スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(5・15 血盟団 2・26)

2021-04-29 10:58:55 | 日記
4月29日(木)
 この連中には社会とか政治構造が全く理解できていなかったのだろう。下っ端だからである。陛下の取り巻きを殺せば立派な人が出てきて真の政治をしてくれる、真の天皇親政が行われる、自分たちのする事は捨て石になる覚悟を極めることだ、そういう単純な考えでしかなかったようにしか思えない。ここら辺が三月事件の連中との違いである。橋本欣五郎とかは左官クラスだから一応自分たちが内閣の一員になる構想を抱いていた。しかしそれしかなく、後は料亭でどんちゃん騒ぎをしていたというのだから、己の栄達が願いで騒動を起こすのだと、世間からも青年将校からも総スカンを食ったのは当然であろう。
 小沼正に「一殺多生」なる自叙伝がある。捨て石となって人を殺せるだけの覚悟をいかに修行してつけたかと、そこは良く書けているが、井上準之助を殺してどう「多生」になるのかが、まったく考慮されていない。殺せばオーケーという短絡思想には、絶句するばかりだ。青年将校も全く同じ思考状態だったのではないかと、考える。こういう世間知らず、短絡思想が、当時の日本(特に下っ端階層の人間)を支配していたのではないかと思う。まさに気違いに刃物の世の中である。
 パルテノン神殿を真横から見れば列柱は一本だけのように見える。一本壊せばよいと思って破壊したらまた次の一本が出てビックリ、そんな悲喜劇である。当時の人々が短絡思想だったのは、恐らく教育が未熟であったからなのだろう。恐らく新聞が今以上に飛ばしばかりで、本当のことなど伝えなかったからなのだろう。一口で言えば大衆の知的水準が低いからだとなるが、我々だって威張ってはおれない。かってマドンナブームとかいって女性なら誰でも国会議員に当選した時があったではないか。短絡思想の最たるものである。 
 私だって、ではお前は政治機構について知っているかと問われれば、何も知らないに等しい。社会がずっと安定しているから、暴力とかテロで国は変えられないと、なんとなく思っているだけだ。だから本当は大衆の知的水準とか言うものではなく、社会が安定しているかどうかなのであろう。安定していれば人々は悠長に構えるが、不安定なら短絡思考に走る。戦前の日本にはかなり社会不安が漂っていたのではないか。

スケッチブック30(重臣たちの昭和史)

2021-04-28 13:39:17 | 日記
4月28日(水)
 この本は良い本である。昭和史を頭に入れるにはおそらく最適の本ではないか。とはいっても私は老境なのか読んだ最中は感激しても、一日経つと内容をすぐ忘れてしまう。あと二三回は読まないと頭に残らないだろうが。
 筆者は原田熊吉の娘婿である。学者ではない。日本債券信用銀行の頭取を務めた人だ。つまり当時の指導層にいた人である。だから論文調でない、ノンフィクション調とでもいうか、馴染みやすい筆致で極めて読みやすい。内容は「原田日記」に沿ってそれを掘り下げたものという感じがした。「原田日記」は天皇に見せるという目的があったためか、私なんか読むと記述が表面的で理解できない所が多々ある。その辺を掘り下げて本当はこうだ、という風に書いたもののように思った。
 この本の出版は昭和56年である。私は今になって読んだ。当時読んでいれば私の日本史の理解はとても進んだものになっていただろうに。昭和56年というのは良い頃であるのかも知れない。内田信也という人の「戦中戦前の内閣」なる文章がネットに出ていて面白く読んだのだが、出版が昭和26年である。まだ占領中である。そのせいかアメリカに対する批判が全く抜けている。内田自身最後に「いつの日にか再び言論の自由が許されれば、いっそう思い切った回顧録をものにしたいと思っている」と記している。プレスコードの事を言っているのだと思う。プレスコードの呪縛はその後も続いたように考えるから、昭和40年の終わりころまでの回顧録とか評論は、あまり信用しない方がよいかもしれない。
 「重臣たちの昭和史」には日米交渉におけるアメリカの欺瞞性が簡潔に書かれている。また「南京大虐殺」の与太話も一切出てこない。つまりこの後になると今度は左翼史観が、占領期のプレスコードに代わって、戦後日本の新たなプレスコードになってくるから、平成時代の評論論文も信用できなくなってくるのだ。ちょうど中間の良い時に書かれたと言うべきか。
 一読した取り敢えずの感想は、戦前は現代の感覚では、理解できない時代だという事だ。5・15とか血盟団の人たちだが、首相や政党人を殺してそれがどう国の改革に繋がるのか、そこは一切考えていないのだ。殺せば良くなると、途中の思考をすっ飛ばしているのである。そして世間はそれを当然とした、理解できない。
 2・26事件だって普通に考えればその後陸軍は縮小されのが当然である。ところが逆に陸軍支配になってしまった。終戦近く陸軍はソ連を信頼して天皇を満州に移し、本土を戦場にして戦う案を検討していた。ところがソ連が満州に侵攻したため陸軍はあきらめて、とうとう降伏に従ったという。何故陸軍はかってソ連を敵対視し備えを怠らなかったのに、この時はソ連の侵攻を全く考慮に入れない無思慮ぶりなのか、また普通に考えてもう、とても戦う力はないのに何故本土決戦に拘ったのか、理解できない。
 思うに戦前の日本は公平公正な社会ではなく、力あるものが自儘に振舞う、悪く言えば戦国時代だったのかも知れないと思う。法治が徹底されず人治の要素が多かったのだろう。だから陸軍みたいな暴力集団には誰も逆らえない。陸軍が狂気になったら誰も止められない。終戦近く吉田茂は和平論者ゆえに憲兵隊に拘束された。若槻元首相は重臣会議で和平論を述べた自分を叱った鈴木貫太郎首相を、「私の言に賛成したらえらい事になっていたろう」と弁護する始末である。どうしてそうなったのか、アメリカの圧迫とか国際情勢とか検討しなければいけないが、とにかく、戦前の日本が現代の常識とはかけ離れた社会であった、その認識を持たないと間違えると思った次第である。

スケッチブック30(愛知県警様様 バイデン元気なの?)

2021-04-27 17:05:47 | 日記
4月27日(火)
 まあ大村リコール陣営の数など知れたものなのだろう。選挙結果を左右する要因などではないのだ。それからしてもし愛知県警が田中事務局長を逮捕していたら、河村スキャンダルとなって、河村氏の当選はなかったかもしれないと考える。大村は逮捕を指示したかもしれないが、県警が動かなかったという事か。つまり愛知県警は政治的中立を維持したわけで、立派であったと思う。
 それにしても田中事務局長逮捕はないのだろうか。指印は紛れもない証拠物であろう。リコールに影響を及ぼさない範囲の不正は、まあ大目に見るという事なのか。しかし此の儘うやむやに済ますと言うのでは、この問題は世間に知れすぎている。捜査を打ち切るならそれなりの説明が必要であろう。どうなるのか。

 バイデンが6月に欧州訪問をするそうである。気候変動会議で活躍をするつもりらしい。ならば認知症説は間違いだったと言わざるを得ない。何か釈然としない。

スケッチブック30(私は間違っていた!)

2021-04-26 10:29:08 | 日記
4月26日(月)
 河村市長はなんとか勝ったが40万票を切っていた。横井とは4万票の差で、僅差の勝利と言うべきか。私は大いに読み間違えた。やはり市民はトリエンナーレなどに関心を持たないのだ。天皇陛下の写真が焼かれた、あっそう、それがどうしたのという所なのだ。私みたいな存在はごくごく少数派なのであろう。
 同時に行われた三つの国政選挙ですべて立憲が勝った。居眠り福山が偉そうに何かこいていた。全くネットの世界では立憲馬鹿・立憲要らないが常識となっているのに、これはいったいどういう事なのだ。国民が馬鹿だとしか思えない。それとも私が偏っているのか?。まあ冷静に立ち返れば、宦官マスゴミとシーラカンス学者の影響力の方が、残念だがまだネットより強いという事だろう。

スケッチブック30(名古屋市長選予想 というより期待)

2021-04-23 10:33:48 | 日記
4月23日(金)
 名古屋市長選はだいたい河村氏が45万票、他候補が20万票というのが、このところの傾向である。今回もこの通りになると思うが、期待するのは、河村55万票、横井10万票である。つまり河村圧勝の圧勝になるとうれしい。
 大村リコールでの真正な署名が約10万票である。これは河村支持者の中核部分であると思うが、河村陣営の結束を現す基礎票と見ることが出来る。基礎的な票固めが強いのならば従来通りの45万票は固いと思う。そこで、リコール署名まではしなかったが潜在的な大村リコール派が、実はたくさんいて、この人たちの内10万人くらいは、今回河村に投票しないかと想像するのだ。
 横井氏は初日の演説で大村知事と連携しなければ、ワクチン接種が危ないと、言った。これが反大村の名古屋市民の感情を逆なでしたと思う。大村みたいな反日人間の言う事を聞かねばワクチンが貰えないだと、ふざけるなという訳だ。更には反大村ではない市民にも、顰蹙を買わせたと思う。ワクチンという公共物が政治家に逆らうと届かないだと、では政治家が恣意的に扱っていいのか、俺たちは政治家に縋らないとワクチンを打って貰えない哀れな存在なのか、住民が主権者の筈なのにそんな政治で良いのか、横井!この利権野郎め、となるのだ。
 そんなんで河村55万票は期待ではあるが、相当に期待している。