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茨城県立県民文化センター(現・「ザ・ヒロサワ・シティ会館」

2022年08月18日 19時53分09秒 | 水戸今と昔
茨城県立県民文化センター(現・「ザ・ヒロサワ・シティ会館」)







茨城の文化に大いなる功績と足跡を残した「茨城会館」に代わる文化施設とし、全国的にも誇れる近代的なもの作ろうと、当時の茨城県知事・岩上二郎は県民の要望に応え1966(昭和41)年に「茨城県立県民文化センター」が誕生した。

大ホールは1500席の多目的ホールで、各種講演会・式典・コンサート・コンクール等で幅広く利用されている。
小ホールは386席の規模として、講演会・研修会・音楽発表会・映画上映等目的に応じて利用されている。
中央の食堂(現在は休業中)を挟んで2階建ての展示棟が建設され、2階には「茨城県美術博物館」が開館し、名実ともに県民文化センターとなった。

2019年の命名権募集で金属加工業「廣澤精機製作所」がこれを取得し、新名称は「ザ・ヒロサワ・シティ会館」となった。(契約期間は3年間・契約額は1千万円)

美術博物館は1988(昭和63)年、隣接地に「茨城県近代美術館」が開館することになる。



県民文化センター落成当日。
1963(昭和38)年に建設地を現在地の千波湖畔に決定された。
当初は茨城会館の生まれ変わり的な発想だったが、美術家団体からの強い要望もあって県立美術博物館をも内蔵する文字通りの文化センターが誕生した。
「茨城会館」と同様に県の直営と考えられたが、民間的なセンスとサービスが望ましいと「文化福祉事業団」(現いばらき文化振興財団)が管理・運営を委託することになった。

15日間にわたる祝賀公演では松竹歌舞伎・NHK交響楽団・バレエ公演などが連日にわたって繰り広げられた。





美術博物館は1988(昭和63)年、隣接地に「茨城県近代美術館」として独立会館。



事業団が直営する「文化センターグリル」はホテル同様のメニューとサービスで公演日以外でも多くの客を集め、パーティーなども行われるなど新たな社交の場となった。
賑わったグリルの窓は塞がれ「休業」の立て札。
世の中の移り変わりは如何ともしがたいとしても往時の賑わいを思い出すと何とも侘しい気持ちだ。



1500名収容の大ホールも、ここ数年のコロナ渦という状況下で公演を含めた利用が少ないようだ。
(基本的には貸しホールで、運営財団の主催する事業は多くはない)

*開館から半世紀以上、当初の数十年間の多彩な企画は豊かな暮らし実感させてくれるのに充分であった。
近年、足が遠のいているのは己の意欲の欠如によるが、アフターコロナの生活様式の変化を含め、大ホールなどの公演や文化施設に対する考えが変化していることも事実だろう。
来年7月に開業予定の「水戸市民会館」の工事が進んで、企画運用の準備段階になったようだ。
当初から懸念されている問題が多いにもかかわらず、見直すこともなく進んでいるように思える。開館当初の数年は物珍しさもありある程度の集客はあるだろうが、その後の運営はどのように考えているのだろうか?
他の同様施設の現状を十二分に把握し、慎重に進めていただきたい。
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