ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ          第四弾「オセロー」東京公演3

2006-08-31 23:04:51 | りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ
昨夜は、さすがに、気絶し(~_~;)アップ出来ませんでしたが、
3日目の舞台も素晴らしかったですよ~。
そして、完売と聞いて嬉しかった!!小さな空間だからこそ、
密度の濃い時間を舞台と客席が共有出来る利点もあるけど
こんな素晴らしい舞台を、もっと多くの人と分かち合いたいという想いもあり
(勝手に想っているワケですが)
空席があったりすると勿体無い!!って思ってしまうんですよね~。

ただ『他人は自分と違うし、自分は他人と違う』という事も
分かっているし、舞台に臨む姿勢は人それぞれと頭では理解していても、
30日は「余韻」を楽しむ、というムードが客席になくて(31日もだが)
その点結構ガッカリ、というかガックリ(-_-)
28日、29日@ソワレは、楽師が登場する前から、
静寂が客席を包み、これから始まる世界への共鳴が
すでに始まっていく感じだったのだけれど、
30日は、直前まで、いや楽師が切り戸口から登場しても
(少なくとも私の周囲は)
お喋りや、なにか自分のバッグをガサガサさせている音が続き
そして、それは舞台が始まっても収まらず…

一幕終了時も
満席という要因もあるし、洗面所激混みなので、
少しでも早く階下へということもあったのだろうけれど、
楽師の退場を待たず、席を立つ人続出。余韻、ゼロ。
29日までは、楽師さんが引っ込んで、さらに少しのタメが
客席にもあって…と、いい感じだったんですけどね~。
ちょっとグチっぽくて申し訳けないですが、
ここのあたりが、東京公演3日目にして、
個人的に感じた、イチバンの相違です。。。

さて、舞台の感想。

切り戸口から、楽師が登場した瞬間、まず、
衣装のカッコ良さに見惚れました。十分、一般人でも着れそうです。
深い美しい黒に見えたのですが(綺麗な黒って、凄く良い生地を使わないと
出ないですよね。)実際は「紺」だそう。黒だと強すぎるのだそうです。
それぞれ微妙にデザインが違って、アンシンメトリーなのに
何故か四人揃うとシンメトリーに感じてしまう、不思議なバランス。

新潟遠征者からのプチ報告で、面をつけて演奏している等
断片的な情報を貰っていた段階では、普通に能面を
(あるいは、能面からのインスピレーションの発展形)
を想像していたのですが、楽師たちが面に手を触れた瞬間
(ワタクシ、着席段階で太鼓の前に置かれていた面に気付いておらず)
白黒半々に塗り分けられたのを見て「オセロ―ってこれかいっ!」
と突っ込んでしまいました。

「面」という語感より「仮面(マスク)」と言いたい感じ。
シンプルなのに、東洋的でもあり西洋的でもあり、アフリカ的でもあり…
能舞台であることにもマッチするし、(マスクの本場)ベネチィア的でもある。
楽師にあの面を付けさせたことは、ものすごい含みと効果があると感じた。

笑也さんのブログによると、
2回公演だった29日は体力的に相当キツかったようで、

>舞台後方で楽器を奏でている楽師の女の子の一人が、
>過呼吸で倒れそうになったり

との記述がありました。“マスク”だしねぇ~~。

以前(プロのパーカッション奏者の方の発言だったと記憶)
“打楽器”がたぶん人類の楽器の事始(ことはじめ)だろう
という記述を目撃したことがあります。
何かモノを叩いて音を出す、という単純さ。(“手を叩く”も、アリかも?)
でも、楽しかったんだろうな~(笑)
原初的な感覚を呼び覚ます太鼓の音と、
心象と現象を代弁するような、
(たぶん)アフリカのマリンバorカリンバの音色。
バラフォンの小さいのも使用かな?
も~ホント、りゅーとぴあの女優さん、なんでも出来るのね!ブラバー!!
先の記事にも書いたけれど、貴女たちは、この舞台の堡塁です。

そして、今回、もっとも共感出来た登場人物(人?)バーバリーの悪霊。
彼女の歌声に感応し、彼女の涙と共に泣く自分。
自分が失ったと同様、他人にも失って欲しい。
そうすれば、自分の悲しみと同化出来るから。
或いは、自分の悲しみを昇華出来るから。

柳の歌が、どうしてこれほど胸の奥深いところを、撫でていくのだろう。

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