天皇誕生日の朝、テレビ画面に天皇陛下のお顔が大写しされた。
折よく、玄関に国旗を掲げて居間にもどったところであった。
東日本大震災の直後、3月16日に発表された陛下自らのお言葉の再現であった。
多くの被災者を気遣い激励されるお言葉と、日本国民みんなが、被災された人々や地域に「永く心を寄せて復興につなげて行こう」という趣旨の特別放送の再現であった。
時あたかも「天皇誕生日」という日に敢えて再放送したものであろうが、新聞も読まずに先ずは国旗を掲げて、腰を落ち着けるタイミングでこの放送に出会った不思議を感じている
国民の祝祭日は家にいる限り国旗を掲げる。ある意味でそれは、お墓にお参りして手を合わせるのと同じくらいに、亡き父に対してのはなむけみたいな感覚で国旗を掲げている。
これは我ながら不思議な感覚であるが、子ども心に聞かされた父の、父らしい理屈で国を守り平和を守ることの大切さを教えてくれたことへの感謝の気持ちなのかもしれない。
「降りかかる火の粉は何としても払え、それが男であり家族を守る者の使命だ。同時に、自らの危険も顧みず火の粉を振りまく愚か者になってはいかん・・・」と。
そのためにも、火の粉を振り払う腕力は付けておけ。とも、明治生まれの気骨ある迫力で諭された。国旗を掲げるたびにチラッと頭をよぎる父の顔。
それよりなにより、まさしく陛下のお言葉通り、自ら生きようと必死に闘う被災者のことを誰もが忘れず、永く心を寄せ、みんなで復興に向かう気持ちを持ち続けなければならないことを、天皇誕生日の今日、改めて肝に銘じなおした次第である。
祝日に国旗を掲揚しなくなって久しいです。
戦後数年は殆どの家で軒先に斜めに掲げていたものでした。
今は全くと言っていいほど見かけることがありません。
それにしてもyattaro-さんはやはり律儀です。
気骨ある日本男児のお父上のご薫陶の賜物ですね。
国旗、国歌、にはいろいろ主義、思想が複合的に絡んで取沙汰されますが、祖国を愛する気持ちは全ての基盤になるものだと思います。
日の丸はオリンピックに象徴のみか
父は子に子は孫に継ぐ習わしぞよく
子を愛でつ日の丸仰ぐ父上も
国旗を認めずにいても愛国心は別物なのでしょうか。
「日出づる国」、私など好きですが、単純でひんしゅくを買いそうです…。
見かけなくなりました。
長いこと皇居にも行ってないなと思い出しました。
降りかかる火の粉は払わにゃならん。
火の粉にならんようにしなくちゃ…(笑)
最近ではここらあたりの民家も、どういうわけか国旗を掲げる家庭が少なくなりました。
だから尚更、というわけでもないですが、父への手向け見たいな気持ちもあって、今後も続けていきたいなと思っています。
不思議な感じがしていました。日本人なのにな~って。
世界に誇れる紳士の振る舞いだと自慢したくなります。
その延長線上に、国を愛する、自分の住む村を愛する、そして隣人を愛し家族を愛する。
そこに国旗掲揚があっても決しておかしくはないですよね。
まあ所詮親父の受け売りみたいなものですが・・・。
国旗や国歌を大事にするからと言って、短絡的に戦争や侵略に結び付けることに違和感を憶えます。
日本人が日本の国旗を掲げることで、ちょっと気持ちを引きしめる。
これでいいのだと思います。
次はお正月元日には国旗掲揚です。
気持ちがしゃんとしますよ。