ふぇみにすとの雑感

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八千代市小学校管理教育関連の1980年国会議事録発見!

2006-06-06 01:25:38 | 千葉県管理教育関連
70~80年代の八千代市小学校の管理教育について、国会で話題になったという話を聞いたのを覚えていたんですが、ちょっとグーグルしてみたら、出てきましたよ!1980年参議院予算委員会でのやりとり。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/091/1380/09103211380012c.html
山中郁子議員の質問部分です。

とくに以下が、関連深い部分かと。
○山中郁子君 こういうことの小学校版と言えるものが、いまの背番号教育などという呼ばれ方で問題になっている千葉県の八千代市で広がっている事実です。具体的に申し上げますと、八千代台東小学校、八千代台東第二小学校、勝田台小学校、大和田南小学校、西高津小学校、この五校です、私の調査によれば、大同小異ですけれども。
 具体的に言いますと、授業中お隣の子にセロテープを貸してくれと言っただけで、しゃべったからといって一時間以上も口の中にチョークを押し込められるんですよ。そして清曹フときにバケツに水を入れて運んで水をたらしたということで鼻血が出るほど往復びんたを食う、これは実際にそういう事故があったんです。私はこのチョークを入れられた子供にも会って聞いてきました。それから並び方が悪いといってつねられる。忘れ物をしたといって一日漢字を百字、二百字宿題だということで課す。これがたまりたまって五千字の借金になっているとか、最高八千字の借金になっているという子がいます。それから、こういうことに違反したということで、給食のおかわりの権利を奪われる、また給食を半分にされる。こういう事態はどうですか、教育上、それから人権擁護の上から、それぞれにお答えいただきたいと思います。

○山中郁子君 それは事実ですから、重ねて申し上げておきますけれども、こういうことで生徒を管理するために、登校したら帰るまで全部運動着を着せるんです。そして背中に全部背番号をつけさせているんです。これ八千代台東小学校です。そして色と数字で何年何組のだれかということはすぐわかるようになっているのですね。それで全部全校的に毎日チェックをして、そして何年何組何番のということで全部集計するんですね。そうすると担任のところへ行く、担任はそれが自分の成績にかかわってくる、それで教師に対する評価になるわけですね。まさに私は背番号管理教育だと思いますけれども、こういう実態についてはいかがですか。


しかし、この前に言及されている、愛知の高校のケースもかなりひどいわ。。

今現在の、教基法をめぐる議論とも、やっぱりつながってきますね。愛知のケースは、ジェンダーがらみでもある。

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9 コメント

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Unknown (annntonio)
2006-06-06 05:51:53
「体罰」は標準装備されてましたね、ボクの小・中学校経験では…。プラスチック製の2メートルものさしをわざわざ半分に折って「殴る用」に常時携帯してた女性の先生が、5~6年のとき担任でした。▼ただ、伝聞なのですが、彼女は後に先生を辞めてしまったとか。「学級崩壊」を招いて心を病んでしまったと聞きました。…この彼女に起きた事態は、「暴力で黙らせる」という彼女の挙動が、子どもに「暴力でヒトに言うことを聞かせる」ということを学習させた(!)結果、束になった子どもの暴力を彼女自身が既存の方法=一人の暴力で御せなくなった、ともボクには読めるのですね。▼うーん、また嫌なことを思い出しました。ただ、暴力の個人に及ぼす影響の深さに思いを馳せると、あの頃から今は、どう変わったのかしら?と、確認をしなきゃと思うのです。…書き散らしました。失礼<(_ _)>
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Unknown (ともみ)
2006-06-06 06:29:53
annntonioさんの段ボール箱奥深くのくらーい思い出を思い出させてし
まっているようで、申し訳ない!しかし、「殴る用」棒は必需品でした
ね。私の担任男教師も殴る棒常時携帯派でした。本当に、今はどう変わっ
たのでしょうか?
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Unknown (Yoko)
2006-06-06 06:54:43
♪6月6日に雨ざあざあ 降ってるよ(笑)。
そういえば今日は皇紀2666年6月6日らしいけど、神社本庁的にはこれってメデタイんでしょうか?

それはともかく、今日6日付のクリスチャンサイエンスモニターに、「Inside and Other Short Fiction: Japanese Women by Japanese Women」って本が紹介されています。

Books
from the June 06, 2006 edition
New views of Japanese women
A collection of eight short stories offers a glimpse beyond the stereotypes.
By Terry Hong
http://www.csmonitor.com/2006/0606/p14s02-bogn.html

日本の女性作家8人(1人微妙な人がいるが)のアンソロジーのようです。
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Unknown (さいとう)
2006-06-06 08:53:41
これで思い出したのが、今から10年以上前、富山の小学、中学校での子
どもたちの体操服登校でした。登校から下校までずっとです。その体操
服には、背中に大きくゼッケン風に名前を貼り付けるのでした。この名
前を縫いつける際に、何か悪いことをしたらすぐにわかるという生徒管
理かなといやな感じを感じていました。今でもそうなのではないかな。
今度気をつけてみてみよう。
あと中学での丸刈り強制っていうのも富山の他市町村ではありました。
友人の息子さんがそれに反対して一人頑張られました。
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Unknown (ともみ)
2006-06-06 10:48:57
Yokoさんご紹介の本、授業で使えそうなものだといいんだけど。
チェックしてみます。
さいとうさん、富山は体操服登校ですか。だとすると「同室着替え」す
るまでもないねえ。
私も中学のときは、名前いりのゼッケンでした。コントロールっぽいの
もあるし、それ以前に「ダサイ」のもあって、嫌だったのを覚えていま
す。今もそうなのか、わかったら教えてください。
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Unknown (あっぷあっぷ)
2006-06-06 13:37:51
おじゃまします。6/3以降一気にまとめ読みしてしまいました。
なんか、T山県T岡市60~70年台の状況とかぶるものあるなぁ~
行間体操やりましたよぉ~(←なつかしがってる自分がコワイ)
ここに書いてあるほどの凄まじさはありませんでしたが、自分のおかれていた状況がエスカレートしていくとこういう風になるんですよね、きっと

罰としての漢字書きもありましたが、そのチェックは担任ではなく係りの子どもがしていたというのも今にして思うと異様
担任が居ない時の自習時間などは日直が行儀の悪い子をチェックして報告。報告された子のいる班は連帯責任で罰聡怩ネどさせられるから、自習時間はシーンと静まり返った教室でひたすら漢字を書いてたな
それでも悪い子の報告を担任は要求するから、一度なんか鉛筆を落としただけの子どもの名前があげられて、かわいそ…

反省帳というのも書かされて毎日ノート1頁分がノルマ
初めて書いたとき、みんな要領がわからないので日記みないなものを書いたら
「反省することを書け!」と怒られた。
小学生が毎日ノート1頁分の反省することなんかあるか!
…と、突っ込む術も当時はなく、とほほ

これは全校あげて、というものではなくて、たまたま私の担任のやり方がそうだったんですが、いったい何が彼女をそうさせていたんでしょうか?

yamtomさん、この後
『良妻賢母教育教育バリバリな、校訓「清純」という高校に行って立派に校訓インストールした結果、清純道まっしぐら。結果負け犬として、少子化に貢献しておられるとのこと。感慨深いです!

ところで、体操服の記名ゼッケンは最近はみかけません。
これは声鰍ッをして子どもを連れ去る悪い人が増えたからです。
でも体操服での通学はよく見かけますね。
時代が変われば状況もいろいろ変わって、現在の学校は授業時間の確保に必死。
低学年などモタモタと着替えているヒマはないのでしょうね、たぶん

ふぅ~読んだのも一気だったけど、書くのも一気
いったい何にとりつかれたのでしょうか…デビューボ?じゃ、ないよね…
長々とおじゃましました。
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Unknown (ともみ)
2006-06-06 14:52:53
おおー、あっぷあっぷさん!いらしていただき、ありがとうございま
す。
あっぷあっぷさんのところでも、業間体操あったのですね。連帯責任も
横行していたようで、、。程度の違いこそあれ、多くの地域で管理教育
的なことが行われていたのかもしれないですね。その中でも、どうやら
国会ネタにまでなってしまう私のいた地域は、最悪のレベルだったのか
も。。

「清純」な良妻賢母高校もかなりヘンでした。管理教育による愛国心の
養成も、良妻賢母への道も、すべてうまくいかなかったモデルケースの
ようだわ。。

体罰編書くのには、すごい体験だっただけにちょっと気合い必要です
が、近々書きます!
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Unknown ()
2006-07-16 22:03:51
管理教育について(興味本位で)調べていたら、こちらに辿り着きました。

実は自分は1975~1977年に八千代台東小学校に通っていました。
体操服は登下校時を除き、学校内では全員着用でした。
着替えは男女混合で同じ教室内で行われていました。
体操服は冬でも男子はランニングと短パン、女子は半袖とブルマーが基本でしたので、当時体の弱かった自分は毎冬風邪をこじらして長期欠席を余儀なくされていました。
体操服の背番号は学年毎の色、そして個別の番号が割り振られているのは勿論ですが、番号の書体も決まっていましたね。
その背番号ですが、学校側が各家庭に書体の型紙を渡し、各家庭で用意しなければなりませんでしたので、親は大変だったと思います。
東小では2~3時間目の間に全校生徒で行う行間体育なるものもありました。
行間体育が終わると各クラス毎に集まって隊列を組み、スピーカーから流れる音楽に合わせてグラウンドを何周か行進して、音楽が鳴り止むと隊列を組んだまま「2組ファイトオー!ファイトオー!」などと叫びながら走って教室に戻っていました。
登下校についても集団行動が義務付けられていました。
登校は各町内毎、下校は各クラス毎に方面別に隊列を組んでの登下校でした。
登校時間も確か8:00と早かったと記憶しています。
他にも自転車の乗車について「1、2年生は×」「3年生は親の監視下で」「4年生は近隣のみ」「5、6年生は制限なし」と言う、訳の判らないルールがありました。
登下校、自転車については「児童の安全の為」と言うのが大義名分だったらしいですが・・・。

1978年に自分は親の転勤で札幌の小学校に転校したのですが、そこには「体操服」も「背番号」も「行間体育」も「集団登下校」も「自転車ルール」も一切無く非常に自由でしたし、のびのびとした環境で生活したせいか体の方も非常に丈夫になりました(笑)
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Unknown (ともみ)
2006-07-16 22:20:22
鉄さん、はじめまして。あの八千代管理教育を実体験された方からの体
験談書き込み、ありがたいです。たしか、八千代台東と、私が行った勝
田台が、八千代の中でも2大最悪管理教育小学校として名が轟いていた
記憶が・・。さすが八千代台東、強烈ですね。かの有名なゼッケン、そ
んなに作るのが大変な代物だったのか。
業間体育が終わってからの行進、そして隊列組んで「ファイトー」など
といって走るのは、私もやらされました!「勝小~、ファイトオ」とか
なんとか言わされていたような。これも声が小さいと怒られた記憶があ
ります。
そういえば、高学年のとき、集団登校を担任教師が突然と導入したのを
思い出しました。不登校の生徒の家にも、集団で毎日押し鰍ッて、来い
来いとさせられ、結局その生徒が登校できない(その生徒もコワい思い
をしたはずだ・・)と、残りの集団登校グループの生徒たちが連帯責任
で怒られた記憶も。
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