日曜日に開かれた、マスコミ学会ワークショップ「「バックラッシュはどのように起きるのかーマスメディアとWeb言説空間との呼応関係」については、すでに荻上チキさん、今井紀明さん、斉藤正美さんのブログにて報告がアップされている。繰り返しになる箇所もあると思うが、とりあえず私の簡単なレメ[ト&感想を書いてみたい。
1)「いわゆる『弱者男性』=ネット右翼/バックラッシャー」説への疑問
このワークショップの重要なャCントは、よく言われる「いわゆる『弱者男性』=バックラッシャー論」を検証し、疑念をはさむという方向性が提示されたことだった。果たして若者の右傾化といった現象は本当に起きているのか、ネットにより、右傾化しているように「みえる」のではないのか? 2ちゃんねるは「若者文化」といえるのか?2ちゃんねらーは本当に「右派男性」たちなのか?などといった疑問が提示された。とくに、北田さんによる、2ちゃんねるなどのネット利用者に関するアンケート調査と、今井さんのネットでバッシングをした方々と対話を試みた実体験に基づくお話と組み合わせたことで、「弱者男性=バックラッシャー」説へのパワフルな反論になっていたと思う。
フェミニズム界隈でこの説はよく聞かれるように思うが、裏を返せばそれはいかに実態をみないで解釈、判断しているかの現れでもあるかもしれない。実際、主流の女性学者やフェミニズム運動に関わる人たちの多くは2ちゃんねるや、ネットをほとんど見ない層でありながら、MLやマスメディアからの情報に基づき「ネットは浮「」「2ちゃんねるには右派が多い」といったことを信じこんでしまっている側面もあるのではないか。
2)フェミニズムへのバッシングの歴史
斉藤さんはリブへのバッシングについて、私は主に行動する女たちの会への75年当時、89年当時のメディアにおけるバッシング記事を紹介しながら、フェミニズムへのバッシングは何も唐突に2002年頃から起きたわけではなく、70年代から80年代、そして90年代と、ずっと起きてきていた事に言及した。もちろん、2002年頃からのバックラッシュがまったく同じような質のものではないわけだが、あたかもそれ以前にバッシングがなかったかとか、たいしたことではなかったように扱うことで、フェミニズム運動の歴史そのものが消されている側面があると思う。
また、今現在、具体的な性差別撤廃に関する事柄より、「ジェンダー」という概念が過度に理想化され、これこそがフェミニズム運動の重要な金字塔なのだといったようなことが言われる傾向がある中で、この概念が日本に導入されたとよく言われる95年の北京会議以前の歴史が軽視される傾向にもつながってしまう。そして、歴史が継承されないことで、バッシングへの対抗もより困難になることが考えられるいった論点も出た。
3)フェミニズムのプレゼンス能力の低下
チキさんから、Web 2.0どころか、「フェミニズム=運動0.5」状態であるという指摘がなされ、私は自身がフェミニズム系サイトの企画などに関わった経験も交え話した。その中で、フェミニズム系ブログやサイトがまだまだ少ないこと、あったとしてもインタラクティブとはほど遠く、更新もままらない状態のサイトも多いこと、ブログがあっても、情報の提示がうまくなく、読者が少なかったり、広い層の読者にとって有用な情報になっておらず、内輪向けの情報になっていることなどの問題が挙がった。
今井さんがインタラクティブであり続けることに、前につきすすめる可能性をみたい、というコメントをされたが、これこそがフェミニズム系サイトやブログに欠けているところかもしれない。インタラクティブではなく、一方的に情報を流す形式であるとか、コメント欄やトラックバックを置いていないブログもかなり多いからだ。そして、ブログよりMLという閉じた場所でのコミュニケーションばかりが盛り上がっている現状もある。自分自身の関わったサイトなども含め、フェミニズム関連サイトの検証も必要な作業だと思った。
4)フェミニズム/運動の「正しさ」と「楽しみ」
フェミニズムの「正しさ」の主張といったものが、ネット上の祭りなど「楽しみ」を求める層へ通じがたいこととか、「ジェンダー論」を教えても学生になかなか通じない問題なども議論の中ででてきていたが、それを聞いていて思ったのが、「フェミニズムの楽しさ」というのが伝わっていないということだった。少なくとも私自身は、フェミニズムは楽しいと思っているのだが(じゃなかったらやらないし、、)。フェミニズム=学問、的なイメージが強いのだろうか?確かに、ネットにある日本の「ジェンダー論」の授業のシラバスなど見ても、面白そう、楽しそうという印象は、私ですら持てない面もある。(「ジェンダー論」授業の教え方に関する意見交換は、何かしら別の場をもうける必要があるのかも。。)
しかし、部屋自体に女性が少なく(今井さんが書いているように、マスコミ学会自体に少なすぎ)、パネリストの中に斉藤さんと私とフェミニストが2人いただけまだマシだったとはいえ、明らかに少ない場では、「フェミニストの方にお伺いしたい」といった質問に答えることで、自分が言うことが「フェミニストの代表的意見」的にとられてしまうのでは、、というリスクを常に感じながら話す状況でもあった。斉藤さんも私も、日本のフェミニズム主流派的立場とは実はほど遠いだろうと思うので、そう取られちゃうと困るなーと思いながら。。
まとまりのないレメ[ト&感想ですが、またネット上で議論が展開していくといいなーと思っています。
1)「いわゆる『弱者男性』=ネット右翼/バックラッシャー」説への疑問
このワークショップの重要なャCントは、よく言われる「いわゆる『弱者男性』=バックラッシャー論」を検証し、疑念をはさむという方向性が提示されたことだった。果たして若者の右傾化といった現象は本当に起きているのか、ネットにより、右傾化しているように「みえる」のではないのか? 2ちゃんねるは「若者文化」といえるのか?2ちゃんねらーは本当に「右派男性」たちなのか?などといった疑問が提示された。とくに、北田さんによる、2ちゃんねるなどのネット利用者に関するアンケート調査と、今井さんのネットでバッシングをした方々と対話を試みた実体験に基づくお話と組み合わせたことで、「弱者男性=バックラッシャー」説へのパワフルな反論になっていたと思う。
フェミニズム界隈でこの説はよく聞かれるように思うが、裏を返せばそれはいかに実態をみないで解釈、判断しているかの現れでもあるかもしれない。実際、主流の女性学者やフェミニズム運動に関わる人たちの多くは2ちゃんねるや、ネットをほとんど見ない層でありながら、MLやマスメディアからの情報に基づき「ネットは浮「」「2ちゃんねるには右派が多い」といったことを信じこんでしまっている側面もあるのではないか。
2)フェミニズムへのバッシングの歴史
斉藤さんはリブへのバッシングについて、私は主に行動する女たちの会への75年当時、89年当時のメディアにおけるバッシング記事を紹介しながら、フェミニズムへのバッシングは何も唐突に2002年頃から起きたわけではなく、70年代から80年代、そして90年代と、ずっと起きてきていた事に言及した。もちろん、2002年頃からのバックラッシュがまったく同じような質のものではないわけだが、あたかもそれ以前にバッシングがなかったかとか、たいしたことではなかったように扱うことで、フェミニズム運動の歴史そのものが消されている側面があると思う。
また、今現在、具体的な性差別撤廃に関する事柄より、「ジェンダー」という概念が過度に理想化され、これこそがフェミニズム運動の重要な金字塔なのだといったようなことが言われる傾向がある中で、この概念が日本に導入されたとよく言われる95年の北京会議以前の歴史が軽視される傾向にもつながってしまう。そして、歴史が継承されないことで、バッシングへの対抗もより困難になることが考えられるいった論点も出た。
3)フェミニズムのプレゼンス能力の低下
チキさんから、Web 2.0どころか、「フェミニズム=運動0.5」状態であるという指摘がなされ、私は自身がフェミニズム系サイトの企画などに関わった経験も交え話した。その中で、フェミニズム系ブログやサイトがまだまだ少ないこと、あったとしてもインタラクティブとはほど遠く、更新もままらない状態のサイトも多いこと、ブログがあっても、情報の提示がうまくなく、読者が少なかったり、広い層の読者にとって有用な情報になっておらず、内輪向けの情報になっていることなどの問題が挙がった。
今井さんがインタラクティブであり続けることに、前につきすすめる可能性をみたい、というコメントをされたが、これこそがフェミニズム系サイトやブログに欠けているところかもしれない。インタラクティブではなく、一方的に情報を流す形式であるとか、コメント欄やトラックバックを置いていないブログもかなり多いからだ。そして、ブログよりMLという閉じた場所でのコミュニケーションばかりが盛り上がっている現状もある。自分自身の関わったサイトなども含め、フェミニズム関連サイトの検証も必要な作業だと思った。
4)フェミニズム/運動の「正しさ」と「楽しみ」
フェミニズムの「正しさ」の主張といったものが、ネット上の祭りなど「楽しみ」を求める層へ通じがたいこととか、「ジェンダー論」を教えても学生になかなか通じない問題なども議論の中ででてきていたが、それを聞いていて思ったのが、「フェミニズムの楽しさ」というのが伝わっていないということだった。少なくとも私自身は、フェミニズムは楽しいと思っているのだが(じゃなかったらやらないし、、)。フェミニズム=学問、的なイメージが強いのだろうか?確かに、ネットにある日本の「ジェンダー論」の授業のシラバスなど見ても、面白そう、楽しそうという印象は、私ですら持てない面もある。(「ジェンダー論」授業の教え方に関する意見交換は、何かしら別の場をもうける必要があるのかも。。)
しかし、部屋自体に女性が少なく(今井さんが書いているように、マスコミ学会自体に少なすぎ)、パネリストの中に斉藤さんと私とフェミニストが2人いただけまだマシだったとはいえ、明らかに少ない場では、「フェミニストの方にお伺いしたい」といった質問に答えることで、自分が言うことが「フェミニストの代表的意見」的にとられてしまうのでは、、というリスクを常に感じながら話す状況でもあった。斉藤さんも私も、日本のフェミニズム主流派的立場とは実はほど遠いだろうと思うので、そう取られちゃうと困るなーと思いながら。。
まとまりのないレメ[ト&感想ですが、またネット上で議論が展開していくといいなーと思っています。