「西郷隆盛の首」は本物だった
紘一郎雑記張
千田登文履歴書
137年前の西南戦争で敗北、切腹した西郷隆盛の首を発見した
当時の官軍の将校が書いた「履歴書」が、金沢市の実家で発見された。
その具体的な記述から、鹿児島市の南洲墓地に眠る「西郷の首」は
本物であることが明らかになった。
「西郷の首」は明治10年9月の西南戦争の鹿児島・城山の戦いで、
西郷が切腹した後に、官軍の将校によって発見、
官軍の指揮官だった山県有朋らによって確認され、胴体とともに
鹿児島市の西郷南洲墓地に埋葬されたとされていた。
しかし、一部には未発見説、偽物説があり、
西郷自身の生存説も流布された。
今回、発見されたのは、当時、金沢の陸軍歩兵第7連隊の中尉だった
千田登文(せんだのりふみ)が大正の末から昭和の初期にかけて、
陸軍に提出するために書いた「履歴書」。
その中に
「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」「探索ヲナシタルニ、
果シテ門脇ノ小溝ニ埋メアルヲ発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、
浄光明寺ニ到リ山県(有朋)参軍、曾我(祐準)少将ニ呈ス」
ときわめて具体的に書かれている。
「履歴書」の記述によって、発見、埋葬された首が
本物であることがはっきりしたことで、
「西郷の首」伝説は終止符を打つことになった。
千田は、弘化4(1847)年、加賀藩士の子として生まれ、戊辰戦争、
西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍、昭和4年に81歳で死去した。