5月30日(木)
天皇制に馴染めない人間の一類型が、人が神であることへの、根本的な拒絶である。人が神であるとはどう考えても不合理で納得できないというものだ。しかも戦前は「国体の本義」とか「臣民の道」とかで、否応なしに天皇は神であると強制され、逆らえば殴られ牢屋にぶち込まれ、全く持って精神的なトラウマが刻み込まれたのだから、こういう人達が世の中に多いのも無理はない。
この拒否感は理論的にはなくせない。人が神であるとは確かに完全な矛盾であるからだ。だからその事を考えないとか、矛盾ではあるが天皇は日本民族の為に祈りを捧げる有難い存在だとかの功利性を持ち出して、天皇の存在に合理的を持たせるしか方法がない。理論ではなく現実の要請から説明するのである。
多くの人は頭でっかちな青春時代はともかくいっぱしの大人になれば、ふんふんと頷いて天皇への拒否感は消失する。しかしそうでないもう一類型が存在するのだ。
辻元清美が典型であると思うが彼女はこんなことを言っている。~天皇は生理的にいや。ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない。~(スポーツ界は)人生訓とか道徳を押し付ける。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している。~天皇っていうのも、日本がいやだという一つの理由~。彼女はこれらの発言を考えが浅かった昔のものと弁明するが、本心は今でもこのままだろう。というのはこれは第二類型の人の実に正直な感想で、よほどの人生体験がないと変わらないものだと思うからだ。
第二類型の人は天皇の功利性が嫌なのである。天皇は宗教的に言うと日本の民族神、卑近に言うと日本人の父親的な、日本人を包み込む愛育する存在である。だからこの愛育感というか抱擁感を素直に感じる人たちは、それが大部分であるが、天皇制を肯定する。しかしどういう訳か、理由は不解明だが、日本社会に自己の存在感が持てない人もまた存在するのである。
辻元はスポーツ界を例に引いているが、特に体育会系と言われる団体には一種の風土がある。中日の落合はそれに馴染めなかったそうだが、風土である以上違和感を持つ少数者も当然いるであろう。肉しか食えない奴はどうしても魚社会では落ち着けないだろう。天皇という慈愛溢れる親が見守ってくださる、そういう感覚になれない人は確かにいる。
辻元女史は正直な人である。天皇が嫌だから日本が嫌いだと、明言している。彼女は日本という風土に馴染めないのだ。
こういう存在は何時の時代にも、またどの国にも生まれると思うが、天皇制によって風土性が増している日本には、それだけ諸外国より存在のパーセントが高いのではないか。
第一類型の者には教育を施すべきである。
しかし第二類型の者には、無視し、彼らの言説に、俺は天皇の慈愛を感じられるが、お前は可哀そうだなと見下すしかないであろう。
天皇制に馴染めない人間の一類型が、人が神であることへの、根本的な拒絶である。人が神であるとはどう考えても不合理で納得できないというものだ。しかも戦前は「国体の本義」とか「臣民の道」とかで、否応なしに天皇は神であると強制され、逆らえば殴られ牢屋にぶち込まれ、全く持って精神的なトラウマが刻み込まれたのだから、こういう人達が世の中に多いのも無理はない。
この拒否感は理論的にはなくせない。人が神であるとは確かに完全な矛盾であるからだ。だからその事を考えないとか、矛盾ではあるが天皇は日本民族の為に祈りを捧げる有難い存在だとかの功利性を持ち出して、天皇の存在に合理的を持たせるしか方法がない。理論ではなく現実の要請から説明するのである。
多くの人は頭でっかちな青春時代はともかくいっぱしの大人になれば、ふんふんと頷いて天皇への拒否感は消失する。しかしそうでないもう一類型が存在するのだ。
辻元清美が典型であると思うが彼女はこんなことを言っている。~天皇は生理的にいや。ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない。~(スポーツ界は)人生訓とか道徳を押し付ける。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している。~天皇っていうのも、日本がいやだという一つの理由~。彼女はこれらの発言を考えが浅かった昔のものと弁明するが、本心は今でもこのままだろう。というのはこれは第二類型の人の実に正直な感想で、よほどの人生体験がないと変わらないものだと思うからだ。
第二類型の人は天皇の功利性が嫌なのである。天皇は宗教的に言うと日本の民族神、卑近に言うと日本人の父親的な、日本人を包み込む愛育する存在である。だからこの愛育感というか抱擁感を素直に感じる人たちは、それが大部分であるが、天皇制を肯定する。しかしどういう訳か、理由は不解明だが、日本社会に自己の存在感が持てない人もまた存在するのである。
辻元はスポーツ界を例に引いているが、特に体育会系と言われる団体には一種の風土がある。中日の落合はそれに馴染めなかったそうだが、風土である以上違和感を持つ少数者も当然いるであろう。肉しか食えない奴はどうしても魚社会では落ち着けないだろう。天皇という慈愛溢れる親が見守ってくださる、そういう感覚になれない人は確かにいる。
辻元女史は正直な人である。天皇が嫌だから日本が嫌いだと、明言している。彼女は日本という風土に馴染めないのだ。
こういう存在は何時の時代にも、またどの国にも生まれると思うが、天皇制によって風土性が増している日本には、それだけ諸外国より存在のパーセントが高いのではないか。
第一類型の者には教育を施すべきである。
しかし第二類型の者には、無視し、彼らの言説に、俺は天皇の慈愛を感じられるが、お前は可哀そうだなと見下すしかないであろう。