東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

布野修司,『カンポンの世界』,PARCO出版,1991

2010-09-25 19:24:16 | コスモポリス
建築研究者によるインドネシア、スラバヤのフィールドワーク。学術論文は、

布野修司,「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究――ハウジング・システムに関する方法論的考察」,1986

本書はその調査過程から論文の中身まで一般向けに書いたもの。といっても住居、建築や都市計画に関した部分は後半三分の一だけ。前半はスラバヤのカンポンの住民の生活、都市スラバヤの歴史、ジャワ文化の文脈からカンポンの分析など建築学プロパーをはみだした本である。
つまり〈カンポンの住民の生活宇宙を描き出すことをテーマ〉にした本。

それではカンポンというのは何かというと、いわゆる都市のスラムである。
著者はインドネシアの研究者らとともに、カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)という再開発プログラムの分析をおこなう。住民の相互扶助・自治によってある種の秩序が保たれていたカンポンを、行政の介入に再開発したわけであるが、強権的な押し付けではなく、住民の慣習とのおりあいで、批判もあるものの一応成功したプログラムとみる。

ちなみにKIPはイスラム圏のすぐれた建築を表彰するアガ・カーン賞を受賞している。そのアガ・カーン賞の審査委員である日本の高名な建築家が受賞に反対したそうだが、この高名な建築家って誰なのだ?(ウェブで調べたが不明)

ともかく、著者のみかたは、KIPの成果を肯定的にとらえるとか批判するとかではなく、カンポンの世界を肯定的にとらえ、その住民を理解しようという地域研究のみかたである。
東南アジアの都市について書かれたものでは、バンコク・マニラ・ジャカルタ・シンガポールなど巨大首都についてはけっこう多いし、ハノイやスラカルタやマラッカなど歴史の長い都市についてはそれなりの文献があるが、このスラバヤについての書籍・研究はひじょうに少ない。
戦前はオランダ領東インドで最大の都市であり、クジャウエン(=ジャワらしさ)の中心地であるスラバヤを知るのに最適な著作である。

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で、本書の底流となっているのが、西洋の学者が〈インヴォリューション〉、〈貧困の共有〉としてとらえたジャワの風土の都市を、肯定的にクジャウエン=ジャワらしさとして理解しようとする姿勢である。
スクオッター(不法占拠地域)やスラムではなく、人々の相互扶助・スラマタン(安寧)の慣行を維持し、多民族が共生し、さまざまな家内工業もあり、人の移動もあるいきいきとした社会として描いている。

わたし自身は日本の読者として、このようなひとつの狭い家に複数の家族が間借りしたり、血縁の者や同じ村から来た者が共同でくらす、ということをかろうじてイメージできる最後の世代かもしれない。
そして、やはり読んでいて、息苦しく堅苦しい親密な社会だなあと思わざるをえない。こんな世界から逃げてもっと風通しのいい世界に住みたいと、若いものなら激しく思うのではないだろうか。しかし貧しいものはお互いに助け合い、依存しあって暮らさざるをえない。
ルクンという価値について、簡潔に書かれているが、

〈感情的な軋轢を避け、妥協を通じて、たとえ見せかけであっても満場一致の問題解決に達するほうが理想とされる。意見や感情のあからさまな対立がない場合、集団はルクンの状態にある。〉というものである。

ゴトン・ロヨンという相互扶助活動はデサ共同体(農村)では、

村人の死、不幸に際しておこなわれるもの
感慨水路の改造、モスクやランガーの建設修理
婚礼や割礼の際の祝宴
先祖の墓の掃除や世話
屋根の修理や井戸掘り
農作業
溝清掃や橋などの修復

が含まれるが、都市のカンポンでも農作業以外は現在でもおこなわれている。

グローバリゼーションが吹き荒れる現在、市場経済に依存しない自治的共同体の生活、ひとびとがお互いに助けあう世界、貧しくとも心が豊かな生活(昭和三十年代的?)として、無責任に賞賛されるパターンそのものじゃないか。
みんな、こんな生活がいやでいやでたまらないから、グローバリゼーションの掲げる自由な世界に憧れ、そして、むざむざと市場経済の餌食になってしまうのである。

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以上、ちょっと横道にそれた感想を書いたが、スラバヤの生活を描いた本として、インドネシアの都市の歴史として、ばつぐんにおもしろい。
地図・イラスト・写真も豊富、〈PARCO PICTURE BACKS〉というシリーズの一冊であるが、オシャレな本ではなく学術的にしっかりした本である。
参考文献が注のかたちでびっしり載っている。インドネシア語を中心とした索引(五十音順カタカナにローマ字綴り付き)あり。

なかがわ みどり・ムラマツ エリコ,『ベトナムぐるぐる。』,JTB,1998

2010-09-18 22:43:24 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文庫は角川文庫,2005 (加筆があるようだが未見)

イラストや絵本、キャラクターグッズのデザインを共同でやっている女性2名による旅行記。書き下ろし。著者たちのサイトは

http://rose.ruru.ne.jp/kmp/

1997年暮から98年のテトにかけての長期旅行ながら、前作『エジプトがすきだから。』より旅行期間は短いのだそうだ。

マンガ風イラストと細かい文字と写真を組み合わせたタイプの旅行本で、同じような体裁のものが続々と出版されているが、本書は高品質の部類。最後に著者たちの旅行中の記録やメモが載っているが、本文の脱力&きままなムードとは違ってかなり几帳面に記録をとっている。ちなみに、この頃はデジカメではなくフィルム写真だろうが、写真を撮るのが目的ではない旅ではきれいな写真を残すのはむずかしいことがわかる。光源が弱い写真やぶれた写真が多い。

最後の「あとがきのじかん。」に、〈ベトナムについては他の本がいっぱいでていて、今さらガイドブック的なこと入れる必要もなかったから、思い切り自分たちの旅や、体験したことをかけったかな。〉という発言がある。え?1998年だと、まだまだベトナムに関する本って少なかったような気がするが。
ともかく、ベトナム自体の変化がはやいのと、旅行書のブームの変化がはやいのがあわさって、本書の記載が当時どれほど新鮮でめずらしいのか、もはや把握できないほどである。

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著者たちとほぼ同じ頃に短期の旅行をしたことがあるが、ふむふむそうだそうだと頷く点も、ちょっと違うだろと思う点、両方ある。

たとえば、p28-29 に載っている安宿の写真だが、知らない人がみると、ずいぶんぜいたくなホテルに泊まっているように見えないだろうか。ベトナムは基本的設備や建付けが悪いわりに写真に撮ると豪華にみえる宿がけっこう多いのである。
あるいは、p-100-102 の食べ物の写真。ふつうのスナップ写真では、うまいものもまずいものも、安いものも豪華なものも、ほとんど判別できない。

暑さにかんしては、わたしは雨季にしか旅行したことがないので、暑いと思ったことはない。著者たちはそうとう暑かったようで、午後は宿のクーラーで涼むという行動パターンであったようだが、雨季はクーラーなんてほとんどいらなかった。

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著者たちが旅行した当時から、ボラれる、シクロは怖い、バイクびゅんびゅん、というのがベトナム旅行のイメージだったのだろうか?

わたし自身の感想としては、ボラれる、というのは東南アジアにかぎらずどこにでもある習慣だとおもう。ご近所の人がカフェでコーヒーを一杯飲む値段とよそ者が飲む値段がちがうのはあたりまえなのだ。ご近所でなくても、怖いヤクザもんや、うるさい政府関係者なら、ご近所値段以下あるいはタダでサービスするのではないだろうか。

ヤクザ者でもなく党関係者でも公安でもない旅行者ならボッタくられるのは当然のような気がする。
たんなる旅行者としては、ヤクザ者や公安料金ではなく、多少ボッタくられるのもがまんすべきではないだろうか。普通の人として扱われているのだから。

ボッタクリ以上にすさまじいのが、海外からの観光客向けのツアーである。とくに、日本語ガイド付ツアーになると信じられないような価格である。
ちょっとバイクの運ちゃんにチップをはずんで10USドルぐらいで済むものが、10倍20倍あるいは50倍の値段になっている。
わたしのような旅行者が数日でばらまく金額だって、都市生活の家族が一か月に使う金に相当するだろうに、日本語ガイド付ツアーなんてのは彼らの年収に相当する金額を一日で使うのである。
ふつうのベトナム人にとってこんな観光客は、非現実的な富をかかえてやってくる宝船のようなものだ。

タイやマレーシアなら、むかしから日本以上に市場経済・異文化移入の波をかぶっているが、鎖国のような状態が続いたベトナムでは大金を持った観光客がおしよせるのはほとんどの人にとって初めての体験だろう。
農村のがんじがらめの習慣にしばられ、外国人に対して疑心暗鬼だったベトナム人がよそ者からボッタくる千歳一隅のチャンスなのだ。

もうすこししたら、ボッタクリもなくなって、なんだかベトナムに来た気がしないなあ、てな感じになるかもしれない。

金井重,『シゲさんの地球ほいほい見聞録』,山と渓谷社,1991

2010-09-14 20:46:40 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
改題して
『年金風来坊シゲさんの地球ほいほい見聞録』,中公文庫,2000

年くってから長期海外旅行をしたいと思っている方は必読。
蔵前仁一さんや下川裕治さんのバックパッカー旅行記も楽しいが、彼らは若いときから出かけたベテランだから、あまり真剣に参考にしないほうがいいように思う。

さて、著者のようなひとり旅の長期海外歩きが誰でもできるか?著者はドジで他人の世話になりっぱなしの旅行のように書いているが、行間を読むとかなりむずかしいのがわかる。

1927年生まれで1980年で退職。世間の人間関係から逃れ自分のすきなことをやるためにまずアメリカに向かう。そこから、メキシコへ向かい、スペイン語を勉強し、南下してブラジルまで足をのばす。だいたい、スペイン語を勉強しようという意欲自体ない人も多いのである。著者は外国語がダメなどと書いているが、字面どおりに受けとらないように。
バックパッカーにとって難関の南米をすいすい歩いてしまったように書いてあるが、そうとうに体力もスキルもある人である。

この1920年代生まれの人たちというのは、丈夫な人とひ弱な人の差が激しいように思う。健康な人は30代40代に負けないくらいに丈夫。人生の辛酸をなめ、社会の荒波にもまれているので、ひ弱な若者には耐えられないことも耐えられる。

一方、日本社会に順応しすぎたひとは、海外旅行などまったくダメである。上下の身分、職種、学歴、男女の別、世間体などに凝り固まっている人は、海外の人にコミュニケートできないし、日本人の若い人とも話ができない。自分のスキルが低いのに要求だけ大きいので周りからきらわれる。

著者・シゲさんの場合は組織の中でまじめに労働する一方で、組織以外の場で行きぬく力も養っていたように思える。
それになんといっても丈夫で体力がある人だ。アンナプルナ・ベースキャンプまで行ってしまうのである。

というわけで、くれぐれも本書のような旅がかんたんにできると誤解しないように。情報収集もしっかりやっているし、怪我や病気の対策もちゃんとやっている。ネパールで骨折したり、タイでパスポート・TC・航空券を盗まれたエピソードがあるが、こういう事態にも対処できる人なのである。

見習うべきところは、飽くなき好奇心と、日本の堅苦しい世間からはなれたいという強固な意志である。それに、この方、独身だ……。世話すべき家族はいないようだし、旅行に反対する家族もいないようだし。

平岩道夫,『東南アジアひとりある記 : 韓国からシンガポールまで 』,白陵社,1969

2010-09-12 21:19:05 | 実用ガイド・虚用ガイド
『平岩父娘のアフリカとっておき : ケニア・タンザニア訪問一〇〇回記念・傑作写真集 』『香港・マカオ・台北の旅』『ローマレストラン・ショッピング案内』『趣味の切手ハンドブック : 集め方から鑑賞まで 』『韓国・台湾・香港男の旅』
など多数の著作をもつ方。
同姓同名かなと思ったが、NDL-OPACでも同一の個人著者標目としているし、本書の奥付にも同様の記載があるので、同一人物とみてまちがいなし。

初出『デイリースポーツ』1968年9月から150回連載。

一九六八年から六九年の正月休みに海外へでかけた日本人は一万三千人。うち八割がなんと東南アジアだったという。

8割?
実は、本書で扱う東南アジアとは、韓国・沖縄・台北・香港・マカオ・バンコク・クアラルンプール・シンガポールである。
うーむ。韓国・台北はともかく、沖縄も東南アジアとは、なんと歴史的・風土的に的確な認識であろうか!

小見出しをひろってみよう

韓国
ゴキゲンな"カジノ・プーサン"
居ながらにして三拍子が手にはいる
娯楽場ウォーカーヒル
カタコトの日本語で愛敬ふるまくホステス嬢
夜十二時から朝四時までは外出禁止
礼儀正しいキーセンたち
ボーイが女性のオーダーとりに

沖縄
那覇のバー街"桜坂"
温泉マークいっぱいの"男の天国"
赤線地帯"十貫寺"
コザには"吉原"がある
南国の楽園"石垣島"
"男子一生の恥……"?

台北
華やかすぎる"台北の夜"
"酒家"は美人ぞろい
"珈琲庁"とはおさわり専門喫茶
台北セックス旅行
情こまやかな待応生
新北投だけではの女のコが足りない
高砂族の"烏来"

香港
クツの値段のはなし
"クツずれ"に注意しよう
水上レストランは竜宮城
裏通りに密集"売春宿"
ゴキゲンな"飲茶"
大丸百貨店のレストラン
連れ出し自由のダンスホール
香港のリベート合戦
日本語学校大繁盛
豪華なミラマーホテル
香港の赤線と青線
奇妙な"女子美髪庁"
サンパンが並ぶ水上遊郭
豆電球が営業中の合図に
ヒヤカシ程度が賢明

マカオ
公認のトバク場とドッグレース場
中式と中西式の二通りがある

バンコク
名物"トルコぶろ"
ソコまで懇切ていねいに
微妙な快感"リイマ"
水上マーケットの旅
驚くほど安い果物
ガラス越しにホステスを選ぶ
"温泉マーク"がいっぱい
大もての日本人ホステス
ものわかりのいいコばかり
バンガローとは……
試食したいタイ料理
日本料理店も多い
ゲイボーイのはなし
オカマや映画・実演も
タイみやげのお買い得品
日本語を話す店員もいる
南京街の遊びの名物は
以外に多い青線
茶室で美人あんまがサービス
サムローは荒っぽく危険
チェンマイは美人の産地

クアラルンプール
典型的なアラビア風建築
ハッピー・マッサージ
電話一本でホテルへも
プロの女性に不自由しない
ダンスホールのはなし
指名料払えばぴったり相手に
冷房施設のあるホテルを
リキシャでの見物はいかが?
錫の露天掘り

シンガポール
人気ナンバーワンはワニ皮製品
宝石は日本の半値
アナ場は"ワールド"
ホステスの連れ出し自由
バーは日本と同じシステム
人口二〇〇万の美しい町
楽しいマレーダンス
うまい物いっぱい
試食した"露天料理"
一一階建てのホテル・マレーシア
豪華な"機内食"
一食分うかせるのが常識

などなど、若い諸君には意味不明の語句も多いだろうが辞書で調べるように。
これらの小見出しは、ジョークでも露悪趣味でもない。もちろん告発でも皮肉でもない。
まっとうに正直に観光案内を書いているのである。ほんと信じられない。別にわたしは道徳的にどうのこうの言っているのではない。当時のふつうのサラリーマンにとって(いや、サラリーマンという身分は当時まだ普通ではなかったのだよ)半年分以上の月給を使って行くのに、こんなどうでもいいことしか興味ないのか?とアゼンとしてしまう。

ちなみに本書によれば、東南アジアのいたるところ日本語が通じるようだ。

つまり、これは実用的ガイドではなく、単なる読み物、夢のようなはなしなのだろうか。
随所に間違いやデタラメがあって笑えるが、頭をかかえるような記述もある。

一般に韓国女性は、バストがみごとなほど発達しているが、これは子供のころからチマ(下着)で適当に圧迫し、刺激しているかららしい。

シンガポールでは、
ゲテモノ趣味の向きには、
ボルネオの洞窟でとれる馬の巣!!
がある。誤植とも思われない。なんで馬の巣になったのだ??

それにしても、こういうガイドを書いていた方が、ケニアやタンザニアに行って野生動物の写真をとり、観光親善大使になっているとは。マサイの子供たちの小学校に寄付し教育支援活動もやっているんだそうだ。

兼松保一,『貧乏旅行世界一周』,秋元書房,1961

2010-09-11 18:53:31 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
覆刻版が日本ユースホステル協会,1990
文も写真もまったく同じ覆刻と思ったが、NDL-OPACによればページ数が異なる。原本未見だが、たぶん文章の部分に修正や変更はないみたいだ。
ちなみに小田実『何でも見てやろう』と出版年同じ。

著者は1927年生まれ1998年死去。
国際ユース・ホステル連盟執行委員などつとめる。
1954年パート・ギャランティ渡航。パート・ギャランティとは、渡航費用は自前だが、受入れ先の大学などで滞在費用が保証されるもの。フロリダ州立大学修士課程でレクリエーション学専攻。この時点ですでに日本に妻子あり。

アメリカでのユース・ホステル運動の創始者となるモンロー・スミス夫妻の援助・協力により、帰国途中にヨーロッパ・中東・アジアをまわる旅行が可能になる。
1956年9月5日カナダのケベック発、57年4月3日、帰国。

予算はどうしたかというと、カナダからヨーロッパまでは大学研修の一環としての船とトラックでの移動。この間モンロー氏の助手というかたちで、大西洋横断航路の旅費のみで参加した。一行とローマで別れる際に、モンロー氏から400ドル(約144000円)もらう。この資金で中東・アジアをまわり帰国する。

かなり珍しい、ラッキーなケースである。
当時の日本の物価からみて、1ドル360円というのは、現在の5000円ぐらいの価値があると思っていいだろう。しかしそれぞれ国の物価がよくわからないので、400ドルという金額がどの程度すごいのかどうか、よくわからない。当時はアメリカ合衆国だけが圧倒的に金持ちで、敗戦国のドイツやイタリアも、中東の国も日本もたいして変わらなかったのかもしれない。

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われわれの世代からみると、ユースホステルなんてのは内務班と民青をたして二で割ったような(←こらこら、若いもんにわからない喩えを使うな)、規則ばかりうるさくて、たいして安くもない宿泊施設というイメージである。
しかし、ヨーロッパと北米の間でも事情は異なるようだし、1950年代の日本では、ヨーロッパ的な憧れの施設だったのかもしれない。いずれにしろ、安いとか貧乏旅行向けというより、中産階級の青少年向けという感じかな。

そういう時代であるので、著者の写真も実際に旅行中も背広をきてネクタイをしめるというスタイル。その後のバックパッカーとかヒッピーとはまったく異なるのである。

さて、著者はどんな国へいったと思います?
これが驚くのだ。おそらく1957年の時点で、これほどの地域・国へ行けたのは稀有ではなかろうか。

ヨーロッパはフランス・ルクセンブルク・西ドイツ・オーストラリア・スイス・スペイン・ポルトガル・イタリア。それにモロッコにも。

ひとり旅になってからは
レバノン・ヨルダン・国境のエルサレム・シリア・イラク・アラビア湾を渡ってパキスタン(西)。陸路でインド横断。

さらにカルカッタから航空便で、
ビルマ・タイ・イギリス領香港のあと、なんと中華人民共和国

なぜ中共(と表記、日本と国交なし)に行けたかというと、周恩来首相あてに、世界各国の体育事情を視察しているのだが、中国の事情も見たいと手紙を書いたのだそうだ。(ローマから発信)
すると、入国許可の電報がカルカッタに届き(アメリカン・エキスプレスの事務所)中華全国体育総会の負担で旅行できることになった。香港から中国旅行社の係員の指示に従い入国。広州・上海・天津・北京などを国賓待遇(?)で視察できた。

中華人民共和国内では体育活動・スポーツ施設の見物が多いが、ほかの国でもその種の写真が多い。
たとえば、ダマスカスでの女子軍事教練、スカートをはいてバレーボールをするバグダッドの少女たち、イラクのガールスカウトなど貴重な写真もあり。

各国の査証の値段や移動方法もちゃんと書かれており、そうとうに珍しい旅行記である。

しかし、現在の立場から文句をいうのもなんだが、これほど珍しい地域・国へ行けたのだから、もっといろんなところを見ればいいのに、読んでいて歯がゆい。
スエズ動乱直後のエルサレムとか、アラビア湾を船でバスラからカラチまで航海、ラングーンとバンコックにも滞在。

そう、東南アジアはラングーンとバンコクだけ数日の滞在。ああ、もったいない。
中国の招待旅行で行くところが制限されるのはしょうがないにしても、ほかの国ではもっとおもしろいところがありそうなのに、観光名所だけなのである。

つまり、1950年代というのは、金銭的にも貧しかったが、それ以上に知識が乏しかったのだ。情報が限られているため、今からみるとありきたりの観光地しか見てないのである。

おそどまさこ,『障害者の地球旅行案内』,晶文社,1996

2010-09-09 21:10:41 | 実用ガイド・虚用ガイド
地球は狭いわよ、と言っていたおそどまさこさんも、年齢不明だがおそらく60歳を過ぎているだろう。本書執筆時点で50歳くらいだろうか?(注;前項の『地球女ひとり旅ガイド』に生年が書いてあった。1949年うまれだ。)

本書は肢体障害、視覚聴覚障害、内臓障害などを持つ人のための海外旅行案内である。
具体的な工夫、事前の準備、援助組織の詳細は各自よんでみてください。

わたしは、とくべつ○○障害と名前がつくような障害はない者であるので、そういう者からみた感想を少々述べる。

基本は、他人の善意ではなく、金銭で解決すること。つまり、それなりの代価を払うこと。シビアな意見であるが当然だろう。

最初のバリアーは、パスポートを取るなど役所関係の障害。それに周囲の反対を押しきる覚悟。

電動車椅子などさまざまなハイテク機器を活用する。本書は15年近く前の本なので現在はもっといろいろな機器が開発されているのだろう。ICレコーダーも携帯電話もほとんど普及していない時代の話である。

こうしてみると、いわゆる障害者といわゆる健常者の違いがどんどん小さくなっていっているように見える。電子機器や衛生用品をたくさんつめこんで旅行するスタイルも普通になったし、車椅子や杖を使って移動する人も普通になった。

一方で、本書の内容は他人事ではないなあ、と思うところも多い。
内臓障害、手術後の排泄の不便など、これからわが身にふりかかりそうなこともある。
結局、さまざまな瑣末な不便や身体の不調が海外旅行のバリアになるのだろうな。

おそどまさこ,『地球は狭いわよ 女のひとり旅講座』,トラベルブティック747出版局,1976

2010-09-09 21:10:17 | 実用ガイド・虚用ガイド
古本(ネット利用)で安く買えた。ちなみに、元の定価980円、初版5000部。
初めて現物を見る。

驚いた部分はいろいろあるが、まず書き下ろしではないこと。文化出版局の雑誌『Amica』に1974年9月号から1976年7月号まで連載された記事をもとにしている。
その『Amica』という雑誌も知らないが、ネットで検索したところによれば、やはりファッション中心の雑誌である。海外旅行の記事もあるが、それほど現実的な話ではないんではないかなあ。(未確認)

内容は準備偏として渡航手続・やすい飛行機の探し方・インフォメーションの収集・海外での周遊券・持ち物・トラブル対策。
目的地の情報としては、ニューヨーク・サンフランシスコ・ロサンジェルス・ホンコン・バンコク・バリ島・オーストラリア・ニュージーランド・ニューカレドニア。
ヨーロッパが無いのは著者が実際に旅行した時期から離れすぎていて最新の情報が載せられないからという理由である。収録地域の取材は雑誌掲載の前ぐらいで、本書刊行の1~2年まえ。

宿泊は長期宿泊のアパートメント、YMCA・YWCA、ユースホステルの紹介が多い。現在と違い、どうせ行くなら長期滞在ということだろうか。
「アダルト・スクール」(移民のための成人学校みたいなもの)入学体験記もあり。信じられないが無料だったそうだ。
そのほか、オノ・ヨーコ会見記、マリファナについて、レズビアンバー、ピアスをしてみました、などなど時代を感じるコラムも収録。

しかし、もっと時代を感じさせるのは、

追記
最近、新聞で、「エチオピア、バングラデシュ以外の海外渡航に種痘の予防接種は必要なくなる」とか、「海外旅行に持ち出すことが出来るドル限度額は1500ドルから3000ドルにかわる」とか、ニュースが流れていますが、6月18日現在、まだ確実ではありませんので、今後、出発される方は、直接、日本銀行、検疫所に問い合わせて下さい。


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さて、本書は現実の旅行ガイドとして役に立つのかどうか、わたしには判断不能である。
今読むとあたりまえの部分が多いし、肝心の安い航空券の入手など、どうもよくわからない。著者の使った航空券の期限がどのくらいか、FIXなのかOPENなのかもわからない。

各国の在京観光局が紹介されているが、どの程度の情報が得られるのか。地図は日本で入手可能なのか。
予算もわからない。親から1000ドル(30万円)ぐらいどーんと小遣いをもらえるくらいの女性を想定しているのだろうか。ちなみに、かなりの大企業でも20歳代の月給は10万円ぐらいの時代である。

現在の手取り足取りの親切すぎるガイドブックと比べるのは難癖だと承知のうえで言うと、空港から市内への移動のしかた、公共バスの乗り方など、もう少しくわしく書いてもらわないと、空港に着いたとたんにウロウロしてパニックってことにならないのだろうか。

旅行に必要な英語の文例や単語の案内もあるが、booking とか available? なんて重要な単語が載ってないんだよね。
著者自身はかなり自由に動けるタイプの人だろうが、本書を読んで羽田出発から目的地空港の外に出るまでイメージできる読者はいないと思う。

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実用的な知識はともかく、都市の案内もひじょうに忙しいのである。

しかし、はたしてマカオは団体旅行でなくては見てまわれないものでしょうか?九龍のスターフェリーの前、スターハウスの15階にあるマカオ・ツーリスト・インフォメーション・ビュローの職員ジョセフ氏も、「マカオは小さな街です。歩いたって正味2時間あれば回れますよ。」と言います。とにかくマカオはこじんまりとしていて、車などに乗るとアッという間に終わってしまうのでポルトガル情緒を味わうこともできません。香港からマカオ行きのツアーに参加したいというと、140ドル(8400円)以上とられてしまいます。2時間で歩けるところを、なにも高い費用を出して、車に乗ることはないでしょう。もしひとり旅でマカオへ行くとすれば、かかる費用をざっと計算してみても、水中翼船が往復40ドル、昼食代が5ドル、ビザ代が25ドル、雑費が10ドルとして計80ドル(4800円)で、つまり5000円足らずで納得いくまで、マカオをまわることができるのです。マカオには市内バスが走っていますし(30セント)、タクシーや人力車が絶えず流していますから、利用してもいいでしょう。

と、いうように、せっかくのひとり旅なのに、ツアー客並の駆け足旅行を書いている。ちなにみ、マカオを2時間で歩くのは不可能だし、一日ではぜんぜん納得いくまでマカオを回ることはできないと思う。

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別に本書だけではないが、現在のガイドブックにまで続く不思議な内容がある。

まず、日本食が欲しくなるから準備するという記述。これがほんとに不思議だ。著者の年齢ならわからないでもないが、みそ汁やお茶や梅干がそんなに欲しくなるものなんだろうか。
家庭でも毎日みそ汁やお茶を飲んでいる日本人ってそんなに多いのか?

最近は荷物検査が厳しくなって、ナイフは預け入れ荷物に入れなくてはならないという記述が多い。本書でも持ち物の中にナイフがある。しかし、旅行中にナイフが必要?安宿でも高級ホテルでも包丁ぐらい借りられるだろうし……。

宮田珠己,『東南アジア四次元日記』,旅行人,1997

2010-09-02 21:50:53 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文庫は文春文庫PLUS 2001
    幻冬舎文庫 2010

実は初めて読むのです。
親本の旅行人版を買おう買おうと思っているうちに品切れになり(蔵前編集長すまぬ)、文春文庫も買おうと思っている時に見つからずで、今回幻冬舎から出たのでゲット。

読むと脱力して元気がでる本だ。
本書のあとの『わたしの旅になにをする』などより、強烈なギャグは少なく、わりとちゃんとした(?)旅行記だ。とはいうものの、思わず噴出す場面は多々あるが。

旅程は、香港~ベトナム南部~カンボジア~ベトナム北部~ラオス~タイ北部~ミャンマー~タイ中央部~マレーシア~シンガポールという黄金コース。ミャンマー以外は陸路を歩く、もはや定番といっていいコースだが、サラリーマンをやめて長期旅行に出かけられるという開放感にあふれた旅である。

 何もかも忘れてのんびりしたいと思うことがあるが、実際にのんびりできたためしがない。今も、体は疲れているし、気力もダレているが、かといって休養ばかりでは退屈で落ち着かない。
 何でも海外旅行というと、あちこち観光して回ったり、うろうろしてひとつとこrにじっとしていられない旅行者は馬鹿にされる傾向があるが、そういう風潮には納得いたしかねる。私に言わせれば、右も左もわからない土地でうろうろしているうちに、元へ戻れなくなって、にっちもさっちもいかなくなったり、行きたいところにたどり着けなくておろおろすることこそが旅の醍醐味である。(p167-168)


うーん。わかる!

それにしても、ラオスビザが100USドルというのにはびっくりした。当時はそんな時代なのである。その高いビザ代を払い、ワット・シェンクアンなどというお間抜けな寺のようなテーマパークのような所を見るだけ、という旅行である。
ちなみに、現在は15日以内なら日本人は無料!ベトナムも15日無料である。
入場料無料の遊園地みたいなものだ。
それから調べてみたら、ワット・シェンクアンって意外と有名な所なんですね。ほかに見るようなところが無いからかもしれないが。

東南アジアの旅ってこんな具合なんだなあってわかるという意味ではベスト5にはいるくらいの良質な旅行記である。ほんと。