令和という新たな時代を迎えて、初めての「広島平和祈念式典」が、小雨の中、広島平和公園で行われた。
午前8時15分。ここ岩国市でも、人類史上初の原子爆弾投下という悲惨なメモリアルタイムに合わせて、哀悼のサイレンが吹鳴された。
それに合わせ、人として当然の義務と感じて、広島方面に向かって黙とうを捧げた。
折よくやって来た、夏休みじいちゃん学校の生徒も一緒に目とうを捧げた。そして、平和記念式典とは何か。原子爆弾とは、戦争とは・・・・・・。
そんな話を少しした。どこまで理解したかは、本人がこれから歳を重ねる中で少しずつ気付いていくであろう。
昭和20年8月6日といえば、まだ3歳6ヶ月10日であった私には、残念ながら確たる記憶はない。
でも、周囲の人たちの声高な、怒りと心配が入り混じった喧騒の中で、何らかの重大事発生を肌で感じたような、かすかな記憶があるにはある。
それから物心つくまでの間に、どれほど多くの、悲惨な物語りや体験談を耳にしてきたことだろう。
身内に原爆投下による直接的被害者がいなかったことは不幸中の幸いであるが、同級生の中には今も「原爆被爆者手帳」を手放せず、放射能の脅威に
直面しながら生きている友もいる。あの日から74年の歳月というのに、今も、これからも苦しみ続ける多くの人がいることを忘れることは出来ない。
まさに人類史上初の未曾有の大惨事。それが、戦争という愚かしい人災なのである。人災なのだから、今後二度と起こさないことは可能である。
と口で言うのは簡単なのに、現実世界は「いつでもこの過ちを再現させる」用意をしている。
それが、大国という名の少数の国家が独占的に保有する、核兵器の数々である。
「自分たちは持ってよい」だけど「発展途上国やは少数の大国以外は持ってはいけない」と、わけの分からぬ勝手なことを云う。
アジアの小国が、大国に抹殺されないための自衛手段として「核開発」というアドバルンを上げると、世界中が右往左往してご機嫌取りしながらすり寄る。
相手が全く了解も承知も示さないまま「核交渉はうまくいっている」「良い関係は保たれている」と、まるで自分の手柄にして選挙戦を有利に戦おうとする。
そんなよその国の威力を借りている我がNIPPONが、真実の独立国家といえるのか。といつも疑問に思う。
核兵器は、小国はダメよ、でも大国は保有してもいいという世界の矛盾を糾す方法はないのだろうか。あるような気がするけどね~。
それと今ひとつは、この地球上から核兵器と名のつくものは一切合切完全に無くしてしまうなら、それこそが世界の平等というものであろう。
いずれにしても、毎年この時期になるとこんな悩みにアタマを痛める。