スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(神仏習合)

2019-09-14 16:49:02 | 日記
9月14日(土)
 カルチャーセンターで仏教史を習っているのだが意外な話を聞いた。神仏習合であるが、私は552年に仏教が伝来したとき日本には既に神道があったので、仏教を受け入れるか否かで物部氏と曽我氏が争ったと思っていた。しかし先生は日本独自のアニミズム的な宗教はあったが神道というものは成立しておらず、神道の成立はもっと後だと言われる。曽我氏が争いに勝って仏教が受け入れられ、その後聖武天皇の大仏建立を経て仏教全盛の世となった。しかし奈良時代の末に道鏡が法王となって政治を壟断したので、人々が仏教による政治支配を危ぶむようになり、仏教は政治の一線から退けられるようになった。そのとき日本在来の宗教が仏の垂迹として地位を確立し、それが神道の始まりだと言われるのである。
 またその時皇祖神である天照大神が大日如来の垂迹だとなって、天皇家の宗教が日本人の中で大きなウエイトを占めるようになったとも言われた。大日如来は仏教の中でナンバーワン的な権威があったので、その垂迹もナンバーワン的に持ち上げられたという事らしい。
 更に、日本の既存宗教は祖先信仰であり、その一族以外には広がりを持ちえなかった。これに対して仏教は普遍性を持つから、既存宗教の祖先信仰とは矛盾せずにその上に被さり、いくつもの祖先信仰の上に広がり、それを包み込むことが出来た。こうして仏教によって日本国という共通意識が成立し、大和王権の全国支配が可能になったのだとの趣旨の(私はそう受け取ったのだが)話をされた。
 この通りなら私はこれまで神仏習合を、神道の側からの生き残りのための、仏教への降伏方式だと思っていたが、逆にアニミズム的な未熟な宗教が垂迹としての形を取って自己を発達させた、神道の成長過程だったという事になる。
 成程と思ったのだが分からない点もある。日本書紀は720年の成立だが、天皇は天照大神の子孫だから、日本が統治できるとの趣旨で、記述がされていると思う。先生のお話によると天照大神が大日如来の垂迹となって権威を持つのは、奈良時代の末ごろと想定される。そうすると日本書紀が書かれたころ天皇の権威は、有力豪族の間では権威があったのかもしれないが、一般国民の間では認められていなかったという事になる。日本書紀が単なる天皇家の中の伝記に留まるなら別だが、国家の公式の歴史書として書かれたのだから、その時一般大衆には天皇の権威が浸透していなかったというのは、理解に苦しむところだ。権威がないのに歴史書など書けないと思うのだ。
 日本書紀から受ける印象は天皇は神の子孫であり、神道も仏教も支配する、最高の存在だという思想である。先生の言われる神道成立後の天皇像に近い。そんな姿をまだ権威成立前に描けたとは、ちょっと不思議である。
 またこれは先生が直接言われた訳ではないが、敷衍して日本国家の成立は仏教の広がりを持って、始まったとするなら、何故国家が成立していない段階で日本は朝鮮に兵が送れたのだろうかという疑問だ。神功皇后の三韓征伐は作り話だとの説も聞くが、前方後円墳が伽耶地方に存在する事と、広開土王碑に倭国が出ていることから考えると、日本が朝鮮に出兵していたことは確実だと思われる。何故国家として成立していないのにそんな事が出来たのか、大いに疑問なのだ。