東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

布野修司,『カンポンの世界』,PARCO出版,1991

2010-09-25 19:24:16 | コスモポリス
建築研究者によるインドネシア、スラバヤのフィールドワーク。学術論文は、

布野修司,「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究――ハウジング・システムに関する方法論的考察」,1986

本書はその調査過程から論文の中身まで一般向けに書いたもの。といっても住居、建築や都市計画に関した部分は後半三分の一だけ。前半はスラバヤのカンポンの住民の生活、都市スラバヤの歴史、ジャワ文化の文脈からカンポンの分析など建築学プロパーをはみだした本である。
つまり〈カンポンの住民の生活宇宙を描き出すことをテーマ〉にした本。

それではカンポンというのは何かというと、いわゆる都市のスラムである。
著者はインドネシアの研究者らとともに、カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)という再開発プログラムの分析をおこなう。住民の相互扶助・自治によってある種の秩序が保たれていたカンポンを、行政の介入に再開発したわけであるが、強権的な押し付けではなく、住民の慣習とのおりあいで、批判もあるものの一応成功したプログラムとみる。

ちなみにKIPはイスラム圏のすぐれた建築を表彰するアガ・カーン賞を受賞している。そのアガ・カーン賞の審査委員である日本の高名な建築家が受賞に反対したそうだが、この高名な建築家って誰なのだ?(ウェブで調べたが不明)

ともかく、著者のみかたは、KIPの成果を肯定的にとらえるとか批判するとかではなく、カンポンの世界を肯定的にとらえ、その住民を理解しようという地域研究のみかたである。
東南アジアの都市について書かれたものでは、バンコク・マニラ・ジャカルタ・シンガポールなど巨大首都についてはけっこう多いし、ハノイやスラカルタやマラッカなど歴史の長い都市についてはそれなりの文献があるが、このスラバヤについての書籍・研究はひじょうに少ない。
戦前はオランダ領東インドで最大の都市であり、クジャウエン(=ジャワらしさ)の中心地であるスラバヤを知るのに最適な著作である。

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で、本書の底流となっているのが、西洋の学者が〈インヴォリューション〉、〈貧困の共有〉としてとらえたジャワの風土の都市を、肯定的にクジャウエン=ジャワらしさとして理解しようとする姿勢である。
スクオッター(不法占拠地域)やスラムではなく、人々の相互扶助・スラマタン(安寧)の慣行を維持し、多民族が共生し、さまざまな家内工業もあり、人の移動もあるいきいきとした社会として描いている。

わたし自身は日本の読者として、このようなひとつの狭い家に複数の家族が間借りしたり、血縁の者や同じ村から来た者が共同でくらす、ということをかろうじてイメージできる最後の世代かもしれない。
そして、やはり読んでいて、息苦しく堅苦しい親密な社会だなあと思わざるをえない。こんな世界から逃げてもっと風通しのいい世界に住みたいと、若いものなら激しく思うのではないだろうか。しかし貧しいものはお互いに助け合い、依存しあって暮らさざるをえない。
ルクンという価値について、簡潔に書かれているが、

〈感情的な軋轢を避け、妥協を通じて、たとえ見せかけであっても満場一致の問題解決に達するほうが理想とされる。意見や感情のあからさまな対立がない場合、集団はルクンの状態にある。〉というものである。

ゴトン・ロヨンという相互扶助活動はデサ共同体(農村)では、

村人の死、不幸に際しておこなわれるもの
感慨水路の改造、モスクやランガーの建設修理
婚礼や割礼の際の祝宴
先祖の墓の掃除や世話
屋根の修理や井戸掘り
農作業
溝清掃や橋などの修復

が含まれるが、都市のカンポンでも農作業以外は現在でもおこなわれている。

グローバリゼーションが吹き荒れる現在、市場経済に依存しない自治的共同体の生活、ひとびとがお互いに助けあう世界、貧しくとも心が豊かな生活(昭和三十年代的?)として、無責任に賞賛されるパターンそのものじゃないか。
みんな、こんな生活がいやでいやでたまらないから、グローバリゼーションの掲げる自由な世界に憧れ、そして、むざむざと市場経済の餌食になってしまうのである。

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以上、ちょっと横道にそれた感想を書いたが、スラバヤの生活を描いた本として、インドネシアの都市の歴史として、ばつぐんにおもしろい。
地図・イラスト・写真も豊富、〈PARCO PICTURE BACKS〉というシリーズの一冊であるが、オシャレな本ではなく学術的にしっかりした本である。
参考文献が注のかたちでびっしり載っている。インドネシア語を中心とした索引(五十音順カタカナにローマ字綴り付き)あり。


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