ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

Checkerboard Lounge

2007-06-24 01:33:13 | 音楽
昨晩は、家から徒歩3分くらいのところにある、Dixie Kitchenというcajun系レストランに行き、その後Checkerboard Loungeというブルースバーへ行ってきた。来客があると時折行ったこのブルースバーも、引っ越すと行かれなくなるのか。。見かけはまったくミュージシャンに見えない感じだった人たちがステージにあがり、演奏はじめると実はとんでもなくうまかったり。バンドで唯一の白人だった、太ったお兄ちゃん(実はかなり若いのかも)、演奏開始前はブルースとあまりにほど遠い、イリノイの田舎地区の白人青年的な雰囲気に思えたのだが、始まってみるとギターもうまいし、歌わせてもかなり渋い声でびっくり(人は見かけで判断してはいけないな)。ほかののバンドメンバーもかなりのエンターテイナーぶりで、ボーカルもパワフルだったし、とても楽しめた。

このCheckerboard Lounge、かなり著名で歴史的なブルースバーで、私がシカゴにうつって2年目頃にオープンした。以前はBronzevilleという、やはりシカゴ南部地域にあり、そこから引っ越してきたのだ。今の店は、家からとても近いので、私個人的には便利なのだが、この引っ越しをめぐって様々な議論があったらしい。以前あった場所は歴史的にも重要であるばかりか、地域自体も貧しく厳しい状況におかれている。だが、シカゴ大学が大学から近い現在の地域にこの著名店を移させる目的で、場所の賃料を通常より大幅に安く提供したのだそうだ。(シカゴ大学はハイドパーク地域の不動産を多く所有しているらしい。)
http://maroon.uchicago.edu/news/articles/2004/01/13/neighborhood_activis.php

同じシカゴのサウスサイドでも、大学のあるハイドパークは中流地域、それを取り囲むほとんどの地域は貧しい地域だ。文化的リソースがハイドパークに集中し、ほかの地域から奪われて行くことの問題、シカゴ大学の過去の人種差別的だったり、地元コミュニティを切り離そうとするような立場にたってきた歴史、それでもサウスサイドに位置するハイドパークに引っ越させることで、とりあえずこのブルースバーがサウスサイドに残るからいいのだという立場など、様々な意見があり、難しい問題だ。

でも結局、このブルースバーはハイドパークにオープンし、2年が過ぎた。何度か行っているけれど、以前いったときは、大学生のフラタ二ティー、ソロリティー軍団みたいにみえる、若い白人客が大量に来ているときがあった。バンドの真正面に集団で陣取った彼らは、音楽を聞きにきているというより、飲んで友達と騒ぎにきているという感じ。かなり興ざめで、演奏している人たちもこういうお客さん相手に演奏したいのではないんだろうな、、と思えるものがあった。これはハイドパークに越してきたことによるマイナス面なのかと考えさせられた。昨日は地元のアフリカンアメリカンの常連客が多かった感じだ。大学院生と思われるグループもいたが、明らかに違う雰囲気を醸し出していた。(私と私の友人も、違う雰囲気だったのだと思うが、、)私としては、今までブルースなんてほとんど聞いたことなかったが、Checkerboardがハイドパークに越してきてくれたことで、触れ親しむことができてよかったのだが、、難しい問題だ。演奏者側の立場からの意見など聞いてみたい気がする。

しかしながら、こういう文化は、今度の引っ越し先の坊主マンにはまったくないと思われるので、寂しいものがある。音楽はカントリーとかになってしまうのだろうか。バンジョーでも習うべきか、、?

先日の坊主マン滞在では、久々に白人だらけの中にぽつねんといるマイノリティで外人の自分、みたいなものを意識させられ、妙にセルフコンシャスになったりした。これは、マイノリティのコミュニティであるハイドパークでは、あまり意識してこなかった感覚で、以前のアナーバーにいた頃時々感じていたものが戻ってきた感じがした。そして、坊主マンはアナーバー以上に白人社会度が高いと思われる。かなりのカルチャーショックがありそうな予感。