中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

ぶすの記憶

2014-06-21 13:38:42 | 山形交響楽団
 スクールコンサートの毎日です。

 我々にとっては毎日のことで、しかも一日2回あることも多いので、まさに「日常」なわけです。しかし当たり前のことですが、聴く子供たちにとっては地域により、多くても「年に一度」、少ない場合は「3年に一度」、中には「一生に一度」の子もいる。

 だから心をこめて演奏しなくてはならない。

・・・ということは確かではありますが、その理由は、子供たちにとってこれが「芸術文化」に触れる唯一のチャンスだから、ではないのです。むしろ逆。


 一昨日、娘の小学校は山形市民会館で合同の「鑑賞教室」でした。私たちは庄内で公演だったので、音楽鑑賞ではありません。演劇です。

 訊けば演目は、子供向けに短いものを3つ。「こぶとりじいさん」「ゆきおんな」とあともう一つ、「たぬきがでてくるやつ」。

・・・なんだ、昔話とは地味な。で、どうだった?

と、軽く馬鹿にしながら尋ねると、

「すっごく面白かった!歌もあったし。」

・・・ミュージカル仕立てとは。なかなか侮れない。お父さんとしては「やっぱオーケストラの方が楽しい」と言ってもらいたい気持ちもあったんだが。


 もちろん、芸術というものは地味で、子供向けでないのは仕方がない。それが本物であればなおさら。「すっごく楽しかった」と言わせることばかりが大切なわけではない。・・・負け惜しみではありません。


 私が小学生の頃、学校の体育館で狂言の鑑賞教室が開かれました。演目は有名な「ぶす」でしたか、和尚さんが毒だから近寄るなと隠していたのが実は美味しい水飴だったという、一休さんにもある、あの有名な話でした。

 私も含めほとんど全員が、狂言というものを初めて見た瞬間です。その上手下手などまったく関係なく、「これが狂言というものなのだ」と、そのまま素直に受け取ります。

 その時受けた印象は、「この人たちは、すごく真剣にやっているのだ」というものでした。狂言独特のせりふの抑揚や動きにユーモアがあるようでしたが、笑って良いものなのかどうかは、わかりにくかった。私個人は、素晴らしいとも退屈だとも思いませんでしたが、「とにかく、こういう伝統的な芸を一生懸命やっている大人たちがいるのだ」ということを知りました。それは、その人たちの芸が、何かそういうものを持っていたからでしょう。それは「上手下手」とは少し違うところにある。


 クラシック音楽は、子供にとって演劇ほどキャッチーではないので、なおさら「何かが伝わる」という所を大切にしなければならないな・・・と思うのでした。

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