常陸国の二宮・静神社@那珂市静
静神社は鹿島神宮(一宮)や吉田神社(三宮)とともに常陸国の二宮として崇敬されたという。
中世・佐竹氏の時代は3つの神社が鎮座し、さらに、7つの寺院がこれを囲んで大きな霊地を形成していた。
天保12(1841)年の火災で、徳川光圀が造営した社殿が焼失。
現在の本殿・拝殿は、水戸家9代藩主斉昭が再建。
本殿から石段と大鳥居を望む。
大鳥居
県道61号(日立・笠間線)に面するが、水戸から奥州に通ず街道の一つ。
交通の要地でもあり、門前町、宿場町として栄えた
謂われのありそうな樹の株。
『常陸国風土記』の碑と『織姫』の像。
『常陸国風土記』(713年)には「静織(しどり)の里」とあり、地名・社名の由来となったと思われる。
「静神宮印」(国指定・重要文化財)
寛文7年(1667年)、徳川光圀によって神宮寺が分離された際の改築造営に伴う土木工事によって、境内のヒノキの大木の根元より発見された。
印笥はこの印を納めるためのもので、銅印発見を喜んだ光圀がこれを蜀紅の錦の袋に入れ黒漆塗りの箱に発見の事情を、金文字で書き、社宝として寄進した。
印文は、楷書で「静神宮印」の4文字を、2字ずつ2行に配し、4周に輪郭を施している。奈良時代神社印中の秀作の一つである。
印面は方形、鈕は鶏頭状の莟鈕に造り、鈕穴を付ける。
4.9㎝、高6.1㎝。鋳銅製。
「静峰ふるさと公園」(写真は2013年4月18日の訪問時)
静神社の後背地に自然丘陵を活かした12ヘクタールの公園が在る。
「日本さくら名所100選」にも選ばれた桜の名所で10種類程の八重桜が約2,000本植えられている。
八重桜のほか、約200本のソメイヨシノもあり、例年、ソメイヨシノが散り始める頃に八重桜が咲き始め、1シーズンに2度桜が楽しめる。
*桜田門外の変に加わった水戸浪士の一人である斎藤監物は静神社神官であり、静神社向かいに墓がある。
静神社は鹿島神宮(一宮)や吉田神社(三宮)とともに常陸国の二宮として崇敬されたという。
中世・佐竹氏の時代は3つの神社が鎮座し、さらに、7つの寺院がこれを囲んで大きな霊地を形成していた。
天保12(1841)年の火災で、徳川光圀が造営した社殿が焼失。
現在の本殿・拝殿は、水戸家9代藩主斉昭が再建。
本殿から石段と大鳥居を望む。
大鳥居
県道61号(日立・笠間線)に面するが、水戸から奥州に通ず街道の一つ。
交通の要地でもあり、門前町、宿場町として栄えた
謂われのありそうな樹の株。
『常陸国風土記』の碑と『織姫』の像。
『常陸国風土記』(713年)には「静織(しどり)の里」とあり、地名・社名の由来となったと思われる。
「静神宮印」(国指定・重要文化財)
寛文7年(1667年)、徳川光圀によって神宮寺が分離された際の改築造営に伴う土木工事によって、境内のヒノキの大木の根元より発見された。
印笥はこの印を納めるためのもので、銅印発見を喜んだ光圀がこれを蜀紅の錦の袋に入れ黒漆塗りの箱に発見の事情を、金文字で書き、社宝として寄進した。
印文は、楷書で「静神宮印」の4文字を、2字ずつ2行に配し、4周に輪郭を施している。奈良時代神社印中の秀作の一つである。
印面は方形、鈕は鶏頭状の莟鈕に造り、鈕穴を付ける。
4.9㎝、高6.1㎝。鋳銅製。
「静峰ふるさと公園」(写真は2013年4月18日の訪問時)
静神社の後背地に自然丘陵を活かした12ヘクタールの公園が在る。
「日本さくら名所100選」にも選ばれた桜の名所で10種類程の八重桜が約2,000本植えられている。
八重桜のほか、約200本のソメイヨシノもあり、例年、ソメイヨシノが散り始める頃に八重桜が咲き始め、1シーズンに2度桜が楽しめる。
*桜田門外の変に加わった水戸浪士の一人である斎藤監物は静神社神官であり、静神社向かいに墓がある。