中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

レクイエム 5

2009-07-09 23:59:58 | クァルテット
 「おお、山から眺める喜びよ、 森や流れのはるか上、
  頭上高く青く澄んだ      天空が広がっている。

  山から鳥たちが飛び立ち、  雲はまたたく間に流れ過ぎていく。
  思いは鳥や風を        飛び越していく。

  雲は下りてくる、        小鳥も同じく翼を休める。
  思いと歌は           天上へと届く。」 (アイヒェンドルフ 「山の喜び」より)

 この絵のような風景は、今の季節の山形にもよくあります。やたらと蒸し暑くても、遠くの山の上の方には雪がちらほらと残っていたりして、少し(少しだけですが)涼しい気分になったりします。夏の濃い緑の中に残る雪は、本当にきれいです。(近くで見ると、古い雪ですから汚いんですけどね。遠くから見るからきれいなんです。でも近くで見てもきれいだったら、遠くから見たらもっときれいだろうと思うんですが。舞台芸術と通ずるものがあるかも知れません)。

 少々、辛気臭い話かも知れませんが、人は「自分が死んでこの世から消えてなくなっても、この世はまったくその表情を変えずに、いつも通りの一日を迎えるんだろうな…」ということに気がつくと、むなしさというか、自分というもののはかなさが身にしみて、ちょっと暗くなるものです。そんなことは当たり前のことなんですけどね。ましてや、「自然」というものは、人類が滅亡してもまったく同じ表情で四季を迎えることでしょう。大自然に言わせれば、「お前なんかに『きれいですね』なんて言われる何億年も前から同じように四季を迎えてきたし、お前なんかが死んでからも何億年も同じように過ごしていくだけだ」、ということになるでしょう。

 しかしそれを「美しい」と魂から感じる気持ちは、刹那的な「みずもの」ではないでしょう。そこには「時間」や「物理法則」とは無関係な真実があるような気がします。であれば、それは宇宙がなくなるほどの遠い未来をさらに越えても、「真実」なわけで、そのほうが「永遠」に近いとも言えます。

 …なんてね。この詩のテーマを私なりに解釈するとこんな感じなんですが。どうでしょう?

 1847年、メンデルスゾーンの姉ファニーは脳卒中で突然この世を去ります。まだ41歳でした。彼女の死はあまりにも突然で、その前日にこの詩に曲をつけた歌曲「山の喜び」を作曲していて、それがまだ机の上に残されていた状態でした。

 そして写真の絵は、その約ひと月後にメンデルスゾーンが姉の死に対する悲しみを忘れるために旅行へ出かけて描いた風景画です。結局彼はその悲しみから立ち直ることはなかったわけですが。

 この詩もこの絵も、そして彼がこの時に書いた「弦楽四重奏曲第六番」も、もはやこの世にいない一個人が、その刹那の感情に基づいて創ったものですが、それを越えたものがあるような気がします。

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コメント (2)
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