前回エントリのコメント欄にも書いたが、私の小学校5~6年のときの担任は、「叩く専用棒」というものを常に所持していた。最初は、直径2~3センチくらいの木の棒をもっていたような気がする。だが、ある日、細い、しなる窒フ棒の先の部分に、ひどく固い黒いもの(固く重いゴムのようなもの?)をつけた棒を開発してきた。そんなものが商品として売っているわけもなく、わざわざ工夫して、叩くためだけの用途に作ってきたわけだ。窒ナしなり、先についているものが重いため、反動もついて叩く側はほとんど力を入れる必要がない。何度でも苦労なく叩ける。だが、その反動と、棒の先についている固いもののために、叩かれる側は非常に痛いという代物なのだった。そしてその棒を開発した彼は、かなり自慢気だった。
この棒でどこを叩かれるのか?頭である。頭をそんなに固いもので叩かれれば、当然、コブができる。当時の私の頭はコブだらけだった。毎日のように学校でコブを作ってくるので、痛くてお風呂で髪を洗うのも一苦労だったのだ。
いつ叩かれるのか?理由は何でもアリだった。はっきりいって、教師の機嫌次第だ。怒れば叩かれる。というわけで、毎日の最大の関心事は教師の機嫌といったような子どもたちが養成されていた。
だが、その「叩き棒」は、感情的に怒るときに利用されるというより、むしろ日常生活で、「冷静に」利用されるものと化していたように思う。例えば、月例テスト、という毎月行われるテストがあった。漢字と計算のテストで、前もって問題がわかっているテストなので、間違えてはならない、とされていた。でも当然、間違えることだって大いにある。そして、間違えた分、「叩き棒」で叩かれることになっていた。ある時期など、一問間違えると、100点満点のマイナス5点で、95点になるのだが、「マイナス5点」分、あわせて5回、その叩き棒で叩かれる、ということになっていた。せめて1問間違えたら叩くのは1回にしてほしい、、と思ったのを覚えている。こんな調子で日常的に叩かれるのだから、頭がコブだらけになるのも当然だ。
その他、棒を使わず、ゲンコツで殴るというパターンもあったし、平手打ちビンタもあった。ケツバットなんて甘っちょろい(?)体罰は少なく、ほとんど顔か頭を叩くというパターンだった。
ある時、なぜだか忘れたが、校庭で私を含めた女子生徒4~5人に対して、教師が烈火の如く怒りはじめたことがあった。彼は「そこに並べ!」と言って、私たちを並ばせた。そして、一番端に並んだ生徒をものすごい勢いで平手打ちした。彼女はその勢いに耐えられず、ふらついてよろけた。するとその教師は「なにふらついている!たるんでいるからだ!」と言い放ち、再度ものすごい勢いのビンタをした。彼女も、そしてそれを見て、次に殴られるのは私だ!とわかっていた私たちも、意地でもよろけてはいけないのだと余計恐ろしくなったものだ。どう考えても、完全に軍隊ノリである。
殴る系体罰のほか、前にも言及したが、正座もよくあるパターンだった。教室や廊下での正座、校庭での正座(小石などがあるため、けっこう痛い)、そして、なんと遠足の際、バスの中で正座させられたこともあった。そして、殴るにせよ、正座にせよ、連帯責任のために体罰を受けるということも日常茶飯事だった。例えばある生徒がひとり、集金を忘れてきたら連帯責任で全員数時間の正座。こんなことが日々行われていた。まる一日正座の日、なんてのもあった気がする。
前回ご紹介した、国会での議論にも少々出てきていたが、声が小さい、というのは怒られる一大要因だった。卒業式などの式典練習の際、「はい」という返事が小さい、というだけで、何度も何度も繰り返し練習させられ、怒鳴られたり殴られたり。
小学校時代に関しては、体罰を受けるのに男も女も関係なかった。ある意味、「ジェンダーフリー」に体罰を受けまくっていたのだ。そして、たまたま私の担任は男で体罰愛好家であったが、ほかのクラスの女教師にも、体罰愛好家はいた。
あの頃の八千代市の小学校教育は、国会でも話題になるくらいなのだから、確かに異常だったのだろう。なぜ八千代市が、そして千葉県があの頃、こういう状態になっていたのだろうか?教育委員会がおかしかったのか、教員養成システムが変だったのか、それとも他の理由によるのだろうか。
体罰編として一気に書くつもりが、小学校だけでこんなに長くなってしまった。。中学校でも実はかなりおかしな経験をしているので、次回はこれまであまり出てこなかった、中学、そして高校について書こうと思う。
この棒でどこを叩かれるのか?頭である。頭をそんなに固いもので叩かれれば、当然、コブができる。当時の私の頭はコブだらけだった。毎日のように学校でコブを作ってくるので、痛くてお風呂で髪を洗うのも一苦労だったのだ。
いつ叩かれるのか?理由は何でもアリだった。はっきりいって、教師の機嫌次第だ。怒れば叩かれる。というわけで、毎日の最大の関心事は教師の機嫌といったような子どもたちが養成されていた。
だが、その「叩き棒」は、感情的に怒るときに利用されるというより、むしろ日常生活で、「冷静に」利用されるものと化していたように思う。例えば、月例テスト、という毎月行われるテストがあった。漢字と計算のテストで、前もって問題がわかっているテストなので、間違えてはならない、とされていた。でも当然、間違えることだって大いにある。そして、間違えた分、「叩き棒」で叩かれることになっていた。ある時期など、一問間違えると、100点満点のマイナス5点で、95点になるのだが、「マイナス5点」分、あわせて5回、その叩き棒で叩かれる、ということになっていた。せめて1問間違えたら叩くのは1回にしてほしい、、と思ったのを覚えている。こんな調子で日常的に叩かれるのだから、頭がコブだらけになるのも当然だ。
その他、棒を使わず、ゲンコツで殴るというパターンもあったし、平手打ちビンタもあった。ケツバットなんて甘っちょろい(?)体罰は少なく、ほとんど顔か頭を叩くというパターンだった。
ある時、なぜだか忘れたが、校庭で私を含めた女子生徒4~5人に対して、教師が烈火の如く怒りはじめたことがあった。彼は「そこに並べ!」と言って、私たちを並ばせた。そして、一番端に並んだ生徒をものすごい勢いで平手打ちした。彼女はその勢いに耐えられず、ふらついてよろけた。するとその教師は「なにふらついている!たるんでいるからだ!」と言い放ち、再度ものすごい勢いのビンタをした。彼女も、そしてそれを見て、次に殴られるのは私だ!とわかっていた私たちも、意地でもよろけてはいけないのだと余計恐ろしくなったものだ。どう考えても、完全に軍隊ノリである。
殴る系体罰のほか、前にも言及したが、正座もよくあるパターンだった。教室や廊下での正座、校庭での正座(小石などがあるため、けっこう痛い)、そして、なんと遠足の際、バスの中で正座させられたこともあった。そして、殴るにせよ、正座にせよ、連帯責任のために体罰を受けるということも日常茶飯事だった。例えばある生徒がひとり、集金を忘れてきたら連帯責任で全員数時間の正座。こんなことが日々行われていた。まる一日正座の日、なんてのもあった気がする。
前回ご紹介した、国会での議論にも少々出てきていたが、声が小さい、というのは怒られる一大要因だった。卒業式などの式典練習の際、「はい」という返事が小さい、というだけで、何度も何度も繰り返し練習させられ、怒鳴られたり殴られたり。
小学校時代に関しては、体罰を受けるのに男も女も関係なかった。ある意味、「ジェンダーフリー」に体罰を受けまくっていたのだ。そして、たまたま私の担任は男で体罰愛好家であったが、ほかのクラスの女教師にも、体罰愛好家はいた。
あの頃の八千代市の小学校教育は、国会でも話題になるくらいなのだから、確かに異常だったのだろう。なぜ八千代市が、そして千葉県があの頃、こういう状態になっていたのだろうか?教育委員会がおかしかったのか、教員養成システムが変だったのか、それとも他の理由によるのだろうか。
体罰編として一気に書くつもりが、小学校だけでこんなに長くなってしまった。。中学校でも実はかなりおかしな経験をしているので、次回はこれまであまり出てこなかった、中学、そして高校について書こうと思う。
さん、どうして体罰の対象になったのか、ちょっと意外でもある、、。
べんなく体罰の対象なのですよ~。そこがまた、千葉管理教育のすごいと
ころでもあり・・。
彼もこの洗礼をうけてきたのかと思うと急に尊敬したりして
yamtomさんよりは少し前の年代だけど
けっこうオシャレな人だった(≠センスがいい))ようで、教室でしょっちゅう着替えていました。
教員のための更衣室がなかったというのも問題だろうけど、そもそもそんなにしょっちゅう着替える必要があるのか?
たぶんオーダーと思われる身体にぴったりとしたプリンセスラインのワンピースが多かったのだけど、自分で後ろのファスナーがあげられないので、たいてい一番前の席の子に上げさせていた。
これもキッチリとジェンダーフリーで男女関係なく一番近くにいる子にやらせていたんだよね。
やだね~今なら、セクハラじゃないのかぁ~
う~ん なんか、ただのヘンな先生だったのかなぁ
ここで問題にしてることと、ビミョウにずれてきたやうな…
でも、日頃の管理教育が徹底しているからそういう小間使い的なこともシブシブながらうけいれてしまうんだよね…
は、もっともっと語っていったほうがいいのかもしれませんね。とくに
「愛国心」云々だのという話も出てきて、あの管理教育状況=愛国心養
成軍隊式教育の復活がまったくありえない話ではないのではないかとい
う気がしてしまうんです。
『教育工場の子どもたち』私読んでないのですよね。今度日本に行った
時、何とか手にいれたいと思います。
密告するクラス空間というのはまさにそうで、下校前の学級会の時間は
密告会と化していました、そういえば。自分もその空間の中に馴染んで
いたのを思うと、本当に恐ろしいことです。
私の当時の担任も、当時は最も熱心な先生ということになっており、主
任などまかされていました。その後、あまりの体罰ぶりが問題となっ
て、現場を外されたという噂を聞きましたが、どうなったのか。。
あっぷあっぷさん、先生って管理教育状態の中ではとくに、絶対的な権
力者だから、ノーとはいえなくなるんですよね。ノーと言ってしまった
ら、自分への被害が拡大するばかりだし。
八千代の管理教育、80年代にはすでに国会ネタということは、少なくと
も70年代中盤くらいから盛んだったのではないかと。。同僚さんにその
うち、管理教育話聞いてみてくださいな~。
僕も千葉県出身(といっても太平洋側ですが)なんですが、千葉が管理教育という認識はありませんでした。僕の小学校のときの担任は「叩く専用棒」として、OHP用のスクリーンを引っ張りおろすのに使う引っかけ棒を愛用してました。中学校までは忘れ物などのペナルティとして「体罰」は、ごく普通だったのですが、いま思うと結構ヘンな環境でした。
ですか~。それがあるのが普通な環境でしたよね。。私も当時は何もへん
だとは思わなかったのです。人に経験を話して、はげしくびっくりされ
て、初めていかに異常だったかがわかった感じでした。
生徒を叩くのにも使われるのですね~
私が教師に手を上げられたのは一度だけで、愛媛県の管理教育に心酔する中年女教師(当時バツ3。その後再婚)から、教科書を忘れたのを理由に拳骨で頭を殴られたのですが、直前におなじく教科書を忘れてきた美形の男子生徒に「まあ、忘れたらダメよ~」と猫撫で声を出していたので、あまりの露骨なエコ贔屓に、怒りより笑いがこみ上げてきました。
この先生は、黒レースのブラを「ちら見せ」するVネックのセーターや網タイツを学校に着て来る、相当溜まってそうな人で、美少年は露骨に贔屓し、愛嬌のないブ男の生徒や、お洒落に関心のある「色気づいた」女生徒をいじめまくる、あまりにも分かりやすい人だったので、全生徒&教職員一同で嫌っていましたが、どうしても憎むことはできませんでした。私の郷里には、この手の本能むき出し&欲望に忠実な原人みたいな人(!?)が多いような気がします。(さすが元・流刑地?!)「自分の人生がつまらないから、生徒の学校生活もできるだけ不快にしてやろう」みたいなマイナス思念に凝り固まった人はあまり見かけません。
この先生が入院した時は、生徒の多くが数名のグループでバスを乗り継いでお見舞いに行き、先生のブリブリのネグリジェや、若い医師に色目を使う様を詳細にレメ[トしてくれました。お宅にお邪魔して、総レースのナイティーの数々まで見せてもらった子もいます。先生の姿が遠くに見えると、「少女A」のメロディーで「寝ても醒めても男が欲しい とにかく若くて綺麗な男が欲しい」と大声で合唱したものです。緩いですね~