紘一郎雑記帳

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清原逮捕に思う   紘一郎雑記張

2016-02-05 00:50:20 | Weblog

 清原容疑者逮捕に思う   
紘一郎雑記張

 清原容疑者逮捕 
「1人ぼっちで部屋にいる」 「寂しかった」
孤独のなか息子、母親を思い…
 

 かつて栄華を極めたのスーパースターは、
逮捕される前から落日を感じていたのだ。

清原和博容疑者は、昨年11月に立ち上げたブログを
逮捕直前まで続け、計190回以上更新した。

離婚以来、なかなか会えない息子たち、
認知症の母親、野球界の先輩への思い…。
現役時代から想像できない孤独な姿だ

今、1人ぼっちで部屋にいる 今年はあと一回だけ
 さみしい・・本当にさみしい

これが昨年12月14日、
清原容疑者は簡素な言葉で自身の心境を投稿した。

この日は妻と離婚して以来、別々に暮らしている
2人の息子と久しぶりに再会した。
「今年はあと一回」というのは、
息子と面会できる回数のようだ。

久しぶりに息子たち3人で焼き肉を食べた 
あっという間に時間が過ぎた 別れ際に
最後まで手を振る2人に涙がでた

そしてブログには認知症の母親に
「あんた、わたしの子か?」と聴かれて
涙を流したことも打ち明けている。

「いっそ死んでしまおうと思った」
その時の清原の本当の心境だろう。

ブログには血だらけになった手の写真が映し出されていた
自分に腹がたち、何かを思い切り叩いたのであろう。

傷ついていたのは現役時代、
数々の本塁打をたたき出してきた右手だった。

3日以降、ブログは閲覧できなくなっている

私は思い出している。
1985年8月21日・甲子園球場
清原PLは、私の母校「宇部商業高校」と夏の甲子園の決勝で対決、
接戦(4対3)で我が母校は惜敗し優勝旗は逃したが、
あのPL学園のKK(清原・桑田)コンビの強さに
母校の健闘と同じほどの拍手を贈ったのだ
憎らしいほど力強く、そして爽やかでもあった。

清原は燦然と真夏の甲子園で耀いていた!
敵ながらあっぱれであった。

しかし、順調にきた清原の人生が少しづつ狂い始めたのは、
その年のドラフトで巨人の指名を確信しながらも、
巨人に指名されなかった瞬間からではないだろうか。

その時巨人軍は桑田投手を指名した。
あれから31年・・時は過ぎてゆく。