加藤桜老像 @笠間小学校正門脇
「加藤桜老」の生誕210年を迎えた2020年11月、「笠間小学校」の正門脇に
桜老の玄孫・加藤 熈氏が銅像を寄贈した。
(笠間小学校は藩校「時習館」の跡地)
台座横の碑文には、次のように記されている。
幕末の尊攘教育者 加藤桜老
加藤桜老(名は熈 通称有隣 桜老は号)は 1811 年水戸に生まれ 笠
間藩加藤家を継ぐ。藩校時習館の都講を勤め 水戸の会沢正志斎・江戸
昌平坂学問所に学ぶ。笠間に私塾十三山書楼を創ると 全国から有志が
訪れ 高杉晋作は二度来訪・論談し力を得たと評価。1862 年長州の
藩校明倫館に招かれ 途中京都で三条実美ら尊攘派公卿と交わる。山口
では藩校教授に就き 私塾詠帰塾を開設し 多くの人材を育成した。明
治政府では大学設置の上申など教育政策に関与 74 年の生涯にわたり
教育・著述に努め 近代日本の礎を築く役割を果たした。1934 年京
都三条大橋御所遥拝像が造られたが 太平洋戦争の金属供出で失われ
たので 生誕 210 年を迎え銅像を再建する。
2020年11月
玄孫 加藤 熈
加藤桜老(1811~1884)
「加藤桜老」の生誕210年を迎えた2020年11月、「笠間小学校」の正門脇に
桜老の玄孫・加藤 熈氏が銅像を寄贈した。
(笠間小学校は藩校「時習館」の跡地)
台座横の碑文には、次のように記されている。
幕末の尊攘教育者 加藤桜老
加藤桜老(名は熈 通称有隣 桜老は号)は 1811 年水戸に生まれ 笠
間藩加藤家を継ぐ。藩校時習館の都講を勤め 水戸の会沢正志斎・江戸
昌平坂学問所に学ぶ。笠間に私塾十三山書楼を創ると 全国から有志が
訪れ 高杉晋作は二度来訪・論談し力を得たと評価。1862 年長州の
藩校明倫館に招かれ 途中京都で三条実美ら尊攘派公卿と交わる。山口
では藩校教授に就き 私塾詠帰塾を開設し 多くの人材を育成した。明
治政府では大学設置の上申など教育政策に関与 74 年の生涯にわたり
教育・著述に努め 近代日本の礎を築く役割を果たした。1934 年京
都三条大橋御所遥拝像が造られたが 太平洋戦争の金属供出で失われ
たので 生誕 210 年を迎え銅像を再建する。
2020年11月
玄孫 加藤 熈
加藤桜老(1811~1884)