晴れなら晴れで、いたるところまばゆいほどの新緑が目に飛び込む。
雨が降れば降ったで、五月雨にしっとり濡れて光るような新緑が、見てよ見てよと誘ってくる。
木々等しく新芽を吹き出すこの季節。萌え出づる新緑は、花を愛でるのとはまたひと味ちがう艶やかさが、元気で前向きな癒やしをくれる。
同じ風薫る新緑でも、それなりの場所に出かけるともっと心地よい葉緑に恵まれるのであろうが、今年ばかりはひたすらガマン。
そんな、自粛を守り三密を避けるための自宅待機などなど、日本国内はもとより、全世界がコロナ感染防止に必死である。
それだけに、商店主であろうと、バス会社の社長であろうと、誰にマイクを向けても生活不安と先行きの心配が声高に口をつく。
今はみんなみな同じ苦労を味わい、同じようにガマンしているのだ。
テレビスイッチを入れたとたんに、NHKのニュースでも朝イチでも、現状に対する不安や不満が事細かに放映される。
見飽きた映像ばかりで辟易する。インタビューした人たちだけが困っているわけではないのだ。大なり小なり今を生きている人間の全てが不安であり、抑え込まれているようで面白い世の中ではない。それをみんな承知で、耐えて、感染拡大防止という大義名分のまえにガマンしている。
そんな暗い気持ちに追い打ちを掛けるように、お先真っ暗な話ばかりを見せつけられる。
それもこれも事実であることはよく分かっている。でもみんなが困っていることだし「今は耐えるべき時」を心得ている。
その空気を読むなら、もっと人々を勇気づけられる、さらに耐えよう、元気に生きようといった、明るいニュースをNHKは心がけるべきではないか。医療機関の逼迫を事細かに報道することは大切である。しかし、それが全国民を不安に落とし入れるだけになっていないか。
そのために我々一般人に要求されるもの、我々に出来ることを、分かりやすく報道すれば、悲しみの中にも一筋の光明が見えるはずだ。
高齢者を預かる大型介護施設の主任看護師として働く娘は、目下目の色変えて見えない敵と日々闘っている。
そんな彼女に、ひきこもりや、遊びに行く場所もない、などと不安や不満を話しかける余地はない。
少なくとも後ろ向きな話を避け、美味しいものを食べさせ、世間話で労をねぎらうのがいいようだ。
さみだれが新緑を引き立てる脇役なら、暗い話ばかりを強調せず、元気の出る話を見つけるのも報道機関という脇役の責務ではないかな~。