9月30日(日)
新潮45が限りなく廃刊に近い休刊となった。記憶にあるのはマルコポーロの廃刊である。言論に言論で対抗せず、広告主に圧力をかけて廃刊に追い込む手法を目の当たりにして、私はアウシュビッツのガス室は嘘だと確信したものだ。私だけでなく多くの人がそう思っただろう。サイモンビーゼンタールセンターにいかがわしさも感じたものだ。
今回も同じである。私は杉田論文を読んでいないし、性的少数者問題についても、何も知らない。しかし新潮45を潰せとの運動を目の当たりにして、絶対に杉田論文は正鵠を突いていると、確信する。正しいからこそ言論で対抗できず、暴力で圧殺したのだと考える。
そこで考えるのだが、マルコポーロはガス室というタブーに触れて、神話の主宰者の怒りを買った。今回新潮45はどういうタブーに触れて、どういう神様たちから怒りを買ったのだろうか。
性的少数者と言うように彼らはごく少数な存在なのだと思う。仮に国民一人一人に還元される政府支出金が計算できるとして、彼らが受け取る還元金が一般国民よりも多額であったとしたら、杉田氏は何らかの計算からそう判断したのだと思うが、不公平だと問題提起することは国会議員としてむしろ当然な行為だと思う。それを嵩にかかって潰したということは、潰そうとした勢力の人たちは、不公平が当然だと考えているからだろう。つまり少数者を一般国民より優遇することを、彼らは当然だと考えているのだ。
私は現実に少数者の優遇は広く行われていると思う。よく知られるのが期限切れではあるが同和対策法である。アイヌ対策法もそうなのかもしれない。更には在日特権と言われるものもある。例えば在日の選挙権を考えてみると、仮に一世と二世は特殊事情から認めたとしても、その次の世代にも認めるとなったら少数者に対する過剰な優遇と言わざるを得ないだろう。
少数者は優遇されるべきだとの考えが、今回の新潮45廃刊の、背後にあると思う。或いはここで、一般国民との公平性も考慮すべきだとの観点が人々に広まると、それは不味い、そういう危機感があったのだと考える。少数者優遇推進運動家とでも言うべき勢力が、はっきりと存在するのである。そしてどうも彼らは神的な存在に近づきつつあるようなのだ。少数者優遇を禁忌にしたいのだ。だから滅茶苦茶頑張った。私はタブーのある世界は嫌いであり、国民として公平に扱われたい。
フランシスコ法王が中国と和解して、実質的に、中国政府による司教任命を認めたと読める、合意をした。産経新聞によると法王は、「一方で、法王に忠誠を誓い、中国で抑圧された『地下教会』の信者について『彼らは苦しむだろう』と配慮した」とのことだ。またそういう人たちの為に「祈る」と述べたそうだ。おいおい自分に忠実だった人に祈るだけなのか、中国から金を貰って裏切った信者に対する背信とは思わないのか、それで法王様かと、突っ込みたくなる。真相は遥かにディープなものなのだろうが、バチカンを信頼してきた信者の個人的思いはこれであろう。これからバチカンと中国の関係がどう展開するか分からないが、法王が中国の言論弾圧に手を貸したと評価される、そういう未来も予想される。
新潮45が限りなく廃刊に近い休刊となった。記憶にあるのはマルコポーロの廃刊である。言論に言論で対抗せず、広告主に圧力をかけて廃刊に追い込む手法を目の当たりにして、私はアウシュビッツのガス室は嘘だと確信したものだ。私だけでなく多くの人がそう思っただろう。サイモンビーゼンタールセンターにいかがわしさも感じたものだ。
今回も同じである。私は杉田論文を読んでいないし、性的少数者問題についても、何も知らない。しかし新潮45を潰せとの運動を目の当たりにして、絶対に杉田論文は正鵠を突いていると、確信する。正しいからこそ言論で対抗できず、暴力で圧殺したのだと考える。
そこで考えるのだが、マルコポーロはガス室というタブーに触れて、神話の主宰者の怒りを買った。今回新潮45はどういうタブーに触れて、どういう神様たちから怒りを買ったのだろうか。
性的少数者と言うように彼らはごく少数な存在なのだと思う。仮に国民一人一人に還元される政府支出金が計算できるとして、彼らが受け取る還元金が一般国民よりも多額であったとしたら、杉田氏は何らかの計算からそう判断したのだと思うが、不公平だと問題提起することは国会議員としてむしろ当然な行為だと思う。それを嵩にかかって潰したということは、潰そうとした勢力の人たちは、不公平が当然だと考えているからだろう。つまり少数者を一般国民より優遇することを、彼らは当然だと考えているのだ。
私は現実に少数者の優遇は広く行われていると思う。よく知られるのが期限切れではあるが同和対策法である。アイヌ対策法もそうなのかもしれない。更には在日特権と言われるものもある。例えば在日の選挙権を考えてみると、仮に一世と二世は特殊事情から認めたとしても、その次の世代にも認めるとなったら少数者に対する過剰な優遇と言わざるを得ないだろう。
少数者は優遇されるべきだとの考えが、今回の新潮45廃刊の、背後にあると思う。或いはここで、一般国民との公平性も考慮すべきだとの観点が人々に広まると、それは不味い、そういう危機感があったのだと考える。少数者優遇推進運動家とでも言うべき勢力が、はっきりと存在するのである。そしてどうも彼らは神的な存在に近づきつつあるようなのだ。少数者優遇を禁忌にしたいのだ。だから滅茶苦茶頑張った。私はタブーのある世界は嫌いであり、国民として公平に扱われたい。
フランシスコ法王が中国と和解して、実質的に、中国政府による司教任命を認めたと読める、合意をした。産経新聞によると法王は、「一方で、法王に忠誠を誓い、中国で抑圧された『地下教会』の信者について『彼らは苦しむだろう』と配慮した」とのことだ。またそういう人たちの為に「祈る」と述べたそうだ。おいおい自分に忠実だった人に祈るだけなのか、中国から金を貰って裏切った信者に対する背信とは思わないのか、それで法王様かと、突っ込みたくなる。真相は遥かにディープなものなのだろうが、バチカンを信頼してきた信者の個人的思いはこれであろう。これからバチカンと中国の関係がどう展開するか分からないが、法王が中国の言論弾圧に手を貸したと評価される、そういう未来も予想される。