スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(徴用工判決)

2018-10-31 15:26:58 | 日記
10月31日(水)
 私の予想に反して新日鉄有罪判決が出た。昔なら戦争である。日本も韓国との条約を勝手に解釈変更して、韓国に残してきた資産と支払い済みの賠償金を返還せよと、迫るべきである。韓国は明確な無法行為を働いたが、もしそれを咎めないでおけば、無法行為も無法行為でなくなってしまう。他人を罰するのは愉快なものではないが、ここは心を鬼にしてやらねばならない。
 新日鉄は日本政府の指示に従い賠償金の支払いをしないだろう。そうすると新日鉄の在韓資産が凍結される。そうなると日本政府に新日鉄を守る義務が生じる。どのように守るか。
 一つは新日鉄と取引のある韓国企業の在日資産を、凍結することだろう。私は可能だと思うが、法的にどうかは分からない。
 もし新日鉄という個別企業を守る手段がなければ、それに恐らく今後何十社という日本企業の敗訴が続くだろうから、国家として韓国に制裁を加える事態が必要となろう。
 まず日本は韓国と準断交状態に入ることである。具体的には韓国人を入国禁止にし、韓国製品へ高関税を課すのである。在日の地位剥奪を加えても良い。
 次に日本政府は韓国の不法行為を、国内外に、明確に宣伝しなくてはならない。朝日などのマスゴミが反対するだろうが、トランプに倣いネットを使って、明確に発信するのである。朝日を読む人もネットを見る人はいる。必ず正しい理論に従おう。日本国民は韓国との闘争に臨むに、自国に武力が無い事から心理的に脅えが生じようが、憲法改正を説けば、その怯えも解消されよう。
 韓国はルビコン川を渡ったのである。日本も覚悟を固めなければ負ける。
 
 

スケッチブック30(東京医大・徴用工他)

2018-10-29 14:58:42 | 日記
10月29日(月)
 東京医大が批判にさらされているが、釈然としない思いだ。マスゴミも評論家もそして人々も、ついさっきまで盛んにペーパーテストの非を鳴らしていたではないか。ペーパーテストによる偏差値優秀人間を、駄目な奴と印象づけて、彼らの採用とか出世を危険視していたではないか。東京医大はペーパーテストだけに頼らない、全人格的な入試選抜をしていたと、考えたら間違いなのか。
 自衛官の採用をペーパーテストだけでしていたら、体力に劣る女子が半数を占めるかも知れないが、自衛隊はそんな採用をしない。それを誰も不思議に思わない。医者だって体力勝負の面があるとしたら、東京医大は偏差値人間に囚われない賢明な選抜をしていたと、むしろ褒められてしかるべきだ。
 女子と浪人の排除が全人格的な選抜方法かとなると、確かに疑問は出るが、ペーパーテストだけに頼るなと言ってきたマスゴミ、評論家、人々も、自分たちの主張に沿って取り敢えず東京医大は動いていたと、積極的に評価するのが当然であろう。やるべきは選抜方法についての検討であり、ただ点数を誤魔化したと非難して済ますのは、己の主張がいかにいい加減なものだったかという証明である。東京医大が経験則から女子と浪人の多くは医者に向かないと結論するのなら、それを覆すか、少数の向く者を見つけ出す方策を提言すべきである。

 明日韓国最高裁で徴用工判決が出る。予想だが、日本に金銭的な救済を要請するが、日本企業への罰則は法的に課せない、そんな政治的判決になるのではないか。自衛艦の派遣中止で文も安倍政権の決意を知った筈だ。もし日本企業を有罪として資産没収でもすれば、日本から強烈な対抗を受けると考える筈だ。しかし、普通の人ならそう考えようが、文は別かも知れない。北の事しか頭になくて、自由主義陣営の結束など考慮する余地を持たないかもしれない。罰金刑の有罪判決なのかも知れない。

 メキシコを縦断してホンジュラスから難民が6千人もアメリカに向かうという。よほどの健脚の人で二月はかかろう。難民なら四か月か。途中の生活物資や寝る所はどうやって確保するのだ。とても自然発生的に起こったとは思えない。アメリカへの嫌がらせであろう。メキシコは列車やトラックを用意するつもりか。中国やロシアは陰で食料を援助するか。そういう扇動と支えがなければとても出来まい。しかし6千人もの難民である。通過した跡が、イナゴに食い荒らされたようにならなければいいが。
 
 外国人労働者の新たな受け入れ方法が検討されているという。しかしTPPは人の自由な行き来を保証するものではなかったのか。TPPを結んだ以上外国人の移住は必至だと思っていたのだが、保守の評論家からそう言われて反対していたのだが、違うようである。では保守の人が言った「亡国最終兵器」とは何であったのか。郵政改革でアメリカに金を取られると騒いだように、根拠のないデマだったのか。外国人受け入れの新たな法律がTPP批准の為でないとしたら、彼らは嘘を言っていたことになる。
 産業界は人手不足解消が急務なのだろうが、日本はアラブのようにオイルマネーが入る国ではない。自国民の数以上の労働力が要るということは、国内で必要とされる需要以上の仕事を産業界は抱えている(或は通常以上の贅沢を日本人がしている)ということだと、素人の私などは思うが、それがいつまでも続くであろうか。急場を凌ぐだけなら、数量制限を、ぜひともすべきだろう。

スケッチブック30(安田純平)

2018-10-28 17:25:24 | 日記
10月28日(日)
 安田純平さんについて金平や玉川などが自己責任論批判をして、国民の本当の思いを覆い隠そうと必死になっている。
 国民は安田さんが日本に感謝しないことを怒っているのだ。解放された早々に言った言葉が、日本政府の働きによって解放されたと思われたくない、という趣旨の発言だった。政府の働きがなくて誰が解放してくれたというのだ。身代金をカタールに建て替えて貰ったのならいずれ返さなくてはならない。流行りの表現をすれば、国民の税金だ。テロ組織はその金を使ってまた新たなテロを起こし、人々を殺す。それでも日本人を助けたいと全国民が願っていたのに、感謝の言葉一つなく、ゆっくり休みたいだと。安田さんのジコチュウの姿勢に国民が怒って、自己責任論なる表現で安田さんに怒りを投げつけているのだ。
 一応、自己責任との論法で安田批判が国民の中で上がっているが、それはまだ十分に練り上げられた言語表現ではなく、まだどろどろとしているが国民の本当の心情は、助けられたのに感謝どころか政府を詰る安田という男は、人間としてどうなのかという所のものなのだ。この意識が伸びてゆくと普通の国のように、日本に国民意識が育ってしまうかもしれない。その生育を金平と玉川は阻止したいのだ。
 金平や玉川は国民が怒っているという事実を何とかテレビ画面から消したくて、自己責任論批判のスコラ哲学論争を起こして、国民の目を別方向に向けさせようとしているのだ。
 また私が思うに安田さんは特異な人で、金平や玉川を、取材をしない「記者」として馬鹿にしていると思う。金平や玉川はそれがとても痛いので、安田さんをことさら弁護することで、取材をしない「記者」である自分達の後ろめたさを、隠そう隠そうと必死なのでもある。俺は安田さんの側だぞ、そう国民にポーズを取って、自分を心理的に誤魔化しているのだ。
 日本人である私は、感謝の言葉を述べろと、安田さんに言いたい。解放に尽力してくれた日本に感謝しつつも、真のジャーナリストとして(金平や玉川とは違い)再び戦場に行かざるを得ない、その思いを訴えれば、国民だって自己責任論をぶつけて非難するような事はしまい。しかしどういう訳かそれをしないで安倍批判までする。嫁や家族もそうだ。変な織物を千羽鶴だと称して、本物の千羽鶴を貶めようとしているのか。プロ人質との誹謗さえ本当らしく思えてしまう。
 確かに3年も拘束された割には元気すぎる。あれで髭を剃ったら普通人と変わらないのではないか。髭は拘束のカムフラージュか。私も安田さんの言動には納得し難い点がある。カメラを没収されたことに怒って、そこまでするかと言っていたが、よく独裁国家の警官が記者のカメラからフィルムを抜くシーンをテレビなどで見るではないか。カメラを没収する方が普通ではないかと考える。今まで安田さんはカメラを没収されなかったのだろうか。私は没収されたはずだと思うが、ならば今回怒る理由が分からない。
 安田さんは半そでシャツ姿だった。拘束で心身が弱っているだろうに、元気なことだ。
 韓国人だと言ったのは日本人だと特定されないためというような変な、とても頭に入りずらい説明をしていたが、英語で言ったのならともかく日本語で喋っていたのだから、日本人と特定されないも糞もあるまい。フォント中村とそっくりな詭弁だと思う。
 今回安田さんは事件について何も説明しないで終わるだろう。事件の全容が日本国民に知らされて、ジャーナリズムの目的の筈である一記者の体験を全国民と共有することは、彼の反日ぶりから見るに、恐らくないだろう。

スケッチブック30(平成12年ころ 2)

2018-10-21 16:42:45 | 日記
10月21日(日)
 アキレスと亀の話がある。あれに感心する人の気が知れない。亀を基準にして時間を止めれば確かにアキレスは追いつけない。それだけの話である。しかし時間はアキレスにも亀にも公平に推移する。
 国旗国歌法に悩む教員や新聞人にも、共通して言えることだ。その時点の自分の感情だけに思考を固定すれば、確かに国旗国歌法は強制と良心の圧迫と受け止められるだろう。しかし社会の波は公平に推移する。アメリカの翳り、中国の台頭の気配、韓国の反日、国家債務の増大、国民の国家意識の希薄化等々、新しい環境が次々と出現している。それらを全く無視すれば、確かに国旗国歌法など圧迫以外の何物でもないだろう。しかし日本がこれまで通りに立ち行かない恐れがあると危惧するなら、国旗国歌法を一つの対策と捉えて、積極的にその意義を問う姿勢が出るであろう。
 投書子に比べると新聞人はやはりインテリである。社説などの最後の所では自虐史観丸出しで済ますが、若い記者たちの中には、新しい波は波として捉え、それに従来通りの思考でどう対処するか、その悩みに向き合う者もいるように感じられる。つまり国旗国歌を排除する姿勢に立って、新しい現実にどう対処出来るか、悩んでいるのだ。私はそれは天動説の儘で15世紀後半の新しい天文学の知見をどう説明するかという、不毛の試みと同じに見える。だから彼らは、自分の心の苦しみの表明とか、或いは風が吹くと桶屋式の、訳の分からない駄文を書くしかないのだ。
 彼らが目指す一つの解答が、グローバリズムとかポリティカルコレクトネスである。国家間の対立があるから、国民意識の高揚が要請され、国旗国歌などの人心を鼓舞する事物が必要とされる。国境を越えて人々が理解し合えばそんなものは不要である。その為にはまず人種とか或るグループが特定されるような表現を止めなければならない。他者を対立的に捉えるのではなく、同じ地球人として認識する努力をしようという訳だ。これなら日の丸君が代を排除する意識の儘で新しい波に対抗してゆけそうだ。
 しかしこの意識は世界的にはともかく日本の人々の意識では、中国の振る舞いによって急速に薄れてきていると思う。憧れの中国様がやっていることは、グローバリズムとかポリティカルコレクトネスとは真反対の、中華帝国の復活とウイグル人への弾圧ではないかという訳だ。つまりグローバリズムなどアジアでは絵空事だと、時の流れは自分の上にだけ都合よく留まってはくれないとの、客観的な見方が出来つつあるのだ。
 恐らくこれが今の日本人の大多数の人の本心だと思うが、本心がそのまま世論を形成するとは、限らない。世論は人々の本心に、マスゴミと知識人による触媒作用が加わって、形成される。このマスゴミと知識人は圧倒的に、新しい波見ない派である。何故なら彼らはそれで食っているのだからだ。彼らが新しい波を見ないで食える最大の原因が労働組合の存在である。ユニオンショップ制によって労働組合の存在は揺るぎないものだ。チェック・オフによって膨大な金が組合に転がり込む。その金で立民などの左翼政党が生き続ける。政治の中枢に現実見ない派がどっしりと存在するということは、マスゴミにも知識人にも、シンパが沢山養成されるということである。人は食えないようにならない限り、滅多に職業を変えないものだ。現実見ない派が食っていける社会構造が、日本の癌である。
 私は労働問題は全く知識がないが、ユニオンショップ制を廃止することが一番日本の為になることだと見当づけている。しかしその種の議論を見ない。
 

スケッチブック30(中国)

2018-10-20 14:13:44 | 日記
10月20日(土)
 中国は傲慢を通り越して、自分しか見れない、ごく狭い視野を持つ身に生まれついた人々が住む国かも知れないと思う。自民公明両党と中国共産党の定期会話なるものがあるそうで、そこで日本に来た中国共産党の偉いさんが、「メディアに働きかけて、情報を訂正して貰い、世論の形成をリードしてゆくこと」が、両国の与党の役目だと講演したそうだ。自民公明の出席議員は万雷の拍手で答えたとのことだ。しかし中国共産党がする「メディアへの働きかけ、情報の訂正」とは、強圧と暴力を持って共産党の見解を書かせるものである。民主主義国の日本へ来て、しかも与党議員を前にして臆面もなくメディア規制を言うとは、他国の国情に全く無関心であるからであろう。エゴイストとも自分本位ともニュアンスの異なる、他人無視人間の振る舞いと評するしかない。普通はよその国に行ったらその国に配慮した物言いをするものだ。言論の自由は日本の金看板である。それを平気で踏みにじる演説をするとは、中国人でなければ成し得ない芸であろう。
 万雷の拍手をした議員さんたちも情けない限りだが、これは日本流に「メディアに正しい情報を根気よく流して、気づいて貰う」という、外来文化受容の際の改編という伝統的思考方法から出たものであろう。しかし中国共産党の偉いさんは、日本人も俺を熱烈に支持した、そのように本気で国に報告するに違いない。
 日本人にはどういう訳か中国に憧れる人が多い。私の会社の先輩は中国にほれ込んで早期退職し、聞いた話では軽自動車を持ち込み、それを運転して、何年も中国各地を旅行しているとのことだ。また高校の時の英語の先生は、退職して数年間西安で日本語教師をしたと、これは同窓会で直接先生から聞いた。私は日本書紀を勉強するカルチャーセンターの旅行で、2回中国旅行をしたが、メンバーのほとんどが10回以上は中国旅行をしていて、中国の全部の省に行ったことがあるという人もおり、驚いたものだ。殆どの人がまだ近代化されていない頃の風情を懐かしんでいた。また贖罪意識も多分にあるようで、長春に行ったとき、関東軍司令部とか国務院の建物が現役で使用されているのを見て、「中国の方たちはなんと心が広いことか、あんな酷い目に遭わされたのに、日本の建物を大切に使っていてくださる」との一人の婦人の呟きに、多くの人が共感していた。この種の思い入れは現在の人の感情だけでなく、戦前もそうだったのではないかと考える。蒙古放浪歌とか馬賊の歌などを聞くと、中国に対するロマンティックな憧れが底流にあるように感じるのだ。
 私には不思議である。私はヨーロッパには憧れたが、中国にそういう感情を持ったことがないのだ。私は案外日本人も、片目でしか中国を見ていないのではないかと思う。古代中国の文化財として青銅器が有名である。戦前の財閥が収集してかなりの物が日本国内にあるという。しかしカルチャーセンターの先生が言うには、青銅器以上に中国で尊重された玉器については、日本人は全く無関心で、どの博物館にもほとんど現物がないそうだ。従って日本人の玉器の研究者はほとんどいないと仰る。青銅器は漢代で途絶えた。しかし玉器は青銅器出現以前の石器時代から存在し、漢代を通り越して今に至るまで連綿と、中国人が尊重してきた物であるとのこと。先生が言われるには、玉器を理解しなくて、中国人の理解はできない、のである。もしその通りなら日本人は明らかに中国に対する見落としがあったわけであり、これから始まるカルチャーセンターの講座で、それを自分で確かめるつもりだ。