で行くような。

秋の空模様が変わりやすいことは太古の昔から言われている。
が、政治の世界、一国の舵取り役の信念は、秋の空の真似をされては心もとない。
ブリュッセルの、廊下で偶然の顔合わせによる首脳会談であろうと何であろうと、我が国の主権を守ることに妥協はない、ということは強調してもらいたいものだ。変にニヤけずに。

と思う一方で、今の自分を振り返ったとき、我が信念を表に出し得ているだろうか・・・?

    ( 写真 : 午前11時50分、瀬戸内海に浮かぶ入道雲と雨雲 )
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「日曜日の雨」

2010年10月04日 | 趣味・・エッセイ
「天高く爽やかなスポーツの秋」
この時期の日曜日は、どんな予定表を見ても、色んなイベントが繰り広げられている。
運動会はもとより、各種スポーツ団体による競技会やレクリエーション大会などなど。

中には、旅行会社が設定するウオーキングツアー、八十八カ所巡り、○○巡礼の旅などなど実に多彩である。
それらの多くは日曜日を中心に催される場合がほとんどだ。

そんな美味しい日曜日の昨日、滅多に降らない雨が日本列島を広く覆った。
1ヶ月も前から計画し、この日を楽しみにあれこれ準備して、山歩きを予定していた人もあったろう。熊野古道に挑戦するお友だちもいた。

市内の多くの小学校では運動会が予定されていた。
朝の内は曇り空なので当然決行となる。段々雲が厚くなり、ついにお昼前には本格的な降りになった。
プログラムを大幅に入れ替えたり、特に念入りに練習した遊戯などを優先したようだ。
楽しみ待った「腕におぼえあり」の徒競争などは省略されたという。

山歩きも、熊野詣でも運動会も、少しの雨で中止するわけにはいかない。
結局、多少の無理を承知で雨対策をしながら粛々と進められる。
辛かったであろう、興趣を半減させられたであろう予定の行事。

しかし、お天道様には逆らえない。
雨に祟られて順調にはいかなかったかもしれないが、それはそれで、確かな思い出として胸に刻むのも悪くはない。と、思うしか仕方がない。

それにしても、一週間お天気続きで日曜日だけ雨を降らすとは、無粋な秋の空ではある。 
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「猪突猛進」

2010年10月02日 | つれづれ噺
10月に入り、ようやく重い腰を上げて、気がかりだった梅林の下草刈りに行った。

いつも通り、心地よく川のせせらぎを聞きながら土手下の梅林に降りた。
入り口から1本目の梅の木までの畳2枚分の広さと、川に降りる同じくらいの広さの砂地が見事に掘り返されている。
今を盛りの彼岸花も根こそぎ掘り起こされ、あわれ球根を日にさらしている。
彼岸花はラッキョウを大きくしたような球根であることを初めて知った、というおまけ付き。
          
          
この見事な掘り返し、最初は誰かが重機でいたずらでもしたのかと思うほど、念が入っている。
それにしては、単なるやりっ放しで、何かをしようとした意図がみられない。
梅林に入ると、川から這い上がった、明らかに動物の通り道となっている通路を発見。そこここに大小の足跡もいっぱい確認できた。
          
なんのことはない、イノシシ君のいたずらである。それにしては随分器用に、芸術的に掘り返したものだ。
しかも、川の水量が少ないのをいいことに、対岸の森の中からお出ましになった様子。
彼らの貴重なタンパク源として、地中のミミズを求めてやってくるのだ。

つい先日、友人の住む団地のすぐ傍で大型イノシシが罠にかかったという話しを聞いたばかり。
こんな危険を冒してでも人里近く出てこなければ餌がないのだろうか。
これは、人間様も困るが彼らも死活問題。
今年の異常気象はここまで、生き物を追い込んだのだろうか。いや、今年の異常気象だけではなく、彼らの食糧不足は日常化しているようだ。
これはやはり、彼らの生息数が飽和以上に増え続けていることもあるのではなかろうか。

彼らの困窮ぶりを見せつけられた下草刈り。
草刈機のエンジン音を唸らせなければ、こちらの身にも危険が及ぶ可能性が出てきた。
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