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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「延命地蔵尊ご縁日」

2025年02月11日 | つれづれ噺

          

2月11日、建国記念日は、国民の祝日として玄関に国旗を立てるくらいのことで、特にこの日を祝う集会に参加するといった行動は起こしたことがない。
それよりもこの日は、ずいぶん前から延命地蔵尊ご縁日とのご縁を頂いて、ここ数年お参りに出かけるのが通例となっている。

岩国市街地から約20㎞ばかりの山あいにあるこのお寺は、京都に本山を持つ黄檗宗「通化寺(つうけいじ)」という。
徳川幕府による長州征伐の折、芸州口の戦いを左右する長州軍遊撃隊の屯所として使用された。そんな歴史と広大な寺領を有した古刹である。雪舟作と言われる「心字池」もしつらえられていて、本来なら参拝者が後を絶たないはずなのだが、時の流れとともに紆余曲折があって、今は訪れる人とてない寂れたお寺となっている。聞くところによると、檀家さんも極めて少なく、高齢の人が中心で、再興の夢が遠いらしい。

そんな古刹ゆえに、年に一度のご縁日と「通化寺祭り」にはできるだけ顔を出すようにしている。特に今回は、昨年暮れから今年初めにかけて、身近な葬儀が相次いだ。いずれも様々な事情があって気持ちがすっきりすようなお見送りが出来ていなかった。何かしら中途半端な形が多かった。そんな思いを、宗派や方法は異なっても、自分の気持ちの中で故人に手向けをする機会をうかがっていた。

塔婆回向とお炊き上げ供養という願ってもない法要の案内を頂いて、万全な寒さ対策で出かけたが、ささやかな仏心が通じたのか、今日は昨日までとは打って変わって暖かく穏やかな日であった。
胸につかえていたモヤモヤがお炊き上げの煙と共に少しだけ、山あいの空気に溶け込んでいったようないい一日となった。お参りのお接待として頂いた田舎牡丹餅のお味も最高であった。 いま一度 合掌。                                                                              

                                                        

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「梅枝」

2025年02月07日 | つれづれ噺

                 

『東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』 古典の入り口1丁目1番地のような詩である。
そんな匂い起こした梅の一枝を手折って何と呼ぶか。「梅枝」と書かれる。うめのえだでは能がなさすぎる。
「ばいし」これは有りかも知れないなと思う反面、関西落語会一問の新弟子の名前を連想させて、ちょっと夢がしぼむ。

これを「うめがえ」と読むと一気に古典の匂いがしてくる。奥深い万葉の宮中人の感性が伺い知れて心地よくなる、などと言えばちょっと大げさな気もしないでもない。
思い起こせばこのうめがえと言う言葉は、私たちの身近なところで息づいている。

かつておふくろが元気だったころ、4歳下の妹と一緒にいると「岩国の金さん銀さん」と呼ばれたことがあった。この二人が好んで出かけたのが、岩国のもみじ谷公園にある梅枝薬師さん(うめがえやくし)と呼ばれた小さなお薬師さんだった。さらに山口県では最大級の天神社「防府天満宮」では、お抹茶で一服するときに食するあずき餡の平たい餅を梅枝餅(うめがえもち)と呼んだ。奥深い古典であると同時に身近な存在であった。だからどうなの??? ただ、梅の一枝をうめがえと呼び変えて風流を醸し出す感性がいいね。

こんなことでは、読書感想文コンクールで入選する小学生の感性にも遠く及ばないのかもね。それでも何とかこの年までは生きて来られた。その先は?今までのことさえしゃんとせんのに、先にことなどね~。

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「返信の要る郵便物」

2025年01月23日 | つれづれ噺

                

昨日は郵便事情で少しいい思いをさせてもらった話をした。続いて今日も郵便にまつわる話である。郵政省という親方日の丸時代から、企業体へと民営化されて久しい郵便事業の回し者ではありません。ただ一つ、日本郵船という昔から耳に馴染んだ株価がえらい暴落している。余ったお金があれば「買い」なのだろうけど、惜しいかな資金がない。

そんな話じゃなく、今日は珍しく郵便物が5通も届けられた。いつものけたたましいバイク音が間違いなく我が家にも止まり、慌ただしく走るように配達員さんがポストに投げ込んでまた慌ただしく隣に行った。お昼前と言う早い時間は珍しい。どうかすると日の暮れ時分にようやく葉書1枚が届くこともある。

届けられた内容は、これまた珍しくレターパックが1通、Aー4版封書2通、普通の封書と葉書がそれぞれ1通。中でも間違いなく返書を認めなければならないものが2通もある。特にレターパックは、自作の短編小説を読んで感想を聞かせて欲しいというものである。私よりかなり年上で、同じように大企業で物づくりのチームを経験された、謹厳実直、年齢とは関係なく真面目に世間を見られる方である。

私などが感想を述べさせて頂くなどおこがましいが、私の小作品も読んで頂くうちに、何となくウマが合い、互いのカメラで撮った写真を交換したりするうちに、「実はね」という話になり、何篇か貯まったら読ませて頂いている。しっかり読み解き、隠された意図を見つけ出して、私なりの読後感を述べる。周囲を見回しても数少ない「モノが書ける方」である。この年でこんな出会いがあり、長く続いているレターパックの主に、敬意と感謝を捧げ、後を付いて行っている。

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「お目こぼし」

2025年01月22日 | つれづれ噺

                 

遠くに住む友から電話があった。「〇〇ちゃん、あなたからもらった年賀状で切手シートが当たったよ!有難う。ところで私が出したのは当たってなかった?」と言う。「エッそうなの、当選発表はいつだったの?」などのやり取りがあって、まあダメで元々、パソコンで当選番号をチェックして、いざ照らし合わせ。

そう云えば、大晦日の昼に発表があった年末ジャンボ宝くじも、神棚に挙げたまま年が明けてからゆっくり丁寧に、慎重にチェックしたのを思い出した。何故発表と同時に飛びついてチェックしないのか。それほどガサついても仕方がない、それより鷹揚に構えて「当たってくれ」と願う心の内を見透かされないように・・・などと男の美学を洒落込む癖がいつしか身に付いていた。但し、年賀状の当選発表はほんとに知らなかった。ま、どうせ当たりゃせんじゃろうという先入観のなせる業か。

友からの電話に触発されて、一応チェックしてみた。案の定1等2等などかすりもしない。結果的にはそれほど必死になって細かくチェックいたわけですよ。おまけともいえる3等の切手シートが4枚当たっていた。
年賀状100枚買って8500円。切手シート4枚で780円分が戻ってくる計算である。これはなんと9.3%に当たる還元率である。なんてケチな計算しているようじゃ大成はしないね。

友の電話から思わぬ拾い物。ただ彼女からの葉書は外れだった。それにしても斜陽の年賀状産業に対して100枚せっせと書いた律儀を神様が認めてくださって、籤運の悪い男へのお目こぼしを頂いたと喜んでおこう。

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「隣の芝は・・・」

2025年01月15日 | つれづれ噺

              

ここんところ週に3~4回、ちょっとしたウオーキングを心がけている。
毎日と言いたいところだがとてもとてもおこがましくてそれは言えない。ただし、自ら歩いてみようと思うようになったこと、思い立ったら身体が自然に外に向くようになったことは、大いなる進歩であり自分に対して自らムチを当てる気持ちになったということか。問題はいつまで続くか。

当面の目的地は1.5km先の郵便局。但し、国道を歩けばこの距離だが、一歩街中に向かうと昔の商店街があり、かつてはバスも通ったくねくね道があるのよ。今の国道沿いより遥かに密度の高い、軒を連ねる商店街の跡がうかがえる。結構歩数を稼げる昔道。

国道から折れて旧道に入るとお寺がある。「新たな年を迎えられたのは偶然ではなく必然、だから大切に生きましょう」と言ったような掲示板を横目に見てふと上を見たら、真っ赤に咲き誇るサザンカに出会った。
「隣の芝は青い」といやっかみが通り相場だが、今日の場合は「隣のサザンカは紅い」である。我が家のサザンカは年季も入っているし背も高いのだが、日照不足で花が付かない。よそ様の華やかさに思わずパチリ。これもウオーキングを愉しむ気持ちのゆとりのなせる業か。

まだ日が高いうちに出かけたのでサザンカの空は青く輝いている。それでも寒さ・冷たさは小寒から大寒に移ろうとする季節、最高潮の寒さ。完全防備でも顔までは隠せない、しゃーないこれ以上無理という防寒対策で出かけたが、そこはうまくしたもので、我が家が近くなるころには頭から湯気が立つほどに。楽しいねなどと思う。勝手なもんだ。やりゃ出来るのよ、本当はやりたくない、やる気になるまで時間がかかる。それでも命を縮めることへの抵抗なら、やるっきゃないね。

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「巳年ハードルを」

2025年01月08日 | つれづれ噺

                                           

10連休という長い正月休みを経て、さてそろそろと人並みに動き始めたのが、先ずは昨日の「病院初め」の点滴治療。私個人にとっては正月休み明けなどは関係なく、いつも休んでいるわけだが、病院が再開してくれたのは心強く思っている。丸1カ月近く意識的に帯状疱疹の痛みを和らげる点滴注射を休んでみた。案の定と言うかやっぱり、皮膚内面のピリピリした痛みは「早く点滴して痛みを和らげて」と悲鳴を上げる。
意外とも思えるような点滴の効能。点滴を終えた昨夕くらいから左胸脇腹あたりがずいぶん楽になった。
正直これは一つの発見であり、ペインクリニック担当医への感謝の報告が出来るものを感じている。

新たな年に向けて、ようやく前向きな話ができる、と喜んだところへ飛び込んできた思いがけない訃報。
六人兄弟の第三子で、若くして東京に出て行った兄の一人息子が急逝した。享年56歳、あまりにも若い早すぎる旅立ちである。父親は早く亡くなっていて、母親と妹二人を残して逝ってしまった。自分より先に子を失う義姉の思いや如何に。耳に入るのは辛い言葉ばかり。さもありなん、こちらは頷くばかり。

大学卒業と同時に大手電子会社に入社し、プログラマーとして嘱望されていた。ただ、入社以来の激務に体調を壊すという不幸に見舞われた。順調に回復と言う一時期もあったが段々複雑な病名が次々と被せられ、難病指定まで受ける病身となった。身の回りにこんな不幸を背負い込んだ子がいるのかと、気持ちの奥を暗くした。
それでも義姉の口からは「56年、よく頑張って生きてくれた」と力強い感謝の言葉が贈られていた。

娘たちと三人でしっかり父親の下に送り届けるから心配しないでね、と義弟への優しい言葉ももらった。
新しい年の、早速に乗り越えなければならない大きな哀しみ。遠く離れた義姉の胸の痛みに思いを馳せ、自身の体調にも目を向けながら、ゆるいハードルを越えて行きたいものだ。

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「一息ついて」

2024年12月25日 | つれづれ噺

   

何かと忙しく過ごしたクリスマスシーズン。ま、小さな孫さんでもいれば、また別な忙しさを味わうのだろうが、今年の場合は孫もいない、どちらかというと意気消沈の中での忙しさで昨日まできた。今日はようやく一息ついた感じ。クリスマスとは特に関係なくゆとりある時間を楽しんでいる。庭に出てふと見上げると深紅と純白のサザンカが「私たちの存在も忘れないでね」と言いたげに微笑んでいる。

地元の二つの小学校でしめ飾り教室が実施されたらもう冬休み。私たちの地域活動も冬休み・正月休みになる。そうなると、普段やりっぱなしの部屋の片づけや迎春準備が求められる。今年は本気で部屋の片づけを含めた機能アップを図りたい。年々身体の動きが緩くなり、機能的に模様替えすることで無駄な動きを取り除いておきたい。

それもこれも、師走に三つ重なった葬儀が少なからず影響している。
思い切った断捨離は待ったなしだねと自分でも思う。それこそ、12歳から29歳まで書き続けた日記は、段ボール箱に封印されたまま押し入れの一番奥に眠る。
古い古いPTA時代の書類が山となって書類棚に胡坐をかく。本社時代の短い期間ではあるが、仕事も遊びも含めてやはり書類が量を占めている。定年後に頑張ったローカル新聞社タウンリポーター14年のリポート原稿、撮り込んだ写真などなど。「これらが全て子供たちによる処分の対象なのだから出来るだけ少なくしてやってね」と言われると、もっともなことだと納得する。その納得と、自分の思いを込めた過去を処分する勇気がどうもうまく連動しない。

一方で、この目の届かないところでならゴミとしてでも焼却処分でも好きなようにしてくれ、と開き直っている部分と、この目の黒いうちはもう少しこのままにさせてくれよ、という矛盾がある。お葬式に出るたびに「この人たちは断捨離を実行したんじゃろうか」気にかかる。今年の残り1週間、さてどうなるんじゃろう。

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「安らかな眠りを」

2024年12月24日 | つれづれ噺

                

ついこの間まで、年なりの元気を保ち、切羽詰まった病気もないまま優雅に自らの境遇に甘んじた生活を送っていた義兄91歳。私の家内である14歳年の離れた妹をこよなく頼りにしていた。当然私も義兄の応援団としてささやかな手助けはさせてもらった。

公務員生活が長く、あまり大きな声を出したこともない穏やかな性格が、軽い脳梗塞と判定が下されたころから人格が一変した。それまでにはなかった、角張った異常な厳しい発言が続くようになっていた。「脳梗塞と診断されているのにお前たちは見舞いにも来ない」という、いわゆる被害妄想的な発言で、それまで親しく付き合ったり助けて頂いた方が急に冷めた対応に変わった。頼りにしていたはずの私の家内まで完全に敵に回すような3か月が過ぎていた。実際は単に見舞いを怠ったわけでもなく「診断結果はどうだったのか」「大したことはなさそう」「ならば2・3日様子を見て見まいに行くよ」などと完全につながっていたのだ。

亡くなった直接の原因は、体内酸素欠乏などによる急性心不全といことだった。入居している、食事・介護付きのマンションから救急搬送されて2日目には帰らぬ人となった。
あの穏やかな性格が、逝去を前にして突然変異することが、どう考えてもつながらない不可思議な現象。これぞ病気ということなのだろう。と、今となってはあきらめるしかない。それにしても救急搬送から2日目の急逝とは、まさしくピンピンコロリのお手本みたいな話である。やはり本人の生き方の大半をお天道様はよく見ておられるということか。

それにしても、噛みつかれた数人は結局なんの精神的修復もないまま鬱屈した思いを抱えてのお見送りになった。やはり「人生いろいろ、男も女も生き方いろいろ、死に方もいろいろ、先に逝くものが得なのかな」。
だから人生って面白い。自分の最期がどんなものになり、どんな評価をされるのか。そんなことまで考えたら楽しく生きてなどいられない。これはもったいないことだね~。少々横柄に行くのもありか??

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「二度あることは・・・」

2024年12月22日 | つれづれ噺

              

前回のブログで、師走の葬儀参列や思いがけない訃報などもうこれ以上要らないから、最後にして欲しいと神仏にお祈りをした。今年の場合はその霊験もあらたかならずして、妻の兄、私にとって義兄が急逝という身近な訃報が届けられた。師走の通夜・告別式の参列が3回重なったことになる。

義兄は91歳という生涯だから大往生と言えなくもないが、それにしてもあまりにも突然のことで驚くばかりである。親族を上げて入念な弔いでもってお浄土へ送り届けたい。
明日がお通夜、明後日が告別式。極寒の季節ではあるが、もともと生まれは雪深いところなので、「俺らしい季節を選んだじゃろう」と以外にも微笑んで三途の川を渡るのかもしれない。できるならそう願いたい。合掌

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「渡り鳥いずこ」

2024年12月18日 | つれづれ噺
                
今年も隣の空き地にやってきて、せわしげに尾っぽをピコピコ震わせ、今ここに止まったと思ったら、カメラのシャッター切る間もない俊敏さであっちこち飛び回る。その名をジョービタキという。通称やあだ名は色々ある。子供の頃に聞いて印象に残っているのが「ヒンコチ」だった。今では主翼に大きな間白い円形模様があることから、紋付き袴の正装に見立てて「モンツキ」と呼ばれたりするちっちゃなちっちゃな渡り鳥である。

このちっちゃな体で東南アジアを舞台に寒い場所を求めて渡り歩くという。渡り歩くという点ではあの旅する蝶「アサギマダラ」こそもっとすごいことである。あの蝶がどうやって大洋を横断するのか、何のために大洋を飛び越えるのか、そのスタミナ・馬力などがどこに隠されているのか、考えれば考えるほど世の中に不思議は幾つもあることに驚かされる。

渡り鳥と言えば、新潟市に住んでおられた高校時代の恩師を訪ねた時、白鳥の大群が渡ってくる「瓢湖」という小さな湖に何度か案内してもらった。東京本社にいた1年間に上越新幹線を利用して何度新潟にお邪魔したのだろう。弥彦山にも登った、豪農館にも村上温泉にも連れて行ってもらった。
その恩師の訃報を受け取ったのが亡くなられて8カ月後という寂しいお別れになったのは、どうしても承服しかねるが、今となっては全てが無になったのだから仕方がない。便箋5枚に綴った手紙を添えて送り届けた岩国特産レンコンのお歳暮が、淋しい結末のもの言わぬ証人となった。くどいようだが、もう少し何かの形があったのではないか、葬儀に駆け付けられないなら亡くなられた直後にお線香でも送れたのではないか。全てが終わったこと、何を言っても愚痴になるが、若干16歳の出会いから66年の長い付き合いは何だったのか、口惜しいがこの話題は今宵で終わりとしよう。

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