紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

センバツ開幕!宇部商業高校応援歌と高校野球と小森真理子琴感動

2011-03-23 04:50:57 | Weblog
 
宇部商業高校応援歌と高校野球と小森真理子琴感動 
安田紘一郎雑記帳


今年もセンバツ高校野球が始まった。

忌まわしい「大震災」に負けずに選手諸君は頑張って下さい。

高校野球の春の大会、夏の大会を問わず、開催前後に
頭をよぎる思い出が、私にはあるのです。

1958年(昭和33年)もう遠い昔の思い出ではあるが、
私には昨日の出来事の様にその時の情景が浮かんでくる。

当時、野球で全く無名であった母校「県立宇部商業高校」が、
その年私の同期の野球部が大変強く、県大会などの実績で
夏の高校野球選手権の県代表候補のトップとして期待されて
新聞などでの評価も一番候補でした。

卒業後「広島カープ」に入団した「宣山投手」を中心に
我が盟友で遊撃手、一番バッターの「浜野君」をはじめ
「藤井・小西・中村君・・・」など、後にアマチァ野球界で
活躍をした選手も多くいて素晴らしいチームであったと記憶しています。

甲子園初出場の期待が膨らむ中で、問題がありました。

宇部商業高校の校歌はありましたが「応援歌」が見当たりません。

甲子園に出場しても「ラッキーセブン」に合唱する歌が無いのです。

そこで慌てて学校内に「応援歌の詩」を募集し急遽「応援歌」を
創ることになりました。

私も懸命に考えて作詞をし応募したのです。

暫くしてから「応援歌担当の教師」から
「安田君、君の詩を応援歌に使わせてもらうよ!」と
声をかけられたのです。 勿論、大感激したことを覚えています。

宇部商高校応援歌 安田紘一郎 作

          一 光輝ある 緑ヶ丘に
           伸びゆく 我等 宇部商健児
          みよ大空に はためく校旗
         これぞ我等の シンボル
       宇部商 宇部商 おお宇部商

【2番・3番は宇部商業高校㏋にお進み下さい】

作曲も私の全く存知上げない方ですが「阪井美奈子先生」と
いう方に決まったことは、後日に知りました。

残念ながら「母校、宇部商業高校野球部」は県大会で優勝できず
甲子園出場かなわず、応援歌も一度も歌われることもなく
私の在校時代では「まぼろしの歌」となりました。

果たしてどんな曲かも知らずに卒業したのです。

母校が県大会で優勝出来ず、
甲子園出場が出来なかったことは仕方なかったのです。

山口県代表のその年の夏の甲子園は、優勝候補の
「我が母校の宇部商」に変って出場した「柳井高校」で、
後に「法政大学野球部で活躍した「友歳投手」を擁し、
あの超高校級の「坂東英二投手(今、タレント)」
徳島商業を決勝で破って全国優勝したのです。

母校も甲子園に出場していたら、相当勝ち進んだ事でしょう!

そして私の作詞した応援歌を甲子園で始めて耳にしたのは
”8年後”の1966年【昭和41年】の春のセンバツ大会で
宇部商業高校「甲子園初出場」のときでした。感動しました


菊永監督のもと、後に宇部商の監督となり甲子園常連校に
育てた「玉国光男氏」が「キャップテン」でありました。

応援歌の曲を知らない私は「歌詞カード」を握り締め
後輩達の歌にあわせて声を張り上げていました。

あれから1985年(昭和60年)、あの清原、桑田のPL学園との
劇的な決勝戦も含めて「12回の甲子園」で「31試合」も
私の応援歌をアルプススタンドで歌ったのです。


センバツ高校野球が始まりました。
宇部商は出場してませんが、想定外の震災から復興する
日本の元気を「甲子園」での若者達に期待する一人です。

【オーイ、宇部商の甲子園でのユニフォーム姿、
 暫く見ていませんが・・・待っちょるぞ!】


安田紘一郎雑記帳

先日投稿致しました「琴感動・小森真理子さんからの案内状」で
「凪の会コンサート」に行きましたが
そのメンバーの琴の奏者に「宇部商の後輩・谷口奈津江さん」の
「笑顔」みて「母校宇部商」を思い出し、
そして10日後のセンバツ開催と併せて懐かしく投稿致しました。

いつもこの時期に思うことも今年の感動はひとしおです。

谷口奈津江さん



【谷口奈津江さん邦楽アンサンブル「KOTO琴」頑張れ!】
【小森真理子さん、琴感動ブログ見てますよ!】
 お二人に・感動有難う!


小森真理子さん

※小森真理子さんの「HP」
【小森真理子 琴感動 正式サイト】をご覧下さい
http://koto-kandou.com/







最新の画像もっと見る

コメントを投稿