中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

呪縛を越えて

2015-04-10 23:31:26 | クァルテット
 山形Q定期のプログラムノートを書いていますが、調べてみると、ベートーヴェン以後の作曲家たちが弦楽四重奏曲を書こうとする時に感じる「ベートーヴェンの呪縛」の凄さには、いつも驚かされます。

 いざ作曲しようとすると、やっぱりベートーヴェンがちらついてきて「あれ以上の作品が自分なんかに書けるはずがない」みたいな気持ちになってしまうのです。他のジャンルでは意気揚々と新作を発表して、世に認められてもいるのにです。


 ほとんど全ての作曲家が、苦しげな言葉を残しています。今回の作曲家、フランス人のオネゲルやフォーレも例外ではありません。

 オネゲルは自分の「弦楽四重奏曲」について手紙の中で書いています。

「私はいくつかの『力作』を書きました……とりわけ危険な試みを、こういうふうに言うものですが…。自分ではそれらの曲をベートーヴェンの下手な模作みたいなものだと考えています。貧しき者のベートーヴェン、とおっしゃるでしょう!そうです、だが、私の本当の性格が表れているのはそこなのです。この分野で私は、いつも好評を得たとはいえないあるいくつかの作品がに対して、ひそかな好みを抱いているのです。弦楽四重奏がそれです。中でも第1番が。」


 フォーレが意を決してようやく弦楽四重奏曲に取り掛かったのは、78歳。死の前年です。それでも奥さん宛ての手紙の中で、まだこんなことを言っています。

「ベートーヴェンによって代表されるジャンルであり、ベートーヴェンのもの以外は全て不完全に見えるのです。あなたは私が自分の番になってとまどっていると思うかも知れませんが、誰にもそのことは話していないのです…書いているのですか、と尋ねられたら、いいえ!とずうずうしく答えています。だから人には話さないで下さい…。」

…パリ音楽院の院長まで務めた78歳の大家がこれです。そして結局、フォーレは四重奏曲の完成に全ての力を使い果たし、完成のふた月後に、初演を聴くこともなく世を去るのでした。それでもなお、こんなことを言い残しています。

「私はこの『弦楽四重奏曲』が、いつも最初の演奏を聞いてくれるデュカ、プジョー、ラロ、ベレーグ、ラルマン等のいく人かの友人達の前で試演された後に、出版、演奏されることを望みます。私は彼らの判断を信頼していると共に、この『四重奏曲』が刊行されるべきか破棄されるべきかの決断も彼らに委ねます…」

確かにフォーレは謙虚で慎ましい性格なのですが、それ以上にやはりこれが「ベートーヴェンの呪縛」なのだと思います。とりかかる前にさんざん躊躇したあげく、書き上げたら書き上げたで、「こんなものは破棄した方がいいのでは?」と悩まされる。恐ろしい呪縛です。

 
 …オネゲルもフォーレも、ベートーヴェンにひけを取らない、素晴らしい傑作ですよ、と声を大にして言ってあげたい。そのためには、まず我々が良い演奏をしてあげなければなりませんね。頑張ります。
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