スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(ポピュリズム)

2019-04-29 17:03:07 | 日記
4月29日(月)
 産経新聞が盛んにポピュリズムなる言葉を紙面に踊らせて、ヨーロッパの新しい政治勢力を腐している。しかしその勢力が訴える所の移民の制限とか自国民の雇用の拡大などは、まさに長年日本政府が取ってきた伝統的政策ではないか。産経新聞は本当は日本政府もポピュリズムだと言いたいのかもしれない。産経ともあろう所が何故そんな現実離れした論評になるかというと、結局海外特派員は現地の新聞に頼るという所であろう。独自の取材能力がないのだ。三井何とやらはルモンドとかの新聞による現地分析を頭に入れ込むのだろう。
 産経の編集部の中でこういう海外帰りが幅を利かせ始めたように感じる。蓑原俊洋という男のとんでもない駄論を載せるようなことをする。彼は今後アメリカの力が落ちるから日米同盟に頼っている日本は、この先大きな代償を負うことになる、そんな主旨の文章を地政学だとかポピュリズムだとかローマとビザンチンの没落だとかの言葉で飾って、書いている。そう読者を脅して、この文章には一言も出てこないが、アメリカ以外(つまりは中国様)との関係を深めるべきだと誘導するのである。
 典型的な朝日的論文である。蓑原はことさらにトランプを取り上げるが、中国と対決するとのアメリカの姿勢は、十年以上前から徐々に煮詰められてきた、アメリカ国家の基本的政策である。それが表面に出るまでに吹き上がった時の大統領が、トランプであるというに過ぎない。アメリカを打ち負かそうと全力を挙げてかかってきている相手だと、アメリカが中国を認識したのだ。だから誰が大統領になろうと米中対決は変わらない。
 この戦いで中国に乗るほど馬鹿なことはない。蓑原は戦前の尾崎のような意図を持っている男かもしれない。私は習近平に乗るのはヒットラーに乗るのと同じだと思う。イギリスはドイツと最前線で戦い莫大な損害を受けた。日本も米中対決の先兵として中国と戦い、大きな損害を受けるかも知れない。しかし最後の勝利を目指す道を選ぶべきなのだ。もし日本が躊躇い、その為米中が太平洋を分割して日本が中国圏の国となったら、日本は旧東ドイツのように不幸で、落ちぶれた国になるであろう。

スケッチブック30(天皇制⑥)

2019-04-21 16:06:51 | 日記
4月21日(日)
 戦後の天皇制を一口で称すると、能動性の少ない天皇制であると言えると思う。天皇は主権者ではなく象徴とされたから、国政への関与の度合いはぐっと下がった。権能を有しないとの文言は、実質的には戦前の昭和天皇の振る舞いと同じとも言えようが、権限があるのに行使しない事と、権能がないと決めつけられるのとでは、天皇の重みというか権威の度合いが大違いになる。
 しかし天皇は相変わらず神である。普通の人間に象徴が永続的に務まる筈がないからである。例えば私たちの世代で巨人軍の象徴と言えば川上か長嶋であったが、今川上哲治を知っている人がどれくらいいるであろうか。長嶋だってそのうち忘れ去られよう。神でなければ人格を持った存在が象徴になど成れない。国旗とか校章などは人格がないから永続して象徴と扱われる。だから天皇は相変わらず神であるが、その色彩というか国民の前に現れる姿の濃密さとかいう点で、戦前に比べれば明らかに濃度が薄くなっている。言い換えると神に変身する度合いが減ったということである。これは、戦後は天皇を認識する為の意図的二面思考を、それほどしなくて良くなったということである。その分社会現象の背後を探って構造体とか論理を探るまともな思考が出来るようになった。
 日本国民が力で動く国際政治の実態に詳しくなったから、外交の失敗と言ってもまだ戦前の残滓に毒されている、外務省の古手連中が意図した常任理事国入り活動くらいの、さほど実害のない失敗に留まるようになった。中国と韓国がつけ上がった事にも依るが、日中及び日韓関係は本質的に敵対的なものだとの認識も、人々の間に広がってきた。何より空想的社会主義者の言説が急速に萎んできている。私の住む町の駅前で時折、憲法を守れ式の街宣が行われるが、昨日が選挙投票日前日だったからなのかやっていたが、立っているのは可哀そうなくらいよぼよぼの老人ばかりだ。朝日新聞は部数減を隠しているらしいが、高血圧患者の突然死リスクが高いように、そのうち一挙に倒産するのではないか。これらは日本人が思考の深度を深めてきている所以だと思う。
 バブル崩壊以降というかリーマンショック以降というか、日本経済の停滞ぶりははっきりしている。理由は色々あろうが政府の政策が間違っていたからであることは確かだろう。ならば従来の政府の政策を正そうとの動きが、かなり出てきているように感じる。もし方向転換できるのなら、とにかく中国駐兵に拘った戦前とは、違う思考方法が日本人に根付いた証拠となろう。
 これらは良い動きであるが、一つだけ心配なことがある。それは日本はこれから中国韓国と死活の闘争に直面すると思うが、それは国民に明治維新後の時代のような緊張と努力を強いると思うが、天皇が象徴で国民が耐えられるであろうかとの心配である。もっと濃度の濃い神でなければ国民が纏まらないのではないかと危惧する。しかし敗戦を経験した日本人はもう戦前の天皇制には戻れない。戦前の天皇は憲法上の規定などさておいて、日本人を不幸に導いた責任は、厳としてあり、国民もそれは認識しているからだ。とはいえ戦前の形を取らない濃度の濃い神としての天皇は、考え付かない。従ってある程度神性を人間から切り離す必要があるのではないか。例えば天皇を巫覡として神性は祖先の神々に託すとか。

スケッチブック30(天皇制⑤)

2019-04-20 17:08:13 | 日記
4月20日(土)
 天皇が神と人の絶対矛盾であるため国民は天皇を認識する手段として、神と人の論理的連関を考究する姿勢を捨てて、天皇が神の時は神として、人の時は人として割り切って接触する道を選んだ。この姿勢が現実活動の場において、さまざまに現象する社会事象の背後にあって、個々の社会事情の出現や変転を説明できる論理を探そうとせず、状況ごとに対症療法的に対処するという日本人の基本的姿勢を形作った。その非現実的というか脆弱な観察方法の為に、戦前は四国同盟という実現不可能な国策を求めて国を滅ぼし、戦後は中韓に譲歩すれば中韓は日本に悪く当たらないとの間違った思い込みから滅多やたらに譲歩を繰り返し、とうとう韓国はあとは武力行使を残すのみという所まで日本に敵対してきている有様だ。
 天皇制も戦前と戦後では大きく形を変えている。戦前は天皇が統治者であったため、国策の決定には天皇の決裁が必要であった。ところが実際は天皇は個人の意思を行使しなかったので、決裁は起案者の案文通りになされた。だから本来は個々の国策は起案者の頭の中にあったものの筈なのだが、それが天皇の手を経て返されてくると、触れることのできない大御心だとアンタッチャブルなものに変じてしまうのだ。起案者の手元にある儘なら状況の変化とか見落としの発見とかで、柔軟に変更して行くことが出来たであろう。しかし天皇による国策となればもはや変更など出来ない。東条の本心は、海軍が戦争はできないと言ってくれて、日米戦を回避する事だったように推測する。しかし対米戦を辞せずとの国策があって海軍は首相一任と逃げた。もしここで天皇という強烈な意思決定者がいなくて陸海軍だけで侃々諤々やれたのなら、案外海軍も本音を漏らして戦争回避になったのではないかと考える。天皇による決裁という形式が、個々の具体的国策を非常に硬直化したものにしたように思う。
 そして一番悪い事に、天皇の手を経た後は、その国策が裏目に出ようと責任は天皇にあって(憲法上天皇の責任という概念はないが)、起案者は輔弼の責を果たさなかったという一歩引いた責任しか問われない事であった。海軍も陸軍も日本国全体に幸あれと考えて行動するのではない。初歩的な動機はそうであっても国策がアンタッチャブルなものとなった以上、いかなる犠牲があってもその実行を図る事こそが、行動動機となるのである。陸海軍、又政府もそうであるが、本来日本全体を見通して考え判断すべき立場の人間が、一部門の担当者という狭い立場に縛られてしまい、そして建前上は日本全体を見通す筈の天皇はそれをしないから、結局、真の意味での国策遂行者がいないという無責任な制度、それが戦前の天皇制であったと思う。
 誰も望まなかったし誰も勝てると思わなかった日米戦に突っ込んだのは、伏流に耐えてきた攘夷思想の爆発だったとも言えようが、責任者がいないという戦前の天皇制の制度的欠陥も一枚噛んでいると思う。そしてソ連も中国もイギリスもアメリカも、表からもスパイを使った裏工作からも、最終責任のない人間たちに様々な働きかけをして、部門部門の国益追及が結果として日米戦となるように誘導をしたからでもあろう。

スケッチブック30(平成17年の暗愚)

2019-04-17 16:38:07 | 日記
4月17日(水)
 今から振り返っての話だが、平成17年ころの日本はとてつもなく愚かな外交をしていたと、呆れてしまう。河野談話とか村山談話とか国会決議とかを繰り返して、ひたすら中国と韓国のご機嫌を取った。その見返りとして日本の安保理常任理事国入りにさほど反対しないでほしい、そんな一方的な期待があったのだろうが、ものの見事に外れて中韓はすさまじい反対運動を起こした。また日本一国ならアメリカは常任理事国入りに賛成していたのだが、あろうことかドイツ等と組んで運動したから、唯一の理解国のアメリカにも反対されてしまった。
 外務省と学者と政府が揃って中韓とアメリカの出方を見誤ったのだ。この連中は中韓の要求を飲めば日本への敵対視がやむ、そう考えて慰安婦の強制性も過去のアジアへの侵略も認めたのだが、次に出されたのは、ならば現実の行動で誠意を示せという、ハードルが一段上がった要求なのであった。
 アメリカは連中が考えるような安保理の拡大に賛成していない。日本一国ならば自分の意のままに操れよう。与党が増えることだから賛成するのだ。ドイツやブラジルやインドが参加して、今の収拾がつかない国連運営の有様を、安保理に持ち込むつもりなどさらさらない。
 安保理入りの愚かな失敗外交で残ったのは、中韓に日本政府が謝罪したという事実を彼らが振り回して日本に迫る、戦に例えれば重要な出城を落としたという陣地後退であった。中国は今はアメリカのパンチを受けているから大人しいが、ウリナラ主義で目の見えない文の日本攻撃は本丸に達しかねない所まで来たではないか。
 外務省の幹部、偉い学者様、政府高官は意外にも世界認識が暗い。彼らはどうしたら中韓と仲良くなれるか真剣に考えて、無理な要求を飲んで譲歩する。彼らは盆暗だからいくら頭を捻っても、それしか手が浮かばないのだ。或は盆暗だから、部下がせっかく有効な方策を具申して来ても、退けてしまうのかもしれない。相手を研究し痛い所を知り、そこを突ける方策を沢山仕込んでおく、そういう対決する考え方が根本にないのだろう。ただでさえ軍事力を持たない劣勢の中で外交をするのだから、権謀術数を駆使しなくてどうする。
 恐らく日本のトップの人間は所謂人が好いのだろう。優しく接すれば中韓も優しく返す筈だと、思い込んでいるのだろう。そんな人間環境の中で出世してきたのだから変えようがあるまい。
 しかし二十年たって結果が出ているのだ。貴重な社会実験だった。もう考え方を変えるべきだ。しかし出来るか。天皇制の中の思考停止状況にある社会では、慣習が続くのではないか。

スケッチブック30(トルコ・北朝鮮・文)

2019-04-12 16:17:26 | 日記
4月12日(金)
 トルコがロシアのS400対空ミサイルを買うことにした。アメリカはならばF35を売らないと言い、トルコはそれなら戦闘機もロシアから買うと言っているそうだ。これはトルコとアメリカが決定的な対立関係に入ったことを意味すると思うが、何故トルコはそんな事をするのだろうか。シリアのクルド人をアメリカが援助していることがどうしても許せないのだろうか。でもこれでNATO入りは無理だし、EU加盟も駄目になるだろう。トルコは政治もイスラム国家に逆戻りするのか。
 アメリカはいずれトルコ国内の基地も外国に移設するのではないか。ロシアと組んで、またイスラム国家に戻って、国が発展するとは思えないのだが。こういう動きを見越していたから、ロシアは戦闘機がトルコに撃ち落されても、事を荒立てなかったのだろうか。
 中朝国境のフェンスがほぼ完成したそうだ。情報によると中国は北朝鮮人に一週間の滞在ビザしか発給しなくなったそうだ。これでは実質的に中国内での活動など何もできない。これによって北朝鮮料理店は撤退したそうだ。また出稼ぎ労働者も6割を既に北に返したとのこと。中国は北朝鮮を庇っているのではなかったのか。想定を裏切る動きである。事実なら中国と北朝鮮にトラブルが生じたのだろうか。
 文は何しにアメリカに行ったのであろうか。北の首席報道官から外務大臣に出世させて貰えたから、トランプに制裁解除を訴えたということか。
 日本はソウルの大使館新築の方針を撤回したらしいが、どういう思惑からなのか。