東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

森枝卓士,『世界お菓子紀行』,ちくま文庫,1995

2008-08-31 22:12:35 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
前々項「人生が変わる旅の本100」でもワイルドな食物や異文化の食生活の本は紹介されていて、森枝卓士さんの本も載っている。
その森枝卓士の数ある食物本の中でも異色の文庫書き下ろし。

一般的に、書名に「世界」とか「世界の」という言葉がはいっていたら、東南アジアや韓国の話はナシと思ったほうがいいが、この著者であるから当然、東南アジアや韓国もある。むしろポルトガルやオランダの話はアジアとの対比で語られる。
そして酪農を欠いた世界である東アジア・東南アジアの米の粉と砂糖のお菓子のルーツが考察される。
圧倒的に強大な影響を与えているのはもちろん中国で、さらにポルトガルなど南蛮の影響があり、さらに近代ヨーロッパの影響がある。
つまり北からの影響は中国に限定されていて、牧畜世界の影響はほとんどない。さらに地中海やアラブ世界の影響もあったはずだが、ミルクやクリームを使ったものは伝播しなかった。

という大枠はわかる。
しかし、相手のお菓子が多様すぎるし、ルーツも錯綜していて、ひとりの著者では手に負えないようだ。

わたしは本書の題名をみて、東南アジアから中国、日本まで存在するカンテン系やゼンザイ系、さらにカキゴオリ系の話を期待したのだが、残念ながらなし。
パッピンスからハロハロまで射程に入れられる著者だから、その辺追及してほしかったのだが。

しかしこのテーマ、実際に食べて書くとなると苦行である。
カレーや麺類だって、実際に集中して食べるのは苦痛なのに、お菓子・甘味の類はさらに体に悪そうである。
本書でも、しっかりと念を押しているように、甘ー辛という対比は日本に独特な分類であるようで、ヨーロッパでも東アジアでも(当然イスラム世界でも)甘いものとアルコールを対比させる概念はないようだ。だからシュワルツネッガーやスプリングスティーンのようなマッチョな男性が甘いケーキを好んでもなんら変なことはない。
しかし、日本ではスィート系、甘味系というと、女性ライターのべとべとした話ばかりで、文化人類学的考察や歴史的考察がまったく欠けている。

著者は単身挑戦したわけだが、もとより全貌を掴むことを不可能である。
誰か、東南アジアのスィート系や東アジアのお菓子をしっかりと研究する人が現れればいいのだが。ぜひとも、女ではなく男にやって欲しいね。

******

本書とはまったく関係ないが、誰の著作かも、何というタイトルかも忘れた話がある。おもしろすぎるエピソード。

中国への一般旅行が解禁して間もないころ、ある人が中国のホテルで異様なものを飲んだ(食べた)。
どういう代物かというと、グラスに頭が痛くなるほど砂糖をいれた温めた牛乳がはいっている。
さらに、その中になんと、丸ごと一個ゆでたまごがはいっている……。

この奇妙な食物(飲み物)を紹介した著者は以下のように推理する。

ひょっとして、これはミルク・シェイクのレシピを読んで、実物を知らない中国人が作った飲み物ではなかろうか。
つまり、中国人は、牛乳や卵をナマで飲む、という概念がない。
だから当然、卵を茹でて牛乳を温め砂糖を混ぜた……。

というように、伝わらない文化、伝播しないものがある、という話。

山口文憲,『香港世界』,筑摩書房,1984

2008-08-31 22:08:49 | コスモポリス
ちくま文庫,1986をブックオフで見つける。
誓って言うが、わたしはブックオフはめったに行かないしほとんど買わないし、絶対売らない。本は捨てる。
本書もちゃんと新品で買ったことあるんです。信じてください。

前項「人生が変わる旅の本100」では『香港 旅の雑学ノート』がセレクトされていたが、本書は文章としてまとめた形で香港体験を綴る。
人生なんか旅ぐらいで変わるわけない、あるいは、人生が変わろうと変わるまいとどうでもいいという視点で綴られた香港本の白眉。
というか、ある種の旅行記・滞在記のスタイルを決定した作品ですね。

香港回帰(1997年7月1日)の頃、本書と『雑学ノート』はすでに古典扱いで、かなり注目されたはず。
それから11年。中国大陸を香港が呑みこむか、あるいは香港のほうが大陸に浸食されるか、などといろいろ予想されたが、結果は出たといっていいでしょう。

国家も土地所有もない、丸裸の資本主義社会というのはやはり例外的であって、国家の規制や土地投機があってこそ資本主義が跋扈する、というのが今現在2008年夏の状況ではないでしょうか。

それに比べ、香港はまったくのインプロビゼーションの世界。
故郷に執着せず、さらに香港にも執着しない移民の世界。
これを、あるがままに観察したのが本書である。11年前とは別の意味で古典的である。

たとえば、「香港人はほんのちょっぴりしかゴハンを食べないオカズ食い」なんて書かれているが、もはや日本中が香港人化している。
ノーマン・ベチューンを知っている中国旅行者がいるのか?(わたしも読んでいない。)
日本人女性旅行者が拉致されて人肉市場に売りさばかれるという伝説も紹介されているが、この話も本書の時代ですでに冗談であったものが、まだウェブ上に跋扈しているようだ。

というように読み返して、新たに蒙を啓かれる作品である。

文庫版解説は妹尾河童、著者じきじきの指名。まだ『少年H』を発表する前、カウンターカルチャー方面の人、というイメージだったなあ。

それから、表紙が堀内誠一なんだ。へえ。この頃まだ生きていたんだな。
「ぐるんぱ」や「たろう」などの絵本から、いきなり「血と薔薇」という経路で知った若い人には、なんでオジンやオバンの雑誌のデザイナーがそんなにすごいのか理解できないかもしれない。

前項の特集に堀内誠一がセレクトされていないのはライバル会社の本丸であるからという理由ではなく、男っぽくないから?
『パリからの手紙』というナイスな旅行記があるんですよ。航空書簡(アエログラム)なんてものがあるのを知ったのは、この本からであったな。
最近、澁澤龍彦との往復書簡集がでましたね。(未見・未読)

青木恵理子,『フローレス島におけるカトリックへの「改宗」と実践』,2002

2008-08-16 21:48:00 | フィールド・ワーカーたちの物語
短い論考ながら、貴重で珍しい話がいっぱい。

まず、フローレス島のキリスト教布教史の素描。

16世紀にポルトガルのカトリック、おもにドミニコ会修道士による布教
17世紀VOCによるカトリック布教の禁止。約200年間空白。
1808年、カトリック伝道解禁。イエズス会宣教師が定住開始。
19世紀後半、オランダの修道会「神言会」がイエズス会に代わる。
1910年代、オランダの軍事侵攻、行政の施行にともない、山岳地帯に布教開始。
つまり、20世紀初頭まではキリスト教ともイスラムとも無縁だった地域にカトリックが広まる。
1942年から日本軍政時代は日本人聖職者が配属(!)。
東インドネシア国からインドネシア共和国、1962年に新しい行政区分が導入。

それでは、この地フローレスのカトリックはどういうものか。

神言会は、現地の信仰とカトリックの接点を見出そうとする傾向が強い。
聖書の「神」概念も土地の伝承・創生神話と結びつけられて説明される。
著者が調査したリオ語地域では、イエスの死と復活も死体化生神話に似た作物起源譚によって説明されている。
(以上、こまかい点は略)

フローレス全体の社会の中でのカトリック

海岸部や都市部の華人もカトリックが多数派である。
しかし、彼らは通婚も華人社会内部が多いし、カトリックとして他のグループに親近感を抱くわけではない。
また、華人商店が襲われた事件についても、カトリックがムスリムに襲われた、という見方はしない。怠け者たちが勤勉な者をねたんだ暴動だ、ぐらいの認識である。

一方、エンデ語地域は、海岸部がムスリム、山岳部がカトリック。
山岳部カトリックは、ムスリムとの婚姻もある。
カトリックがムスリムと婚姻すると、ムスリムに改宗するのが一般的、カトリックのほうが経済的に劣位であり、侮蔑の対象にもなる。(交易を通じて外の世界との接触が多い地域がイスラーム、孤立した地域がキリスト教というのは、東南アジアでよくある型である。)
こちらのほうがむしろ、カトリック体ムスリムという反感を「宗教」紛争と意味付ける傾向が強い。(実際は経済格差の問題であることが多い)

高等神学校がマウメレ近くにある。
80年代までは西欧人教員がほとんどであったが、現在は大部分がフローレス生まれの者。
生徒は幼少の頃から寮生活を送り、「故郷」の村の慣習とは違和感を抱きがちで、海外留学など外の世界への道もある。
彼らはカトリックの信仰には醒めた目をもっている。
「カトリックは普遍的な真理ではなく、土着の文化と相互に干渉しあって生まれた文化である」というふうな考えをもっている。

さて、著者が滞在して調査した山岳部の村、約2000人ほどグループである。

この地のひとびとが、「インドネシア」という国家を意識するのは、1965年のインドネシア内乱、共産党撲滅キャンペーンが最初である。
それまで、オランダ政府ともインドネシア共和国とも無縁であった山岳部に、国家内の闘争・内乱が波及する。

ここにおいて、カトリックであること=共産主義者でない=まっとうな国民である、という図式が生まれた。(大雑把なまとめかたなので、各自、自分で読んで点検してください。)

さて、最後に、この村で最後にカトリックに改宗した老人の物語が語られる。
1992年の大地震のあと、改宗した老人の物語。
自然災害のショックによる改宗(これも大雑把な見方なので、各自読んでみてください。)という原始キリスト教的(?)な改宗の経緯が描かれる。

寺田勇文,『東南アジアのキリスト教』,めこん,2002 所収

萩原修子,「ベトナムのカトリック」,2002

2008-08-15 21:27:39 | フィールド・ワーカーたちの物語

『東南アジアのキリスト教』,めこん 所収

ベトナムのカトリックに関しては従来、植民地宗主国フランスとの結びつき、アメリカ合衆国の関与、社会主義政権とカトリック弾圧、という政治との関連の中で語られることが多かった。
著者のねらいは、その政治的側面ではなく、村の中で非カトリックとカトリックがどのように共存しているか、というオーラル・ヒストリー構築の試み。都市ではなく、農村の話です。

著者のまとめからすると、過去は圧倒的に時の権力に翻弄されているようにみえる。
しかし、村落レベルで聞き取り調査を行った印象は別だ。

わたしが特に興味をもったのは、次の点。

非カトリックはカトリックに対し「カトリックは忌日祭りをしないからお金がたまる」「祖先を拝まないとか、祖父母の命日も覚えていないなんて考えられない」と言う。
あれー!!
これって、古くは一向宗(浄土真宗)門徒がいわれていたこと、さらに外来のキリスト教や新宗教が言われていたことと同じじゃないか。

さらに著者の指摘するところによれば、非カトリックはそれでもカトリックを忌日祭りによんでいたし、カトリックも参加していた。
カトリックと非カトリックの婚姻で問題になるのは、祖先供養の儀礼であった、ということ。

カトリック側の忌日祭りや祖先供養へ対する態度は、しかし、近年急速に変化していて、カトリックでも積極的に参与する傾向がある。
これは、ここが重要なのだが、第2次バチカン公会議(1962-65年)での祖先祭祀の認可によるものではない、ということ。
(バチカンの決定によるものか否かはわからないが、お盆の頃、クリスチャンも墓参りしてますね。)
また、共産党政権による村落の儀礼の簡素化・廃止によって(戦後日本の政府や地方自治体による冠婚葬祭の簡素化に似ているように思えるが)、非カトリックが忌日祭りや祖先供養を止める、という成果はなかった、ということ。

カトリックも非カトリックも市場経済で豊かになると同時に祭祀が盛んになってきた、という傾向がみられる(これも日本やマレーシアと同じだな)。

あまり早とちりに結論を出すのもなんだが、少なくとも、政府の介入や共産党の方針とは別のモーメントがある、ということだ。(各自、読んでみてください。)

さらにわたしが興味をもつのは、フィリピンのカトリックと違い、東アジア・東南アジアの儒教圏のカトリックは、脱神秘・世俗化という面で、まったく違った傾向をもつものだ、ということ。

*****

そして、本稿の問題とはまったく別の方向の話であるが、儒教圏のカトリックは、なぜか支配者層に浸透していて、それと村落の民衆のカトリックはどう違うのか、という疑問。東アジア・東南アジアでは、吉田茂も李登輝も(蒋介石はプロテスタント系)、本論に登場するゴ・ディエン・ジェムもカトリックだ。

豊田美佳,「……宣教活動と少数民族」,2002

2008-08-14 20:54:52 | フィールド・ワーカーたちの物語
『東南アジアのキリスト教』の第5章,(とよた・みか)「中国、ビルマ、タイ国境地帯の宣教活動と少数民族」
東南アジアでもキリスト教宣教師が植民地宗主国支配の一翼をになったことは、よく知られていることで、基本事実である。

しかし、この小論は、もっと複雑な実態にふみこむ。

まず、宗主国側権力、地元権力(王侯)、山地の民衆、それぞれ利害がからまっており、また各宣教団体の個々の宣教師の立場もいろいろであった。
つまり、結果的には植民地化に協力したことになるが、地元民の福祉や権利の拡大をめざした宣教師がいた。
対立する地元権力や王侯側の仲介者になって有利な地位をしめようとした宣教師もいた。
プロテスタント各派とカトリックの競合もある。

以上は20世紀前半まで。

では、ビルマ山地や雲南省の少数民族のあいだに、なぜ急速にキリスト教が広まったか、という疑問。

これについて、著者は、以下のような要因をあげる。

まず、支配的な大民族、ビルマ人・漢族・タイ人の宗教や慣習に対する劣等意識と欠乏感がある。
かれら少数民族は、キリスト教のもたらす文字の力、本の力に魅せられる。
有名なカレンの〈失われた本伝説〉については、研究者による緻密な調査があり、白人宣教師の記録は信頼できない部分もあるようだが、ともかく、カレンやラフ、モンのあいだに、むかしむかし失われた本や文字をキリスト教によって回復する、という伝説が生まれた。

もうひとつの要因として、従来の儀礼が経済的理由により行えない、あるいは儀礼を継承するものが絶えてしまった、という事情がある。
著者のみたタイの村のアカの事例では、儀礼を司るピマが村にいない。
ピマの息子である人物が、父親の葬儀をしようと思ったが、キリスト教式に行うのはあまりに親不孝と考え、結局ビルマから人を呼んだ。

さらに、この村では家を新しく建てた際、厄除けの儀礼を司るピマが不在である。そこで、ビルマからアカのキリスト教牧師がやってきて、キリスト教式の厄除けを引き受けてくれた。そこで村全体でキリスト教に改宗した。という話。
著者もこのキリスト教式新築厄除け儀礼に参列したのだが、牧師から、「アーメン」と参列者一同で言うようにとの指示に従えばあなたもキリスト教信者だと言われた。

さらに最近では、タイ国内にあらゆる宗派のキリスト教が進出しているわけだが、その中で台湾やシンガポールからの中国系教会も多い。
中国語で聖書を読み、同時にビジネスに有利な中国語を学ぶ、という動きもある。

もはや、キリスト教=西洋化という単純な図式は成り立たない、という話。

寺田勇文,「イグレシア・ニ・クリスト」,2002

2008-08-11 20:13:03 | フィールド・ワーカーたちの物語

「フィリピン生まれのキリスト教会」というと、フィリピン革命のなかで生まれたフィリピン独立教会がまず第一におもいうかぶが、これはまったく関係ない、1913年にフェリックス・マナロという人物によって創設された教会。

創設者の突然の啓示体験、貧民街での布教、『ヨハネによる黙示録』7章2-3節の〈もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来る……〉という記載を根拠にした教義、カトリック教会からの弾圧、各種のプロテスタント教会の教義をごちゃまぜにしたような主張、農民層信者の増加、信徒によるブロック投票(教会側は関与を言及せず)、というぐあいに書いていくと、日本の新宗教と同じようなものか……という感想がでてくる。

おさだまりの弾圧、創立者の死亡と指導者交代と内部分裂、政治権力との癒着、一定の勢力を得て安泰、もしくは衰退、というのが標準コース。

ところがフィリピン、一筋縄ではいかない。
上述のよくある矛盾や問題もおきているが、今のところ順調に信者数を伸ばし、確固たる地位を築いているようにみえる。
さらに海外への進出。
これがフィリピン人出稼ぎと移民の流れにそった拡大なのである。日本では米軍基地の町から始まり、出稼ぎエンターテイナーの拠点に教会ができる、という道筋である。

この種の新宗教は、西洋の衝撃と植民地状況における民衆のヒステリー的運動……という具合にわたしは把握していた。たいていの新宗教の場合、その線にそった変化を経ているのだが、新しい捉え方、新しい変化が起きているようである。

はたして、教会側の主張するような、アジアの側から西洋の側へ布教する時代が来るか?なんと、アメリカ軍基地のあるインド洋のディエゴ・ガルシア島にも信徒グループが存在する。教会が多いのは北アメリカとオセアニア。イスラエルにも教会がある!

それとともに、フィリピンのカトリック側でも民衆の不満や矛盾に応えるエル・シャダイのような宗教運動が起きているそうです。

フィリピン語で Iglesia Ni Cristo (初期にはKristo というスペルもあり)
英語で Church of Christ、チャーチ・オブ・クライスト

寺田勇文,『東南アジアのキリスト教』,めこん,2002 所収

寺田勇文 編,『東南アジアのキリスト教』,めこん,2002.

2008-08-11 20:09:10 | フィールド・ワーカーたちの物語
1998年に10回連続で開講された、上智大学コミュニティ・カレッジ「東南アジアのキリスト教」をもとにした企画。
文献からの研究報告もあるが、執筆者はすべて該当地域でのフィールド・ワークの経験の豊富な方々である。
その結果、キリスト教布教を未開社会の啓蒙ととらえるのではなく、現地社会の対応を含めて文化人類学的に考察する論考がそろった。

当然、キリスト教を全人類的な普遍的な価値とは捉えない。
そして一方、現地の人々を一方的に教化される弱い立場の人々とも捉えない。
そうではなく、異文化の衝突、相互の変容として見ている。

第1章 聖者の行進:聖週間儀礼から見たビサヤ民俗社会 川田牧人
第2章 イグレシア・ニ・クリスト:フィリピン生まれのキリスト教会 寺田勇文
第3章 タイ(シャム)におけるキリスト教 石井米雄
第4章 エーヤーワディ流域地方における王朝時代のキリスト教 伊東利勝
第5章 中国、ビルマ、タイ国境地帯の宣教活動と少数民族 豊田三佳
第6章 カンボジアの伝統社会とキリスト教 石澤良昭
第7章 ベトナムのカトリック:政治的状況と民衆の生活の形 萩原修子
第8章 マレーシア・カトリック教会におけるポスト・コロニアリズム 奥村みさ
第9章 フローレス島におけるカトリックへの「改宗」と実践 青木恵理子

以下、各章別にレビュー。

『旅の指さし会話帳 東南アジア』,情報センター,2008

2008-08-10 19:12:19 | 実用ガイド・虚用ガイド
わお!こんなのが出てたんだ。
なんと東南アジア9カ国(ブルネイを除くアセアン参加国)全部の会話帳ですよ。

実は恥ずかしながら、このシリーズにはお世話になっている。
体裁が若い女性向けで、わたしのようなムサい老人が使うには恥ずかしいものがあるが、結構役にたつ。
とくに、数と月日と時間と交通に関する表現、巻末の単語リスト(簡単な辞書)がありがたい。

それで、この総合版であるが、これは欲張りすぎですよ。
この9カ国を一度に旅行するなんてほとんどありえない。

単発版で便利だった交通機関に関する表現が少なすぎる。各国ごとの交通事情に適応できる表現が必要なんですが。
宿泊施設に関する表現も不足している。電話やインターネットの各国別事情に対応するのも最近の旅行では必要ではないでしょうか。

食べ物・食事に関しては、表現を覚えるよりも、どんなタイプの飲食店があるかという知識のほうが重要である。それがわかれば、あとは指差しやジェスチャーでなんとかなる。個々の料理名よりも、砂糖を入れないで!というような表現が重要。〈持ち帰り・テイクアウト〉の表現は最重要。

というわけで、本書は実用書というより、見て楽しむ本でしょうか。

*****

あと、実用書として使う場合の注意。
〈いつ来ましたか?〉〈いつ帰りますか?〉などという表現が載っているのは、少々危険。自分の行動予定は知らない人にむやみに教えないように。
〈結婚していますか?〉などという方面の話題になるのも危険。というよりウザイ方面へ話題が移る。若い女性は要注意。

『図説 アジア文字入門』,河出書房新社,2005 その2

2008-08-09 20:12:25 | 基礎知識とバックグラウンド
本書は、すべて日本の研究者によって、日本人読者(日本語話者、日本語読解力がある者)を対象にして執筆されている。

これって、すごいことですよ。
たしかに、北アメリカの言語やサハラ以南アフリカの言語の研究では、日本の研究者がかなわない状況もあるようだが、ユーラシアに関しては、じゅうぶん世界に通用する水準である。

研究者も偉いが、読者だってエライもんだ。
これだけの内容が理解できるのは、世界中でも少数ですよ。

本書には、言語学・文献学の基礎も解説されているが、なによりもユーラシア全域の文字の多様性をさまざまな話題から紹介する視線がすばらしい。
ラテン文字社会の人が書いたもの、つまりひらたくいえば欧米の本からの翻訳は、どうもあいつら、わかっていないんじゃないかって気がすることがある。

そりゃ、専門の学者は深く研究しているだろうが、一般人の認識はあきれるほど低いものがある。
彼らは中国の漢字を見ただけでびっくりし、それ以外の細かい差異や多様性がわからない。
母音字が発音どおりではない文字体系、読まない記号がある文字、縦にも横にも書ける文字、〈分ち書き〉がない文章、など理解できない。

筆記用具、書体の違い、書道、活字印刷対石版・木版、コンピュータ用フォントの問題、辞書の配列、五十音図、これらは日本社会で暮らしていれば、基本的にわかることであるが、なかなか理解されないようだ。

******

大文明、広域文化圏の文字以外にも、さまざまな文字が紹介されている。

ご存知のトンパ文字。しかし、巷にあふれるトンパ文字の本の内容は信用できるのかな?カワイイ系の流行ではないか?

これも有名な彝文字(イ文字、ロロ文字)。表音節文字として整理がすすんでいるようです。

小児錦(シャオアールチン)。中国語を表記するためのアラビア文字です。

モルジブのターナ文字、これはアラビア文字から派生した文字だが、一文字一文字分けて書く。だから結構読める。

ブギス文字。一見アラビア文字からの派生のようだが、フィリピンのマンヤン文字やスマトラのバタック文字と同じくインド系。点と波線の組み合わせに見えるほど変化している。

リス語正書法(フレイザー文字)。キリスト教布教のためにラテン文字を基礎に作られた文字。一見コンピュータ・プログラム言語みたいな聖書、読もうと思えば読めるような気がする。

というわけで、看板から食堂のメニューまで、石碑からアラビア書道まで、教科書からバイリンガル辞書まで、珍しい写真がいっぱいで読めなくとも楽しめる。

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所はじめウェブ上にも情報は豊富だが、基礎的な知識と検索語を知るために最適な入門書。

『図説 アジア文字入門』,河出書房新社,2005

2008-08-09 20:07:10 | 基礎知識とバックグラウンド
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 編。

よくもまあ、こどものころ何の苦労もせずに、ひらがらを覚えたもんだ。
たとえば、

〈め〉と〈ぬ〉はまったく無関係である。
〈ち〉と〈さ〉が反対の音であるわけではない。
〈た〉はカタカナの〈ナ〉とひらがなの〈こ〉を組み合わせたものではない。
〈ぱ〉は、読点の後に〈は〉があるのではない。

こんなややこしい文字を覚えたのだ。
五十音というけれど、濁音・半濁音・拗音・長音をいれると、200以上の文字を覚えたことになる。
促音なんて、ふしぎなものも覚えた。(これはかなり意識的に覚えるよな……)
しかも、縦書きは上から、横書きは左からなんて、意識せずに覚えた。(それとも、そうとう悩んで覚えたのだろうか?)

数字はほとんど無意識に覚えた。
1234567890である。
これが、世界中に普及したというのはすごいね。
もちろん漢数字やデーヴァナーガリー数字も健在だしローマ数字もあるが、算数の計算でこのアラビア数字を使うのは全世界共通であるようだ。(どっか、反対している国があるのだろうか?インドではアラビア数字といわず「インド数字の国際的形態」といっているそうだが。)
ちなみに、元祖アラビア語地域でも、数字の位は同じ。文字は横書きで右から左だが、数字は左からである。百は世界共通に〈100〉と表記する。〈001〉で百をあらわす表記はない。

というようなことを愚考したのは、タイ文字を覚えようとした頃。
インド系文字に共通する原理であるが、子音文字の左右上下を母音文字が取り囲む。こんなもん覚えられねえよ。

漢字とラテン文字は2000年以上前の書体でも、しろうとが判読できるものが多い。
それに対し、インド系文字はブラーフミー文字がインド・チベット・東南アジアに伝わる途中で急速に変化した。
天井から垂れ下がったようなデーヴァナーガリー文字も、蔓と髭が生えたようなチベット文字も、知恵の輪のようなビルマ文字も、ミミズが踊っているようなバリ文字も、原初の法則を受け継いでいる。
現在、インドの各州、東南アジアやチベットの公用語に用いられている文字のほかに、ジャワ文字・ブギス文字・サンスクリット語を書くための悉曇(しったん)文字・同じくサンスクリット語のためのランジャナ文字・パーリ語を書くためのタム文字など古典語のための文字もある。

アラビア文字は、対照的に変化しない文字だ。
あの、判読不能の踊る書道を見ると、むちゃくちゃ変化しているように見えるが、あれは書体の違いであるそうだ。
クーファ・ナスフ・スルス・ルクアなどの書体は意外に安定しているようだ。

そしてよく知られているように、アラビア文字には本来母音字がない。
母音字がなくても、アラビア語だと判読できるのだそうだ。

ところが、母音が三つのアラビア語はいいが、それ以外の言語に使用する場合、母音字なしですますわけにはいかない。
それで、ウルドゥー語、ペルシャ語、トルコ語には母音字が加わる。アラビア語も俗世界で使用される場合は、母音字を使う。

というように、ラテン文字は圧倒的に広い無文字社会に広まり、アラビア文字は、ペルシャ語・アラビア語・トルコ語・(それにスワヒリ語)という広域の共通語・文明語に広まり、インド文字は人口稠密な南・東南アジアと人口希薄なチベットに広まった。

ところが、漢字はやっかいだ。
日本列島を含めシナ文明圏の外側に、独自の文字を持つ言語が多いのも、漢字の応用がとてつもなく困難だった、という事情が反映しているのではないか。

かな文字・ハングル文字・チューノム・壮文字・契丹文字・女真文字・西夏文字など、奇妙な文字がいっぱいある。
たとえば、有名な西夏文字など、形は漢字に似ているが、漢字の原理とはまったく異なる文字であるそうだ。

ざっと紹介したが、本書のおもしろさは、以上のような点ばかりではない。

以下次項で