9月30日(水)
永田鉄山と並び称されているのが石原莞爾である。「最終戦争論」が有名だが私には永田以上に理解し難い存在だ。支那事変当時部下だった武藤章作戦課長が部長である石原を評して、「石原部長の言う事は猫の目のように変わる」「部長のように空想的なことを言っておっては、現実はやれん」と言ったそうだが、武藤の気持ちがわかる気がする。
「最終戦争論」は昭和40年頃に日米が最終戦争を行うというものだが、その20年も前に日本はアメリカに完膚なきまでに負けた。それで石原は「最終戦争論は間違いだった」と言ったそうだが、まあその時点で最終戦争を言えば気違い扱いだろうからやむを得ないにしても、あまりに情けない話ではないか。
「最終戦争」にしてもアメリカの20分の1くらいの国力の日本が何故東洋のチャンピオンとして登場できるか(しかも勝つと言っているのだ)というと、日本文化が東西を統合出来る優れたものだから、とくるのだが、これはさっぱり分からない。またなんで最終戦争の後に恒久平和が訪れるのかもさっぱり理解できない。
石原も全支那領有論者であった。満州事変の頃は、中国大陸での戦争は経費が掛からない、それは中国大陸での徴税其の他によって賄われる(いわゆる戦争で戦争を養う論)からだと言っていたのに、いざ事変が始まってみると、「支那は一撃では倒れない、泥沼化する」「こんな大軍を送り込んだら日本は破産する」と言って、日本権益を放棄してでも蒋介石と和睦せよと言い出す始末だ。
私は蒋介石との和睦論は正しく、石原は現実を見た軍人だったと思うが、ずっと石原理論を信奉してきた部下たちには、石原は豹変したとしか思えなかったろう。
私は石原莞爾とは普段は妄想を言うが、実際に事をやる時は現実的な行為をする、そんな二重人格の人に思える。世界に鳴り響く石原莞爾に最終戦争で日本はアメリカに勝つと言われれば、単純な軍人や国民は大喜びをしたろう。それが石原の妄想部分だとは知らずに。戦前の政治に石原の妄想は相当悪影響をまき散らしたと思う。
永田鉄山と並び称されているのが石原莞爾である。「最終戦争論」が有名だが私には永田以上に理解し難い存在だ。支那事変当時部下だった武藤章作戦課長が部長である石原を評して、「石原部長の言う事は猫の目のように変わる」「部長のように空想的なことを言っておっては、現実はやれん」と言ったそうだが、武藤の気持ちがわかる気がする。
「最終戦争論」は昭和40年頃に日米が最終戦争を行うというものだが、その20年も前に日本はアメリカに完膚なきまでに負けた。それで石原は「最終戦争論は間違いだった」と言ったそうだが、まあその時点で最終戦争を言えば気違い扱いだろうからやむを得ないにしても、あまりに情けない話ではないか。
「最終戦争」にしてもアメリカの20分の1くらいの国力の日本が何故東洋のチャンピオンとして登場できるか(しかも勝つと言っているのだ)というと、日本文化が東西を統合出来る優れたものだから、とくるのだが、これはさっぱり分からない。またなんで最終戦争の後に恒久平和が訪れるのかもさっぱり理解できない。
石原も全支那領有論者であった。満州事変の頃は、中国大陸での戦争は経費が掛からない、それは中国大陸での徴税其の他によって賄われる(いわゆる戦争で戦争を養う論)からだと言っていたのに、いざ事変が始まってみると、「支那は一撃では倒れない、泥沼化する」「こんな大軍を送り込んだら日本は破産する」と言って、日本権益を放棄してでも蒋介石と和睦せよと言い出す始末だ。
私は蒋介石との和睦論は正しく、石原は現実を見た軍人だったと思うが、ずっと石原理論を信奉してきた部下たちには、石原は豹変したとしか思えなかったろう。
私は石原莞爾とは普段は妄想を言うが、実際に事をやる時は現実的な行為をする、そんな二重人格の人に思える。世界に鳴り響く石原莞爾に最終戦争で日本はアメリカに勝つと言われれば、単純な軍人や国民は大喜びをしたろう。それが石原の妄想部分だとは知らずに。戦前の政治に石原の妄想は相当悪影響をまき散らしたと思う。