スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(パリ馬鹿協定の黒幕は中国?)

2019-12-31 11:21:15 | 日記
12月31日(火)
 パリ協定での中国の二酸化炭素削減量がどうも良く分からない。2030年頃までに、2005年のGDP比で60%削減するとのことだが、どういう意味なのだろうか明確な説明をマスゴミから聞かない。そこでネットの記事から推察するに、以下のようなことだと考えた。
 2005年の中国のGDPは約19兆元であり、二酸化炭素排出量は約19億トンである。2018年の中国のGDPは約95兆元で、二酸化炭素排出量は約94億トンである。13年間でGDP・排出量ともに、約5倍になっている。2005年のGDP比で60%削減するとの意味を、1兆元に対して6000万トン削減する、つまり1兆元のGDPに対して4000万トンは排出できるという事だと考えると、従来のペースで経済成長すると予想した場合の2030年頃の中国のGDPは2018年の約5倍、すなわち約470兆元となる。その排出量の枠は0.4を掛けて188億トンとなる。今後は成長率が落ちると仮定して約3倍の経済規模になると予想すると、GDPは約285兆元で排出量枠は114億トンとなり、今の排出量より20億トンも増えてしまう。約2・5倍の経済規模と予想してやっと排出量枠95億トンで、現在程度なのだ。
 これに対して日本をはじめとする先進国は2005年の排出量から、絶対量を更に減らすことになっているのだ。方や経済成長による排出量増加が認められ、こちらは成長を犠牲にしても絶対量を減らせと要求される。こんな不公平な取り決めはないだろう。これは中国にとって極めて有利な取り決めだ。日本など先進諸国は重い足枷を付けて歩けと言われ、中国は走らない代わりにゆっくり歩けと言われているようなものだ。10年もたったら中国と日本などとは、像と蟻くらいに経済力に差が出てしまおう。こんな馬鹿協定から抜けたトランプはなんと賢明なことか。
 また世界全体の二酸化炭素排出量は約320億トン(2016年)である。日本は世界第5位の排出国だが2016年で約11億トン、約3・5%の排出量だと言われている。イギリスやフランスは各約1%の排出量で、日本と西洋諸国を合わせても約10%、トン数にして30億トンくらいが総排出量なのである。日本が仮に経済発展を犠牲にして二酸化炭素を全廃したとしても、中国の増加分はそれを楽に超え、果ては、中国人の富裕層に日本全国が買い漁られる落ちになるだろう。
 異論のある所だがもし本当に二酸化炭素が地球温暖化の原因だとしたら、そしてそれを人々が本当に危惧するのなら、何はさておいて中国の排出量削減に取り掛かるのが当たり前の対処であろう。何兆ドルの無償援助を中国に与えて、巨大な削減システムをタダで設置しても、それで人類破滅が救えるのなら、やるべきである。しかしそんな話は露ほども出ない。これを考えるにパリ協定は何処かにフィクションがあるものなのだろう。
 パリ協定に群がる輩の本当の狙いは、温暖化の心配でも二酸化炭素排出量の削減でもなく、疑似科学の手練手管を駆使した、中国の削減量増加、あるいはその維持へのお墨付きにあるのではないか。これほど中国にとって得になる話に、中国が金を出さない筈がない。グレ子みたいなやり方はまさに中国的なホラ吹きと威圧である。中国が削減のリーダーとなるとの提灯記事を書くマスゴミが金を貰っているだろうことも、容易に推察される。西洋人のラディカリストが共産主義に魅力を感じるのも、積年の傾向である。今は共産主義ではまずいから地球環境という誤魔化しをして、本質である中国共産党に入れ込んでいるのだ。でなければ1%の排出量に過ぎない、という事は自国は世界全体の削減に何らの貢献ができない、イギリスやフランスの政治家や所謂専門家たちが、こんな大騒ぎをする筈がない。
 

 

スケッチブック30(ガラケー芸術家 略してガラゲー)

2019-12-29 14:58:58 | 日記
12月29日(日)
 北海道で一日だけだが「北海道・表現の自由と不自由展」なるものが開催されて、愛子内親王を筆頭に安倍夫妻、河村市長その他たくさんの人の顔写真を焼く動画が、出展されたとのことだ。作者は鈴木翁二という漫画家とのこと。この展覧会は公共施設を使っているが私的なもので税金の投入はされていないとの話だ。だからだろうかマスゴミは全く報道しなくて私は知らなかった。私的にしても馬鹿な集団がまだまだいるものだ。
 鈴木翁二とはどんな人物かとネットを見てみたら作品の画像があって、馬鹿左翼が描く絵には思えない、意外としっとりしたものだった。隠れたファンが結構いる、知る人ぞ知る作家らしい。70年代の「ガロ」作家らしいから左翼ではあろうが、「はだしのゲン」のような嫌らしく品のない作風では、ネットの画像を見る限り、なかった。
 左翼で出発して、それなりに食って行けて、且つ自分の境地を深めてきたとなれば、とんでもなく一般社会から飛び出た作品になってしまうのであろう。こういうのをガラケー芸術家、略してガラゲーと呼ぼう。主催者はもっともらしく彼らを持ち上げるが、正体は、奇形に進化した、変形芸術家というものであろう。
 このガラゲーのジャーナリスト版が植村隆である。彼は韓国から何かの賞を貰って大喜びしているそうだ。同僚だった朝日新聞記者からさえも、「偏見韓国からの賞など辞退するのがジャーナリストというものだ」と、批判されているが、ガラゲー新聞記者の行き着く先はそんなものだ。

スケッチブック30(南京大虐殺への一つの視点)

2019-12-28 12:49:06 | 日記
12月28日(土)
 今でも南京大虐殺があったあったと言われれば、そうかなと思ってしまうのが人間である。桜を見る会を、安倍が私物化した私物化したと、四六時中聞かされれば安倍辞めろの思いがしても、それが人間というものである。もし日本で犯罪の中で、万引犯しか国民に知らされない工夫がなされていたとしたら、万引犯が出たら極悪人と見做されて死刑にもなりかねない。その陰で殺人犯は人知れず生きおおせるというものだ。
 「木を見て森を見ない」とか「井の中の蛙大海を知らず」とは、昔から言い古された諺であるが、今でも有効期限の切れない、真実を突いた格言である。ほとんどの国民は南京事件の検証など出来ない。虐殺があったのか無かったのかの二者択一的にしか、覚えることができない。事柄の検証をせずにあったのか無かったのかを覚えようとしたら、声の大きい者の主張を聞くのが常道であろう。私はこういう状況の中では、国民の視野を広げてやるような、そういう知識提供が重要であると思う。
 それが南京事件の半年後に起こった、国民党軍による、黄河決壊である。
 昭和13年の6月に国民党軍は日本軍の進撃を止める為に、黄河中流の中原地帯で堤防を爆破して、黄河を決壊させた。これによる浸水範囲は日本の中部地方全部とほぼ一致する。凄まじい広さである。黄河は流れを変えてそれまで山東半島の北を流れていたものが、南側から海に注ぐようになってしまった。ちなみに共産党が中国を支配してから堤防が修復され、元のように山東半島の北側に流れが戻された。この爆破は明確に蒋介石の指示で行われたもので、まだかまだかと爆破を督促する蒋介石の様子を示す一次資料が、存在しているとの話である。
 黄河の爆破は確かに一時的には日本軍の進撃を止めた。しかし中国大陸は広い。日本なら中部地方が沈没すれば東軍も西軍もそれ以上進めまいが、日本軍は結局迂回して目的地の漢口を落とした。だから自国民に莫大な犠牲を強いた黄河決壊は半年?くらいの時間稼ぎにしか役立たなかった。
 黄河決壊の惨劇は凄まじい。蒋介石は決壊するなどとは一切自国民に知らせなかったから、いきなりの洪水による死者は100万人に上ったと言われる。悲劇はそれにとどまらない。黄河の流れが変わったため、今まで水が来ていた穀倉地帯は旱魃になって飢饉が起こり、新たに水が来た地方はこれまた水害で飢饉が起こった。そして死者は放置され、何年にもわたって衛生状況が悪化し、学者がしっかり調べればナチスも三舎を避ける、史上最大の虐殺事件だと、世界で認定されることだろう。そして蒋介石は黄河決壊を日本軍の仕業だと、臆面もなく内外に広言したのである。
 こういう事をするのが国民党軍であり蒋介石であり、延いては中国の指導者というものなのであろう。これが起こったのが南京事件の半年後である。これを知れば余程南京大虐殺を見る目が変わるのではないか。
 黄河決壊時に、勿論焼け石に水だったろうが、中国人を救ったのが進撃していた日本軍である。日本軍は中国人を高台に誘導して避難させ、軍の食糧を与えて命を救った。これを知れば余程目が変わろう。
 しかし黄河決壊事件はマスゴミが全く報道しない。だから日本人はほとんど知らない。日本人をめくらにする作戦が続いているからだ。だから我々は、ネットを引けばすぐに分かる簡単な事件だから、勉強して、友人知人に語ろう。

スケッチブック30(天皇の有用性4「何故天皇なのか」)

2019-12-19 16:52:51 | 日記
12月19日(木)
goo、老人を苛めるな。

 天皇が民族神であるとして、ではなぜ日本の場合、民族神は天皇なのかという、最後の問いが起こる。ヨーロッパにも王国は多いがその国の国王が民族神であるとは思えない。キリスト教+国王のセットで、民族神的なものになっていると思う。タイとかブータンでも国王だけでは民族神たり得ず、仏教とか何らかの宗教とセットになっているのではないか。ただこの辺についての知識はないから想像だが。
 日本の場合天皇は人であり且つ神である。これは恐らく世界中で日本だけの特異例ではないかと思う。普通、人が神を続けることはできない。だから神は非人格的な存在に昇華してゆく。非人格的な存在なら日和ることなく、裏切ることなく、永遠にその民族の為だけの存在に、なる事が出来る。カトリックの偉いさんが実は子供に対する性的暴行者だったという例は、人間の限界を示す良い実例である。
 こういう困難さの中で日本の天皇は人であり且つ神という奇跡を、続けているのだ。世界に稀な存在を、なくすなど許されないことだ。
 神が抽象的な理念ではなく生身の人間として現象することは、その国のナショナリズムを人間的なもの、すなわち穏やかなものにする。西洋人のように世界中を神の栄光の為に神の国にするとか、ISのように己の宗派の教えを全世界に強制するとか、中国のように中華帝国の栄光を世界に広げるとかの、極端に走るナショナリズムは日本に存在し得ない。それは日本の民族神が人であるからだ。
 八紘一宇は日本の神の押し付けではないかとの反論があろう。また朝鮮や台湾に神社を建てたのは日本の神の押し付けではないかとの疑問もあろう。それはその通りだが違いがある。神が理念ではなく人である日本の場合には、日本を広げる、すなわち朝鮮も台湾も中国の占領地も、日本にするとの意識でないと、外国を支配する作業が出来なかったと思う。理念を先行させることができないから、生身の人間を持って行ってそこを日本化する、そういう遣り方を取ったのだ。
 日本でも外地を占領すればそこを日本化する。ただ理念の先行はないから、他の理由で、例えば国防とか経済的利権の確保とかの理由があってその土地を占領するという、先立つ事態があってからの日本化である。キリスト教やISや中華帝国という理念を表立てて他国を支配するという作業は、日本人には出来ない。これが人間的で穏やかなナショナリズムと言う所以である。
 もし世界が帝国主義の時代を脱しているのなら、この穏やかなナショナリズムこそが、世界に適合した、世界が見習う思想であろう。それは日本が天皇制であるから、世界の範たり得るのである。

スケッチブック30(民族神は必要か)

2019-12-18 16:19:08 | 日記
12月18日(水)
gooよ、老人苛めはするな。仕方がないので目を見開いて書く。

 民族神はナショナリズムを高揚させる。例えれば自動車のエンジンを高馬力のものにするようなものである。それで制御を失って道路から飛び出すか、目的地に素早く着くかは、運転技術の問題である。運転技術に自信を失った現在の日本は、わざと低出力のエンジンにして、道を飛び出すまでに相当の時間がかかるようにしている。直近の世論調査では内閣不支持率が上昇して、支持率と拮抗する有様だ。馬鹿らしい限りだが桜問題が不支持率を高めたのである。ここで安倍首相を叩いておかないとエンジンを吹かして突っ走るぞ、道から飛び出すぞとの、運転技術に自信が持てない国民の不安感が作用した結果である。それで憲法改正に賛成だとの意見も低下した。国民は速く走ること、すなわちナショナリズムを怖がっているのだ。
 ナショナリズムの低下は国力の衰退という結果となる。これは明らかな事実だと思うが今の日本で結果を目にするには時間がかかる。だから他国に例を求めるしかないのだが、朝鮮が何故日本に併合されたかの理由は、朝鮮のナショナリズムが乏しいものだったからだと考える。一進会に代表されるように多くの朝鮮人が日本との併合を望んだ。これは当時の朝鮮の状況を見れば賢明な運動だったと言えるが、「俺たちは朝鮮人だ、朝鮮人で国をつくろう」とのナショナリズムが朝鮮人になかったからでもある。何故朝鮮にナショナリズムがなかったのかと言えば、朝鮮に強い民族神が居なかったからである。民族神的なものはあったろうが明治維新を起こさせるまでの、強力なものではなかったのだ。だから韓国は今「反日」を民族神にして、国の崩壊を必死に防いでいるのである。
 民族神即ちナショナリズムを失うと国も失うのが、歴史の現実である。だがと、多くの人は反問するだろう。ナショナリズムの高揚で日本は敗戦という塗炭の苦しみを舐めた、ナショナリズムは危険だと。そういう人達は大きな失念をしている。ナショナリズムがあったればこそ日本は西洋の植民地にならずに済んだという、大きな側面を。一つの側面だけに囚われるのは己を井の中の蛙に落とすことである。これはマスゴミが日々我々に仕掛けている乍術だから、知らず知らずのうちに多くの人々がそいう思考方法に染まってしまっている。ナショナリズムは高馬力のエンジンである。危険に感じるのは運転が下手だからだ。羹に懲りるのは良いが膾を吹くばかりでは、国は発展しない。
 日本は自信を失っているからナショナリズムの高揚即ち民族神の登場は、今のところ難しいであろう。だが原理的に、国の発展には絶対に必要なものである。