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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「巳年ハードルを」

2025年01月08日 | つれづれ噺

                                           

10連休という長い正月休みを経て、さてそろそろと人並みに動き始めたのが、先ずは昨日の「病院初め」の点滴治療。私個人にとっては正月休み明けなどは関係なく、いつも休んでいるわけだが、病院が再開してくれたのは心強く思っている。丸1カ月近く意識的に帯状疱疹の痛みを和らげる点滴注射を休んでみた。案の定と言うかやっぱり、皮膚内面のピリピリした痛みは「早く点滴して痛みを和らげて」と悲鳴を上げる。
意外とも思えるような点滴の効能。点滴を終えた昨夕くらいから左胸脇腹あたりがずいぶん楽になった。
正直これは一つの発見であり、ペインクリニック担当医への感謝の報告が出来るものを感じている。

新たな年に向けて、ようやく前向きな話ができる、と喜んだところへ飛び込んできた思いがけない訃報。
六人兄弟の第三子で、若くして東京に出て行った兄の一人息子が急逝した。享年56歳、あまりにも若い早すぎる旅立ちである。父親は早く亡くなっていて、母親と妹二人を残して逝ってしまった。自分より先に子を失う義姉の思いや如何に。耳に入るのは辛い言葉ばかり。さもありなん、こちらは頷くばかり。

大学卒業と同時に大手電子会社に入社し、プログラマーとして嘱望されていた。ただ、入社以来の激務に体調を壊すという不幸に見舞われた。順調に回復と言う一時期もあったが段々複雑な病名が次々と被せられ、難病指定まで受ける病身となった。身の回りにこんな不幸を背負い込んだ子がいるのかと、気持ちの奥を暗くした。
それでも義姉の口からは「56年、よく頑張って生きてくれた」と力強い感謝の言葉が贈られていた。

娘たちと三人でしっかり父親の下に送り届けるから心配しないでね、と義弟への優しい言葉ももらった。
新しい年の、早速に乗り越えなければならない大きな哀しみ。遠く離れた義姉の胸の痛みに思いを馳せ、自身の体調にも目を向けながら、ゆるいハードルを越えて行きたいものだ。

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「一息ついて」

2024年12月25日 | つれづれ噺

   

何かと忙しく過ごしたクリスマスシーズン。ま、小さな孫さんでもいれば、また別な忙しさを味わうのだろうが、今年の場合は孫もいない、どちらかというと意気消沈の中での忙しさで昨日まできた。今日はようやく一息ついた感じ。クリスマスとは特に関係なくゆとりある時間を楽しんでいる。庭に出てふと見上げると深紅と純白のサザンカが「私たちの存在も忘れないでね」と言いたげに微笑んでいる。

地元の二つの小学校でしめ飾り教室が実施されたらもう冬休み。私たちの地域活動も冬休み・正月休みになる。そうなると、普段やりっぱなしの部屋の片づけや迎春準備が求められる。今年は本気で部屋の片づけを含めた機能アップを図りたい。年々身体の動きが緩くなり、機能的に模様替えすることで無駄な動きを取り除いておきたい。

それもこれも、師走に三つ重なった葬儀が少なからず影響している。
思い切った断捨離は待ったなしだねと自分でも思う。それこそ、12歳から29歳まで書き続けた日記は、段ボール箱に封印されたまま押し入れの一番奥に眠る。
古い古いPTA時代の書類が山となって書類棚に胡坐をかく。本社時代の短い期間ではあるが、仕事も遊びも含めてやはり書類が量を占めている。定年後に頑張ったローカル新聞社タウンリポーター14年のリポート原稿、撮り込んだ写真などなど。「これらが全て子供たちによる処分の対象なのだから出来るだけ少なくしてやってね」と言われると、もっともなことだと納得する。その納得と、自分の思いを込めた過去を処分する勇気がどうもうまく連動しない。

一方で、この目の届かないところでならゴミとしてでも焼却処分でも好きなようにしてくれ、と開き直っている部分と、この目の黒いうちはもう少しこのままにさせてくれよ、という矛盾がある。お葬式に出るたびに「この人たちは断捨離を実行したんじゃろうか」気にかかる。今年の残り1週間、さてどうなるんじゃろう。

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「安らかな眠りを」

2024年12月24日 | つれづれ噺

                

ついこの間まで、年なりの元気を保ち、切羽詰まった病気もないまま優雅に自らの境遇に甘んじた生活を送っていた義兄91歳。私の家内である14歳年の離れた妹をこよなく頼りにしていた。当然私も義兄の応援団としてささやかな手助けはさせてもらった。

公務員生活が長く、あまり大きな声を出したこともない穏やかな性格が、軽い脳梗塞と判定が下されたころから人格が一変した。それまでにはなかった、角張った異常な厳しい発言が続くようになっていた。「脳梗塞と診断されているのにお前たちは見舞いにも来ない」という、いわゆる被害妄想的な発言で、それまで親しく付き合ったり助けて頂いた方が急に冷めた対応に変わった。頼りにしていたはずの私の家内まで完全に敵に回すような3か月が過ぎていた。実際は単に見舞いを怠ったわけでもなく「診断結果はどうだったのか」「大したことはなさそう」「ならば2・3日様子を見て見まいに行くよ」などと完全につながっていたのだ。

亡くなった直接の原因は、体内酸素欠乏などによる急性心不全といことだった。入居している、食事・介護付きのマンションから救急搬送されて2日目には帰らぬ人となった。
あの穏やかな性格が、逝去を前にして突然変異することが、どう考えてもつながらない不可思議な現象。これぞ病気ということなのだろう。と、今となってはあきらめるしかない。それにしても救急搬送から2日目の急逝とは、まさしくピンピンコロリのお手本みたいな話である。やはり本人の生き方の大半をお天道様はよく見ておられるということか。

それにしても、噛みつかれた数人は結局なんの精神的修復もないまま鬱屈した思いを抱えてのお見送りになった。やはり「人生いろいろ、男も女も生き方いろいろ、死に方もいろいろ、先に逝くものが得なのかな」。
だから人生って面白い。自分の最期がどんなものになり、どんな評価をされるのか。そんなことまで考えたら楽しく生きてなどいられない。これはもったいないことだね~。少々横柄に行くのもありか??

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「二度あることは・・・」

2024年12月22日 | つれづれ噺

              

前回のブログで、師走の葬儀参列や思いがけない訃報などもうこれ以上要らないから、最後にして欲しいと神仏にお祈りをした。今年の場合はその霊験もあらたかならずして、妻の兄、私にとって義兄が急逝という身近な訃報が届けられた。師走の通夜・告別式の参列が3回重なったことになる。

義兄は91歳という生涯だから大往生と言えなくもないが、それにしてもあまりにも突然のことで驚くばかりである。親族を上げて入念な弔いでもってお浄土へ送り届けたい。
明日がお通夜、明後日が告別式。極寒の季節ではあるが、もともと生まれは雪深いところなので、「俺らしい季節を選んだじゃろう」と以外にも微笑んで三途の川を渡るのかもしれない。できるならそう願いたい。合掌

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「渡り鳥いずこ」

2024年12月18日 | つれづれ噺
                
今年も隣の空き地にやってきて、せわしげに尾っぽをピコピコ震わせ、今ここに止まったと思ったら、カメラのシャッター切る間もない俊敏さであっちこち飛び回る。その名をジョービタキという。通称やあだ名は色々ある。子供の頃に聞いて印象に残っているのが「ヒンコチ」だった。今では主翼に大きな間白い円形模様があることから、紋付き袴の正装に見立てて「モンツキ」と呼ばれたりするちっちゃなちっちゃな渡り鳥である。

このちっちゃな体で東南アジアを舞台に寒い場所を求めて渡り歩くという。渡り歩くという点ではあの旅する蝶「アサギマダラ」こそもっとすごいことである。あの蝶がどうやって大洋を横断するのか、何のために大洋を飛び越えるのか、そのスタミナ・馬力などがどこに隠されているのか、考えれば考えるほど世の中に不思議は幾つもあることに驚かされる。

渡り鳥と言えば、新潟市に住んでおられた高校時代の恩師を訪ねた時、白鳥の大群が渡ってくる「瓢湖」という小さな湖に何度か案内してもらった。東京本社にいた1年間に上越新幹線を利用して何度新潟にお邪魔したのだろう。弥彦山にも登った、豪農館にも村上温泉にも連れて行ってもらった。
その恩師の訃報を受け取ったのが亡くなられて8カ月後という寂しいお別れになったのは、どうしても承服しかねるが、今となっては全てが無になったのだから仕方がない。便箋5枚に綴った手紙を添えて送り届けた岩国特産レンコンのお歳暮が、淋しい結末のもの言わぬ証人となった。くどいようだが、もう少し何かの形があったのではないか、葬儀に駆け付けられないなら亡くなられた直後にお線香でも送れたのではないか。全てが終わったこと、何を言っても愚痴になるが、若干16歳の出会いから66年の長い付き合いは何だったのか、口惜しいがこの話題は今宵で終わりとしよう。

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「最後の訃報連絡」

2024年12月10日 | つれづれ噺
そろそろ本格的に年賀状の準備に入ろうとした今日のこと。
少し遅めの訃報葉書が届いた。仲よし同級生からの一通で「長男〇〇が今年11月、58歳で永眠しました」と書かれていた。
この世で何が辛いかと聞かれたら答えに窮する。それは、想像に絶するほどの不幸を体験していないからではないかと思う。 

彼女にとって、この年齢になって自分たちより先に我が子の不幸を見送る立場に立つことの辛さは如何ばかりか。
もっとも、身内の誰が旅立っても深い悲しみに沈むのは確かであるが、親より先に逝く子の気持ちも測ることの出来ない重さを持っているのだろう。
中国の古いことわざに「親より先に旅立つことほど親不孝なことはない」と言われるが、確かに一理ある。子は親より長く生きて、親をちゃんと見送るのが中国古来の親に対する最高の尊敬を言い当てた子の道徳心であったのだろう。

とうぜん、年賀状を出す友の一人であったが、急遽変更。さてどんな言葉で気持ちを和らげられるのだろう。
そう云えば私の母は、自らが長生きした分二人の子供が先に旅立つ不孝を味わった。ただその分を私たち次男坊夫婦が母の命を全うさせられたことで、その悲しみを取り戻してあげられたのかな、などとちょっと思いあがっている。
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「アンコール!」

2024年11月17日 | つれづれ噺
          

コンサートなどで「最後の一曲となりました」と言われ、その曲が終わったら一旦幕が下りる、のではなく緞帳ともいう豪華なカーテンが閉められる。とたんに観衆が立ち上がって拍手を送り続ける。するとほぼ間違いなく再び幕が開き、ではなくカーテンが左右に開き、観衆の拍手に応えるようにもう一曲サービスで聞かせてくれる。
こんな一連の動作を「アンコール」と呼ぶと、馬鹿の一つ覚えのように思って来た。

今どきアンコールと言う言葉はあまり使わなくて「カーテンコール」というのよと誰かが教えてくれた。
我が定年後の人生を「自分のアンコール人生」と思って来た。つまり60歳で一つの幕が下りる。そして新たに始まるおまけみたいな定年後人生こそがアタシのほんまもんの人生だと、少し突っ張ってきた。というか、現役時代ほど周囲に気を使わなくてもいい、少しは横柄でもいいんじゃないの、などと思いあがった部分はある。
ましてやカーテンコールとは、お客様からの拍手で再び迎えられることを言うのならば、アタシの場合、誰も拍手などで迎えてはくれない。だからアタシはアタシ自身が拍手してアタシ自身がカーテンを開いて再び登場して、アンコール人生と呼んでいるだけのことである。

そんな理屈をこねるのは置いといて、仲良し同級生からアンコールの電話をもらっている話でした。今年の夏、同級生5人に電話して「昼飯を食べようや」と。集まった彼らに「今日は思い切って自分の病気の話をしよう」と持ち掛けたのだった。これまでは「病気の話はダメよ」とタブー扱いだったのを逆手にとって「おいM君、いま体調はどうなん」と向けたところ、みんなが一斉に「実は・・・」堰を切ったように話し始めた。酒もカラオケもない男5人女一人の席があっという間に2時間半過ぎた。

そして昨日も「Y君、あの時は楽しかった、またやろうや」と催促と言うかアンコールをもらっている。そっか~みんな一つや二つは密かに病と闘いながら笑って生きているんだね~。もちろんこのアタシも似たようなもんだけど。
思い切って憂さ話が出来るのは有難いチャンスだったのかも。よしまた近いうちに昼飯を誘おう。夜の幹事はもういい。昼間ならいつでもOKよ。

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「夕焼けこやけ」

2024年11月07日 | つれづれ噺

                

♫ ゆ~やけこやけでひがくれて~ や~まのおてらのかねがなる~~ ・・・ ♬

夕方5時になったら、団地公園に設置されている防災無線スピーカーから「夕焼け小焼け」の優しいメロディが流される。家庭の事情を反映してそそくさに帰り支度をする子もたまにいる。大方はそんなメロディなど無視してさらに遊び続ける子の方が多い。
学校サイドも、夕方5時の時報に合わせてお家に帰りなさい、などという奨励もされていない様子。
もっとも、季節によっては子供は元気に外で遊んでくれる方が有難いという親もかなり多い。

そんな色んな事情がある中でも、あの夕焼け小焼けのメロディは、ひと仕事終えた人たちにとってはなんとも癒しのメロディとして受け止められている。小学校のオルガンで教わったあの歌詞もメロディも、私たち世代は好意的に受け止め、愛唱したものである。それは今も小学校音楽の時間に子供たちは教わり歌っているものと思っていた。それは名曲であり、日本人の心の風景だからと私個人は思っている。

ところが我が家の小5・小1の孫姉妹は、この唄を知らないという。特に小1の妹は、ふる里我が家に帰省する楽しみの一つが、この夕方5時のメロディに耳を傾けることだという。「この音楽大好き」というので歌ってみてというと「知らない、習っていない」という。えっ?今では夕焼け小焼けも教えないのか~、情緒がないなー、寂しいよねぇと思うのはアタシだけかなー。
こういった日本の良き時代、人間と人間の心のふれあいを大切にしてきた時代はもう使い物にならない焼却ごみなのかねー。

夕焼け小焼けを歌えばいい子が育つのか、と問われれば即答には困るが、兎に角私の孫には、夕焼け小焼け、お手手つないで、七つの子、など心演歌ならぬ小学生の心童謡をしっかり教えて行きたい。
詩を口ずさむだけでも無駄にはなるまい。

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「悩み多き秋」

2024年10月20日 | つれづれ噺

             

今やなくてはならない生活の必需品となったスマートホン。弱りかけた脳みそをフォローして余りあるお助けマンの上に、こちらが出した質問に取り敢えずは答えを出してくれる。そんな心強い相棒であることに感謝する反面、ひとたび機嫌を損ねると箸にも棒にもかからない。その強情さはパソコン以上である。

いま使用中のスマホは、機種を変更してからまだ3カ月にもならない新進気鋭である。それが何と2週間前に突然画面は真っ黒。褒めても好かしてもけなしても一切反応なし。急いで購入店に駆け込んだ。状況説明からメーカー修理の書類作成などに約2時間近く。「今色々やってみたところ、使えるようですが」と手渡してくれた。見たかったアプリを開いたらまた画面は真っ黒、応答なし。

結局メーカー修理に出して2週間、今日受取に行った。電話番号控え、ラインのメンバー、大切なアプリなど復活してもらうのに1時間50分。何とか納得のいく復旧をしてもらった。問題はその待たされる時間の潰し方である。普段見かけない男性スタッフから「今、お家の電気代はいくらですか?パソコンプロバイダ料金は?、固定電は?」矢継ぎ早に訊かれる質問にそこそこの答えをしていたら「シミュレーションしてみました」と、詳細な見積もり表を出されて「全部当社お任せいただいたらこの値段です、但し〇〇の条件付きです」ときた。なんだやっぱりそうか、こちらの待ち時間を活用しての巧妙なセールスである。ええよ、そこまでしてくれなくても、今が一番節約できているんだから。とは言わないが断る言葉を探す苦労がある。

スマホが壊れたのも大変だが、気の弱い年寄りにとって、セールスを断るのも一苦労。スマホのお陰で悩み多き秋を感じる一日であった。

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「再会を祝して」

2024年10月11日 | つれづれ噺

               

長い間の都会暮らしを引き上げ、出身地の岩国に定住することになった同級生K君。定年退職後5年を経たころ偶然と言う必然と言うか初めての出会いがあって意気投合したOさん。K君とOさんは高校・大学が一緒の古い友達。K君と私は中学時代の同窓生で、務めた会社が同じ。そんな3人がいつか昼食会をしようという約束が出来ていた。

このごろは駅前繁華街と言えども男3人が、ちょっとビールでも傾けながら少しゆっくり出来る静かなスペースを確保するのが難しくなった。そんな中をOさんの肝煎りで、格好の和食スペースを心配してもらった。互いの置かれた場所に少しの違いはあるが、根っこは同級生でありつながりが確認できる信頼と安心感でつつまれた三人会。予定が実現し、楽しい時間となった。

三人三様ギラギラした過去を持ちながら、一仕事を終えたゆとりが漂うゆったりのペースで話は進んだ。ときには互いを揶揄したりオーバーな褒め方に照れたり、褒め返したり(笑)
類は類を呼ぶと言われる所以か、3人ともアルコール類がそれほど所望ではないが、何はともあれ生ビール中ジョッキでカンパイ。ほろ酔いの心地よさと楽しい会話。元気で生きていれば色んなことに出会える。

またこんな機会を作ろうね、互いの固い握手で解散。たったの三人会なのに、中味は何人の同級生が顔を出したやら。心地よさに任せて、ちょっと飲みすぎ、いささか食べ過ぎ。ダイエットはまた明日から。

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