ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

スーパー喜劇狸御殿【松竹座公演】4

2005-12-04 23:25:12 | その他の演劇
相馬家の女主紫さんは、さすがにピッタリと格がハマります。
芸質的に、ベタなギャグや、そういうテンポにはノリにくい?
ように感じるので、クシャミのあたりのウケ狙いは不要かな~。
九尾の狐の本性で、くだけるだけで、十分ギャップの面白さは出るし。

紫さんの芸風にまったく愛嬌がないということでもないのですが・・・
(残菊物語で拝見した、居酒屋の女将さんは良かった。
でも、キップの良さ、という部分以上に、やはり、
五代目との対峙など大きさが必要な場面の方が際立ってはいました。)

門之助さんの、一富士(岩藤かいっ!とみなさんマイ初見では、
ツッコンだと思いますが・笑)も、歌舞伎のベースを保ちつつ、
直美さんにアドリブ入れられる部分も衒いなく
(鼻ネタは日々異なる♪)きっちり返しています。
澤瀉の役者さんが裃つけてズラーっと並んでいる姿を観ると、
なにか懐かしい感じもして。

寿猿さんは、まったくの歌舞伎の忠臣。
そして、立ち廻りもあって大奮闘です。
春猿さんも歌舞伎の女形の典型ですが、
直美さんとの絡みでは、さんま御殿に重用される(?)
反射神経の良さを発揮。掘外での、やりとり、絶妙~

直美さんが這いつくばって、春猿さん@九重に、雇って欲しいと頼むあたり
(頼むというより新手の脅し!?(゜o゜))
春猿さんが、思いがけず笑ってしまった~という感じで、
直美さんを見下ろし、「ごめんなさい・・・」と
袖で顔を隠し後ろを向くのですが、
ここで、観客は、春猿さんが堪えきれず、
マジ吹きしてしまったのではないかしら?と、
それがまた面白く笑ってしまう、といった感じなのですが、
毎回(少なくても私が観た範囲では)同じタイミングで、
同じような所作・台詞を返しているので、たぶん、アドリブではなく、
「アドリブに見える演技」の方だと思う。
(納涼歌舞伎あたりで、勘三郎さんたちがよくやっている手法。)

ここと、この場の最後、空腹のあまり「描いたような木」(笑)
の前で倒れてしまった猿弥さん、の上に、
更に、赤い股引さらしてぶっ倒れる直美さんに、
もう、しょうがないわね~付き合いきれません!!といった風情で、
めくれ上がった着物を直してあげながら、
暗転の刹那ペチっと着物の裾を当てつけるあたりとか、
メチャクチャ、タイミングよくて、大爆笑。

春猿さんが「喜劇」的に絡むのはここだけなのですが、
だからこそ効果的。

結構、みんな色々やってしまいたくなってくると思うのですよねー。
こういうタイプのお芝居。慣れてくると、というか、ノッてくると。
でも、みんながみんな暴走してしまうと、芝居の軸がブレてしまうので、
そのあたり、右近さんも、きっちりしていてイイ感じです。
ちゃんと固定のウケだけに留まっていて。
(花畑の、「へぇ~」←きぬたが美貌の母親の一人娘と力説するのを受け
と「あ、洗える着物」と返す間がgood!!)

長屋でのやつしの姿も素敵でとっても似合っている。
根は良い人なのに、環境の変化で逆に
お坊ちゃま育ちの気質垣間見せ、雅楽平に「そこへ直れ!」
なんて云ってしまうあたりの芝居も上手い~。
白馬の王子様的な序幕での織部との対比が出る。

河太郎長屋なんて、時代世話というか、
歌舞伎でありえる場で、きぬたが健気に尽くす姿や、
雅楽平のきぬたへの忠義と恋慕、
平九郎達がきぬたを想う気持ちなどなど
喜劇的要素を含ませつつも、みなの「哀切」が浮き彫りになる場面で、
泣いたり笑ったり、観るほうも、それぞれの想いに巻き込まれてしまう。
きぬたの頬を打つ平九郎の心中、父の愛情を理解しながらも
それでも、狸御殿には帰れないというきぬたの切実さも…
長屋裏(?)も、ホント、ホロホロしてしまいます(/_;)。

長屋裏にセリ上がる白狐は、スーパー歌舞伎チックな登場ですが、
この、一見何もしていないように見えるところで、
もっとも芝居が伝わる笑也さんの本領発揮!!

場面的には前後しますが、伏見稲荷は微妙~(~_~;)でしたね。
白狐の出は、やっぱり「綺麗~!!」が第一声になってしまう、
持ち前の美貌が際立つ笑也さん。その外見とウラハラに、
江戸前、弁天調の造形は意表を衝いていて良かったし、
剣を貸す貸さないで、すかす間とかも面白かったのですが、
肝心の(?)仕込みネタが不発…

個人的な好みもあるかもしれませんが、お笑い芸人ネタの連発は、
(大阪22、23日の観劇と友人らからの楽報告では)
逆に、ポイントが中和されて薄まるし、ネタ間?の繋ぎが良くない。
直美さんとの丁々発止のやり取り(←メイン)の中に、
スパイス的に一、二個投入されるなら、ネタもアリかとも思うのですが、
ちょっと本末転倒していて、ネタ披露?に重心が傾いていたような・・・。
23日は、仕込みの吹き戻しも上手く作動してなかったし。(楽も)
その間、芝居が止まってしまった(みんなが待ってしまった)部分もあって・・・

大阪はよく、笑いに厳しいと言われているけれど、
反面、優しい、とも私は思います。スベったり、不発だったりしても、
「しょーもないな~」的に、結構、ウケてくれるというか見逃してくれるし、
「しょーもない」というツッコミは、
実は優しいフォロー(?)でもある、と思う。

ただ、ネタそのものより、あの外見とのギャップという点での面白さ、
えっ?この綺麗なヒトがそんなことする!?的な妙というのは
あるのかもしれません。
でも、笑也さん、本来は持ち味の品が良いので、
HGとかね、そういうのは個人的に凄く違和感。
飛び道具(爆)使用とか(~_~;)

喜劇の技術の中での面白さと、ネタと、芝居の部分
―きぬたのどの一言が白狐を怒らせ、ヘソを曲げさせ?
マジ刀貸さないっ!(笑)となるか。アドリブ合戦←仕込みだとしても~から、
ネタのドタバタから流れて、そういう結果?になるのではなく―
もっと、その経緯もメリハリつけて見せてくれれば、
二幕ラストで、きぬたが手を合わせ謝り祈ることと、
白狐のセリ上がりが、より生きてくると思う。
(東京で、このあたり、改善されてました。)

単に意地悪で貸さないのではなく、
人間って他力本願で、しかも、困った時の神頼みばかりで、
その後の感謝の心は持たず、かつ、お願いに来ているはずのきぬたに
ムカつくこと言われ、白狐にも貸さないだけの理由、
意固地になってしまう理由も十分ある、って分かるような「対決」、
芝居の部分。でないとホント、ただの根性ワル狐、ですからね~。

ぐっと魂鷲掴みっていうタイプのお芝居ではないけれど、
胸の上にふっと優しく手を置かれるような、
リラ~ックスして楽しく観れる、
なにか、和みと癒しを与えられるような、親和性の高い舞台。
宙乗りでも、エンディングの満月祭でも、
自然発生的に手拍子が沸いていた。

そして、直美さんの猿之助さんへの秘められた想いも、
猿之助ファン的には凄く伝わってきて、
「あっ猿之助さん!!」の台詞には初見時、つい振り向いてしまったし、
小栗判官や赤門のだんまり(@加賀鳶)、再岩藤の入れ事や、
大詰の「今ここに居てない人と、ここに居る皆の(幸せを祈る)」
の文言には泣けてしまう。

もちろん、劇中としては織部へ馳せる想いなのだけど、
今、この場には不在の猿之助さんと、
猿之助さんの不在の間にも頑張っている一門の役者さんへの
暖かい励ましに聞こえる。

直美さんは「猿之助さんのお許しを頂いて上演の運びとなった。」
と言って下さっているけれど、
直美さんのような座頭級の役者さんの引きがなければ、
なかなか現在の状況で、一門の興行を打つのは難しいと思うので
(素人が差し出がましいこと言って失礼なのは重々承知の上で
あえて書かせて頂いてますm(__)m)
直美さんには、感謝の気持ちで一杯です。
この、ほのぼのと過ごせる時間を持たせてくれるお芝居を観られること、
おもだかの役者さんとの共演、心から感謝

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