![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/54/22ff9b0400908d52de2f14fefaa255ff.png)
( この写真は、J先生の最初の弟子になった仲田さんが現在利用している西武池袋線の某駅前ロータリーです。 池
袋から急行電車で40分ほどの所です。 3月に入ったとはいえ、まだまだ肌には冷たい雨が降っています・・・・
《 2015年、3月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その44
《 漫画家アシスタントが・・・同じ事の繰り返しに飽きる・・・!? 》
若い頃によく家出した仲田さん( ※参照 )は、その放浪癖がおさまらないままJ先生( ※参照 )の所に
弟子入りします。
この当時も何度目かの家出をしていますが、数日で実家に戻るのでJ先生の仕事を週に一日しかしな
くても、生活に困る様な事はありませんでした。
こう書くと、なんだか相当に「 イイ加減な男 」「 C調な奴 」に思われるかも知れませんが、まっ
たくその通りなのです。
ただ、その事にまだ気づかないでいたのがJ先生だった訳です。
『 片腕が不自由なのに本気で漫画家になろうと頑張っている可愛い奴 』
・・・・・・・・そんな誤解をしていた様にも思われます。
ですから、面接の日にも堂々と「 週に一日だけしか仕事をしません 」( 単なるわがまま )と宣言し
た事を・・・・・・・・
仲田さんの強い意志と感じたのか、やさしく受け入れてくれました。
今、普通の人( 健常者 )がこんな事言ったら・・・・・・・・
「やさしく受け入れてくれ」るかどうかは、はなはだ疑問です。
さて、J先生の最初のアシスタントとなった仲田さんの給料は・・・・・・・・・・5千円ほど。
( 1970年当時のサラリーマンの初任月給は4~5万円位 )
週に一回だけの仕事ですから、少なくても仕方がないのですが・・・・・・・それよりも、週に一
回だけの仕事では、とてもノルマをこなせないわけで・・・・・・それは大変だったと思います。
このままでは仕事が間に合わないと判断してJ先生は、すぐにアシスタントを追加しなくてはならな
くなります。
そこでやって来たのが19歳の加川さんと16歳のKさんでした・・・・・・・・・・この二人に関して
は拙ブログの『 その23 』あたりに書いてあります。
ちなみに、仲田さんは仕事が嫌いで週に1日しか来なかったわけではありません。( 極々軽い気持ち
だったのは確かなのですが )
あくまでも漫画家になるために仕事をしているので、週に一回でも先生の後姿を見ながら仕事が出来
れば十分だったわけです。
毎日、毎日、同じ様な仕事を繰り返す日々には耐えられなかった様です。
『 背景だけ描くために生きるなんて冗談じゃない! 』
注意していただきたいのは、沖田さんは『 漫画家になりたい 』のではなく、『 漫画家になる 』つも
りでいた事です・・・・・・・・・・・
今でもそうなのですが・・・・・・・・『 漫画家になりたい 』人は、沢山いても『 漫画家になる 』
つもりの人は少ないものです・・・・・・・・同時にこの事は決定的な意味も持っています。
さて、J先生は、始めに仲田さんには簡単な斜線の練習しかさせませんでしたが、徐々に背景画や仕
上げをまかせてくれる様になりました。
この頃になって、他にアシスタントが二人加わり、Jプロも漫画家の仕事場らしい雰囲気が出てきま
す・・・・・・
J先生が描くキャラクターは、顔が真っ黒( ベタ )の場合が多く、背景よりもこの顔や体に塗るベタの
方が主な仕事だったりします。
当然、アイスタントたちは・・・・・・・・
「 またかァ・・・・・ベタが多いなァ 」
・・・・・などとボヤくわけです。
アシスタント同士は、仕事中に会話をする事があるのですが・・・・・・・・・・J先生は、まった
く喋りません。
フスマ1枚、隔てているのですが・・・・・・・・・一言も話さないこのスタイルは、45年経った今
でも同じです。
アシスタントの仕事にもすっかり慣れてき頃、仕事場に一人の少年( 中学生 )が訪ねて来る様になり
ました。
J先生のファンであり、漫画家志望であるために、自分の描いた原稿を持ってJプロにやって来るわけ
です。
まったくの素人・・・・・・・普通の中学生ですから、その画力は稚拙なものでしたが・・・・・
・・・熱心に先生のアドバイスを聞いていました。
仕事場に勤める様になって半年ほどした仲田さんに先生は言いました・・・・・・・・
「 おめィ~は、ちっとも成長しねィ~な! 」
確かに、背景画の技術が低レベルなまま変わらないのですから、仲田さんは言い訳も出来ぬまま沈
黙します・・・・・・・・・・
「 よく仕事場に原稿持って来るあの子供だってよォ~、少しづつ上達してるのによォ~ 」
「 ・・・・・・・・・・ 」( 沈黙というより沈没 )
「 おめィ~はよォ・・・・・・・・全然、成長してねィ~んだよッ! 」
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その45 」( 3月10日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その43」へ戻る 】
【 ※参照 】
・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。
現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
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中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん
★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」
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「顔が真っ黒( ベタ )」ってところの意味がわかりませんが、
顔が黒いキャラなのでしょうか。
顔が真っ黒なキャラクターとは、「○○ふきドンドン」というギ
ャグ漫画の事です。
主人公と脇役の小僧の顔が真っ黒なのです・・・・・・・
アマゾンに中古本が出ていますが・・・・・・・とんでもない値段がつい
ています。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BB%E3%82%89%E3%81%B5%E3%81%8D%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9-%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8-%E7%A7%8B%E5%B1%B1/dp/B00007C7EN/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1425572375&sr=1-1&keywords=%E3%81%BB%E3%82%89%E3%81%B5%E3%81%8D%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3
「劇画」の生みの親で、自伝的作品「劇画漂流」で2009年に手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)のマンガ大賞を受賞した辰巳ヨシヒロ(たつみ・よしひろ、本名辰巳嘉裕)さんが7日、悪性リンパ腫で死去した。79歳だった。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
1935年、大阪市生まれ。50年代から貸本誌などに描き始め、大人向け作品を開拓。リアリズムを重視した自らの手法を「劇画」と名付け、59年にさいとう・たかをさんらと「劇画工房」を結成した。
社会の底辺の人々の悲哀や屈折を描く作品は、地味ながら海外でも評価が高く、05年に仏アングレーム国際マンガフェスティバルで特別賞を受賞。95年から06年にかけ執筆した大作「劇画漂流」は、シンガポールのエリック・クー監督により「TATSUMI マンガに革命を起こした男」としてアニメ映画化され、14年に日本でも公開された。
http://www.asahi.com/articles/ASH3943KXH39UCLV007.html
https://www.youtube.com/watch?v=V_sCBsn-mGQ
本当に偶然なのですが、昨日劇画家たちの多くが住んでいた国分寺に出かけていました。今も唯一残る「名曲喫茶でんえん」に。
その時辰巳先生の話題も出て、かなり体調が悪いとののことだったのですが、まさかその前日に亡くなられていたとは。
yesさんは劇画についてはどのような思い出がありますでしょうか?
浮浪雲の連載はもう終わったのですか?
今もJ先生のアシを続けていらっしゃるのですか?
>ふじもんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
辰巳ヨシヒロ先生のお知らせをありがとうございました。
残念ですね・・・・・・・辰巳先生が亡くなられたのは、とても寂しいです・・・
・・・・・・
若い頃によく先生の漫画を読んでいました。映画の「TATSUMI」は近
いうちに是非観てみたいと思っています。
>yesさんは劇画についてはどのような思い出がありますでしょうか?
私が若い頃には「劇画」というと一般にあまり良いイメージはありませ
んでした。
また、それまでの「漫画」が70年代に入って芸術的な作品や斬新な手
法の作品など、可能性が大きく開いた時代に、「劇画」はちょっと古く
てオヤジ臭いものになりつつありました。
それでも、私にとってはカッコいい絵柄や派手なアクションやアングル
など、魅力にあふれた世界でした。
宮谷先生なんかは、神様みたいに思っていましたね・・・・・・いや、ホント
に!
>李李依さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お久しぶりです。
といっても、随分と前になるのでしょうか・・・・・・・・スイマセン、「李李
依さん」というお名前からすぐに思い浮かぶ以前のコメントがありま
せん・・・・・・・
それはともかく・・・・・・・
「H雲」の連載は、まだ細々つづいております。
また、J先生のところでの仕事も細々ながらつづいております。