スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(いよいよ憲法改正が実現するか)

2023-05-28 17:42:02 | 日記
5月28日(日)
 東京で自民と公明が連立を解消した。公明の石井幹事長はこれは東京だけの事で、全国的な自公連立を解消するものではないと言うが、そううまく行くか。私は全国的な解消に進むと思う。
 自民党は公明と手を切る時期に来たのだ。まだ多くの自民党議員はその事に無自覚かもしれないが、実は彼らの脳内の無意識な部分に、その思いは浸透している。やがて、どっと、その思いが意識に上る時が来る。人間の思考というものはそうやって形成されるものだ。年内に衆院解散があるとして、その時であろう。
 従来自民党は選挙で勝つために学会票を必要とした。それは従来の政治が自民党対、立憲などのオール野党という対立構造だったから、つまり現実政党は自民党だけであり、公明を除くあとの政党は全てお花畑政党だったから、路線は違っても公明党と組んで、政権を維持する必要があったからだ。
 しかし今は維新と国民が現実政党に脱皮してきた。これは一時的な流れではなく、米中対決が本格化した結果の大きな流れなのだ。だから維新と国民の現実政党化は、これからますます拡大し持続する。自民党も公明を切って本来の現実政党に戻らないと、維新と国民に負けかねない。そういう時代に入ったのだ。
 次の衆院選で自民、維新、国民が躍進すれば、憲法改正は年内実現だ。

スケッチブック30(共産主義は我々の社会の中にいる)

2023-05-16 09:26:34 | 日記
5月16日(火)
 私は日本共産党がなぜ存在し得るのか、甚だ疑問だった。ソ連は潰れ、中国は古代帝国に先祖返りし、キューバは医薬品がないので野草をキューバ的漢方薬に仕立てて、薬として人々に供給している惨状だ。共産主義なんか一昔前の機械式計算機のように今や時代遅れのもので、日本共産党なんて余程頭の悪い人間でなければ、寄り付かないと思っていた。
 だがどうもこの考えは間違っているらしい。共産主義はソ連とか中国などの国が生み出したもののように感じているが、元々はマルクスという西欧社会が生み出したものである。中国とソ連はマルクスが生み出した共産主義を種として取り入れ、西欧とは異質な国土の中で異形の社会形態をはぐくみ育てた。我々はこの異形の社会形態からの攻勢に長年晒され続けたので、共産主義は中国とソ連が本家だと、つい思ってしまったのだ。確かに中国式ソ連式の共産主義を言う人は少なくなった。しかし共産主義の元々の種は我々社会の中にある。だからその種が、資本主義社会の中で、これまた独特の形で育ってきているのだ。だから日本共産党は生き続けるのだ。
 マルクスから種を貰ってソ連中国で育った異形の社会形態を、共産主義と呼ぼう。では今資本主義社会の中で育っている独特の形のものは、何と呼ぼうか。広義の共産主義とか共産主義的なものと呼ぶのも一方法だが、それではソ連中国の共産主義の概念に引きずられ過ぎで、本質を見誤る危険がある。マルクスの種が我々社会の中ではこのような形に変形進化したというのが正しい観察結果なのだから、実態に合った呼称を考えた方が良い。それは「個」を社会に優先させるという思想である。「個人優先主義」とひとまず呼ぼう。その詳細はこれから少しづつ。
 なお日本共産党はそこの所を理解していない。相変わらず看板は共産革命を目指している。つまりソ連式中国式のものを掲げている。だが彼らが存続し得る所以のもの、飯が食ってゆける所以のものは、マルクスの種が資本主義社会の中で進化変形したものが日本に存在する事に依っているのだ。看板を変えた方が実態に即していると思うが、ミニスターリンとなった老害委員長には、個人的に何か忘れがたい思い入れがあるのだろう。

スケッチブック30(長生きはするものだ)

2023-05-13 17:00:03 | 日記
5月13日(土)
 長生きはするものだ。もう少しで朝日新聞の倒産が見れるとは。偉そうなマスゴミ人間が路頭に迷うとは。
 私が世論の会に入ったのは約三十年前である。まさに隔世の感がする。この変化の原因は、私なんかの啓蒙運動なんかでは、全くない。米中の対決で、日本はどちらに付くべきかとの、真の議論が国民に要請されてきたからである。真の議論の前にお花畑議論は、しおれてしまうのだ。アメリカは去年の共産党大会で習近平が永久指導者となった事で、中国の路線変更は無理だと悟ったに違いない。ならばと、対決に舵を切った。日本も浮ついた議論をかましている余裕はなくなったのだ。
 ちょうど都合よく、SNSが発達してきて、マスゴミ以外の情報獲得手段が出来た。これが台風のようにお花畑を駆逐している。便乗だろうが、風に靡くだろうが何だろうが、この勢いで朝日新聞をぶっ潰せ。その日まであと少し、私の寿命も持つだろう。