漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント もう終わりで章 その13 最終回(中編)

2017年12月19日 19時00分54秒 | 漫画家アシスタント

       ( この写真は、仕事の最終日に撮影したJプロのアシスタントの仕事場風景です。室内には、8つのデスク
        がありますが、今は一人しかスタッフがいません。そして、画面に写っているのは、ほとんどが古本と古
        資料、そしてゴミの山です。ホコリが酷いのでいつもマスクをして仕事をしていました・・・・・《 2017年、
        6月、撮影 》 )

 
        【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 

             その13 最終回( 中編 )


     《 漫画家アシスタントが・・・・師匠に質問する・・・・!? 》


今回で、最終回になります・・・・・・・・

長い間、拙ブログにお付き合いただきまして、どうもありがとうございました・・・・・・・・・・
・・・・・って、「 後編 」のはずが、急遽「 中編 」に代わりました!

本編を書き始めたら・・・・・・・・ちょっと長くなってしまったので・・・・・・・・・最後の「 後編 」
は、次回までしばしお待ち下さい・・・・・・・!


さて、ブログの「 中編 」「 後編 」は、先生との最後の会話を中心に書かせていただき
たいと思います。


2017年、6月いっぱいで退職する事になっていましたので、6月の終わり頃、連載中だっ
た「 H雲 」( ※参照 )の仕事が一段落した時に、J先生( ※参照 )の個室へお別れの挨拶に
行きました。


仕事場の先輩Mさん( ※参照 )からは「 なんだかやけに寂しくなるのォ・・・・・ 」と言われ
ましたが、私は、仕事( アシスタント業 )そのものが嫌いな人間ですので、仕事を辞め
る事は長期の夏休みでももらえるようなウキウキ感でいっぱいでした・・・・・・そのため、
先輩にはあっさりした対応しかできませんでした。( しんみりしている先輩には申し訳
ありませんでした )

自分のデスクから貴重品だけまとめて紙袋へ納め( ほとんどの私物はゴミ同然ですので
残しておきました )、帰り支度だけしておいてからJ先生の部屋へ向かいます・・・・・・・。

J先生とは最後の対話になりますが・・・・・・・・・・緊張の度合いはいつもとまったく同じ。
( 勤続39年間、ずっと緊張しているわけです )

いつもの様に、デスクに向かう先生の背後から静かに・・・・・・・・・・

・・・・・・と、思ったら先生は仕事が終わったので、自分のソファーにかけて入口に立つ私
をジッと見ている・・・・・・・・・・!

 「 先生、長い間お世話になりました 」

 「 う・・・・・・・ 」

 「 どうも、ありがとうございました・・・・・ 」

 「 ま、おめィ~はよく勤めてくれたよなァ 」

 「 ・・・・・は、い・・・・・いえ、そんな・・・・・・・・・ 」

 「 ほんとだよ、よく勤めてくれたよ 」

先生に、近くのソファを勧められて座る・・・・・・・・担当編集員が完成原稿を取りに来るま
で、少し時間があったので、二人だけで喋る機会を得たわけです・・・・・・・・

私は、「 退職の挨拶 」しか頭にはなかったのですが・・・・・・・・・・ふと思いついたある質
問をしてみました・・・・・・・・・・

 「 先生は、若い頃、デビューする前に誰か漫画家で憧れるような人っていたの
   ですか? 」

 「 俺ィは、いなかったね 」

 「 こんな漫画家になりたいとか、尊敬する漫画家とかは・・・・・ 」

 「 そんなのは、なかったね 」

J先生は以前から漫画家を軽蔑している節がありました・・・・・・・・その理由は、簡単で・・
・・・・・・・

 『 漫画家はバカだから 』

・・・・・というもの。

普通の漫画家志望者や関係者だったら、「 誰々が好き 」とか、「 ○○先生を尊敬して
ます 」、なんて話にすぐなると思うのですが・・・・・・・・・・J先生は、そういった人ではあ
りません。

もう一度、書きますが・・・・・・・・・・

 「 漫画家なんてバカばっかりなんだよ! 」

・・・・・とか

 「 パーティーだの忘年会だのって、そんな事にエネルギー使ってる暇あるのかよ! 」

・・・・・・・・・・などという話を何度も聞かされた記憶があります。( もっとも、その『 バカ
ばっかり 』にすら私はなれませんでしたが! )


先生の話は、自分が若かった頃( たぶん1970年前後 )の逸話へと移っていきます・・・・・

 「 前に・・・・って随分前だけどよ、赤○から電話がかかってきた事があってよ・・・・・ 」

まだ、J先生が若い頃、デビューして連載を取り新進気鋭の漫画家として注目を集め出し
た頃の事です・・・・・・・・・・

赤○先生といえば、天才ギャグ漫画家として有名な大御所です。 逆らえる新人なんてい
ないのですが・・・・・・・・若いJ先生は・・・・・・・・・・・

 「 俺ィに『 来い 』って言うんだよ 」

 「 ・・・・え・・・・・赤○先生から・・・・・・・ 」

 「 断ったぜ、行かねィ~よって! 」

 「 ・・・・・・・・・ 」

 「 俺を探ろうとしてたんだよ! それに『 来い 』だなんてよ~、誰が行くかいッ! 」

 「 ・・・・・・・・・・・・・! 」

 「 新人のよ、才能を探りたいんだよな・・・・・・・・・山○( ※参照 )なんか呼びつけられて、
   酷ェ目に合ってるんだぜェ 」

山○先生も当時は、新人のギャグ漫画家でしたが・・・・・・・・・その後、「 がき○○ 」で超ブ
レークした鬼才です・・・・・・・・・・J先生とは気が合うみたいです。

赤○先生は、新進漫画家の山○先生を呼んで、メチャクチャに批判したそうです。すっか
り落ち込んだ( そりゃそうです、大先生の赤○先生からケチを付けられたんですから )
山○先生が酒場でJ先生に事情を話したそうです。

赤○先生とJ先生は、若い頃にテレビ番組の撮影中にケンカしたりして、仲が悪いのです。
当時、業界では二人の仕事場の住所をかけて「 中落合と下落合の戦い 」などと言われて
いたそうです。

 「 それから、手○治○( この先生は名前付き )からも電話があったよ 」

この手○先生については・・・・・・・・・説明なんて不要ですね!

 「 え~~手○先生からですかァ!? 」

 「 ああ、『 一席設けさせていただけませんか 』ってな! 」

 「 ・・・・・・おお~ッ、凄いですね・・・・・・! 」

手○先生の話まで出てくるのか・・・・・・・話を聞きながら私はワクワクしてくる!

 「 会いに行かれたんですか!? 」

 「 う・・・・・・・・ 」

J先生は、黙ってうなずく・・・・・・・・

 「 怖いんだいよな、新しい才能が・・・・・・・・・・ 」

手○先生は、新人だったJ先生に色々な質問をぶつけて、その発想の源を探ろうとする・・
・・・・ちょっと焦りでもあったのだろうか・・・・・・・・・・( 1970年前後の新しい漫画の台頭と、
自社の経営問題など )

 「 あんまり、色々訊くからよ・・・・・・・・言ったんだよ俺ィは・・・・・・・ 」

J先生は真剣な表情を少し和らげながら・・・・・・・・

 「 心配いりませんよ、先生は大丈夫ですよ・・・・・・・・・・ってな! 」

 「 ・・・・・・・・・・! 」

 「 そしたらよ、嬉しそうに笑ってたよ 」

 「 ・・・はは・・・・・・・・ 」

私も緊張感が溶けた様に、乾いた感じの笑いが出る・・・・・・・・

 「 手○治○は『 来い 』なんて言わねィ~よ、『 一席設けます 』だぜ! 」

 「 はぁ・・・・・・ 」

 「 手○治○は、さすがだぜ 」

いつも「 漫画家なんてバカばっかり 」とけなしていたJ先生が、「 手○治○はさすがだ
ぜ 」なんて褒めちゃったりして・・・・・・・・ホントは、尊敬してる漫画家が何人もいるん
だと思います。

もっとも、こうした話は真偽のほどは分かりません。 漫画家の話ですので、どの程度
信じてい良いか・・・・・・・・私も実は、測りかねるところではあるのです・・・・・・・・


・・・・・・・と、ここまでは・・・・・・・・ご挨拶みたいなお話。

この後、J先生の最後の打ち込みに、私は、あっけなく吹き飛ばされます・・・・・・・・


J先生は、深いため息でもする様に・・・・・・・・最後の「 贈る言葉 」を私に投げかけます・・
・・・・・・

 「 おめィはよ・・・・・・・ 」

ゆっくりと、一つ息を吐きながら・・・・・・・・

 「 おめィは・・・・・・・・ 」



        「 漫画家アシスタント もう終わりで章 最終回(後編)  」 へつづく・・・・

 
       ( いよいよ最終回の最終回ですが、アップはいつになるやら・・・・ )
 

         ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 最終回(前編)」へ戻る 】

 
 
 
  【 ※参照 】
 ・H雲・・・・・・・・1973年に「ビッグコミックオリジナル」に連載が開始かれてから44年、2017
  年9月、ついに完結して連載終了。斬新で特異なキャラクターで数回テレビドラマ化さ
  れた、この作品が好きで私はJ先生のアシスタントになりました。
 ・J先生・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊連載6誌
  という逸話もある。現在は長期連載を終え休養中。2017年現在、74歳。
 ・Mさん・・・・・・・・広島出身の漫画家アシスタント、Jプロでの勤続は私より1年ほど長い。
  拙ブログ本編でも以前に登場していただいた。個性的で気取らない性格で人から好か
  れるため、金はないが友人が沢山いる。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
   
 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
   詳しくは・・・ 《アマゾンのネット通販》
 
 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
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34 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-19 21:39:54
さすがですね、引っ張りますね!
返信する
赤塚先生の新人教育?だったのかも?? (オレンジB)
2017-12-24 21:41:11
上記の赤塚先生のエピソードは、他のマンガでも読んだことがあります

秋田書店★少年チャンピオンコミックス
「ブラックジャック創作秘話」より
(DMMの電子書籍のコーナーとかで、気軽に読めると思います)
何巻か忘れたけど、赤塚氏に関するエピソードがありました

当時、石ノ森章太郎先生のアシスタントをしながら、
自身の持込み用のマンガを描いていた永井豪(ながい・ごう)氏

多作の石ノ森先生のアシスタントの仕事が忙しいので
ページ数も少なく、描くのに時間のかからないギャグマンガで持ち込みをしていた。

ある日、赤塚氏から呼び出しを受け、会いに行ったところ
「なんで君は、人を殺すマンガを描くんだ!?」
「ギャクマンガの主人公は、健全でなければいけない!」
「健全な笑いを提供するのが、我々ギャグマンガ家の使命なのだ!」
と、散々怒られエライ目にあった。

赤塚氏を尊敬していた永井氏は、「とてもショックだった…」
「でも、それなら赤塚先生が描かないマンガを、自分が描けばいいんだ」と気が付いて

さらに不謹慎をパワーアップしたマンガ『ハレンチ学園』(スカートめくりで有名なマンガ)を描いたり
悪魔を主人公にした『デビルマン』を発表したり
(当時の少年マンガでは、ありえないことばかりをやってのけた)
自分のマンガの世界を確立していった……とのこと

「あの時の赤塚先生の言葉のおかげで、ボクのマンガの方向性が定まって、
一人前のマンガ家になれたんだ……」

※上記のエピソードは、Wikiでも紹介されていて、
「永井豪」で検索すると出てきます

※いわゆる「ときわ荘メンバー」という方たちは、
マンガにある種の理想(子供たちに健全な娯楽&教養を与えるもの)を
抱いていたのかも知れませんね
返信する
Unknown (匿名希望)
2017-12-25 12:55:19
漫画家に限らず能力と性格は比例しないのが
良く解かるエピソード群ですね
天才と狂人は紙一重って言いますし
偉人と呼ばれるような連中も経歴を調べると
ビックリするようなクズ人間だったりして
半ば呆れながらも笑えます
イエス小池さんのブログに登場する漫画家の
マジクズ・エピソードを纏めたら
ケネス・アンガーの怪作ハリウッド・バビロン
ならぬトキワ・バビロンとして一冊の本に
なりそうですねぇ~♪
競争が激しい漫画業界でJ先生が生き残れたのは
彼特有の太々しさがあったからだと思います
実際、作品内にも図々しさが溢れてましたもの。
返信する
Unknownさん、オレンジBさん、匿名希望さん、コメントありがとうございました! (yes)
2017-12-26 02:47:21

 >Unknownさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご感想をありがとうございます。

すぐ終わらせるつもりでいたのですが・・・・・・つい長くなってしまい
ました。

伸びてしまったラーメンの様にならないように気を付けます!


 >オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >赤塚先生の新人教育・・・・・・

確かにその可能性はあると思います。

ただ、見ず知らずの赤の他人(ライバル)に対して、面倒な「教育」
なんかしていられるほど余裕があるのかどうか・・・・・・

ただ、一つ言えるのは、こうした逸話は、結果として大成した人だか
ら語られるのであって、氏のキビシイ批判で潰れてしまった人の話は、
ほとんど語られる事もなく終わってしまっているだろうという事です。

私は氏がいじわるなんだとは思いません・・・・・・・・ただ、切迫した状況
(生存競争の中)で、売れっ子漫画家といえども常に崖っぷちで生き
ている・・・・・・・って事の現れなんだと思います。

私は、大御所であろうと小御所であろうと、なめてかかると大ケガ
する剣客の様な気がしてならないのです。

彼らの周りって、目には見えませんが死屍累々たる有様なんじゃない
でしょうか。

うちの師匠なんかもその典型で・・・・・・・・・私も初見でぶった切られた
し、何人もの人が生涯忘れられないほどの傷を(たぶん)受けたのを
見てきました。

機嫌の悪い作家って、狂犬病の犬に似てるかも知れません・・・・・・・・・!

ちなみに、永井先生と一緒に石森プロでアシスタントをしていた人の
話を聞いたことがありますが・・・・・・・・・

永井先生は、凄くやさしくて忍耐力のある人で・・・・・・・・・とても良い
人だそうですが・・・・・・・・・一緒に働いていた人は、仕事と人間関係に頭
にきて石森プロを夜逃げしました。

永井先生は、忍耐力、そして何よりも倒れてもただでは起きないタフ
なところがあるんでしょうね・・・・・・・・・私なんかまったくないですけ
どね!

ただ、落ち込んで時間が経つのを寝床でやり過ごすだけ・・・・・・・・・いつ
もそんな感じでしたから、「これも先生のあの叱責のお陰です」なんて
気分にはなれないんですね。(T_T)


 >匿名希望さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご感想、ありがとうございました。

作家というのは、スッポンポンで街中を歩くようなものだ・・・・・・・っ
て、よく言われます。

恥ずかしい思いを忍んで内面を描いているところがあるんですが・・・
・・・・・・時には、その事で周りの人を深く傷つける事だってあるわけです。

裏も表もさらけ出さないと本物になれない・・・・・・みたいな。

緊張感は、24時間続き、常に「普通」であることを否定し続ける・・・・
・・・・・・

「いい人」を演じている余裕なんて無くなっちゃうんじゃないかと・・・・
・・・・・

私は、J先生のそばに40年近くいて、つくづく「普通」とか「凡人」の
幸せってのがあると思い知らされました・・・・・・・・・・・・その幸せってのが、
ホント、素晴らしい事なんだって!

いよいよ、このブログも終わりですが・・・・・・・・・・・・最終回の本編で、この
あたりの話もしてみたいと思っています。

つまり・・・・・・・・・・・・先生と私にとっての最終的な結論ですね。

返信する
迅速な返事ありがとうございます (匿名希望)
2017-12-26 10:20:47
漫画で自分の本音を赤裸々に描くのは作家にとってもキツイでしょうね後編も楽しみに待ってます
返信する
タイ王国の質問 (オレンジB)
2017-12-31 11:45:52
いつもながら、しょーもない質問をば

日本では、今お正月ですが

●質問1:タイ王国の正月は、いつ頃ですか?
(補足:東南アジアだと、正月は旧暦で)
(いまのカレンダーだと2月くらいにやりますよね)

有名なのが、ベトナム戦争のころの「テト(正月)攻勢」
2月の初めは、旧暦の正月だから
アメリカ軍も北ベトナム軍も、お互い『休戦』にしましょう

と話がついてたのに、北ベトナム軍は
『正月休戦』で油断しているアメリカ軍に総攻撃をかけてきた

多くのアメリカ兵が、休暇でアメリカ本国へ帰省したりして、
油断していたアメリカ軍は、大損害を受けた
(その後、なりふり構わぬ猛反撃で、北ベトナム軍を撃退した)

タイ国も2月ごろに、お正月をやるのでしょうか?

●タイ料理で自分の好きなメニューは『ガパオご飯』
(白いご飯の上に、ひき肉のそぼろ肉があり、さらに)
(半熟の目玉焼きが載っている料理)

ガパオご飯の上に「半熟の目玉焼き」が載っているのは
じつは日本だけ、(本場のガパオご飯は目玉焼きなんかのらない)
そうですが、そんなモンなんでせうか?

※タイ国のマクドナルドへ行くと、ドナルド(マクドナルドの公式キャラクター:赤毛のピエロ)
が両手を合わせて「ナマステ~と」お辞儀をしている
等身大の人形が置いてあるそうで、

自分たちのやり方を押し付けないで
現地に合わせるマクドナルドは、
エライなぁと、感心してしまいます……
返信する
匿名希望さん、オレンジBさん、コメントありがとうございました! (yes)
2017-12-31 20:24:54

 >匿名希望さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分にとって都合の悪い真実を書くことは、なかなか出来る事ではな
いと思います・・・・・・私だって出来ません。

作家って、ある様な嘘をつき、ない様な本当の事を書く・・・・・・・とても
上手にやってのけるんですよね。


 >オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >正月は、いつ頃ですか?

日本のお正月とは雰囲気が全然違いますが・・・・・・・一応「年越しのお祝
い」があります。(12月31日の夜から、年明けまで)

だいたい、タイでは、クリスマスがあるんですが・・・・・・・24日から年末
年始にかけてもクリスマス気分が続きます。

年越しのパーティーでもクリスマスパーティーの雰囲気でやるわけです。

飾りつけもクリスマスそのものだし、プレゼントの交換みたいな事もや
ります。

外国人観光客にとって、街中でお正月が過ぎているのに「メリークリ
スマス」の飾りや、ツリーが飾られているのを見て、「?」と思う人が
多いと思いますが・・・・・・・

このゴチャ混ぜ感こそ、タイらしさなんですね。

ちなみに「旧正月」を祝うのは、華僑系の人達でチャイナタウンなんか
は爆竹鳴らしてうるさくなります。

日本人にとってお正月は、静かにお屠蘇を飲んだりして、家族や親類な
どと新年のあいさつをするものですので・・・・・・・・・・・こちらのどんちゃ
ん騒ぎには付いていけません。

お正月の休日は、日本と同じ様な感じです。ここチェンマイには外国人
観光客だけではなく、バンコクからも大勢の観光客がきて、大変な騒ぎ
になります。

日本人にはピンとこないかも知れませんが・・・・・・・・・首都圏やタイ南部
から涼しさを求めてやってくる人達なのです・・・・・・・・・・これがタイのお
正月なのです!

 >本場のガパオご飯は目玉焼きなんかのらない

お店によって違うみたいですね。

目玉焼きが付くお店と、付かないお店がありますよ。

私は、肉料理が苦手なのであまり食べません。

 >両手を合わせて「ナマステ~と」お辞儀をしている

「ナマステ」はインドですね。タイ語では「サワディー」って言います。

タイでは「マクドナルド」と言っても通じません!

なんでだか知りませんが・・・・・・全然通じません・・・・・・。

タイの人は、「マクドー」とか「マクドナー」って言ってますね。

返信する
マクドー (みみ)
2018-01-04 03:27:33
アメリカ・カナダでは、「マック・ダナー」ですね。
こないだ、テレビで「マックの業績が急回復--その理由はバンズを大幅改良したグランドビックマックのおかげ」って、やってました。
長く低迷したマックもようやく立ち直ってきたようです。
返信する
みみさん、コメントどうもありがとうございました! (yes)
2018-01-06 15:15:51

「マック・ダナー」・・・・・・・なんか、やっぱり、カッコいい・・・・・・・。

昔のマックは、どこか憧れがありましたが・・・・・・バブル崩壊以降は
安っぽくなってしまっていましたが・・・・・・・・

これからは、どうなるんでしょうかね・・・・・・・・

ちなみに、こちらのマックには、私の好きなシェークがありません
・・・・・・・・ちゃちなアイスクリームがありますが、あまり美味しくも
ないので淋しいです。

日本でマックシェイクをチューチューしたいです・・・・・・・・。

返信する
寒くなりました。 (しろちゃん)
2018-01-08 03:07:26
東京は昼8度、夜1度と寒くなりましたが、タイ北部はいかがでしょうか。
バンコクだとどうですか。
毒虫なんかは出ますか。
返信する

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