スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(天皇は嫌)

2019-05-30 14:37:17 | 日記
5月30日(木)
 天皇制に馴染めない人間の一類型が、人が神であることへの、根本的な拒絶である。人が神であるとはどう考えても不合理で納得できないというものだ。しかも戦前は「国体の本義」とか「臣民の道」とかで、否応なしに天皇は神であると強制され、逆らえば殴られ牢屋にぶち込まれ、全く持って精神的なトラウマが刻み込まれたのだから、こういう人達が世の中に多いのも無理はない。
 この拒否感は理論的にはなくせない。人が神であるとは確かに完全な矛盾であるからだ。だからその事を考えないとか、矛盾ではあるが天皇は日本民族の為に祈りを捧げる有難い存在だとかの功利性を持ち出して、天皇の存在に合理的を持たせるしか方法がない。理論ではなく現実の要請から説明するのである。
 多くの人は頭でっかちな青春時代はともかくいっぱしの大人になれば、ふんふんと頷いて天皇への拒否感は消失する。しかしそうでないもう一類型が存在するのだ。
 辻元清美が典型であると思うが彼女はこんなことを言っている。~天皇は生理的にいや。ああいう一族がいる近くで空気を吸いたくない。~(スポーツ界は)人生訓とか道徳を押し付ける。天皇とあの一族の気持ち悪さに直結している。~天皇っていうのも、日本がいやだという一つの理由~。彼女はこれらの発言を考えが浅かった昔のものと弁明するが、本心は今でもこのままだろう。というのはこれは第二類型の人の実に正直な感想で、よほどの人生体験がないと変わらないものだと思うからだ。
 第二類型の人は天皇の功利性が嫌なのである。天皇は宗教的に言うと日本の民族神、卑近に言うと日本人の父親的な、日本人を包み込む愛育する存在である。だからこの愛育感というか抱擁感を素直に感じる人たちは、それが大部分であるが、天皇制を肯定する。しかしどういう訳か、理由は不解明だが、日本社会に自己の存在感が持てない人もまた存在するのである。
 辻元はスポーツ界を例に引いているが、特に体育会系と言われる団体には一種の風土がある。中日の落合はそれに馴染めなかったそうだが、風土である以上違和感を持つ少数者も当然いるであろう。肉しか食えない奴はどうしても魚社会では落ち着けないだろう。天皇という慈愛溢れる親が見守ってくださる、そういう感覚になれない人は確かにいる。
 辻元女史は正直な人である。天皇が嫌だから日本が嫌いだと、明言している。彼女は日本という風土に馴染めないのだ。
 こういう存在は何時の時代にも、またどの国にも生まれると思うが、天皇制によって風土性が増している日本には、それだけ諸外国より存在のパーセントが高いのではないか。
 第一類型の者には教育を施すべきである。
 しかし第二類型の者には、無視し、彼らの言説に、俺は天皇の慈愛を感じられるが、お前は可哀そうだなと見下すしかないであろう。
 

スケッチブック30(孔子)

2019-05-29 14:29:34 | 日記
5月29日(水)
 長らく疑問に思っていたことが氷解した気分だ。
 論語の巻頭句である、「人知らずを怒らず、また君子ならずや」であるが、私は最初に論語を読んだ時からずっと意味が理解できずにいた。かれこれ三十年くらいになるのではないか。君子とは口で他人に命令する人との意味である。だから人に知られていない状態では、命令なんか出来よう筈がない。
 だから私はここを、君子とは人に知られていないことを怒る存在、つまり人に知られていない儘では終わらない存在だと、そんな風に意味が通るように読もうとしてきた。しかしどうも無理であって、その内忘れてしまった。偶然その頃の資料を見る機会があって、どうもいろいろな人に問い合わせをしたらしい、その中にこれだという回答があったのだ。思うに、その時は理解できなかったのであろう。
 回答は孔子は身分的には君子ではないので、思想的な意味に君子を改ざんして、俺こそ君子だと言ったのだというものである。つまり従来にない君子像を創出したのである。
 成程そう考えれば当時通用していた君子と、この句の君子の意味が違っていても、筋が通る。だから孔子が崇め奉られるのだ。当時「儒」は葬式を扱う的身分であった。それを君子に大出世させたのだから、孔子の偉大さはいくら賞嘆しても、し過ぎることはないのだ。
 

スケッチブック30(第五列)

2019-05-28 13:39:37 | 日記
5月28日(火)
 玉川とか朝日新聞とか枝野とか第五列の人間は挙げればきりがないが、彼らは一体どういう心理状態から第五列に入るのだろうか。勿論彼らは今更それを止めたら飯の食い上げになるという経済問題を抱えている訳であるが、第五列参入当初に、より良い経済状況を得る為との目的を持ってした事ではないだろう。むしろ第五列参入は大企業とかへの就職には障害であって、当初は皆な一生貧乏暮らしを覚悟していたと想像する。その中でうまく立ち回った人間がマスゴミに出て豊かな経済状況を享受できているのであって、第五列の中でそういう人は少数者であると思う。
 皆な理想を持って参入したのだ。しかし十代の若者に世間の判断がつく訳もなく多くは洗脳されたからであるが、半分が親、半分が周辺環境に洗脳をされたと思う。イラクの三馬鹿のうち二人は親の影響が大きかったように記憶している。私の身内にも革命闘争で逮捕された者がいるが、親が共産党員である。
 自分で「目覚めて」第五列に入る者もいるが、その種の情報ばかりで頭が塞がれれば、そしてそういう環境は大学のサークルとかに存在するのだ、自ら求めた形で洗脳される。いずれにしても当初は彼らなりの理想をもって第五列に自分から志願したことは確かだ。
 ここまでは若者一般の心理として理解できる話であって、彼らの向いた方向が学問研究とか起業とかではなく、第五列であったということに過ぎない。そして多くの参入者はやがて脱落してゆくのだが、いつまでも第五列を続ける人間がいるのだ。玉川とか朝日新聞とかはこの何時までも第五列を続けた人間である。だからこの種の存在は脱落していった者達とは違った心的傾向を、初めから持っていたと想定できる。
 ではその心的傾向とは何か。一つは、どの地域にもどの時代にも存在する、アナーキスト的な人間である。これは一定数存在するブラックボックスだと認めるより仕方がない。何故アナーキストになるのかとか問うても、回答は出ない。凶悪犯に死刑が執行されるとよく訳知り顔の評論家が、これで彼らの心の闇の解明が途絶えてしまったなどとこく発言を聞くが、心の闇など解明できないのだ。後何百年も経てば解明のメソッドが出来るかも知れないが、今は分からないというしかない。それと同じで理由は分からないがアナーキストは誕生するのである。この種の人間が第五列の半分であると思う。
 あとの半分の者であるが、これは私の理論だが、天皇制に馴染めない心理を持った人間であると考える。これについては後日に。

スケッチブック30(ひょっとこ玉川)

2019-05-27 16:56:54 | 日記
5月27日(月)
 今朝のモーニングショーで玉川が、トランプ歓迎が度が過ぎていると、こいていた。すぐチャンネルを変えたから実際は知らないが、アメリカの属国ではあるまいにとその後、言ったであろう、雰囲気であった。
 私は遅ればせではあるがつい最近、第五列なる言葉を知った。味方にあって敵国に忠誠を尽くす輩を、いう言葉であるそうだ。ヨーロッパから起こった用語らしく、洋の東西を問わず裏切り者は存在するのだなあと、感慨にふけった。玉川などは第五列の人間である。習様が来たら定めし歓迎が足りないとのたまうであろう。
 こういう人間は日本人を洗脳する為に、金日成さながらの、縮地法を使う。つまり自分が都合よく選んだ限定された事柄だけを、世界の全てだと示して、そこでの是非判断を問うのである。例えばトランプ歓迎にかかった費用だけを取り上げて、それが全てだと提示すれば、贅沢だとの判断が下りよう。日本の命運に巨大な影響力を持つ人物だとの観点を外せば、安倍さんは太鼓持ちだと見えよう。反対に習様を聖人の如く持ち上げれば、いくら歓迎しても足りないとの評論が出てしまう。
 人間は基本的に人の言う事はまず信じる存在である。玉川のような卑しい人間は人の善意に付け込む。そこに堕五列が生きてゆける理由がある。情報の提供者であるマスゴミ世界に、第五列が多く存在している所以である。
 トランプは自由世界の為に中国と本格的に戦っている、偉大な英雄である。そういう全体像を見れば歓迎するのは当然である。米中対決で世界に経済・政治的な不具合がまき散らされるであろうが、手術に際しての一時的な苦痛だと受け入れなければならない。癌を放置して死ぬのを選ぶか、手術して益々の健康増進を得るか、我々も覚悟が問われる。
 それにしても不可解なのは敵国に忠誠を尽くす、その心理である。
 
 

スケッチブック30(バカ維新)

2019-05-21 16:59:10 | 日記
5月21日(火)
 維新の片山何某と馬場何某がロシア大使館へ謝罪の為に伺候した。罵倒する言葉が思いつかない。
 文が三代目に伺候する姿と何ら変わらない。情けない。諸外国は日本人を本当に馬鹿にしたであろう。恥ずかしいことこの上ない。
 ロシアは戦争で四島を取ったと言っている。そこへ、へえへえと謝りに行く。
 松井よ、都構想は潰えたと知れ。大坂の人間は維新の情けなさを思い知った。そんな人間の言う話に、誰が乗るものか。
 産経新聞も酷い。自民党が辞職勧告決議に賛成しない理由を、失言で大臣を辞職させられる前例を作りたくないからだと、実に嫌らしく、党派的理由を挙げて書いている。言論の自由を守るためだと、何故正論を言わない。
 こんな、世の中の真実(戦争が現実を作る)を隠す、裸の王様を押し通す、それが令和最初の日本の姿か。情けない。低レベル過ぎる。屈原だったら自殺しただろう。
 恐らく大東亜戦争に突入したかっての日本も、こんな風に異論(現実)を封じて、幻想を信じて突き進んだのであろう。