7月28日(土)
オウム真理教の死刑囚が処刑されたが、青木理などの左翼評論家は「真相が解明されないまま闇に葬られた」などとほざいている。彼らは欧米の死刑廃止論者に媚びて、本当は死刑廃止と言いたいのだがそれでは国民から糾弾されるので、「なぜ今なのか」と言葉を変えて存在証明をしているだけなのだ。誰に対してしているのかと言えば欧米マスゴミに対してだろうが、向こうは青木らの存在証明などトイレットペーパーのようなものだろう。江川紹子さんがズバッと真実を言い立てている。「真相が解明されていないなどと言う人は、裁判の傍聴もせず、記録を読んだこともない人たちだ」。
人は何をもとに「これは真実だ」と、判断するのだろうか。左翼風土で生存している輩には傍聴したり裁判記録を読むなどの、しんどい作業はとてもできないだろう。それは私も同じである。しかし私は「真相が解明されていない」などとは考えない。欧米のマスゴミに媚びる必要も、左翼人士として存在証明を言い立てる必要も、私にはないからだ。人はその道の専門家でない限り、社会の事象について、本当のことなど分からない。量子力学と言わずとも微分積分だって、ほとんどの人は分からない儘信じているのだろう。科学的知見には政治的動機があまり介在しないから、専門家を信用して、「量子力学は嘘だ」とは誰も言わないだけなのだ。人は自己の政治的、社会生存的な動機から、ものを見、判断を下し、発言をする存在である。
だから蓮舫は「6日夜」を訂正しない。彼女にとって安倍を叩くことだけが動機なのだから、6日も5日も区別がつかないのだ。味噌もくそも一緒にしていると気が付かない。野党と自民党は違うと自己弁護する福山も同じだ。しかしこれでは国民のだれも立憲民主党に、次の政権を担ってもらおうとは考えないだろう。
我々は本当のことなど分からないと理解すべきである。「本当はこうだ」と言う奴には、何か動機があると疑ってかかるべきだ。私は諸事象について、これは本当らしい、これは嘘くさいと個人が判断する根拠は、その人が持っている勘によってするしかないと思っている。勘というものはその人の身に付いた、思考のリズムというべきものだろう。例えば極端に典型化して言うと、書類だけ見る管理職は論旨さえ通っていればプロジェクトは実現すると判断して判を押すが、現場の叩き上げは組み込まれたパーツの一つ一つの耐久性を調べて実際にやれるかどうか考えるというようなことだ。この勘はその人が治めた学問、経験した事象の深さ浅さ、成功を積み重ねたか失敗の連続だったか、そんな人生体験を通して作り上げられるものだ。
健全な勘を持つ人は社会を正しく判断する。団塊の世代は変な勘を身に着けてしまっている。常に政権に反対の意思表示をすれば、からくりは分からないが、日本は発展し自分の生活も良くなるという勘だ。労働組合に言われて左翼に投票してきたら、給料が上がり家も持てたという訳だ。安保条約絶対反対を言ったら、勿論過激デモで捕まるようなことはしないで、日本はアメリカに守られて安全だったではないかという訳だ。団塊の世代はこれからもこの勘で生きる。もとより彼ら個人は狭い専門分野の知識しかないから、多くの社会事象を、蓮舫などの言う通りだと判断する。救いは墓場が近いということか。
朝日新聞も勘で記事を書いている。だから日本語では慰安婦を反省しても、英語版ではセックススレイブを連想する言葉遣いを止めない。幹部連中を入れ替えない限り、それか倒産の危機に直面するかしない限り、彼らも人間だから勘で書くことを止められない。新聞の購読者を年代別で仕分けるデータがないものかと探している。恐らく20台の購読者は30%で60代以上の70%が取っているだろう。多分これまでは年齢が上がるにつれて購読者数も増えてきたのだろうが、今の20台の人が30台40台になっても、果たして新聞を取るだろうか。
オウム真理教の死刑囚が処刑されたが、青木理などの左翼評論家は「真相が解明されないまま闇に葬られた」などとほざいている。彼らは欧米の死刑廃止論者に媚びて、本当は死刑廃止と言いたいのだがそれでは国民から糾弾されるので、「なぜ今なのか」と言葉を変えて存在証明をしているだけなのだ。誰に対してしているのかと言えば欧米マスゴミに対してだろうが、向こうは青木らの存在証明などトイレットペーパーのようなものだろう。江川紹子さんがズバッと真実を言い立てている。「真相が解明されていないなどと言う人は、裁判の傍聴もせず、記録を読んだこともない人たちだ」。
人は何をもとに「これは真実だ」と、判断するのだろうか。左翼風土で生存している輩には傍聴したり裁判記録を読むなどの、しんどい作業はとてもできないだろう。それは私も同じである。しかし私は「真相が解明されていない」などとは考えない。欧米のマスゴミに媚びる必要も、左翼人士として存在証明を言い立てる必要も、私にはないからだ。人はその道の専門家でない限り、社会の事象について、本当のことなど分からない。量子力学と言わずとも微分積分だって、ほとんどの人は分からない儘信じているのだろう。科学的知見には政治的動機があまり介在しないから、専門家を信用して、「量子力学は嘘だ」とは誰も言わないだけなのだ。人は自己の政治的、社会生存的な動機から、ものを見、判断を下し、発言をする存在である。
だから蓮舫は「6日夜」を訂正しない。彼女にとって安倍を叩くことだけが動機なのだから、6日も5日も区別がつかないのだ。味噌もくそも一緒にしていると気が付かない。野党と自民党は違うと自己弁護する福山も同じだ。しかしこれでは国民のだれも立憲民主党に、次の政権を担ってもらおうとは考えないだろう。
我々は本当のことなど分からないと理解すべきである。「本当はこうだ」と言う奴には、何か動機があると疑ってかかるべきだ。私は諸事象について、これは本当らしい、これは嘘くさいと個人が判断する根拠は、その人が持っている勘によってするしかないと思っている。勘というものはその人の身に付いた、思考のリズムというべきものだろう。例えば極端に典型化して言うと、書類だけ見る管理職は論旨さえ通っていればプロジェクトは実現すると判断して判を押すが、現場の叩き上げは組み込まれたパーツの一つ一つの耐久性を調べて実際にやれるかどうか考えるというようなことだ。この勘はその人が治めた学問、経験した事象の深さ浅さ、成功を積み重ねたか失敗の連続だったか、そんな人生体験を通して作り上げられるものだ。
健全な勘を持つ人は社会を正しく判断する。団塊の世代は変な勘を身に着けてしまっている。常に政権に反対の意思表示をすれば、からくりは分からないが、日本は発展し自分の生活も良くなるという勘だ。労働組合に言われて左翼に投票してきたら、給料が上がり家も持てたという訳だ。安保条約絶対反対を言ったら、勿論過激デモで捕まるようなことはしないで、日本はアメリカに守られて安全だったではないかという訳だ。団塊の世代はこれからもこの勘で生きる。もとより彼ら個人は狭い専門分野の知識しかないから、多くの社会事象を、蓮舫などの言う通りだと判断する。救いは墓場が近いということか。
朝日新聞も勘で記事を書いている。だから日本語では慰安婦を反省しても、英語版ではセックススレイブを連想する言葉遣いを止めない。幹部連中を入れ替えない限り、それか倒産の危機に直面するかしない限り、彼らも人間だから勘で書くことを止められない。新聞の購読者を年代別で仕分けるデータがないものかと探している。恐らく20台の購読者は30%で60代以上の70%が取っているだろう。多分これまでは年齢が上がるにつれて購読者数も増えてきたのだろうが、今の20台の人が30台40台になっても、果たして新聞を取るだろうか。