スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(現代日本の言語空間①)

2024-02-29 10:36:29 | 日記
2月29日(木)
 言語空間とは主にマスゴミ情報と、それに依って形成された世論を指す。これを大きな言語空間と称す。ただ言語空間には小さなものもあって、それは雑誌・SNSによる情報とそれに依って形成された世論である。雑誌・SNSの情報も世論に占める比重は大きくなってきているが、まだ主流はマスゴミ情報である。
 マスゴミと揶揄される如く従来からマスゴミの偏向報道は夙に指摘されてきたところである。特にSNSが発達してきた頃(大体30年くらい前か)から、マスゴミ情報は偏向しているとか、マスゴミ各社は偏向体質にあるとは、全国民に知られるものとなった。私自身の体験としても30年前には、新聞社の権威と言うものは絶大なものがあったように思う。新聞の信用度と言うものは90%くらいあったのではないか。これが崩れる決定的な事件となったものが、朝日新聞の吉田証言否定である。これは平成26年の出来事でそれほど前の話ではない。それまで徐々に徐々にマスゴミだと言われてきたものが、ダムの決壊のように一挙に全国民に知れ渡ったのである。その後は朝日=嘘新聞との評価が定着した。では慰安婦は嘘だとの世論が定着したかと言うと、それがそうではない。朝日は確かに吉田証言は否定したが、慰安婦そのものを否定はしていないからである。又吉田証言には触れなくなっただけで、慰安婦の悲惨なイメージを拡大再生産する論調の記事を流し続けているからである。
 これを契機にマスゴミ各社は慰安婦について明確な嘘は引っ込めるようになったが、それは例えばウクライナ戦争でロシアがキエフ侵攻を言わなくなっただけで、東部戦線では相変わらず侵攻を続けているようなものである。吉田証言はもう出さないがその基調となる日本罪悪説の線では、彼らにしたらそこまで後退はしたが、相変わらず頑張って日本非難をしているのである。
 私は勿論日本社会について詳しい人間ではない。又マスゴミの偏向報道を糾弾する役目を負う積りもない。糾弾はすべきであるし重要な作業である。それは私なんかよりもっとマスゴミに詳しい人にやって貰った方が効果的だし、現になされている。私は今のマスゴミと世論の状況を、私が知る限りでしかないが、こんなものだと絵を描きたいだけである。
事例① 自民党のパーティー券問題で、マスゴミは外国人の購入について、問題化をしない。
 以前に前原誠司が朝鮮人の焼肉店主から献金を受けて問題になった事があった。額は100万円に届かない僅かなものだったように思う。この焼き肉店主はずっと日本に住んでいる在日であったが、日本への帰化は行っていなかったので、前原とは若い頃からの知り合いという関係であったにもかかわらず、外国人による政治献金と見なされて糾弾されたのである。このように外国人からの献金は法(政治資金規正法?)で禁止されている。日本の政治が外国人の金によって影響を受けてはいけないとの、立法の趣旨から来る規制である。
 これに対して今騒がれているキックバックは、政治資金収支報告書に記載したか、しなかったかという、手続き論の問題である。またキックバック金を政治資金の記載漏れとして収支報告書の修正申告するやり方は、確かに脱税と指摘されてもおかしくはない。私なんか一人くらいは議員個人の雑所得の不記載だったとして、課徴金を払うと言う人が出ても潔いのにと思うが、まあ税務署と上手く話を付けた節税行為の一つと思えなくもない。例えば在日の商工団体が行っている一括青色申告のようなものだ。不道徳とはいえ、合法的に集めた金の、配分方法に関する手続き上の問題だと言える。これに反して外国人がパーティー券を買う事は、外国人の献金を禁じた法の趣旨に、明確に違反する行為である。うろ覚えだが20万円以下のパーティー券購入者は、氏名を記載する必要が無いとの事である。そうすると例えば中国人の団体が10個の窓口を作ってパーティー券を購入したら、200万円の献金が可能となる。前原誠司と同じ事になるではないか。いや前原の場合は在日の誰々と献金者が特定できたが、中国人の場合は公表しなくて良いのだから、そもそも外国人から献金があったのかどうかさえ、明らかにはされない事になる。まさにステルス献金と言って良い
 キックバック問題が起きた時このステルス献金は問題に上がった。しかし岸田がしたことは訳の分からない派閥解消と、議員本人にも責任を負わせる連座制の導入であって、外国人購入問題は何処かに消え失せてしまった。マスゴミも同じで政治倫理審査会を公開にするかとか安倍派の誰を出席させるかとか、重箱の隅的なほじくりをして肝心な点を頬かむりしているように思う。
 何故明確に法律に違反していることが問題にならないのだろうか。キックバックの時は左翼学者が検察庁に刑事告発をしたことが切っ掛けになった。右翼学者の誰かが刑事告発すればよいと思うが、そういう動きを見ない。結局まともな学者は自民党に打撃を与える行為は慎むからなのだろうか。もし東京15区の補選で日本保守党が本当に勝ちたいのなら、この問題を取り上げれば、小池百合子も自民党からの出馬を止めると思うのだが。
 マスゴミにより世論は出来るが、マスゴミも世論により縛られる。マスゴミは世論を映す鏡だともいえる。世論が動かないからマスゴミによる外国人パーティー券購入問題も、動かないとも言える。ではなぜ世論は無関心なのか。キックバックの左翼学者のように突出して行動する右翼学者が、居ない為だと思う。こんな絵が一枚描ける。
事例② 韓国が徴用工で現金化(日立造船の供託金を没収)したが、遺憾砲以外の動きを見ない。
 これについては水面下で政府間交渉をしていて、近いうちにそれなりの報復措置がなされると、期待する。まあマスゴミと世論は茫然としていて、出る言葉が無いという状況なのであろう。大きな言語空間では韓国は善、日本によって姓と言語が奪われた可哀そうな国、多少の無理は聞いてあげなければならない国、反対に日本は贖罪の責を負った悪の国、と言うものである。まあ統一教会の教義そのままのものである。しかし色々な方の長年の努力で日韓条約で日本の責任は終わっていて、韓国はちゃぶ台返しをしている、端島の待遇は良かったと、かなり日本人に知れ渡ってきた。又福島原発事故での放射能汚染聖火ランナーのポスター、更にはスポーツ大会での日本選手への暴力行為等で、韓国は可哀そうな国との意識はかなり薄れてきた。だがまだ太平洋戦争での贖罪を負っているとの意識も日本人には強い。そういう斑模様の意識になった日本人に、韓国は自国の最高裁で現金化をするという暴虐振りを日本人に見せて、日本のマスゴミと世論は擁護する言葉が見つからないというのが、有体な有様だと思う。でマスゴミは、日本人の関心が薄れる、要は忘れて呉れることを願って、ただ黙っているのだ。雑誌やSNSに親しむ人は少ない。日本政府も何らかの対応をするだろう。韓国も日立造船だけで事を済ませる魂胆かも知れない(他の会社は供託金を出していないから簡単には金を取れない)。でこの問題は忘れられる、そんな一枚の絵が描ける。
 嫌韓と言ってもまだ、可哀そうな国との国民意識の方が、強いのだ。
事例③ アニメイトへの脅迫事件を取り上げない。
 この脅迫は京アニを引き合いに出している。私は反社会的で、全く許せない行為だと思うが、マスゴミ様は違うようである。マスゴミ様は公金チューチューを告発した(相手がコラボでなく自民党系のNPO団体だったら全く違ったろうが)暇空氏の方が憎いのである。つまりマスゴミは共産党とかのシンパであると、疑いようもない絵が描ける。
 これについてはNHKが高校野球で「京都県代表〇〇高校」とテロップを出したように、またTBSが「安倍派」を「安部派」と書いたと聞いたことがあるように、かなりな程度の数で中国韓国人が雇用されていると推量されることが、原因しているように思う。NHKやTBSに雇用されている中国韓国人は、日本史を深くは勉強せずに、マスゴミの日本罪悪史観に乗っかって安易な記事を書くのだろう。だから字だって間違えるのだ。思うにこれからのマスゴミの反日記事の書き手は、多くが中国人韓国人になるのではないか。何故なら彼らの多くは、マスゴミ幹部である日本人の贖罪史観に、容易に感化されるであろうからだ。


 







スケッチブック30(アメリカ大統領選)

2024-02-27 09:57:43 | 日記
2月27日(火)
 トランプが大統領になったらナトーから離脱しウクライナ支援も止めるとの話が出ているが、本当だろうか。私には信じられない。ヨーロッパ各国に今以上の負担は強いるであろうが、ナトー離脱もウクライナ支援中止も、しないと思う。
 もしウクライナ支援を中止してロシアが勝てば、ロシアの次なる対ウクライナ政策は、ウクライナ人の抹殺的なものに進むと、私は考える。仮に現状の戦線で停戦をしたとして来年も再来年も、ロシアがその線引きで満足する筈がない。必ずウクライナ人の奴隷化に進むと思う。もしそうなったらトランプはバイデンのアフガン撤退以上の悪評に晒されることになるだろう。中国が台湾に進攻する危機も一気に高まる。イランとかあの辺も現状変更を望む勢力の活発化で、大きな騒ぎになるだろう。それでアメリカの威信も何もあったものではない。私はトランプの発言は、同盟国に一層の奮起を促すための方便に思えて、仕方がないのだが。

スケッチブック30(何故日米戦ったか⑧)

2024-02-26 10:29:37 | 日記
2月26日(月)
 これまで拙く述べたものは私のアレンジが加わってはいるが、大体に於いて日本近代史の定説である。これから述べる所は恐らく単行本とかの書籍では発行されていないものである。だから全くの私の偏見物なのかも知れないと言う恐れがある。しかし近代史を勉強すると世間的にまだ目に見える形で纏められた本はないのかも知れないが、こう考えざるを得ないと言う、私の思いである。
 昭和の初めの日本人は世界は帝国主義国家の競い合いであると理解した。そしてアメリカもそうだと誤解をしたのである。アメリカも帝国主義国家の一員なら何処かで勢力圏を引く事は可能だと考えたのである。そしてアメリカは国内資源豊富な国である。日本が満州北支を取っても、そこにアメリカは死活の利益を持たないのだから、日本が決死の覚悟で臨めば線引きは可能だと考えたのだ。そして満州事変と支那事変を起こしたのだが、思いのほかにアメリカからの非難が大きい。その行き掛かりから発展して、三国同盟の締結、南部仏印進駐となり日米対立が進んだのだが、それでもドイツが勝ちさえすれば旧イギリスの植民地の為にアメリカが対日戦を仕掛けるとは、考えられていなかった。確かにアメリカにはモンロー主義の伝統があり、アメリカが攻撃された訳でもないのに、又はアメリカは単独で生きて行けるのに、何で世界の紛争に首を突っ込む必要があるのだとの根強い意見がある。しかし世間的にはモンロー主義が有名であるが、別の意見もアメリカには根強くあったのだ。
 昭和15年頃のマクシミリアン統計を検討した人から、日・独・伊・ソ連を合わせると、アメリカに匹敵する国力になると聞いたことがある(イギリスはドイツに負けるとして除外されたようだ)。ここから類推して当時のアメリカは、全世界の3分の1くらいの、GNPというか国力を持っていたように思う。イギリスなどは資源を得るために世界中を植民地に収めようと四苦八苦したが、アメリカにはその必要が無かったのである。石油も鉄も綿花も国内で十分に取れた。イギリスが100年かかって植民地を獲得して鉱物資源を手に入れた作業を、アメリカは無しで出来たのである。しかも人口はイギリスの3倍くらいある。旧ヨーロッパにあった封建的遺制が社会の発展を阻むこともなかった。大勢の人が全く自由に活動した結果、アメリカは世界の半分近い産業大国になったのである。
 こういう国は何を嫌い何を求めるか。貿易の阻害を嫌い、貿易の自由を求めるのである。アメリカは世界が植民地とか勢力圏で分割されている事で、いちいちその宗主国毎にルールが違い、それに従わねばならない事を嫌ったのである。現在のような単一の経済圏が出現する事を求めたのである。しかし国内ではモンロー主義もありアメリカの希望は直線的に果たされることはなかったが、やがて国柄が要求する自由貿易世界の実現要求が、アメリカの国論となっていった。つまりアメリカは帝国主義を排除したかったのである。帝国主義の排除ならば槍玉にあがるのはイギリスの筈であるが、そこは歴史的政治的な経緯があって、あろうことか日本が排除対象の一番候補として狙われたのである。日本は最後の帝国主義国家として中国で活動した。イギリスやフランスは既に権益を持っていたからその保持に回った。だから中国大陸での新権益の獲得はしない。しかし日本は満州に北支にと、大いに活動をした。そこが帝国主義排除に動くアメリカの勘に触ったのである。反対に日本は、何故アメリカが中国大陸に干渉してくるのか、理由が分からなかったのだろう。従って根本的な対応策(帝国主義的活動を止める)を取らねばいずれアメリカと戦争になる(アメリカの方から仕掛けてくる)とは、思い至らなかったのである。
 最初に述べた大西洋会談はアメリカの方針に、イギリスを従わせる目的のものだった。大西洋会談で謳われた眼目は、植民地の廃止と帝国主義の排除である。つまり戦後はアメリカ主導の自由経済体制を取るぞと、イギリスに宣告するものであったのだ。イギリスがそれに同意するなら日本の攻撃から守ってやる、と言うものだった。チャーチルとしては従う以外の選択肢はなかった事と思う。彼は大西洋憲章はアジアには適用されないと言ってイギリス議会を欺いたが、すぐにインド独立という現実を見せつけられる羽目に陥った。
 このようにルーズベルト政権になって、アメリカの帝国主義排除の姿勢が、鮮明になったのである。イギリスは上手く逃げたが、日本は根本的対立を抱えたまま、アメリカと対峙したのである。だから日米戦は必然であり、日本は自主独立の為に、国を挙げて良く戦ったと私は思う。
 補足だがルーズベルトはどういう訳かこの自由貿易圏構想から、共産主義国家を外している。むしろポーランドとかの東欧諸国を裏切って、ソ連圏に差し出すことまでしている。彼が東西冷戦の下地を作ったとまで言って良い。この事はフーバーが「裏切られた自由」という本で指摘してる。だが一読した限りでは何故ルーズベルトが容共であったかまでは書いていない。私の推測であるが恐らくルーズベルトは非常に世故に長けた人物で、理想(全世界を自由貿易圏にする)よりも現実(ソ連は外した方が成功する)を重視する考えの人だったからのように思う。










スケッチブック30(何故日米戦ったか⑦)

2024-02-25 11:43:48 | 日記
2月25日(日)
 私はこの時代に大正デモクラシー的な自由主義が廃され、国民は天皇の大御宝である的な思潮が勢いを増し、ついには世論を覆った理由として、満州事変の成功があるように思う。それまでの幣原外交では満蒙の発展は望めない、ひいては日本の発展も望めない、日本の武力が満蒙に曙を齎し日本自体を発展させるのだとの考えが、事変の成功によって裏打ちされたのだ。幣原外交的な欧米諸国と強調する路線では、永久に欧米の下流に立ち続ける事になる。それでは結局日本人の血と汗が欧米諸国に取られることになる。それで良いのかという訳だ。見ろ、日本が本腰を入れたから、満蒙はこんなに発展したではないかと、日本人は自分に自信を持ったのである。
 この辺の国民意識が天皇機関説問題にも繋がったのだろうと推測する。美濃部の学説はイェリネック(ドイツの法学者)の影響を受けたものである。当時の日本の学問は全てそうだったと思うがヨーロッパの学問の焼き直しとは言わないが、方法論と筋立てがその流儀に縛られるものであったと思う(美濃部の場合は王と国民は必然的に対立するとの大前提)。ヨーロッパの学問は彼らの具体的な歴史の経緯によって形作られている。だからその歴史を知らない、或いは体験していない日本人には、どうしてヨーロッパ人は物事をそう考えるのか基本的に理解できない部分がある。だからその歴史を勉強して本当にヨーロッパ人の考え方を理解するか、或いはあっさりと無視して理解した振りをするか、いずれにしてもここを乗り越えないと、ヨーロッパの学問の宣教師にはなれない。だから美濃部の学説は(美濃部に限らず当時の社会科学的な学問は)本質的に普通の日本人には理解不可能な宿命にあったのだ。
 これに対抗したのが上杉愼吉である。彼もドイツ留学時代にイェリネックの指導を受けたのだが、また日本帰国後も終生イェリネックとの親交を続けたが、どういう訳か学問的には決別をしたらしい。上杉は日本では王(天皇)と国民は対立しないとの考えに基づいて憲法学を展開したかったらしいのだが、うまく学説として纏められなかったようだ。或いは纏まっているのに私が理解できないだけ(私もやはり受けた教育からヨーロッパ的な学問発想しか出来ない)なのかも知れないが。
 とにかく当時の一般的日本人は仮に上杉の憲法学が分からなかったとしても、感情的な親密感は、美濃部に対してよりも多く持ったのであろう。いつの時代でも時代を動かす力となるものは、大衆の感情である。そしてその感情を煽り大きな力と化すものが、マスコミの宣伝である。一方で次期大戦に対する不安感がある、外国に諂うかの如くの苦々しい協調外交がある、中国では日本人が暴行を受け殺されている、他方で自由主義的な言論は封殺されて国民の耳に届かない、こういう状況の中で国民感情が自主的日本の建設をと煽り上がるのも、当然であったと思う。
 日本は断固として帝国主義国家として歩む道を選んだ。それが昭和7年の国際連盟からの脱退の意味である。帝国主義国家として進むなら対艦比率を維持するロンドン会議(昭和10年)が決裂しても仕方がない。勿論軍縮条約が失効すれば国力差11倍のアメリカは艦艇増加に取り掛かって、従来の日本の対米比率をさらに下げるくらいの増強をするかも知れない。軍縮条約脱退は藪蛇だ。現代ならばそう考える所であるが、当時の日本人は、日米が戦争をするとは、又戦争をする根本原因を抱えているとは、思わなかったのである。昭和15年の三国同盟当時ですら日本は、当初同盟対象国からアメリカを外す考えであった。つまりアメリカとは戦争にならないと、なんとなくかも知れないが、そう楽観視していたのである。これが陸軍の瀬戸際外交をしても大丈夫だ、よだれの垂れる東南アジアというご馳走をみすみす見逃す手はないとの政策に、繋がっていると考える。
 では日米が対立する根本原因とは何か。(以下明日以降に続く)




 





スケッチブック30(何故日米戦ったか⑥)

2024-02-24 10:31:16 | 日記
2月24日(土)
 戦前の日本国家の舵取り役を巡るヘゲモニー争いで、勝利したのは陸軍である。勝利した手段としてよく知られているものは、5・15事件と2・26事件のテロである。政治家だって官僚だって命は惜しい。以後は陸軍の主張に己を合わせようと、意識的無意識的に務めた事と思う。ただ陸軍は国民に対してテロ組織として臨む続けて、ヘゲモニーを取ったのではない。5・15事件は小規模なテロなので陸軍は動かなかったが、2・26事件の時はテロ組織(反乱将校)の芽を摘むとの名目で、反乱に加わった将校以外にも過激分子だと目されていた青年将校を十数人逮捕している。その上、全国の青年将校の横断的結合を解消させる為に、数千人規模の配置換えをした。また各師団長連隊長に対して、今回の事件はテロであり断固討伐をする、万一にも反乱将校たちに同情したり理解を示したりしないようにとの告示(多分陸軍大臣名)をした。そして極めつけが陸軍将官の大量解雇である。当時宮様を除いて十数人いた陸軍大将のほとんどが予備役に編入され、たった二人になってしまったと聞く。日露戦争で有名を馳せた建川中将とか、永田鉄山の盟友であった筈の小畑中将もこの時予備役に編入されている。これは統制派が事件を利用して皇道派を追い落とした派閥抗争の結果だとみられているが、そうであったとしても陸軍は、自分たちは粛軍をした、陸軍の膿は出し切って綺麗になったから安心してくれと変貌を自称して、国民(政治家・官僚を含む)に臨んだのである。しかし国民は額面通りには受け取らなかった。暴力団が堅気には手を出さないと誓ったもの、くらいに受け取った。確かにテロはしないかも知れないが、テロが出来る組織であることには変わりない。つまり正面切って陸軍に逆らわなければ、自分たちに手を出すことはない、しかし逆らえば殴られ酷い場合は殺されると、まあヤクザを敬遠するのに似た気持ちになったのだ。事実事件後陸軍大臣になった寺内は、広田内閣の閣僚人選に介入して、吉田茂等の好ましくないと思った候補者を排除させている。
 こういう陸軍に国民は、ここが不思議な所だが、共感し支持する、二面性(一方では相変わらずのテロ組織だと怯え、一方では歓迎する)を示したのだ。私はこの辺の国民意識を研究したいと願っているのだが、どうも政治家、学者、言論人と一部の官僚などの自由主義者たちが弾圧されたので、国民に世論をリードするオピニオンリーダーの見解が表示されなくなり、国民が迷ってしまったことが大きな原因ではないかと思う。
 誰かが陸軍に呼応したのか、それとも陸軍の差し金か、よく分からないのだが、昭和10年頃には、滝川事件とか天皇機関説事件とか起こっている。また大本に対する徹底的な弾圧がなされた。大本弾圧は陸軍には関係がなく内務省がやった事だと思うが、別に王仁三郎が反天皇制を言った訳でもないようなのだ。内務省の方が大本は反天皇だと一方的に危機感を抱いたことが、弾圧の原因であるようなのだ。綾部(大本本部がある市)に乗り込んだ警察官は水杯を交わして臨んだそうなのだが、乗り込んでみるとそこに居た大本の信者はぽかんとしているし、聞いていた小銃や機関銃などの武器は皆無で、拍子抜けをしたとの回顧談が伝わっている。天皇機関説事件は裏で陸軍が糸を引いていたのは間違いないが、衆議院の全会一致で美濃部の著作が発禁になったのは、幾らなんでも陸軍の差し金で出来た事には思えない。むしろ逆に、国民の側に自由主義思想排撃の動きがあったから、陸軍もそれに乗ったと言うべきではないか。2・26事件だって今日までも義挙とする世論が残っている。手段はともかく目的は正しかったとの視点で描かれた映画が、何本も作られているではないか。私には当時の思潮を明示できるだけの資料の読み込みは無理だが、自由主義的なオピニオンリーダーが消えた為に、相当な天皇主義的国民世論が社会を覆っていたと、想像するのである。統制派によるヘゲモニー奪取も、大きくは社会のその思潮に、乗ったものだとの思いさえ湧く。
 ここで明治以降の日本の歴史を大きく考えてみる。大正の初め頃に藩閥政治への反感から第一次護憲運動が起こって、続く第二次護憲運動で日本の政治は完全に政党政治となり、同時に評論・文化面も自由主義的な傾向のものになっていった。藩閥政治の没落はある意味必然の出来事であった。何故なら明治維新は日本を西欧諸国並みにする、との目的で始まったものだからである。西欧諸国の姿を追求すれば政治形態が、政党政治的なものになるのは当然である。又戦争でも日清・日露・第一次大戦と勝ち進み、日本は世界強国のステージに立った。明治維新の目的は達せられた、ではこれからどうするとなったのである。
 私が思うにここで二つの方向が出来て、お互いに争いが始まった。一つは幣原外交に代表されるような、欧米と強調して行こうとする行き方である。だがこれは国民から嫌われた。欧米協調は実は欧米追随であり、欧米の下流に甘んじ続ける事であると、判断されたからである。もう一つは陸軍に代表される、イギリスアメリカに負けない軍事強国を目指す道である。永田鉄山(統制派のトップの中将)がその代表だが彼は次期世界大戦は必至だと捉えていた。そして世界強国との観点から日本軍の状況を見ると、非常に脆弱なものだと認めざるを得なかった。今の儘ではイギリスやフランスに負けると確信したのである。勝つ為には日本国民を全員天皇教信者にして、死を恐れぬ存在にする事はまずもって重要だが、それは根本的な解決策にはならないと彼は思っていた。第一次世界大戦によって現代の戦争は機械戦となった。鉄とか石炭などの資源を欠いた状況では、機械戦が戦えない。鉱物資源を潤沢に手に入れれなければ、幾ら兵隊を鍛えても結局は負けると考えていた。そこで彼は満州北支を日本の権益化に於こうと行動したのである。軍にそういう行動を取らせるように陸軍をリードしたのである。そして国民はこちらの道の方を、支持したのだと考える。
 どうも国民はこのままでは日本は危うい、もう一度褌を締め直さねばならない、自由主義者のように甘い事を言っていては欧米にやられる、そのように考えたらしいのだ。  (以下明日以降に続く)