木を愛し、土に親しみ、犬と戯れ、思いつくまま気ままに発信、知る人ぞ知る「山章工房」のブログです。
山章工房の木土愛楽(きどあいらく)




昨夜の天気予報を信じて、散歩もランニングも雨中と
心づもりをし、仕事も雨用の手配をしていたのに、
雲の合間から半月が顔を出しています。
まあ、外れて良かったのですが、ちょっと肩すかしです。

さて、私は伊豆への片道180kmのドライブは
いつも「下道(したみち)」すなわち国道1号線ほか
一般道だけを使っています。
1時間弱の時間差に2千円弱の出費は無駄と思うからです。
その国1ドライブで最近耳にした情報が
「小夜の中山の子育て飴ソフトクリーム、おいしに=」
(「にー」は遠州地方独特の語尾です。)
小夜の中山は掛川市と島田市(旧金谷町)の間にある峠です。
有名な伝説は下記の転用をご覧下さい。

そんな伝説よりも私が興味があるのはスイーツです。

3月に奧大井に出張の折、初めて立ち寄りました。
そんなに甘くなく、ほのかに飴の味がします。
先週末、伊豆帰省の折にも立ち寄りました。
国1の上りバイパス、掛川方面から中山トンネル手前で
旧道に下りて、1分ほどで写真の茶店に着きます。
隣にももう1軒ある茶店は休業中のようです。
値段は300円。
バイパスに復帰し、大井川を渡る頃には
パリパリのコーンまで食べ終えて、旅を続けます。

喉の痛みは相変わらずですが、
それでは事故に気をつけて行ってきます。

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『夜泣き石伝説』  Wikepediaより転載

その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。
ある日お石がふもとの菊川の里で仕事をして帰る途中、
中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいた。
そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく
介抱していたのだが、お石が金を持っていることを
知ると斬り殺して金を奪い逃げ去った。

その時お石の傷口から子供が生まれた。
そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、
里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。
生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある
久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。
音八は成長すると、大和の国の刀研師の弟子となり、
すぐに評判の刀研師となった。

そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て
「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だ」というと、
客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で
妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、
音八はこの客が母の仇と知り、
名乗りをあげて恨みをはらしたということである。

その後、この話を聞き同情した弘法大師が、
石に仏号をきざんでいったという。


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