( この写真は、43年前にJ先生と当時のスタッフが旅行した時に撮影したものです。 中央の人物が超売れっ子だっ
た頃のJ先生で、背後の人物はアシスタントの一人。 30歳を前にしたJ先生には、まだトレードマークの口ひげが
ない。ちなみに、この様な写真を勝手にアップしているから先生に嫌われるわけです・・・・・・・・《 1970年、
夏、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その35
《 漫画家アシスタントが・・・天才について書く・・・!? 》
漫画を描いていて死にたくなる事が、一度や二度はあるものです・・・・・・特に連載を持っている
様な人ならそうした経験者が多いかと思います。
今回は、連載漫画を持っている・・・・・ある意味、漫画家志望者の「 勝ち組 」・・・・・・・そ
んな羨ましい方々についての話をしたいと思います・・・・・。
毎週、ジャンジャン、預金通帳に100万円単位で現金が振り込まれる・・・・・・・といった「 勝ち
組の中の勝ち組 」とも言うべきご奇特な方もおられます・・・・・・・
私が勤めるJプロ( ※参照 )の先輩の中にも、週刊誌で連載を持った事のある「勝ち組」( 一歩手前? )
の方がおられたのですが・・・・・・・・
「 Yちゃん、酒でも飲まなきゃやってられないよ~ッ! 」
・・・・・などと、ホトホト漫画を描く苦労に押しつぶされてしまったのかと思われるほど、苦しそ
うにこぼしていました。( 30年前、週刊連載の稿料は、月々手取りで40~50万 )
これは、「 愚痴 」というよりも・・・・・「 叫び 」に近いものがありました・・・・・
ただ・・・・・・・こればかりは経験しないと分かりません。
私は、いまだに「 連載 」の経験がないので、この「 連載の苦しみ 」というものがよく分かりません。
今週の分はギリギリ間に合ったが・・・・・・・・来週の分、何を描いたらよいのか全然カラッポの
状態なのに、時間だけはどんどん過ぎていく・・・・・・・「 締切り 」という時限爆弾を抱えている
のに逃げ出す事も出来ない
「 センセ~、できましたか~? 」
という編集員からの電話におびえる毎日・・・・・それが、どれほどの苦しみなのかを察するのは難
しいものです。
原稿を待つ編集員、そして、その背後には、本の出版を待っている100万人の読者が・・・・・
「 Yちゃん、大変なんだぜ~ッ! 」
・・・・・と、言われると・・・・・
「 そうですか・・・・・・・ 」
・・・・・と、答えながら・・・・・つい笑ってしまう。
毎回、ストーリーに苦しんで、アイデアを搾り出すのに四苦八苦する漫画家もいれば、絵を描くのに
手間取って、まったく時間がなくなってしまう事で苦しむ漫画家もいます。
私が知る先輩漫画家でエロ漫画を連載していた人がいるのですが・・・・・
その人は、毎月一回の連載が2本、ですから毎月40ページほどの原稿を描いていました。
30年位前の話ですから、当時の手取り月収は20万円ちょっとだったかと思います・・・・・ただ、こ
れでは、生活するだけでアップアップだったと思います。
数年間で体を悪くして漫画を止めてしまいました。
数年間の苦労で貯金でも出来ていたら良かったのですが・・・・・・・
月々、40~60ページの原稿料だけで、単行本収入もない「 貧乏漫画家 」にとって、「 貯蓄 」などは
夢のまた夢だったのではないでしょうか・・・・・
ところで、週刊誌の連載の場合ですと、漫画制作の過酷さは、月刊誌の比ではありません。
最初の1日で作品のストーリーを作って、翌日には絵コンテ(シナリオ)、次の日は、下書きやペン入れ、
さらにその後は背景画と仕上げ作業・・・・・・
一週間のうちに「 休日 」が一日でも取れるならラッキーといったハードな日々が延々と続くわけです。
私が○ングジャンプでデビューした頃には、アシスタントをしながら漫画を制作するのに一本で2~3ヶ
月かけていました。
それでも、寝不足になるほど毎日がハードでした・・・・・・・・・しかし、制作できた漫画量は、
月々、たったの8枚~10枚!
まさに、漫画の力量とは・・・・・・・・画力や迫力ではなく、「 生産力 」そのものなのです!
私の師匠であるJ先生( ※参照 )は、30歳の頃には、少年○ガジン、○ンデー、○ング、○ャンプ、○ャン
ピオン、各紙に連載を持ち、月刊誌の連載さえ同時( ! )にこなしていたのです。
その生産力は、毎月、400枚!( 並の漫画家なら100枚でダウン寸前 )
当時の思い出話( 週刊誌5誌同時連載の頃 )をしていた時でした・・・・・・・
「 えィ・・・・・・? 何考えてたかって? 」
当時を思い出しながら・・・・・・・などと言ったのんびりした雰囲気ではなく、即座に・・・・!
「 何も考えてねィ~~よッ! 」
とキッパリと言い切る。
・・・・・・・私は、この人( 漫画家J先生 )を、同じ人間だとは思っていません。
どう見ても、どう考えても・・・・・・・
我々と同じ「 人類 」とは思えないのです。
「 何も考えてねィ~~よッ! 」と、言った直後に、刀でバッサリと切り捨てる様に・・・・・・・
「 考えてるヒマなんか無ィ~~~んだよッ!! 」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・もはや・・・・・・・
・・・・・世界遺産である。
「 漫画家アシスタント 諦めま章 その36 」( 7月1日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント諦めま章 その34」へ戻る 】
【 ※参照 】
・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のス
タッフが在籍。しかし今年2012年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日
この頃です。
・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載
6誌という逸話もある。現在は2誌に連載中。13年現在、70歳。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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が描いたソープランドの実録漫画「親不孝通り」(一部)を公開中です・・・・・
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特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
最近のブログは、マンガとは関係ない話題が続いてツマラナク(ゴメン…)思っていたのですが、
またマンガの話題になってきて、おもしろいです
参考になるか?分かりませんが、以前、2ちゃんねる(マンガ家志望者スレ、だったかな?)
で遊んでいた時に見聞きした話題をお知らせします
●有名マンガ家の『鳥山明(とりやまあきら)』先生は、
週刊連載だけど、週休5日!(ホントかよ)!
でも、ただ遊んでいるわけでもなくて、休日は、いつもプラモをいじりながら、
常にマンガのことを考えている、そうな。
●「ドラゴンボール」もジャッキー・チェンのカンフー映画を見ている時に、
「もしジャッキー・チェンが、子供だったら…」と考えたところから生まれた、とのこと。
●「Drスランプあられちゃん」の単行本の巻末マンガに、
印税で、いっぱいお金が入ったけど、忙しくて使うヒマなく、
アシスタントと一緒に、みんなでカップめんを食べている…、
「お金の使い方知りません」とか描いてた
●一方で、高級外車のポルシェを4台も所有していて、やっぱり単行本の巻末マンガで自慢してた…
(『お金の使い方知りません』とか言ってきたクセに、と思うのは、貧乏人のヒガミかしらん…)
●これまた有名マンガ家の『高橋留美子(たかはし るみこ)』先生も、
週休5日!マンガを描くときは、昼過ぎからテンションを上げる儀式(どんな儀式かは不明)
をして、日が暮れてから、一晩で一気に描き上げてしまう、とのことです
(『ものすごく集中力を消費するので、週休5日の休養が必要なの』)
(『マンガは勢いで描き上げるもの!』と語っていた、とか)
●売れっ子マンガ家で、アシスタントを大勢雇えるから、一晩で一気に描き上げられるのかしらん
●あれこれ悩みながら、描いていると疲れるだけなので、パッパと寝て起きてから、
ペン入れとかやっていると、すごく集中できて充実している実感があって、気分が良いです。
気持ちよくマンガが描けます。(自分のマンガは、自己満足の素人の趣味レベルですが…)
悩む暇が無いっていうのは、それだけマンガを描く事への自信の表れなのかもしれませんが、そこへ到達するには、やはり人間を辞めなくてはいけませんね。
恐ろしい世界です・・・。(^^;)
手塚 治虫 60年(てづか おさむ、本名:手塚 治、1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日)
石ノ森 章太郎 60年(いしのもり しょうたろう、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)
藤子・F・不二雄 62年(ふじこ・エフ・ふじお、1933年(昭和8年)12月1日 - 1996年(平成8年)9月23日[1])
ほか多数。
1965年(昭和40年)2月20日に長谷川町子の神奈川県の箱根町に所有していた別荘が放火され160平方米を全焼した。
1970年(昭和45年)11月19日に東京都の世田谷区桜新町1丁目にある長谷川町子の自宅が放火された。この時は発見が早く長谷川町子本人が消火器を使って火災を消し止めた。火災の消火後、長谷川宅からすぐ近くの路上に座り込んでいた山口大教養学部の男子学生が放火の容疑で逮捕された。この学生はノイローゼで警察の取調べに対して「長谷川町子が俺を盗聴器で調べているから放火した」と語ったという。
連載中断の理由として、執筆上から来るストレスによる胃潰瘍による入院もあった。
(後に胃癌と判明)
1993年3月には墓から遺骨が盗まれるという事件が発生
特に複数連載しているとそうしないと絶対に間に合わないとか。
野球漫画で知られる巨匠のアシスタントの方に、一日二十時間使って一本を仕上げるスケジュールで今も作業していると直接お聞きしました。
鳥山先生や高橋先生が週五休というのはある意味誤解で、そういった厳しい作画スケジュールの部分だけが一人歩きしてるんじゃないでしょうか。
漫画は作画だけじゃなくてネームがありますし、ネームの前には構想、打ち合わせがありますし、全部の作業を入れれば週七日不休に近いと思います。
Jプロの毎月400枚という生産体制の時も、単純計算で一日13枚以上描かなくちゃいけないんですから、多分そんなスケジュールだったんじゃないでしょうか。
>オレンジボーイさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「はげましのおたより」をどうもありがとうございました。
小説家にしろ漫画家にしろ、俗に「流行作家」というものに普通の人
と同じ様な「日常」があるのかどうか・・・・・当人ではないので分かりま
せんが・・・・・。
どうも「週休5日」という言う方は、半分正解で、半分は嘘の様な気
がします。
常に漫画の事しか考えていない人にとって、それがデスクの前だろう
が、銀座の街中だろうが、たいした変わりはなく・・・・・だいたい、締切
から逃げられる場所も「休日」もないと思うのです。
「流行作家」っていつも「仕事が楽しい」とか「いつも遊んでます」と
か、そんな言い方してますけど、あれは、自己暗示みたいなもので・・・・
・・・・・自分自身へ「はげましのおたより」をしないと気が狂ってしまう
のだと思いますよ。いや、ホントに!
>アシスタントを大勢雇えるから、一晩で一気に描き上げられるのか
>しらん・・・・
実際の現場ではそんな感じです。
いくら能力のある作家でも一人で毎日10ページは描けません。 せいぜ
い早くても5ページが限度だと思います。
ところが、アシスタントが背景画を入れるとなると、その生産力は爆発
的に向上します。
一人のアシスタントがいれば、生産力は2倍。 二人なら3倍といった
感じで・・・・・・
つまり、一日(9時間)に早い作家で20ページの原稿を仕上げる事も可
能になるわけです。
もっとも、それだけ早く描ける漫画家は、現在、うちの師匠を含めて数人
しかいなのではないでしょうか・・・・・・。
>B・INABAさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>恐ろしい世界です・・・。
正直言って、確かに「恐ろしい世界」です。
私がその一端を覗いたのは、随分と年をとってからでした。 若い頃に
は気づかなかった事でも、年をとると気付く事ってありますよね。
気づいた時にはぬかるみにはまってしまって帰れない・・・・・・・そんな感じ
でした。
>遅れてきた男さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>水木しげる先生のTシャツには、「がんばらない」と描いてあって・・・・
「がんばらない」ってイイ言葉ですよね。
水木先生らしい・・・・・って感じですが・・・・・・・・実際には、先生は単行本時
代からテレビ漫画でヒットするまでに安い原稿料で死ぬほど働いてきて
いる人なので・・・・・・・・いっぱい苦労の「貯金」がある・・・・・・・・って事かも
しれません。
>長谷川町子72年、放火に悩まされ・・・・
有名人は大変ですね・・・・・・・・それにしても「骨」まで盗んで・・・・・・・・どう
するつもりだったのでしょう・・・・・・・・?
>ふじもんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>一日二十時間使って一本を仕上げるスケジュールで・・・・
そ・・・・そりゃ大変ですね・・・・・・事実上、2日がかりですね!
うちの仕事場では、20ページを平均9時間で仕上げていました。 昔は、
ギャグ漫画はページ数が16ページ位で、今の漫画に比べると密度も白っ
ぽいし、かなり早く描けたと思います。
さすがに「H雲」や「K子の毎日」「○ンクのカーテン」の様な劇画調の作
品には、10時間から11時間かかる事もありましたが・・・・・
>Jプロの毎月400枚という生産体制の時も・・・・・
うちの場合は、「打ち合わせ」なんてほとんどなく、ネームから作画、仕上
げまでを一日でやってしまう感じでした。(これは、極々特殊な例だと思い
ます、手塚先生とうちの師匠、それから数人しかいないと思います)
私は、最盛期(1970年前後)にはいなかったのですが・・・・・それでも、月曜
に「H雲」20p、火曜日に「○れしはずかし物語」20p、水曜日に「○ブリン
・モンロー」20p・・・・・なんて感じで仕上げてた事があります。(1980年代中
頃、月産300枚)
>・・・・・世界遺産である。
おもしろかったですww
ほんと、考えてる暇もないとは・・すごいです。
でもそれもまた、心理なのかもしれないですね。
よく漫画家さんが、一番うけがよかったネームは、
あっという間に迷いもなく勢いで描いたネームが
一番うけがよかった。
なんて話をよく聞くのですが、たぶん、それを日常的に
出来る人が週刊で何本も連載できる天才に
なることができるのでしょうね。。
もちろん、そんな勢いで描いたネームでもすごく
面白いいい漫画が描けるっていいうのが前提ですけど。
役に立ちそうな話題を提供しますね
マンガ雑誌の出版社『白泉社(はくせんしゃ)』(主に少女マンガをやっている出版社だけど)は、
●今回から、マンガ新人賞・大賞の賞金を、『これまでの100万円から300万円へ』一気にグレードアップ!
http://www.haku-shojomanga.com/
●夏休みの同人誌イベント『コミック・マーケット』にも、企業ブースに出展
マンガの原稿を持っていくと、
『プロの編集者が待機していて、その場で、すぐにアドバイスしてもらえる』とのこと
※『マンガ描いても、もうからないヨ…』という話が、はびこっているので、
入賞金額のアップは、うれしい話題ですね
『おもしろい、良いマンガを描けば、お金持ちにもなれる』と夢を語らないと
だれもマンガ描かなくなりますからね…
※コミケ会場で、プロの編集者が、マンガを見てくれる、のもイイですね
「出版社へ持ち込みに行くのは、自分には、なんだか敷居が高いな…」
「事前に、面会のアポを取らないと、いけないんだよな…」
「そもそも、自分のレベルで、持ち込みなんかしてイイのかな…」
「田舎に住んでいると、上京するのも大変なんだよな…」
という人に、おススメですね。
「夏休みに上京して、都心で遊んで、コミケに行くついでに、
マンガ原稿も、プロの編集者に見てもらえる」
※今から描けば、間に合うか…?
Yesどん先生の教え子さんたちは、そろそろ夏休みですか?(大学生は、夏休みが2か月あるらしいですが…)
一日の時間を、すべて自分のために使える学生さんたちが、うらやますぃですね
※マンガ業界は、「出版不況で、もうからない」「既存の作家があふれていて、新人の入り込むスキマもない」
とか言われていましたが、出版社が「大金を積んで、新人を探している」となると、
大学のマンガ学科で「マンガ家のエリート教育をする」というコンセプトも、
あながち間違ってはいなさそうですね。
※大学では、こういった情報(入植金額のアップ・コミケでプロの編集者が原稿を見てくれる)もリサーチしているのでせうか?
>ラティさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラティさん、拙ブログへの感想をどうもありがとうございました。
>一番うけがよかったネームは、あっという間に迷いもなく勢いで
>描いた・・・・
それ、よく聞く話ですね・・・・・・流行歌なんかでも、大ヒットした曲は、
その曲が意外なほどすぐにできたとか・・・・・・
そうした事を「神が降りてくる」とか表現する様ですが・・・・・・
うちの師匠は「○ゲバ」や「○シュラ」を連載していた当時は、毎日
(365日)がそんな状態だったみたいで・・・・・・
>オレンジボーイさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「教壇で学生さんたちを相手に話をするときに、役に立ちそうな話題」
をありがとうございました。
白泉社の新人賞の賞金が100万から300万にアップしたのは凄いです
ね。
大手では、300万は珍しくないかと思いますが・・・・・・とにかく、優秀な
新人を発掘する事に業界全体が必死なのは確かな様です。
>今から描けば、間に合うか…?
デビューする時期に、年齢制限はないかと思いますが・・・・・・・・
・・・・・男がヤルと決めたらヤルだけだと思います。
>教え子さんたちは、そろそろ夏休みですか?
8月の第一週は、まだ、試験や補修講義などがありますが、その後はお
休みになる様です。
授業は、9月の最終週あたりからガイダンスなどが始まり、10月第一週
から本宅的な授業になります。
ですから、学生の夏休みは・・・・・約1ヶ月半・・・・・といったところでしょ
うか・・・・・・・・。
>大学では、こういった情報・・・・中略・・・・もリサーチしているのでせ
>うか?
賞金のアップや、新人探しに活気がある事など・・・・やはり話題になって
いるかと思います。
ゲームにスマホといったライバルに圧され続ける業界も、生き残りをかけ
て必死な様です
アメリカのスパイ映画で、SIMカードを抜いて入れ替えるシーンを思い出して、古いソフトバのケータイを充電しなおして、SIMを差し込んだら、使えるようになりました。
後2か月で、2年になるので、新しいケータイに無料でチェンジできます。
それまでの辛抱です。
Docomoのケータイだと、SIMの差し替えはダメです。
この後、水に濡れた方のケータイをドライヤーで乾かして、翌日CRCを内部にふきかけたら、落としたケータイも復活しました。
ただし、画面が水族館のようになって、使いづらいです。
ドコモショップに行って、住所録データの入れ替えを頼んで、3分ほどでデータの上書きに成功し、ついでに2メガのマイクロSDカードのほうに、そのデータをコピーしてもらい、家のパソコンに貼り付けました。
メモ帳形式で出来上がりました。
100円ショップで、充電、転送ができるコードも買ってあるのですが、パナソニックの場合、パナソニックのダウンサイトから、ソフトバ用のプログラムをダウンロードしなければなりませんが、途中でデータの読み込みに失敗するので、まだ自力でのデータ取得はできていません。
やはりショップでやってもらったほうが早いのです。
9月に買い換える予定の防水型は、2年間の縛りがありますが、SDは32メガまでいけるそうです。
今の2メガはもうほとんど生産されてないので、4メガだと、480円なのに、2メガだと、1280円もします。こんどは16メガを1280円ぐらいで差し込みたいと思っています。