戦後80年 沖縄全戦没者追悼式 沖縄の祈り「平和の礎(いしじ)」
1945年、昭和20年6月23日。太平洋戦争の終結を目前にしたこの日、本土上陸地上決戦を目指す米軍がその足掛かりとするために、45万人ともいえる大量の米軍が沖縄に上陸。未曽有の殺戮頂上作戦によって信じられない数の沖縄住民そして日本兵の死傷者を記録した。
誰かひとり有能な指導者が現れて、敵国と我が国の兵力・国力の歴然たる大差を説き、もう少し早く降伏に導く勇気があったら、ここまでの沖縄の悲惨さと、その後のヒロシマ、ナガサキの悲劇は避けられたのでないか。と、「たら、れば」を今さらながら思わされる。そんな戦後80年の追悼式ではある。
悲惨な戦争には勝者など決してあり得ない。あるのは、戦争当事者同士が互いに敗者の辛酸をなめることである。高度な技術開発によって、より高い、より早い、より強力な兵器を持つことで、喧嘩になりそうな相手を常に威嚇する。大国は核兵器を持っても構わないが、核の拡散防止という名目で核を持つかもしれない国を攻撃するのも、戦没者を追悼する沖縄の祈りを無視したかのような、昨日今日の出来事である。
覇権を争う大国は、自国の不利益を徹底して嫌う。その不利益を消すためなら、世界の秩序であろうが、小国の権益であろうがお構いなく無視してでも、我が意を主張し財力で懐柔する。さもなくば、大量兵器を駆使して侵略する。
そんな現実が身近なところに溢れている。戦争なんて愚かなことをしてはいけない。やったら双方が敗者なのよ、と言い張っても大国は小国を侵略する物量を蓄えている。
80年の平和を維持して来た我が日本も、沖縄を某国が、北海道を某国が侵略してきたらさてどうする。
取り敢えず、飛び来る火の粉を振り払う力くらいは持つべきだよね~。
やっぱり矛と盾の話になる。落ち着く先は矛盾であるが、自国の平和は何としても持続させたい。そう思い続けた戦後80年。きな臭い現実にどう対処するのがベターなのでしょうかね~。