中村とうよう,『アフリカの音が聞こえてくる』,ミュージック・マガジン1984年12月増刊号(通巻211号)所収
この号は、全部とうようさんの書き下ろしで、アフリカからみた、アフリカを中心とするポピュラー音楽についてのエッセイとレコード・ガイドが収録されている。
そのなかの1章であるが、これは、ポピュラー音楽ではなく、有史以前からのインドネシアとアフリカの楽器の伝播についての論議である。
とうようさんが参考にしてるのは、
A. M. Jones, Africa and Indonesia: The Evidence of the Xylophone and Other Musical and Cultural Factors (Asian Studies),1971.
黒沢隆朝,『楽器の歴史』,音楽の友社,1956.
そのほか、ヤープ・クンスト,『音楽の源泉』、クルト・ザックス、小泉文夫など。
内堀基光,「マダガスカルとボルネオのあいだ」では、楽器のついての言及がなかったが、インドネシア周辺とアフリカの楽器の共通点については、ほぼ確実に、インドネシア周辺の東南アジア起源なのである。
とりわけ、ジョーンズの本は、インドネシア周辺(めんどくさいので、以後、インドネシアと略す。もちろん、現在のインドネシア共和国のことではなく、オーストロネシア諸語を話す、マレー世界、ジャワ、ヌサ・トゥンガラ、それに周辺のタイやビルマも含めての東南アジア地域のことです。)からアフリカに伝わったものとして、棒琴(棹にヒョウタンなどの共鳴体をつけた弦楽器)を挙げているいるし、擦弦楽器の起源をインドネシアとしている。つまり、ヴァイオリンのような弓でこする弦楽器をインドネシア起源としている。
そりゃ、いくらなんでも、飛躍しすぎじゃないか、と思うのだが、世界中の学者で共通に了承されているのは、木琴の仲間がインドネシア起源である、ということだ。
この点は、ジョーンズが特に力をいれて説明しているところで、アフリカに分布する木琴の仲間のチューニングは、すべてインドネシア周辺の音階と共通する。
1.シャムやビルマと共通のイソ=ペンタトニック(オクターブを七等分)
2.インドネシアのスレンドロ音階と共通
3.インドネシアのペロッグ音階と共通
というわけで、3種すべて東南アジア起源である、とする。
ジョーンズは親指ピアノも東南アジア起源の木琴類の小型化だとしている。
ここまでいわれると、アフリカびいきの人はおもしろくないだろうが、このとうようさんの論考はアフリカの音楽のすばらしさを伝えようとするエッセイであり、別にアフリカが亜流だといいたいわけではない。
ともかく、楽器に関しては、東南アジアから伝わったと思われるものが多いのだ。
とくに、マダガスカルに関しては、決定的な楽器がある。
竹筒琴あるいは竹皮琴といわれる、竹の皮だけ残してくり抜いたような楽器、弦楽器の一種(といっても竹が振動するわけだから、弦ではない)。
マダガスカルのヴァリハというもので、ほとんど同じものが、スマトラやボルネオにあり、似たものは他の東南アジアに分布する。
こうしてみると、インドネシアから移住した人々が、どういう経路をたどったにせよ、物質文化は、似た環境のところ、熱帯のアフリカに伝播したとみてよいのではないか?
インドやペルシャ湾、アラビア半島に寄ったとしても、そこで、インドネシアの物質文化は根をおろさなかった、というわけだ。
さて、インドネシアとアフリカの関係ばかりにとらわれず、本論全体をちょっと紹介すると、南北アメリカを含め、アフリカ的なものが、今後ますます強まり、ポピュラー音楽の背骨となり血となる、ととらえるアフリカ音楽案内である。
アフリカ音楽は、全世界に伝播し、融合した、いいかえれば、20世紀のポピュラー音楽は、全世界がアフリカ的要素を強めていったものである。
とまあ、1980年代の中村とうようさんの持論を展開したものだが、このとき(つまり1984年当時)はまだ、インド洋やポルトガルのことは、それほど強調していない。すでにクロンチョンについての熱い思い入れがあるが、世界のポピュラー音楽をアフリカ=ポルトガルを軸として見る視点はまだない(というより、アフリカ的なものとして、ブラジルやカリブ海を捉えている)。
このすぐ後の著作では、クロンチョンやインドネシア、インド洋、アフリカをめぐるポピュラー音楽の伝播をとらえている。
そのことは別項で。
この号は、全部とうようさんの書き下ろしで、アフリカからみた、アフリカを中心とするポピュラー音楽についてのエッセイとレコード・ガイドが収録されている。
そのなかの1章であるが、これは、ポピュラー音楽ではなく、有史以前からのインドネシアとアフリカの楽器の伝播についての論議である。
とうようさんが参考にしてるのは、
A. M. Jones, Africa and Indonesia: The Evidence of the Xylophone and Other Musical and Cultural Factors (Asian Studies),1971.
黒沢隆朝,『楽器の歴史』,音楽の友社,1956.
そのほか、ヤープ・クンスト,『音楽の源泉』、クルト・ザックス、小泉文夫など。
内堀基光,「マダガスカルとボルネオのあいだ」では、楽器のついての言及がなかったが、インドネシア周辺とアフリカの楽器の共通点については、ほぼ確実に、インドネシア周辺の東南アジア起源なのである。
とりわけ、ジョーンズの本は、インドネシア周辺(めんどくさいので、以後、インドネシアと略す。もちろん、現在のインドネシア共和国のことではなく、オーストロネシア諸語を話す、マレー世界、ジャワ、ヌサ・トゥンガラ、それに周辺のタイやビルマも含めての東南アジア地域のことです。)からアフリカに伝わったものとして、棒琴(棹にヒョウタンなどの共鳴体をつけた弦楽器)を挙げているいるし、擦弦楽器の起源をインドネシアとしている。つまり、ヴァイオリンのような弓でこする弦楽器をインドネシア起源としている。
そりゃ、いくらなんでも、飛躍しすぎじゃないか、と思うのだが、世界中の学者で共通に了承されているのは、木琴の仲間がインドネシア起源である、ということだ。
この点は、ジョーンズが特に力をいれて説明しているところで、アフリカに分布する木琴の仲間のチューニングは、すべてインドネシア周辺の音階と共通する。
1.シャムやビルマと共通のイソ=ペンタトニック(オクターブを七等分)
2.インドネシアのスレンドロ音階と共通
3.インドネシアのペロッグ音階と共通
というわけで、3種すべて東南アジア起源である、とする。
ジョーンズは親指ピアノも東南アジア起源の木琴類の小型化だとしている。
ここまでいわれると、アフリカびいきの人はおもしろくないだろうが、このとうようさんの論考はアフリカの音楽のすばらしさを伝えようとするエッセイであり、別にアフリカが亜流だといいたいわけではない。
ともかく、楽器に関しては、東南アジアから伝わったと思われるものが多いのだ。
とくに、マダガスカルに関しては、決定的な楽器がある。
竹筒琴あるいは竹皮琴といわれる、竹の皮だけ残してくり抜いたような楽器、弦楽器の一種(といっても竹が振動するわけだから、弦ではない)。
マダガスカルのヴァリハというもので、ほとんど同じものが、スマトラやボルネオにあり、似たものは他の東南アジアに分布する。
こうしてみると、インドネシアから移住した人々が、どういう経路をたどったにせよ、物質文化は、似た環境のところ、熱帯のアフリカに伝播したとみてよいのではないか?
インドやペルシャ湾、アラビア半島に寄ったとしても、そこで、インドネシアの物質文化は根をおろさなかった、というわけだ。
さて、インドネシアとアフリカの関係ばかりにとらわれず、本論全体をちょっと紹介すると、南北アメリカを含め、アフリカ的なものが、今後ますます強まり、ポピュラー音楽の背骨となり血となる、ととらえるアフリカ音楽案内である。
アフリカ音楽は、全世界に伝播し、融合した、いいかえれば、20世紀のポピュラー音楽は、全世界がアフリカ的要素を強めていったものである。
とまあ、1980年代の中村とうようさんの持論を展開したものだが、このとき(つまり1984年当時)はまだ、インド洋やポルトガルのことは、それほど強調していない。すでにクロンチョンについての熱い思い入れがあるが、世界のポピュラー音楽をアフリカ=ポルトガルを軸として見る視点はまだない(というより、アフリカ的なものとして、ブラジルやカリブ海を捉えている)。
このすぐ後の著作では、クロンチョンやインドネシア、インド洋、アフリカをめぐるポピュラー音楽の伝播をとらえている。
そのことは別項で。