スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(予約くらい取り消せよ)

2021-05-28 09:43:21 | 日記
5月28日(金)
 世田谷区民の多くが二重予約して、自治体の方の予約取り消しをしていないとの話だ。さすがは「革新」区長様下の「意識高い系」住民たちではある。
 テレビ局が予約取り消しは高齢者にはハードルが高いなどと、馬鹿な街の声を流していた。自分たちに都合の悪い事はしなくても良いとの、左翼意識丸出しの住民たちだ。ハードルは高くても、ワクチンを打ちたい一心から、予約は取ったんだろう。取り消しとなると自分に利益を生まない行為だから、高いハードルを越える努力をする気はないと言うのだろう。自分に益のあることはやる、益のない事は理屈を探してやらない、まさに左翼人間である。公益のため、人のためとの発想がまるでない。
 少しでも早くワクチンを打ちたいとの気持ちは分かる。だが自治体の方の予約取り消しくらいしろ、それが人間というものだ。
 おそらくだがこの間たちへの追及はこれ以上なされないだろう。何故なら二重予約問題は、自衛隊から接種情報を貰って自治体が自分の所の予約台帳と照合しなければ、分からないものだからだ。それは自衛隊による個人情報の漏洩になりかねない。「革新」区長様下の事だ、誰かが誰かを使って裁判を起こさせかねない。今後照合は続けるだろうが、発表はしないと考える。

スケッチブック30(アメリカの選挙 分からない国だ)

2021-05-25 10:25:08 | 日記
5月25日(火)
 アメリカのどこかの郡で郵便投票分の再集計を、手集計でしたら、投票機のカウントと明らかな差が生じたとのことだ。アメリカでは郵便投票で送られてきた投票用紙を、投票機にかけて集計する。その投票機が狂った集計結果を出していたというのだ。
 原因はアメリカの投票用紙は大型だから郵便で送るためには、折りたたむ必要がある。私は見た事がないがアメリカには家庭に、或いは郵便局にか、折りたたむ機械があるそうだ。その機械に掛けて折りたたむと、どの投票用紙にもほぼ一定の位置に、折りたたんだ線が生じる。その線を投票機が誤って投票の印だと読み取ってしまうのだそうだ。これは作為的に折りたたみの線を作って投票機に読み取らせる実験をして、明らかになったものだそうである。そしてこの誤った読み取りをするパーセントは、同一機種であっても、個別の機械ごとに違っていたとの事でもある。
 この投票機は全米の十一の州で使われており、そのうちの四州では広範囲に使われているとのことだ。ただこの折り目の線は大統領選の場所ではなく、下院議員選挙の候補者の所についていたから、大統領選に影響するものではないと選挙管理部署は言っている。ここが大らかと言うか日本人には分からない所だ。R4や居眠り福山や枝野だったら、まなじりを釣り上げて、「他の結果も信用できない」と、怒り狂う所である。そして日本の選挙管理委員会なら間違いなく恐れ入る。
 今回の集計相違は下院議員の選挙結果を変えるものでもないそうだ。投票機のカウントは当選した下院議員に不利に働いており、今回の手集計の結果、その議員の得票は増えたのだそうだ。
 どうも私にはアメリカの投票制度というものは、杜撰なものに思える。本人確認の厳格化を、弱者の投票機会を奪うものだと非難する理屈には、まったく同意できないが、大リーグはオールスター戦の場所を移したくらいだから、アメリカ人の多くは真剣にそう思っているのだろう。そのくせいい加減な票の数え方で済ましている。貧民やマイノリティーには嘘でもいいからできるだけ多く投票させる、しかし票の数え方は俺たち(支配階級)の都合でやる、これが民主主義だ、そんな制度のように思えてならない。

スケッチブック30(オリンピックは国難である)

2021-05-24 10:19:07 | 日記
5月24日(月)
 オリンピックは進むも退くも困難な、国難である。
 開催すれば世界中から変異株が集まって、未曽有の第五波に襲われる事態になるかも知れない。それでなくても人の流通は活発になるから、第四波は収束しないかも知れない。欧米とは逆に日本が感染大国になる恐れもある。
 しかし中止すれば日本経済は更に落ち込もう。今までの投資はパーだし、社会の空気は希望を失って相当暗くなる。上級国民は食って行けるから社会の暗さを静逸と感じるかも知れないが、中下流国民は経済の停滞で相当数の自殺者が出ると予想する。
 話題のIOCへの賠償金であるが、欧米諸国は収束に向かっている、日本の現状もその欧米と変わらないか、むしろ良好な感染者数である。ワクチン接種が進めばこの先コロナに勝てるではないか、それなのに日本は何をびくついて止めるのかと言うであろう。この論法で来られると賠償金は払わざるを得ないと思う。IOCは日本で第五波が起こっても所詮他人事である。正論で詰め寄るに決まっている。
 オリンピックはやってうまく行けばよいが、第五波に曝されたらとんでもないことになる。
 しかし中止したら国内経済の落ち込み、それによる自殺者の増加、巨額の賠償金と、これまた日本は踏んだり蹴ったりの有様になる。しかも、やるか止めるかどちらにしても、それぞれの派には応援団と聖歌隊がついているから(今のところ止める派が活発だが)、国論は真っ二つに割れて騒擾になりかねない。IOCはじめ韓国・中国などの諸外国は、日本ディスカウントの見物だと喜んでいる。まさに国難である。
 オリンピックについて安全な選択肢はないと思う。やっても止めても危険が付いてくる。だから国難である。
 私は乾坤一擲の覚悟で、やるべきだと考える。うまく行けば日本はコロナに勝つファンファーレを挙げたと、世界中から褒め称えられる。経済は活性化し自殺者は減る。リスクはあるが成功した場合の、メリットがある。止めた場合は、死にそうになるのを重体で止めたと言うだけである。成功するように努力するのが、正しい道ではないか。国難に勝とう。


スケッチブック30(安定的な皇位継承)

2021-05-23 15:57:09 | 日記
5月23日(日)
 安定的な皇位継承と言いながらその実、女系天皇を新設しようとしている。今実質的に親王殿下は一人だけである。それでは皇位継承権者が僅少にすぎるとは、誰しも思う所であろう。しかし女系天皇を新設すれば解消できるのか。今内親王は三人だから一人よりかは心強い、と言うのかも知れない。
 考えなければならないのは愛子内親王が天皇になれば、その子が男であれ女であれ、天皇位を継いでゆくという事である。二代三代と経てば愛子家の子供だけが、有資格者となる。だから今内親王は三人だからとの安心は、何の役にも立たない。そしてどの家でもそうだが、跡取りが耐える事態は、あり得ることだ。今は男系という事で広く有資格者を他家に求められる。しかし女系天皇も認めるという事は、一つの家だけに天皇位の継承をさせるという事で、子孫が絶えるという事態は十分あり得る。そうなったらまた安定的な皇位継承手段を考えなければならない。
 私は女系天皇を認めても安定的な皇位継承が計られるとは思えない。女系天皇は結局愛子家だけの皇位継承となり、一つの家は必ず子孫が絶える恐れがあるからだ。有史以来の伝統を変えてまでする重大さに、引き合わない。
 そう考えると女系天皇を言う人は、伝統的な天皇制度を破壊したいと言う、隠した思いがある人たちだと思わざるを得ない。
 宮家の復活を図れば済む話である。ただ現在の人々の社会意識とか宦官マスゴミ、シーラカンス学者、チンピラ野党などを見ると、とても簡単に進むとは思えない。日本の国体に関する喧々諤々たる議論が起きよう。まあ宮家の復活は後回しにして、女系天皇の新設に反対してゆくしかないか。

スケッチブック30(田中事務局長逮捕 報道と真実は違う)

2021-05-20 21:41:30 | 日記
5月21日(金)
 田中事務局長が逮捕された。テレビの報道ではリコール署名が思うように伸びないので、田中事務局長が焦って偽造に走ったという雰囲気で、元特捜検事の男に喋らせている。しかしそれは私がボランティアの方から聞いた話とは違う。田中事務局長は最初からまるでやる気がなかった、それはせっかく集まったボランティアの人々を邪険に扱ったことでも、街宣のマイクを買う金もボランティアには渡さず、ポスティングのチラシもボランティアが自費で印刷する有様だったことでも、それはよく分かる。田中事務局長は初めから地道に署名を集めるつもりはなかった。
 もう一つテレビ報道では選管が偽造署名を発見したかのような放送をしている。これも全く違う。ナンバリングがしてないことに驚愕したボランティアが深夜連絡を取り合い、県内各地の選管に出向き、提出された署名簿に通しナンバーを打つ作業をしたその時に、大量の偽造署名に気付いたのだ。そして一部の人が偽造署名簿を抜き取り、警察に告発をしたからこれだけ大きな問題に発展したのだ。
 ボランティアの中では前々から事務局の不審な動きは囁かれていた。だが多くのボランティアが各地の選管事務所で偽造署名を目にし、声を挙げなかったら、恐らく選管はリコール不成立で署名簿を事務局に返し、高須院長が薬品で溶かして終わったろう。
 テレビで解説する全員が偽造は民主主義の根幹を揺るがす大問題だと言う。そして大村リコール運動そのものを何となく、うさん臭いものだったかに匂わす。だが偽造署名を発見し問題化したのは、リコール運動の渦中にいて、真に大村リコールに身を捧げたこのボランティアの方々達なのである。この人たちこそが民主主義を救ったのだという事を、報道するべきである。
 まあこれがよく言われる真実と報道との違い、真実と書かれた歴史との違い、卑俗には真実と噂の違いというものかもしれない。