第5章 ムスリムの「近代」
2 世俗化・近代化再考
ここで、西欧式の近代=世俗化という前提に疑問をはさむ。
一般的な理解として、近代化にともなう世俗化として、
1 政教分離~国家は宗教に介在しない。特定の宗教を保護しない
2 宗教の私化~宗教は個人の内面の問題であり、また家庭などの私的な領域での規範や行事、儀礼である。
3 現世意外の領域、つまり死後の世界や他界よりも、現世、現実の世界の問題を重くみる。
というような傾向を含蓄する。
しかし、本書で論じられているイスラーム世界においては、近代化が必ずしも政教分離や宗教の私化をともなわず、また来世を現世よりも重くみる(不適切な例だが、自爆テロリストなど)世界観も強まっている。
このように、イスラーム世界以外では、ナショナリズムと結びつく傾向が、イスラームにおいては、宗教と結びついている。われわれは、このような近代化も一つの世界であると、認識しなければならない。
しかし!
ここでまちがってはいけないのは、イスラームとひとくくりにできる一枚岩のイスラーム世界などというものは、存在しない。
同じ言葉で語られるもの、たとえば本書の例でいえば女性のヴェール。エジプトでヴェールを着用する女性と、アフガニスタンでブルカを着用する女性と、インドネシアでジルバブを着用する女性を、同じように伝統回帰とみてよいわけはない。
それぞれの歴史的・地域的な事情と政治的あるいはファッション的意味がある。
つまり、「ヨーロッパ的近代」と「イスラーム的近代」と二者択一に論じることはできない。
**********
という前提にたって、著者のエジプト滞在の話を含め、イスラーム主義の歴史が説かれる。
第1章 アラビア半島のワッハーブ運動
第2章 スーダンのマフディー運動
第3章 エジプトのムスリム同胞団
第4章 エジプトのジハード団など、20世紀後半の動き。
とくに第4章に関しては、識字率の上昇、高等教育の普及にともなって、西欧の文化を知った知識層から「イスラーム復興」の動きが出てきていると説かれる。(ゲルナーやアンダーソンのおなじみの理論も援用される。)
第5章 4 ピューリタニズム的イスラーム?
ゲルナーの
"A Pendulum Swing Theory of Islam"
という論考は初めて目にするのだが、(だいいちわたしはゲルナーなんて読んだことないし、モロッコでベルベル語を話すムスリムを研究したなんてことも知らなかった。ハリー・ベンダと似た生い立ちの人なんだな……)そのなかで、ゲルナーは前近代のイスラームの動向を説明するものさしとして、以下の二つの基準を考えた。
C特性群
1.現世・来世におけるヒエラルキー志向
2.聖なる存在と一般信者との間を媒介する聖職者や精霊の活発な活動
3.知覚可能な物体などを用いた聖なる存在の具象化
4.儀礼や神秘的行為が盛況になること
5.特定の個人・人間への忠誠
P特性群
1.厳格な一神論志向
2.ピューリタニズム的厳格主義
3.聖典と読み書き能力重視
4.信者の間の平等主義
5.霊的仲介者の欠如
6.儀礼的な放縦さをおさえ、中庸で覚醒した態度を尊重
7.情緒よりも法や規則の尊守を重視
という分類である。
このC特性群はカトリック、P特性群はイスラームに該当するものであるが、ゲルナーはさらに、イスラームの内部にこのC特性群とP特性群に対応するものがあると分析した。
著者は、ゲルナーは前近代について上記のように述べたが、現在でも(もしくは現在のほうがもっと)この枠設定が役立つのではないか、と述べる。
以上、かなり雑な紹介になったが、イスラム原理主義などという言葉を不用意に用いないようにするためにも一読した。
わたしはつねづね、シーア派とかスンナ派とかいうメディア上の言葉に違和感を抱いているのであるが、ああいった雑な分類にひきずられないようにしなくては。
もっとも、同じ著者が編集した、
大塚和夫 編,『世界の食文化 10 アラブ』,農文協,2007
なんかを先に読んだほうがいいかもしれない。
**********
本書執筆当時は石原政権の都立大学問題でかなり悩まされたそうである。
その後、めでたく東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長にご栄転!
えっと、今ウェブで調べたら、今年、2009年4月29日、59歳で死去!?!
ぐあーん!
2 世俗化・近代化再考
ここで、西欧式の近代=世俗化という前提に疑問をはさむ。
一般的な理解として、近代化にともなう世俗化として、
1 政教分離~国家は宗教に介在しない。特定の宗教を保護しない
2 宗教の私化~宗教は個人の内面の問題であり、また家庭などの私的な領域での規範や行事、儀礼である。
3 現世意外の領域、つまり死後の世界や他界よりも、現世、現実の世界の問題を重くみる。
というような傾向を含蓄する。
しかし、本書で論じられているイスラーム世界においては、近代化が必ずしも政教分離や宗教の私化をともなわず、また来世を現世よりも重くみる(不適切な例だが、自爆テロリストなど)世界観も強まっている。
このように、イスラーム世界以外では、ナショナリズムと結びつく傾向が、イスラームにおいては、宗教と結びついている。われわれは、このような近代化も一つの世界であると、認識しなければならない。
しかし!
ここでまちがってはいけないのは、イスラームとひとくくりにできる一枚岩のイスラーム世界などというものは、存在しない。
同じ言葉で語られるもの、たとえば本書の例でいえば女性のヴェール。エジプトでヴェールを着用する女性と、アフガニスタンでブルカを着用する女性と、インドネシアでジルバブを着用する女性を、同じように伝統回帰とみてよいわけはない。
それぞれの歴史的・地域的な事情と政治的あるいはファッション的意味がある。
つまり、「ヨーロッパ的近代」と「イスラーム的近代」と二者択一に論じることはできない。
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という前提にたって、著者のエジプト滞在の話を含め、イスラーム主義の歴史が説かれる。
第1章 アラビア半島のワッハーブ運動
第2章 スーダンのマフディー運動
第3章 エジプトのムスリム同胞団
第4章 エジプトのジハード団など、20世紀後半の動き。
とくに第4章に関しては、識字率の上昇、高等教育の普及にともなって、西欧の文化を知った知識層から「イスラーム復興」の動きが出てきていると説かれる。(ゲルナーやアンダーソンのおなじみの理論も援用される。)
第5章 4 ピューリタニズム的イスラーム?
ゲルナーの
"A Pendulum Swing Theory of Islam"
という論考は初めて目にするのだが、(だいいちわたしはゲルナーなんて読んだことないし、モロッコでベルベル語を話すムスリムを研究したなんてことも知らなかった。ハリー・ベンダと似た生い立ちの人なんだな……)そのなかで、ゲルナーは前近代のイスラームの動向を説明するものさしとして、以下の二つの基準を考えた。
C特性群
1.現世・来世におけるヒエラルキー志向
2.聖なる存在と一般信者との間を媒介する聖職者や精霊の活発な活動
3.知覚可能な物体などを用いた聖なる存在の具象化
4.儀礼や神秘的行為が盛況になること
5.特定の個人・人間への忠誠
P特性群
1.厳格な一神論志向
2.ピューリタニズム的厳格主義
3.聖典と読み書き能力重視
4.信者の間の平等主義
5.霊的仲介者の欠如
6.儀礼的な放縦さをおさえ、中庸で覚醒した態度を尊重
7.情緒よりも法や規則の尊守を重視
という分類である。
このC特性群はカトリック、P特性群はイスラームに該当するものであるが、ゲルナーはさらに、イスラームの内部にこのC特性群とP特性群に対応するものがあると分析した。
著者は、ゲルナーは前近代について上記のように述べたが、現在でも(もしくは現在のほうがもっと)この枠設定が役立つのではないか、と述べる。
以上、かなり雑な紹介になったが、イスラム原理主義などという言葉を不用意に用いないようにするためにも一読した。
わたしはつねづね、シーア派とかスンナ派とかいうメディア上の言葉に違和感を抱いているのであるが、ああいった雑な分類にひきずられないようにしなくては。
もっとも、同じ著者が編集した、
大塚和夫 編,『世界の食文化 10 アラブ』,農文協,2007
なんかを先に読んだほうがいいかもしれない。
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本書執筆当時は石原政権の都立大学問題でかなり悩まされたそうである。
その後、めでたく東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長にご栄転!
えっと、今ウェブで調べたら、今年、2009年4月29日、59歳で死去!?!
ぐあーん!