スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(ひょっとして密約が?)

2018-11-30 15:40:59 | 日記
11月30日(金)
 韓国の裁判所が三菱重工にも賠償を命じた。同様の判決がこれから湯水のごとく出されるであろう。安倍政権は何をしているのか。韓国政府の出方を見るとかこいて、澄ましている。人、物、金を遮断する動きに出なければ駄目だ。韓国とは無条約状態に準ずる状況になったのだから、それを演出したのは韓国政府なのだから、出方を見ても事態が好転する筈がないだろう。韓国政府は奴隷労働の救済は条約に優先するとの国際理解を得ようと、日本政府が出方を見ている間に、アメリカなどに積極的に働きかけているに違いない。反日の張本人の韓国政府の出方に期待するとは、なんという甘さだ。
 この日本政府の弱腰を見てふっと思ったのだが、日韓条約締結時に外務省は、何か韓国と密約を結んだのではないか。韓国は当初、妥結した協力金の三倍の金額を要求した。それを負けさせる代わりに、将来韓国が切実な国内事情から問題を蒸し返しせざるを得ない事になったとしても、日本は適切に対処するとかの。外務省としては将来韓国が経済発展すれば蒸し返される事態は起こらない、そう高を括って密約したのかもしれない。そう考えると日本政府の弱腰も理解できる。
 或いは岸信介にもつながる自民党幹部への相当なキックバックがあって、それを暴露するぞとの韓国の脅しに屈しているのか。いずれにしても日本政府がこのまま弱腰を続けると、上記のような疑念が国民の間に、沸々と湧いてこよう。

スケッチブック30(司法取引 恐ろしい)

2018-11-29 13:57:41 | 日記
11月29日(木)
 ゴーン問題は退任後の報酬支払いが、いつ確定するのかという問題に絞られてきたようだ。検察は毎年毎年確定していたというようだが、一部の新聞報道によればそれは取締役会で決定されたことではなく、役員給与支払い事務を担当する秘書室内での、覚書という形で約束されていたものらしい。いざ退職となった時秘書室がこういう約束になっていると言っても、取締役会で否決されたら支出できるのか。有価証券報告書の法律では、報酬は確定した時に記載しなければならないとなっているが、「確定した時」をめぐっていよいよ三百代言の出番だ。検察の思惑通り裁判が進むか甚だ疑問である。それにしてもこんな技術的問題で逮捕されたら堪らない。仮に有罪となっても微刑で終わるだろう。出所したらゴーンは、世界に向かって日本の不条理を喧伝するに違いない。暗黒政治の日本なら従軍慰安婦も徴用工の強制連行も、本当にやったに違いないと、世界の人々は連想式に思い込むに違いない。中国と韓国は大喜びで、ゴーンを自国の産業のトップに据えるかも知れない。
 仮にゴーンは無罪になっても、今の地位の原状回復は望むべくもない。数百億円の損害賠償を求めて日本政府を訴えるだろう。しかし日産内部にいただろうと推測する反ゴーン勢力の面々は、自分が訴えられる訳ではないので痛くも痒くもない。検察を使ってゴーン追い落としが出来て、大満足の儘だ。社内の権力争いの後始末を日本政府がつけるという、なんとも馬鹿々々しい事態が予想される。
 もしゴーン事件が日本政府も咬んだ国策逮捕でないとすると、一企業の内部抗争で検察が一方の勢力によって利用されたという、何とも恐ろしい話になる。犯罪者を挙げたいと腹をすかしている検察に、司法取引という手を使って、いとも簡単に餌が投げつけられるのだ。抗争相手を潰せるとなれば、司法取引で多少自分も傷つくとしても、ご注進ご注進と名乗り出るのに躊躇わないだろう。
 ゼネコンの談合だって同じだ。ご注進をした会社は指名停止を免れるとしたら、ご注進した会社は大儲けだ。司法取引は抗争相手を潰す手段に、たやすく使われる。仮に無罪となってもゴーンはもう葬り去られた。策謀をした人の目的は達せられているのだ。今まででも特捜部は恐ろしかったが、司法取引で益々凶悪化したように思う。

スケッチブック30(学問ノススメ)

2018-11-28 20:41:07 | 日記
11月28日(水)
 今学問ノススメを読んでいる。私は福沢の史実を何も知らなかったが、どうもこの本も彼も誤解していたようである。テレビドラマなどでは福沢は、ちゃらちゃらした西洋かぶれの男に描かれ勝ちだ。時代遅れれだが不器用な攘夷論者に比べて、好感が持てなかった。学問ノススメもそういう男が書いた、これからは洋学を勉強すれば立身出世できるぞ、俺のところに来て洋学を勉強しろ、そういうような本だと思っていた。
 だが本を読んでみるとどうも違うようである。福沢も芯は攘夷論者であるのだが、ただ外国人を見たら切れという単純な攘夷論者ではない、ということなのではないかとの気がしてきた。学問ノススメもただの洋学推奨本ではない。
 洋学を身に着けて立身出世を図るということは、別に福沢先生に教えて貰わなくても、当時の人々には常識であったようだ。福沢は洋学こそがこれからの日本に必要な学問だと説くが、それが現状は猟官の道具に使われている有様を、嘆き批判している。つまり徳川時代に漢学者が官途に就くための勉強をしているのに変わらないと、批判をしているのだ。
 福沢は学問をする目的は、学問の中に存在している真理を、世の中で実際に実現することだという趣旨の言を、述べる。漢学の中にはそういう真理がない、だから漢学の勉強は封建体制という限定的な制度の中で、己の立身をする為の役にしかたたない。ところが今の洋学者はまるで昔の漢学者のようにひたすら政府に雇用されることばかり願っている、洋学という真理を手元に置きながらその活用が出来ていない、そう激しく批判するのが、学問ノススメである。
 福沢は決して官僚を否定しているのではないが、学問をした者は単に明治政府という枠内に留まってはいけない、学問の真理を実践して、明治政府を学問に沿って押し広げてゆく者でなければならない、そういうことを言っているようなのである。だから学問ノススメは一種の国士養成本の部類に入るものであろう。
 福沢は維新後の日本の成り行きを非常に心配していたものと思われる。明治維新は西洋列強クラブとでもいうものに、新参者が新入しただけである。クラブに入ったからといって安泰になった訳ではなく、これから恐ろしい西洋諸国と競争してゆかなくてはならない、その中で食われてしまうかもしれないのだぞ。ヨーロッパでは国が潰された例はいくらでもある。日本もよほど頑張らないとそうなりかねない、そんな恐怖心を強く持っていたと考える。洋学者が徳川時代の漢学者のような発想しかしていないと、日本は危ないぞと警告するのが、学問ノススメである。
 学問の真理の実現とは、例えば学問をした人間が、大学とか病院の設立とか、銀行や製造業や商事会社や新聞社を起こすことである。明治政府の富国強兵政策と同調するものであるが、福沢は民間の力でそれを為すことが肝要だと、考えていたようである。想像するばかりだが福沢は、政府はどうしても幅の狭い事しかできない、民間なら学問の真理を縦横に押し広げられる、そんな風に思っていたようなのだ。それなくして西洋諸国に勝てない、そう思っていたようである。そして自分がその先頭に立つと広言している。一万円札に描かれるのも当然だと感心した。
 

スケッチブック30(報道の自由度)

2018-11-27 17:25:15 | 日記
11月27日(火)
 報道の自由度ランキングが気になったので少し調べてみた。やはり食わせ物である。
 各国づつに20人の担当者がいて、その国の自由度について評価を出すらしい。20人の氏名は公表されない。そしてここが問題なのだが、例えばA国の担当者とB国の担当者がお互いの評価尺度を照らし合わせるということが、ないらしいのだ。だから厳しい担当者は、政府高官の取材拒否を自由度マイナス5点とつけるが、そうでない担当者は0点とつけるというような事態が、起こっているらしい。
 日本は鳩山政権の時はランキングが11位だったが、安倍首相が再登板すると50位を超えた。その理由を問われた国境なき記者団のアジア担当者は、日本を担当する人がそのような悪い評価を出してきたからだと、答えたとのこと。体操でもフィギアスケートでも採点競技の審査員は共通の採点尺度を叩きこまれているが、報道の自由度ランキングにはそれが無くて、個人の裁量がそのままランキングに反映されているようなのである。日本の担当者の大部分は恐らく日本人であろう。それらが左翼記者であろうことは容易に推察できる。ならば支局長を長期に拘束する国よりも、日本のランキングが下になっても、成程と頷けるというものだ。
 一方で国境なき記者団は、担当者の政治的な志向が、ランキングに反映することはないと強弁するだろう。それを額面通り受け取ると、日本の低位置はやはり記者クラブ制度だということになる。鳩山の時は前述のように11位で、管の時はランキング発表がなく、野田が22位である。安倍政権は初め50位で今は70位台だ。極端な差がある。では安倍政権と民主党とで報道の自由に関して何が違ったのか。考えられる大きな違いは、記者クラブに対する態度の差である。
 民主党は記者クラブ制度の廃止をもくろんだ。それを政権奪取の公約に掲げていた。実際かなりの省庁で、フリーランスの記者にも会見への出席を認めた。安倍政権になってそれが従来に戻されたと聞く。この経過を私は迂闊にも当時知らなかった。だから詳しくはないのだが、民主党は記者会見を全ジャーナリストに開放し、安倍政権がそれを閉じたという文脈を信じるとすると、ランキングが上下した主原因は記者クラブの存否だと、いうことになる。
 ならば朝日や東京は日本の状況を嘆くより、自分たちのありようを改善すべきだろう。

スケッチブック30(やはりゴーン事件は怪しい)

2018-11-26 11:27:58 | 日記
11月26日(月)
 報道によれば何のことはない、ゴーンは上乗せ報酬額を、受け取っていないらしい。退職後に貰うと日産と約束したのだとのこと。だから脱税云々の報道が出ない筈だ。
 有価証券の法律からすると、約束であっても確定分としてその年の報告書に乗せるべきものだとの解説を見たが、どうだろうか、退職前に企業が潰れる事だってあるのだから、意見の分かれるところではないか。少なくともそんな技術的な問題で人を逮捕すべきではないだろう。日本はとんでもない野蛮国だと世界中の人が思おう。ゴーン逮捕は完全に国策か、東京地検の暴走だと断じる。

 フォント中村が再選された。大差である。つくづく愛媛県人は馬鹿だと思う。フォントがテレビに露出したから、おらが地域の偉人だと、こぞって投票したに違いない。馬鹿にされているのに漱石様が取り上げてくれたと嬉しがる、明治時代の思考そのものだ。

 アウンサン・スーチーの何とか賞が取り消された。立憲民主党に「トクホ」議員が存在するとのこと。口で美しい事を言っても、現実に遭うと腰砕けする標本だ。マスゴミに言葉をかけるつもりはないが、人々よ、これを見ても美辞麗句を吐く者達に、まだ騙され続けるのか。

 防弾少年団の東京コンサートが満員だったので、韓国では原爆Tシャツ問題は終わったと受け取られているとのこと。かように鈍感な国民には、原始的な刺激を与えるしかないのだ。

 国境なき記者団による報道の自由度ランキングで、日本は顕著な問題を抱えたグループに属し、世界67位の順位なのだそうだ。韓国は43位である。産経新聞支局長を長期拘束した韓国が日本より上位とは、てんで納得がゆかない。極左記者が日本ディスカウントを売り込んだ結果か、マスゴミが報道しない、例えば記者クラブ制度とかのマスゴミの構造的欠陥が指摘されているかの、どちらかだと思う。後者だとすれば、日本の報道機関は実に深刻な状況にあると言わざるを得ない。

 街に出るたびにエスカレーターの前に一列で並ぶ人々を見て、嫌になってしまう。あれは二十年くらい前に新聞が、ヨーロッパでは急ぐ人の為に片側を開けていると、嘘を書いたことに馬鹿な日本人が、なんと素晴らしいと感心したことに始まる。私はその直後にパリへ行ったがそんな光景は目にしなかった。日本人も愛媛県人並みなところがあるのだ。馬鹿らしい限りである。